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伝統と信仰 はじめに

はじめに

 真の信仰はためらいがちに語られるという。だとすれば、日本という国家、社会、文化、歴史、伝統、言語、といった国粋に対する信頼も、ためらいがちに語られるべきものなのかもしれない。愛国の情が野放図で夜郎自大なものになっていないか、いわゆるヘイトスピーチになっていないか、あるいは単なるある政治勢力の応援団になっていないか、常に自らに問い続けなければなるまい。それは深い国粋への信仰の念があって初めて成立するものである。自らの発言は国粋の殿堂に新たな黄金の釘を打ち込む姿勢でいるかどうか、常に問い続けなければならないからだ。それは、信じるということの貴さでもある。
 あるいは信仰の念は神の御業の賜物であって、人間の所業ではないと言われるかもしれない。だが同時に先人からの賜り物である伝統は、人間の自己決定をはるかに超越したところで、一人一人の精神を規定している。その伝統が神の御業であるか人間の所業であるかを厳しく峻別する態度は、人間存在の実態に即していないようにも思われる。

 現代日本において、信じる力というのが絶望的に落ち込んでしまっている。たとえばアメリカでは格差社会と言われながらも教会が福祉に積極的であるし、耶蘇教的信仰の伝統から、民間でもNPOが発達していると言われる。格差の割には飢える人は少ないとも言われる。
 翻って我が国では、社会福祉の不足に対する怒りが、社会の仕組みを変えようというほうに向かわず、「あいつがタダ乗りしている」と、弱者が弱者を叩くような風潮すらある。嫉妬を原動力として、全体が幸福になるよりも、隣人の優位を告発して、それを引き摺り下ろすことにご執心なのである。「悪平等」とは、元来こういう言説に対し向けられるべきものではないだろうか。この「悪平等」は、他人を全く信用しないことを原動力として広がっていく。日本社会は、意外にも他人を信用しない社会なのだ。
「信用」。かけがえのないものだ。だが、目には見えず、計れもしない。こうした抽象的概念の効能について語ることは、どこか避けられがちになっていたのではないか。だからだろうか。他者を信用できないということが近代のあらゆる問題の根幹にあるような気がする。特に資本主義が当然のように受け入れられている現代社会においては、カネの暴力がまかり通り、カネにたかる蟻ばかりの世の中となってしまった。そうしないと生きられないのだから大なり小なりそうなるのは仕方ない。だが本当にどうしようもない世の中になったと、思わず嘆き節になってしまう。
 資本主義は、資本が自己増殖するために共同体の内側になるものを分断し、金銭的価値に置き換え、商品に仕立て上げ、売買されていくことを積極的に肯定する思想である。その商品一覧には人間の「労働力」も含まれる。新自由主義と言われる資本の論理を特に徹底した思想では、もはや人々は人間ですらなく、企業になぞらえられる。売り上げが経たない企業が倒産するのは仕方がない、というのと同じ論理で、人間が生活できなくても仕方ない、と資本の論理のほうを守るのである。人間は自己の労働力を商品として売りさばく企業としての生き様を強制されるのである。そこに格差が生まれようとも、それは当然のこととして見過ごされるのである。
 「持てる者」と「持たざる者」の格差は歴然としている。あるいは「1%」と「99%」と言い換えてもよい。「持てる者」、すなわち「1%」とは自分自身を商品にしなくて済む者のことである。「持てる者」、「1%」は資本の力で「持たざる者」、「99%」を搾取する。搾取されることによって、人々が共同体として自明のようにその恩恵に浴していた温かい関係性さえも分断されてしまう。その構図は厳然としてあり、今後もそう簡単にはなくなることはないだろう。人々はその搾取の構造を時に恨み、時に利用しながらしたたかに生きている。努力は報われず、権力者は往々にして邪な動機でその権力を使いがちだ。しかしそこに屈しない態度が求められる。それは単純な反発に限らない。その中で利己主義にとらわれすぎず、したたかに生きることもまた立派な抵抗の形である。
 世界史において「持てる者」と「持たざる者」の格差が解消されたことなど一度としてなかった。皮肉にもこの格差が一時的に縮まったのは、資本主義的概念が導入された上で資産課税が強化された一時期だけであった。その頃に限定すれば、トリクルダウンの効果は確かにあったと言わなければならない。だがそれも、一時的な現象に過ぎなかった。資本の自己増殖の動きは、それを妨げる資産課税を忌み嫌うからである。

 そのような資本、あるいは「持てる者」、「1%」による搾取を妨げるものの一つに、信仰がある。信仰とは特定の宗教を信じることとは限らない。私的利害関係や目に見えるものを超える「何か」を強く信じる行為のことである。信仰は共同体によってもたらされ、利他を称える傾向にある。極論を言えば、信仰とはこの「何か」を信じることに他ならない。
 日本人の信仰とは、日本の伝統の上に咲く花である。日本の伝統にのっとってこそ力強い花が咲くのである。
 多くの現代日本人にとっては、「信仰」という言葉より「宗教」という言葉のほうが耳慣れた言葉であろう。しかし本稿は宗教というよりも日本人が何を信じ自己の倫理意識もしくは社会をとらえていたのか、というところが主眼になる。したがって「武士道」だとか「社会主義」なども絡めて論じる予定である。「日本人は何を信じていたのか」、それはまったく答えの出ない問いである。だがその時々で、日本人は利害関係だけにとらわれない「何か」への信頼を語っていたのであり、先人の知的営みの恩恵に浴するものの一人として、その「何か」を追究しようとすることには関心を持たずにはいれない。精神は「伝統」という故郷を持っている。「何か」への信頼とは、すなわち伝統への信仰であろう。
 ただし本稿がその「何か」の究明にどれだけ寄与できたかどうかはわからない。ただ先人の思索を羅列しただけになっていないか不安でならない。本稿に望まれることは、むろん日本人としての「伝統」への信仰の告白である。だが、私はそんなに熱心な「信心」を持つ人間だろうか。あるいは語るに足る人間だろうか。疑問は尽きないが、ひとまず読者の思索の一助となれば幸いである。

 本稿では仏教の話をしたり、神道の話をしたりするだろう。自由に様々な信仰を行き来すること自体が、信仰を失ってしまった近代人の態度だとも言える。どの面下げて「信仰」を語るのか、とお叱りを受けるかもしれない。だが、おそらく真の信仰とは、教団や教義に囚われるものではなく、それを超えた天の声を聞き続けることにあるように思う。だから、及ばずながら「天の声」を聴く営みに参与したい。それは人々の悲願に近しいものだと思う。己がこの世に存在していること自体を怪しみ、自分がこの世に生まれ落ちた意味をいぶかしみ、はるか昔からなされてきた人類の言葉を聞く営みに加わろうという態度である。

 例のごとく本稿には様々な立場、思想の人物が登場する。私と意見が異なる人物も、または引用した人物同士がお互いを批判しあっている場合もある。そうした関係性を無視して再編成することによって本稿は成り立っている。いささか鷹揚な態度ではあるが、様々な人物の考えが私の中に流れ込み、相互に影響を与えたうえで本稿が成り立っているということでご寛恕いただけたら幸いである。引用文献の出典は随時註をつけている。

(続く)

秩序とは何か

 人ある所に人なし、人なき所に人ありという。人が多くいる場所には大人物は出ず、人がいない場所にこそ大人物は出るという意味だ。義理と人情がごく自然に出るような場所で育つのは、人が少ないところだ。都市は人が多すぎるため、あまりに機械的に設計され、人の心が発揮できない場所になっている。秩序には人の心を自然に発揮させることを妨げることがある。
 思想の左右など、たまたま偶然のきっかけで別れたものに過ぎないのかもしれない。社会の善を考えざるを得ない人間にとって、右翼や左翼の差は大きな問題ではない。政府や世間が織りなす秩序は、彼らにとって、時に味方であり、時に敵である。右も左も変わらず、デモの主催者が嫌うのは問題を起して警察ににらまれることだ。それゆえ日本のデモは(ここで日本に限定しているのは海外の事情を私がよく知らないためで、それ以上の理由はない)とてもおとなしくて整然としている。警官に守られて整然と更新して、終わった後はお疲れ様でしたなんてやっている場合がほとんどである。このとき主催者はほとんど警察の代弁者にしかなっていない。問題を起さず、デモをただのガス抜きにしようとする側と一体となるのである。もちろん、デモに限らず政治運動は大方そういう具合になっている。それをダメだと言ったらおそらく何の運動もできなくなるだろう。だがそれでもそこに何らかの欺瞞性を感じないわけにはいかないのである。
 現代の日本はおそらく物質的には史上最も満たされている時代であろう。にもかかわらず、あるいはだからこそ、何か薄皮をまとった閉塞感が人々の心を覆ってやまない。右肩上がりの時代は終わりを告げ、成熟へと歩き始めた日本社会だが、歩き始めてふと、成熟とは何かまるで分らないことに初めて気づいたような、そんな心境であろう。そして何より、今の日本社会を回している「秩序」は、右肩上がりの時代に作り上げられたものだ。果たしてこの秩序というものを追究せずして、日本は未来に歩みを進めることができるだろうか。秩序のもつ便利さと恐ろしさを、もう一度見直す必要があるのではないだろうか。右肩上がりの時代に作られた秩序は、今のままでよいのであろうか。
 いきなり結論から言おう。秩序には官僚的な、人をがんじがらめにしてしまう働きがある。人々が元来持っている共同性すら発揮できないように無機質な制度に落とし込む怖さを持っている。人々の共同性がそのまま生かせる社会。その原点に立ち返らなければならない。
 法家は儒家の述べる徳治を「人による支配」であり、恣意的な政治であると批判したが、儒家もまた儒教道徳という絶対の規範の前では為政者たりとも従うことを求められるという意味で、「人による支配」を避けようとする思想であった。為政者が自らに有利なように法を作り、それへの服従を強いる「秩序」を、儒家は怖れた。
 組織は必ず何らかの思想もしくはイデオロギーを持っている。それはとても強固なもので、組織の構成員一人ではなかなか変えることが許されないものだ。組織の理屈はその理屈を維持するためだけに人を振り回し、押しつぶしていく。
 組織と秩序は密接な関係を持つ。組織の長は秩序を好む。それは自らに都合のよい形での「秩序」である。組織はその構成員に対して、どこか恩着せがましいところがある。就職させてやったのだから、そして給料を払ってやっているのだから、少々の転勤や残業にも文句は言うなというわけである。働かせてもらっている喜びをかみしめろというわけである。この巨大で無神経で不遜な組織の力は、どんな小さな組織にもある。そして時に組織は、こうした圧力を喜んで受け入れる人間になれと、人の心にまで踏み込むことがある。この横暴こそ、組織が求める秩序である。
 こうした圧力が日常的にある社会では、「気晴らし」をほしがるのかもしれない。社会にはびこる「レジャー」志向がそれである。「レジャー」は一種の散財である。日々さんざんこき使われた鬱憤を、散在して憂さ晴らししてくださいというわけである。だがそれが広告や観光産業と結びついた今日、その「レジャー」にすら飽いた白々しい感覚もまた社会に広がってきたように思う。「若者のクルマ離れ」「インドア志向」などというのはその一つの表れである。「若者」と言っているが、実は若者だけの現象ではない。
 企業組織の横暴の中で、心までも踏み荒らされた日常は、カネによってしか癒されない。働くのはカネのためである。そんな不健全な感情は、仕事では社会貢献はできないという絶望感と表裏一体のものである。組織に巣食う人間は、必ず面従腹背を覚える。なぜ面従腹背が行われるのか。それは組織が「喜んで」働くよう、心まで支配したがるからだ。人に過度な服従を強いる強権的な秩序は、面従腹背を育てる温床となる。管理と面従腹背は二つで一つだ。管理すればするほど、面従腹背が広がっていく。
 日本共産党は、平等を謳いながら、実際は東大卒のインテリ党幹部がすべてを決定する仕組みである。それが共産党の「組織の論理」なのだ。日本共産党に限らず、共産主義国家は、要は共産党がすべてを支配する、党幹部とそれ以外という階級体制を樹立するものである。
 マルクスの思想とマルクス主義は異なる。マルクスの思想は体系化されたものではない。体系化されたマルクス主義はマルクスの思想とは違う何かである。それを取りまとめたのはエンゲルスであった。マルクス自身が「私はマルクス主義者ではない」といったように、マルクス主義というイデオロギーは「マルクスの思想ではない何か」であろう。マルクスの思想はエンゲルスが取りまとめたが、マルクス主義はエンゲルスの手すら離れて世間に横行することになった。マルクス主義はマルクスの主義ではないが、エンゲルスの主義でもない。イデオロギーは広まる過程で得体のしれない「何か」に変わっていくのだ。イデオロギーは単純な図式的な思考である。それは思想とは大きく異なる。イデオロギーは秩序であり、思想は無秩序である。もっとも、思想は図式化されることで初めて広く人に伝わるともいえる。人に伝わるとは、「要するに」どうであるかが宣伝されるということでしかない。それは思想するものにとってはとても悲しい現実だが、ある種の心理であろう。図式化されていない「思想」というものは、師弟関係など深くかかわった人くらいにしか伝わらないものなのだ。思想とイデオロギーはまったく違うものであるが、思想とイデオロギーは区別しようとしてもできないものである。
 ソ連という国家は、外面は共産主義を標榜していたが、実質は政府が商売を独占する国家資本主義であった。江戸幕府による鎖国が、国を閉ざすものという世間の印象よりも、むしろ幕府が貿易を独占して行う、という方が正しいのと同様に、ソ連も共産主義という印象よりも政府が商売を独占して行っていたというほうが正しい。ソ連にはハエがいないというのは嘘だったが、労働組合は本当になく、労働者は生産計画のために搾取されていた。
 「全体主義」には二つの意味がある。全体のために個を圧殺する全体主義と、全体を構成する各員を全体のために救う全体主義である。ひとりのいのちは国家全体のためのいのちであり、決して軽んじられるべきではない。こうした全体主義もありうるのではないだろうか。しかしこれは、全体主義の二つの側面、裏表の利点と欠点を示したものとも言える。秩序は人を救うが、秩序の名のもとに殺される人がいるのである。
人間は利己的な動物か、それとも共同的な動物であるか。それは果たして二項対立として存在するものなのか。元来世の中のものは誰のものでもない。それを「私有」できると考えることの傲慢を想わざるを得ない。人間の利己性を深く認識するからこそ、その利己性を抑え、共同性を発揮できるよう努める立場もあり得るのではないだろうか。人には公正を望む心があり、義に生き、情に突き動かされる心がある。日常生活の中でそうした場面は、利己的な判断と同様にありふれていると言ってよいだろう。その時、人はあえて利他的な判断をした方が後々良いことがあるだろう、情けは人のためならずなどと功利的な計算をしているわけではない。義や情そのものに突き動かされて行動をしているのである。即ちそれは、営利活動のみ見ていただけでは世の中は語りえないということである。
 人は目に見える形で誰かと共同作業をすることばかりではない。にもかかわらず、人間として日々活動していることがすでに社会的存在であることの証明でもある。たとえば言葉が、嗜好が、価値観が、すでに社会的、歴史的存在なのである。即ち「個人」はどこにもいない誰かではなく、必ず国籍、社会、文化を背負った一人として存在する。
 ではなぜ、時に秩序が人を圧殺することがあるのだろうか。ワンフォーオール、オールフォーワンと言ったところで、現実は簡単に上司やお偉いさんの都合が、いつの間にか「全体の意志」として服従することを要求されるべき何かとして我々に迫ってくる。そこには共同性の欠片もなければ社会性もない。機械か道具にでもなった気分にさせられる。それに嬉々として従うことが人生の指南書なのだとしたら、即座に破り捨ててしまいたくなる。だが、こうした共同的、社会的関係が服従に置き換えられていくことに絶望し、人生に絶望してしまう前に、それらが弱肉強食に彩られていることに気づくべきであろう。弱肉強食は、弱者に過度な卑屈を強い、強者に過度な自尊を与える。その過程で共同性が見失われ、服従関係に置き換えられているのではないだろうか。弱肉強食は弱者を「人」として見なさない。雇用関係は労働者を「人」ではなく、はさみか机かパソコンのような「備品」に置き換えた。カネを払って使っているのだから、それはモノと同じというわけである。「ワンフォーオール」として求められる「オール」は、本当は誰かの「ワン」でしかないのかもしれない。ならば人に「ワン」の理屈を強要できる立場の人間が幸せなのかと言ったら、そうでもない。と言うより、そんな立場の人は誰もいない。人に「ワン」を強要する人間は、実は誰かの「ワン」の理屈を強要されている。それは顧客だったり、株主だったりする。そうやって連鎖反応のように誰かの要求に振り回され疲弊し、道徳が荒廃していくのである。
 マルクス主義が生まれる前から、貧者は街にあふれ、その日暮らしを送っていた。それを義侠心から告発した言論人は、明治時代には思想的立場を超えて存在した。だが、ロシア革命が起こる前後から、人は共産主義を憎み、共産主義者と誤解されることを恐れるあまり、貧しい人々を救うことを主張することを躊躇した。共産主義はかえって貧者の立場を苦しくしたとさえ言えるかもしれない。共産主義国家は貧者の楽園でも何でもなく、ただ「共産党関係者」と「それ以外の人間」という階級を固定する装置にしかならなかった。共産主義は貧者を誰一人救わなかった。だがそれは、共産主義の対立概念である資本主義、あるいはそれによって生まれた格差を何一つ正当化するものではない。
 マルクス主義は共産主義国家の崩壊とともに忘れ去られる思想であるかのように思われてきた。だが、資本主義に毒された人々が世の中を売買の関係にすりかえ、自己利益の追求を当然のこととみなしたとき、労働力も完全に「商品」となり、皮肉にもマルクス主義の見立てが裏打ちされることとなった。そうなったとき「プロレタリアートの窮乏化」は現に実質賃金の低下として眼前に広がりつつあるではないか。市場がもたらす秩序はまったく合法的に人を窮乏に追いやる。このことが意味する恐ろしさを改めて確認しておくべきだろう。
 ルールを一度曲げると、それが常態化してアノミーに陥る。それを避けるためには、ルールを厳格に守る必要がある。ところがルールを厳格に守りすぎると柔軟な対応ができず、ルールによる保護から零れ落ちる人が出てくることになる。深い信頼関係が醸成されている組織ならば、ルールを柔軟に運用し零れ落ちる人々を救済することができる。組織において、構成員が深い信頼で結ばれることはとても重要なことなのだ。
 政府を最高の価値と捉え、国民はその政府に奉仕するだけの存在とみなすような考えを時に公然と披瀝する論客がいる。自民党に寄生する類の自称保守がそれだ。面白いのは、そういう人はたいてい政治の中枢に携わっている人ではない。その周囲に寄生していると言ったら失礼だが、そういう人が礼節も謙譲の美徳もない発言を公然と唱えるときがある。権力は時に自国の文化を破壊したがる時がある。むき出しの権力を誇示したいものにとって、時に文化は足かせになる時があるからだ。企業家や財界も同じで、労働者に対する手当てや当然払われるべきとされている態度を、競争や自己責任の論理のもと放棄させたがるのは、そうなればむき出しの権力がものをいう世界になるからであろう。
 人生を決めるのは、ささいな運命のいたずらであることが多い。運は、神という言い方が適切かはわからないが、人智を超えたものから与えられるものだ。それは、俗世の地位や貧富などで差別されることなく、誰にでも訪れる可能性がある。悲運も同じで、この世の栄達を究めた人が病であっという間に亡くなることだってある。人は、運命の前に平等である。共産主義は、こうした神様のいたずらさえも人為的に平均化しようとしかねない危険性があった。と同時に、資本主義者はこうした天運さえも個人の努力と実力と成果に帰属させかねない危険性がある。どちらも人智を超えたものに対して不遜な思想である。幸も不幸も巡りあわせである。天から得た幸運を社会に還元し、天が与えた不運を皆で分かち合う敬虔さを、資本主義も共産主義も欠いている。近代社会が与えた秩序は、こうした人智を超えた働きを忘れさせるものであった。およそこの世に永遠に続くものなどない。資本主義も共産主義と同じく、必ず消滅する日が来る。資本主義は、その裏面である共産主義と共に崩壊するものである。崩壊した後も、人間は残り、文学が残り、歴史が残る。
 もちろん、身に起こることすべてを運命だと達観し、あきらめたり加持祈祷に走る態度は論外である。それは幸田露伴が『努力論』で世の成功者は幸運を自分の実力だと思い、失敗者は不運を運命だとあきらめていると述べたことにも通じるものがある。だがその露伴は、自己の幸運を自分のものだけとはせずに、世に幸福をもたらすべく使う「植福」を重んじたことを忘れてはならないのである。
 政治家によって語られる政治には、人を支配するための偽りが隠されていることが少なくない。「財政危機であるから増税する」とか、「日本を守るために集団的自衛権を行使できるようにする」等がその類である。これに対して、「日本の「借金」は多く国内によるもので大きな問題はない」であるとか、「集団的自衛権の行使はアメリカの要請によるもので、より対米屈従的外交政策を取らされることになる」と言った論理的反論をしていくことは重要だろう。私もそれを否定しない。だがそれは短期的目線に立つものであり、政治が「まつりごと」になっていない限り、人が人を支配するための道具にしかならないという根本命題を解決するものではない。神々が人を支配するのではなく、人が人を支配する限り、そこには強者による弱者の搾取という側面が付きまとうのである。
 政府が持つ権力には魔力がある。権力は人をひきつけてやまない力がある。権力に近いものが甘い汁を吸い、そのつけをその他のものが払うという不条理は、歴史上数知れず繰り返されてきた。それでも権力が露骨に人を支配することを善しとしない思想もまた古くから語り継がれてきた。例えば儒学は信賞必罰をあるべき姿としながらも、寛刑を善しとし、権力が人を拘引するさまを嫌うところがあった。犯罪が起こるのは社会が乱れているからであり、その乱れを正さずして犯罪者を処罰するだけでは事態は何も変わらないと考えた。近代国家における犯罪の処罰は、犯罪行為に対する責任追及が主で、その事態をもたらした根本原因とその改善は人々の叡智に頼っている。たしかに根本原因の治癒は、むやみに制度に組み込まれる必要はないだろう。だが、一人一人が、犯罪者を処罰するだけでは何の解決にもならないことを自覚すべきではないだろうか。
 我々は連帯しなければならない。人は一人では生きていけない。だが、その連帯の合言葉の中に、既に抑圧と馴れ合いが潜んでいるのである。連帯を求めながらも、その中で各人が孤立を恐れず主張し、なおかつ周囲もそれを寛容に受け止める。そんな世界は脳内にしかないのかもしれない。
 人の純然たる思い。本居宣長はそれを「もののあはれ」と呼んだが、そんな原始的な感情を、社会とか組織というものは簡単に抑圧する。秩序とか道徳という名によって。だがそれは秩序や道徳が要らないということにはならない。なぜならそういったものがなくなればなくなるほどむき出しの権力によって人が人を支配するような世の中が訪れ、人々は却って抑圧されるからである。また、何事にも寛容でありすぎると、却って差別化と排除が盛んになったりもする。まことに人の世は救いようがない。だが、人の純然たる思いの中には、おそらく全体と調和しつつ個の尊厳を害さないものへの希求が含まれているだろう。人はそれを良心とか、良知とか呼んできた。秩序とか道徳という名で実はそういう内容が唱えられたこともあるだろう。社会とは、自分の外側にあるものではない。自分は社会の一部分であると同時に、社会は自分の一部分なのである。なぜなら社会は人々の「期待」の寄せ集めでもあるからだ。そうした人間の「期待」に託すしかないのかもしれない。

皇室中心の政治論

 物事の本質は、何年経とうが、何百年経とうが決して古びない。
 二七〇〇年近くある皇室の歴史の中で、立憲君主であった時期はそのごく一部にすぎない。したがって、「立憲君主としての天皇」は天皇という存在の一面ではあるが、天皇という存在のすべてではない。ところが、成文憲法なるものができて以降、天皇は立憲君主としての存在がすべてであるかのような誤解が広まってしまった。それだけでなく、「成文憲法」という考え方を編み出した海の向こうの言葉でしか、天皇を語れない人間が出てくることになった。「天皇は国家における最高機関である」という天皇機関説がそれだ。天皇主権説にも、天皇機関説ほどの臭みはないにせよ、そのきらいがあった。戦後の「象徴天皇」もまた、海の向こうの人間が考えた理屈である。
 我々は海の向こうの言葉ではなく、我々自身の言葉で、「天皇」という存在を語っていかなければならないのではないか。それは、私一人でなすには荷が重すぎる論題である。だが、そのきっかけとして、考える材料を提供することくらいはできるのではないか。そういう思いで本稿を書き進めていきたいと思う。

 天皇主権かどうかという論争は天皇機関説論争が有名であるが、それ以前から日本の国体をめぐる思想において重大な関心を持たれていた。明治七年の民撰議員設立建白書のころ、阪谷素という人物が、「天皇が万世一系であることは言うまでもないが、その下での政治は、皇国も諸国同様中世以来一様ではないので、政体は大臣合議の内閣制か君民同治の議会制を採らなければ人心は共和の説に向かってしまうかもしれない」と建議している(坂野潤治「西欧化としての日本近現代史」『現代日本社会4歴史的前提』東京大学社会科学研究所編、21~22頁)。この阪谷の意見は、果たして「天皇主権説」の側なのだろうか、それとも「天皇機関説」の側なのであろうか。坂野は明確には述べていないものの、この阪谷の意見を「天皇機関説」の先駆としてとらえている節がある。なぜ坂野がこの意見を機関説の側と見なすかといえば、内閣や議会を重んじるのは「天皇機関説」の側だという思いがあるからだろう。当たっている部分もないではない。確かに天皇主権説は天皇独裁説であるかのように語られることが現代でも珍しくない。だが本当にそうだろうか。
 例えば天皇主権説論者である穂積八束は「大権政治は大権専制の政治には非ず。専制ならんには、之を憲法の下に行うことを許さざるなり。君主の大権を以て独り専らに立法行政司法を行うことあらば、即ち専制なり。同一君主の権を以てするも、立法するには議会の協賛を要し、行政するには国務大臣の輔弼に依り、司法は裁判所をして行わしむることあらば、分権の主義は則ち全たし。権力の分立は、意思の分立を意味す。国家意思の絶対の分立は、国家の分裂なり。唯主幹たる意思の全体全体を貫くあり、而して之に副えて、其の或種の行動には、更に或種の機関意思之に加味せらるることあらば、統一を損することなくして専制を防ぐに足らん。之を立憲の本旨とす。大権政治とは大権を以て此の主幹たる意思とする者の謂なり。」(穂積八束『憲政大意』244頁。原文カナ、旧仮名遣い、旧字)即ち穂積は国家意思の分裂を防ぎ、権力の分立を図るためにも天皇大権の確立が必要だと説いているのである。それに対して美濃部は「穂積さんは主権を以って絶対無制限の権力であると言い、その意味においての主権が我が憲法上天皇に属するのであって、即ち天皇の主権は絶対無制限の権力であり、主権を制限する如何なるものも存在しない」と考えていると、全くの無理解を示している(高見勝利編『美濃部達吉著作集』113頁)。もちろん穂積は天皇独裁を主張したのではない。国家意思が天皇にあると述べたのである。美濃部には「内閣政治」を重んじ、「立憲独裁構想」があったとも言われる。美濃部は明治憲法の解釈改憲を目指した(坂野潤治『日本政治 失敗の研究』16~18頁)と言うが、要するに天皇に属する国家意思を内閣に属させようとするものであった。そのために唱えられたのが天皇機関説であった。天皇主権説と天皇機関説の違いを押さえるのはとても重要なことだ。だが両者を真逆なものと考えすぎるのも誤解を招く。主権説も、天皇が持つと考えた国家意思とは「これからは立憲制を採用する」という類の国家の大方針であって、当然細部は輔弼者が上奏し責任を負うものだと考えていた。一方で機関説も内閣の働きを重んじたが、皇室を廃そうとしたわけではなかった。
 余談ながら、戦後、「大日本帝国憲法は国民の権利を「法律に定めるところによる」と書き、人権を制限していた」という悪質な認識が流布された。だが、大日本帝国憲法が欽定憲法であることを思えば、これは「臣民の権利は法律で臣民相互に決めるべきで、主権者(=天皇)はこれを侵害できない」という宣言であった。これを唱えたのは穂積八束である。穂積が天皇独裁論者であるとは悪質なデマであろう。
 余談ついでに言えば穂積は「古来仁君名主ト称スル者ハ多クハ社会主義ノ臭気アリ」と述べ、貧困層を保護する権力を保持しなければ不測の事態も起こるかもしれず、主権を制限する説は社会の前途のために憂うべきところがあるとして、革命の未然防止という観点ながらも弱者救済にも関心を持っていた。国民の利害関係による軋轢は、天皇が主権者として確立されていなければ調和できないと考えていた(穂積八束「国家社会主義志向」長尾龍一編『穂積八束集』145~148頁)。
 あるいは元田永孚は天皇親政論を述べたが、それも薩長の専制を抑止するために唱えられたものであった。天皇主権論はむしろ政治実務担当者の私物化を妨げる目的で唱えられていたと言ってもよい。そう考えたとき、天皇主権説の問題は、天皇独裁か、民本主義かと言ったような単純な二者択一の問題ではなく、日本という国の公的意志はどこにあるのか、どうやって実現するのか、という問題として現れるのである。これは現代でも大いに問うべき問題ではないだろうか。もっとも、当時から天皇主権説は天皇独裁説と錯覚されたし、天皇機関説は皇位を廃する、あるいは無力化するものと思われたため、議論は平行線をたどることになった。
 整理すると、天皇主権説とは、政治実務担当者の私物化を防ぐために天皇大権を強く確立し、その中で立憲政治を行うという思想である。反対に天皇機関説とは、君主の国政の私物化を避けるために内閣や議会の働きを重んじるところがある。もっとも、美濃部は二枚舌的なところがあり、その言っていることが私にはよくわからない。ただ、君権を制限することなしには民衆の意志を政治に反映させることはできないと考えている点、天皇を公的存在とは考えず、国政を私物化する恐れがあると考えるところに、何かいかがわしいものを感じざるを得ない。蓑田胸喜が美濃部の著書を「大逆的怪文書」と評したのを、私は過剰反応だとは思わない。
 だが今必要なのは機関説を批判、否定することではなく、主権説論者および部分的批判を含みながらそこから派生した思想が、何を言っているかを虚心に眺めることではないかと考え、しばらく議論の紹介を続ける。
 上杉愼吉は「国体に関する異説」で「仮令心に君主々義を持すると雖も、天皇を排し人民の団体を以て統治権の主体なりと為すは、我が帝国を以て民主国なりと為すものにして、事物の真を語るものに非ずと為すのみ」と言う(『近代日本思想体系33 大正思想集Ⅰ』6頁)。
 あるいは蓑田胸喜は「帝国憲法第十条に曰く『天皇ハ行政各部ノ官制及文武官の俸給ヲ定メ及文武官を任免ス』と。(中略)行政法を講ずるもの、その直接の第一依拠を本条に求めざるもの一人としてなきにも拘らず、美濃部氏を始め従来殆どすべての行政法学者は異口同音に『行政権の主体は本来国家である。』の語を以てその論理を進むるのである。これいふまでもなく憲法論上に於ける『国家主体・天皇機関説』の行政法論へのそのままの適用である。即ち、『統治権の主体』を以て国家となすの結果、その統治権の一成素たる『行政権の主体』も亦国家なりとするのである」(蓑田胸喜『行政法の天皇機関説』原文旧字、蓑田胸喜全集第六巻231頁)という。
 両者がここでこだわっていることが『統治権の主体』という言葉であることに注目したい。「統治権の主体」即ち「主権」なのだが、現代風に言い換えれば、政治の正当性あるいは正統性の所以ということではないだろうか。なぜ政府は行政的命令を国民に発する権限があるのか、その由来は天皇ではないのか、単に国民としてしまってよいのか、と問うたのである。あるいは、行政官は天皇に任命されるが、それは天皇が大権を持っているからではないのか。大権を持っていないものがどうして任命できるのか、と問うたのである。
 現在でも総理大臣は天皇から任命される。実質的に選挙でもっとも多く議席を得た党の総裁が自動的に選ばれているとしても、この際それは大した問題ではない。なぜならそれは「政体」の議論であって「国体」の議論ではないからだ。身もふたもない言い方をすれば「国体」とはタテマエである。建前としての政治を行う根拠、それは国民に支持された(=機関説)からだろうか、それとも天皇に統治を委託された(=主権説)からだろうか。
 今、「天皇に統治を委託された」ことを「主権説」の論理として書いた。これは読者に違和感を与える論理かもしれない。だが主権説論者が天皇独裁を主張したことなど一度もないのである。統治を委託した、ということは、元来統治は天皇が行うもの、という意味が含まれている。すなわちそれは「統治権の主体」、つまり主権が天皇にある、ということではないか。天皇主権説とはごく常識的な主張である。
 仮に「国民の多数が支持している」ことに政権の正当性の所以を求めた場合、果たしてその政権は正当な政権と言えるだろうか。仮に本稿を書いている現在の安倍内閣で思考実験してみよう。
 安倍内閣はたしかに議席数は過半数を超えている。自公政権という意味では衆議院では約2/3を占めている。だが自民党、公明党に投じられた票数は全票数の過半数を超えていない。つまり「国民の過半数が自公政権を支持しなかった」と解釈することも可能である。にもかかわらずなぜ安倍政権が正当性を持てるのだろうか。
 あるいは仮に過半数を超えていたとしても、過半数を超えていたらなぜ統治してもよいのだろうか。仮に6割の国民が支持したとしても、5000万人近い人が支持しなかったことになる。いったい何の権限があって、政府はこの5000万人にまで行政命令を発し、税金を徴収し、場合によっては戦場に送り込むことが可能なのだろうか。もっと言えば、仮に政権交代が行われた場合、なぜ前の政権と今の政権が連続していると言い得るのだろうか。誰の許可を取って引き続き税金を徴収し外交権を行使するのだろうか。答えは一つしかない。日本の歴史、伝統、文化、信仰、そして統治権を体現する天皇に委託されたからではないのか。それではなぜ皇室は統治権を持つのか。これは自明である。「天壌無窮の神勅」というものがあり、そこに日本は天皇が永遠に統治する旨が書かれているからである。明治憲法ではそれを「万世一系の天皇之を統治す」と表現した。私は日本史上において「天皇の統治」が揺らいだところを知らない。摂関政治が行われようとも、幕府ができ将軍がいようとも、それらはすべて「天皇の臣下」であり、臣下として統治権を行使したに過ぎない。臣下としての立場を忘れかけた人物は、史上に何人か思い浮かぶが、それらの人物は忘れかけた途端、何らかの政変により打倒されることになった。「天皇の統治」は今に至るまで全く揺らいでいない。
 余談ながら多数決と言うのは一見合理的に見えて、実はかなり怪しい部分をはらんでいると言わざるを得ない。なぜ過半数の意見を国家全体の意見とみなしてよいのか、それを近代西欧思想はあれこれ理屈付けてきたわけであるが、私などはどこか胡散臭い部分を感じずにはいられないのだ。もちろん、多数決による意思決定以外対案が出しづらいのは重々承知しているが。

 話を戻そう。美濃部達吉は『憲法講話』で、「君主が統治権の主体であるとするのは却て我が国体に反し吾々の団体的自覚に反するの結果となる」と言い、「統治権が全国家の共同目的の為に存するもので、租税を課するのも、軍備を起すのも、外国と戦争をするのも、領土を拡張するのも、常に全国家の利益を計り国利民福を達するが為にするものであつて、単に君主御一身の利益の為にするものではないことは、更に争いを容れない所であります。国家が統治権の主体であつて、君主は国家の機関であるといふのは、唯此の思想を言ひ表はしたものに過ぎぬのであつて、我々の尊王心は毫も之に依つて傷つけられないのみならず、却て益々発揮せらるゝ」という(「憲法 美濃部達吉と上杉愼吉」河野有理編『近代日本政治思想史』243頁からの孫引き)。統治権が「全国家の共同目的の為」にあるということには天皇主権説論者も異論はなかろう。むしろ違和感を呼び起こすのは、天皇主権だと天皇は国家の利益ではなく、自らの利益の為に統治権を濫用しかねないと考える美濃部の皇室観のほうであろう。そこまで言っていないと美濃部は言うに違いない。だがどう読んでもそういう発想があるからこの論理展開になるようにしか読めないのである。したがって、天皇機関説論争は不敬か否かといった学理以外の部分での論争が多くなったのだが、美濃部はそれが自らの思想が呼び起こしたものであることにどれくらい自覚的だったのだろうか。
 美濃部を巡る学術論争が政治闘争に転化していった理由は他にもある。いい加減な本によっては、美濃部は学究の徒であったのに、その学説を問題視した主権論者が誹謗中傷したかのように書いてある場合もあるが、これは全く正しくない歴史理解である。美濃部は山県有朋に重用された一木喜徳郎の弟子であり、美濃部も山県閥の支援を受けていた。また、男爵である菊池大麓の娘を嫁にもらい、そうした人脈により貴族院議員にも選ばれていた。そして、長州閥の影響もある、立憲民政党のブレーンでもあった。南北朝正閏論争もそうだと言われているが、天皇機関説論争も、「長州閥対それ以外」という権力闘争の様相を秘めていたのである。
 天皇観の話に戻ろう。国家、歴史、文化、信仰あるいは国民全体を代表する存在こそが天皇であって、それを機関説のように私的利害を満たすために国政の濫用を図りかねないと考えることは、天皇観の未熟さと映ったに違いないのである。むしろ政権実務者に過度な権威、権限を与えてしまうことのほうが、実務者が私的利害を満たすために国政の濫用を図りかねないと考えるのが主権説の立場であった。そのことは穂積八束が三権分立を徹底しようとしたことなど、これまでの主権説論者の思想を見ていけば容易に連想されることであろう。
 蓑田胸喜は「天皇親政といふことほど西欧に所謂独裁政治と遠きものはない」という。天照大御神も八百万の神の意向を確認し、孝徳天皇は臣下と共に治めたいと欲せられ、明治維新の際には万機公論に決すとされた。独裁は天皇みずから取られなかっただけではなく、国家機関(=政府)にも許さなかったことを強調した(「天皇親政と輔弼機関の分化重層」『蓑田胸喜全集』第六巻964~966頁)。蓑田は決して議会が存在することを否定していない。議会が政党に私物化され浅はかな民意が大手を振うことに嫌悪感を示したのである。しつこく語るように天皇親政論は天皇独裁論ではない。

 天皇のいわゆる「人間宣言」は、GHQが草案を書いて昭和天皇のお言葉として公表させたというのはもはや常識の類で、GHQ草案に昭和天皇は五箇条の御誓文を足したことも有名である。これを元に天皇の「人間宣言」はデモクラシーの精神はアメリカに教わったものではなく明治以来の日本の考えだったのだ、ということを示したという解釈も後を絶たない。だが、戦前戦中には「民主」という言葉は禁句であった。このような解釈は私には説得力があるようには響かない。私には、いわゆる人間宣言は「天皇主権」を宣言した声明に思えてならないのである。一言でいえば、「これからは引き続き五箇条の御誓文の精神にのっとって政治を行います」と、昭和天皇が国家の大方針を宣言したと受け取れるからである。国家の大方針を決める権限は、引き続き天皇にあると内外に示したのである。

 徳富蘇峰は終戦後の日記、『頑蘇夢物語』で、「国体の擁護が出来た」とか「皇室の尊厳が保たれた」などという論者がいるのは「驚き入る次第」であり、「実際の主権は、マッカーサーに在りといわねばならぬ」という(『徳富蘇峰終戦後日記―頑蘇夢物語―』第一巻35頁)。もちろん蘇峰はこれをGHQに媚びる意図で述べたわけではなく、世を嘆く言葉として述べたのである。
 そんな心情の中で蘇峰は「皇室中心主義」を述べる。これは今後日本が皇室中心主義で行くべき、という議論ではない。今までも皇室中心主義であったという確認でしかない。しかしその「確認」はとても重要であると思われる。
 蘇峰は、日本に皇統が連綿と存在しているのは摂関政治や幕府や議会があったからであり、実際の政治から遠ざかったことが皇室が長年続いた要因なのだという議論と、国家の万機を治め、雲の上に仰ぎ奉ることの両方を批判する。皇室中心は君徳の実践にあるのであって、場合によっては君を諌めることも必要だと述べる(同86~90頁)。蘇峰は元田永孚の名前も出しているが、要はあくまでも全権は主上にあるが、政策決定にあたっては君臣との関係の中で判断され、場合によっては臣下が君をお諌め申し上げることも憚るべきではない、というものであろう。

 「すべての人間が利己的であるということを前提にした社会契約説は、想像力のない合理主義の産物である。社会の基盤は契約ではなく期待である。社会は期待の魔術的な拘束力の上に建てられた建物である」(三木清『人生論ノート』新潮文庫版92頁)。
 西洋のもつ「契約」の観念には、どこか空想的な部分が付きまとう。対して、人間が抱く素朴な感情に還っていくことは、社会という「魔術的な拘束力」に期待するということであろう。天皇は万物共生の体現者でもあり、日本社会が持つ「魔術的な拘束力」を示す存在でもある。欧州の王室は美男美女のプリンスで、明らかに「セレブ」であることを社会的吸引力としているが、皇室はそうではない。皇室は日本人の信仰に依って立っている。
 政治的な部分に限定してみると、皇室は政局的に中立な存在であるだろうが、それが政治判断を求められる存在でないかどうかはわからない。というより、天皇は日本社会の「魔術的な拘束力」の上に立つ存在であるがゆえに、その行動が自然に政治的意味合いを帯びるのである。たとえば、東日本大震災の際に陛下がビデオメッセージや被災者支援に注力された。それは真に被災者を慮ってのことだが、結果的に政権与党民主党のお粗末な対応が浮き彫りになり、民主党の政治生命は終わったと言ってよい。天皇陛下のお言葉はなぜそのような重き意味合いを持つのだろうか。それは、今においても天皇と言う存在が決して立憲君主というだけの存在ではないことを示すのではないか。

 里見岸雄は天皇主権説と天皇機関説が、ともに統治権や所有権を前提に国体を理解していると批判する。天皇の一視同仁、一君万民の意思は社会に根差すがゆえに憲法を凌駕したものとして捉えられた。私流に言えば、憲法は政府を縛るものであって、天皇の立憲君主たる側面は天皇という存在のごく一部でしかないということではないだろうか。それに対して憲法の条文を盾に統治権だの所有権だのを言い争っていることが、国体を成文憲法だけでしか理解しようとしていない証ではないか、ということではないか。
 晩年の上杉愼吉は、無政府主義者クロポトキンにまで関心を持ち、実力による奪い合いではなく、相互扶助や互恵による連帯に社会性を見出していた(『甦る上杉愼吉』144頁)。近代の所有権にがんじがらめになった世界観を否定したとき、相互扶助的な素朴な共同体を愛する思想が生まれる。畏るべきは、そこにおいても天皇は日本人の素朴な共同感情の証となりうることである。この時天皇と言う存在は、天皇機関説に該当する存在ではないところか、立憲君主や天皇親政にすらそぐわない何かである。このときの天皇は経済的合理性はおろか近代国家の範囲外にいる。権藤成卿は政府をプロシア的だと批判し、社稷に基づく国家体制を模索したが、そこにおいても皇室は「綺麗なもの」として中心にあり続けている。三島由紀夫は「文化としての天皇」として、天皇を文化の源流であり根拠であるとみなし、古来の祭祀的政治と結びつけた。それは近代的合理主義と結びついた天皇を磯部浅一の言葉を借りて「何という御失政」「何というザマ」だと罵り、「神々の御いかりにふれますぞ」と叱る側面すら持っていた。天皇とは、あまりに重層的な存在であり、それを重んじる人間の思想もまた、重層的側面を持たざるを得ない。ところで権藤や三島は、天皇が立憲君主的存在でありながらも立憲君主という概念だけではくくれない概念をも平然と兼ねていることをどう説明するのだろうか。「文化としての天皇」であるべきという議論は、むしろ今までの天皇を過度に「立憲君主」という存在だけに貶めている響きすら感じる。むしろ天皇は時には立憲君主であり、時には古代祭祀王であることを平然と兼ねる畏るべき存在であることを想うべきではないだろうか。

 戦後保守は、天皇は現実政治から超然としているべきだし、それこそが天皇が長年続いた所以なのだと強調する。だがそれは天皇という存在に潜む重層性をまるで見ていない。天皇が血縁によってのみ存立すると考えるのと同様に底の浅い議論である。たしかに天皇の後継は血縁によって決定されるが、天皇の正統性は血縁だけではなく、日本の歴史、文化、信仰、倫理、さまざまなものによって補強されている。天皇は憲法に拘束される存在でありながら、憲法にだけ拘束される存在ではない。天皇は主権者でありながら立憲君主であり、祭祀王である。それを支離滅裂にさせないのは、峻厳な倫理に支えられるだけではなく、何か社会が持つ「魔術的な拘束力」を体現する存在だからではないだろうか。「魔術的な拘束力」というと何かおどろおどろしいものを感じられる方もいるかもしれない。だが社会的に団結意識をもたらし、自他を区別する「何か」である。同じ社会を構成する仲間であり、先人と感情的につながっている、という期待のことである。

 最後に念のために言わせていただきたいことがある。正直私は本稿で何かを言い得たとは思っていない。また、私自身が天皇と言う存在を語りつくせたなどとは到底思っていない。ただ、既存の天皇論はどこか片手落ちな部分があり、何か説明しきれていないような違和感をぬぐえないという思いのもと書いたが、本稿も結局片手落ちで違和感があるものにしかならなかったことは承知しているが、ご寛恕いただきたい次第である。

地理と日本精神

 日本人の精神は「開発」と「経済成長」に毒され続けた。「自然」と「信仰」に対する敬意は、常に後回しにされた。その起源を探れば、冷戦も大きいと思うが、やはり文明開化にまでさかのぼっていかざるを得ないだろう。日本は生き残るために開国し、近代文明を受け入れた。それは他の選択肢を取りようがない状況だったが、結果的に物質的生存が重んじられて精神の生存が軽んじられた側面は否定できない。このことは常に指摘され、国粋主義者などによっても見直しが叫ばれてきたことも知っておくべきだ。大地に根差す思想でなければ日本の伝統を真に受け継いでいるとは言えない。グローバル化、消費社会化の今日の状況下で、文化、伝統を考えようとすれば、大地に根差す思想とは何かということを考えないわけにはいかないのではないか。
 「日本」と言う境界は、誰かが突然地図上に線を引いてできたものではない。さまざまな歴史的経緯によっていつの間にか生まれ、それを近代政府が追認していったものだ。つまり「日本国民」であるという条件は歴史的、伝統的に定められたものであり、我々はその大きな歴史的流れの中に乗っている存在である。柳宗悦は、日本の地図はいつ見ても見飽きないと言う。山も川も、平野も湖も、島や岬、港や町もすべて歴史を持っているからである。地図はいつでも祖国への愛着を呼び起こさせる。その国に生まれた運命に、感謝と誇りを持つことが務めではないか、と言う。柳のライフワークとなった民芸も、その土地の気候風土を離れて存在し得ないものであるとみていた(『手仕事の日本』岩波文庫版15頁)。
 地理は単に国籍や歴史を分かつ境界線ではない。地理的制約は文化的制約であり、生活的制約でもある。地理は文化を分かつ境界線でもあるのだ。江戸時代に『人国記』が著されるなど、風土と文化の関連は早くから関心がもたれていた。古くは『風土記』などもその一種と言えるのかもしれない。
 日本は古くは葦の生い茂る沼地だったという。それを少しずつ耕作地などに作り替えていったのが日本の歴史だった。日本人が米という田を必要とする作物の栽培を重んじたのもそれと無縁ではないだろう。松本健一は、「日本、台湾、中国南東部、インドシナ半島、ボルネオ島(カリマンタン島)、インドネシア、そしてバングラディシュ、スリランカ、東部インド」を「泥の文明」と見做す。「泥の文明」においては、「生命を生む、人智を超えた畏るべき力を持っている根源は泥である、という世界認識になる。人間も、その中から生れてくる」という(『砂の文明 石の文明 泥の文明』岩波現代文庫版105頁)。水分の多い泥土が多くの生命を育むことから、畏きものとして泥から神々が生まれてくるという世界観を持っているのではないかと指摘している。
 その他にも、風土を以て日本の文化的特徴やナショナリズムの根拠と為す議論は多く見出すことができる。浅羽道明は『ナショナリズム』で、『日本風景論』を使って国土、国民が運命共同体であるという物語が作り上げられたことを論じた(92~115頁)。志賀は確かに日本の風景を「夜郎自大」に誇っていたが、それは国籍のない客観的分析として誇っていたのではなく、一人の日本人として日本の風景に誇りを感じるという自己表現でもあったことを忘れてはならないのではないか。ただし、志賀のほうも、「日本人が日本江山の洵美をいふは、何ぞ啻にそのわが郷にあるを以てならんや、実に絶対上、日本江山の洵美なるものあるを以てのみ。外邦の客、皆日本を以て宛然現世界における極楽土となし、低徊措く能はず、自ら 花より明くる三芳野の春の曙みわたせば もろこし人も高麗人も大和心になりぬべし 頼山陽 の所あらしむ」(岩波文庫版14頁、改行略)と、「日本人だから日本の風景に美を感じる」という側面を自ら拒否して、日本人でなくとも世界的に素晴らしいものだと言いたがるところがあった。明治の国粋主義は、日本を国際的に位置付けなければどうしても気が済まない側面があった。それは日本の独立、存亡すら危うかった時代の不安、危機感の裏返しでもある。日本の美は「絶対的」に美であるはずなのに、外国人の評価を気にしないではいられない心情が隠されている。
 内村鑑三はそんな志賀の議論を受けて、日本の風景は「園芸的」「公園的」美に過ぎないではないか、と批判し、外国の「偉大な美」には及ばないと論じている(『日本風景論』岩波文庫版付録367頁)。その内村は『地人論』で地理と文化の関連を論じているが、それは、日本に引き付けたものというよりは博物趣味的なところがあったように思う。むしろ日本に引き付けたのは志賀重昂の『日本風景論』であった。志賀は『日本風景論』で、古典文学から様々な引用をしつつ、それを地理的特徴と結びつけることでナショナルなものとして論じるという特徴があった。『日本風景論』はある種の「まとまりのなさ」を抱えた本である。日本の山々の特徴を述べたかと思えば登山を奨励し、日本の風景保護を訴える。統一的な主張はよくわからないがとにかく志賀が日本の風景を大事にしていることだけは伝わってくる。そういうつくりになっている。志賀は理知的に語っているつもりなのだろうが、結局は理知よりも人の情に訴えるところが強い、そんな不思議な本なのだ。先に引いた内村の批判も、批評家の任として触れざるを得ないが、志賀の愛国の情は高く評価するという調子であった。
 和辻哲郎は『風土』で、すべての文化、伝統は風土によって形成される面があり、それぞれ独自な価値を持つことを主張した。和辻は、ヨーロッパは夏の乾燥があり、雑草がない。したがってヨーロッパの自然は人間に従順であるのに対し、日本では自然に対峙しなければならないことを説いた(岩波文庫版74~89頁)。
 高山彦九郎は、日本の民族文化の固有性を考えるために、日本全国を歴遊し、この地方では何が取れるか、どんな人物が出たのかと言ったことを詳細に調べて回った(松本健一『海岸線の歴史』170頁)。各土地の文物を民族文化、日本精神にまで昇華させようとしたところに注目すべきであろう。同様に、例えば牧野富太郎は日本産の植物に漢名をつけることを激しく嫌った。サクラを桜桃と書くことや、アジサイを紫陽花と書いてはならないと主張していた(『植物記』等)。ここに国学的な態度を連想するのはそう突飛な感想ではないだろう。牧野は植物の生態を民族文化にまで高める部分があったと言えるのではないか。
 五木寛之はセイタカアワダチ草に外来のものと日本との関係を見る。セイタカアワダチ草は外来の植物で、既存の日本の植物を駆逐して広まっていき、一時期はセイタカアワダチ草の駆除も行われたが、完全に絶滅させることはできなかった。しかし、セイタカアワダチ草そのものが馴化して、既存のススキなどと共生するようになったという。それに伴い、セイタカアワダチ草はその背丈も低くなり、他の植物を枯らしてしまうようなこともなくなったという(『人生の目的』幻冬舎文庫版188~198頁)。外来のものが、年月を経てその地になじむ過程を五木は植物に見出している。
 松本健一は、玄界灘の小島を見ながら、「あぁ、このように白い砂浜をもち、緑の林をもった島の風景がわたしの死後もずっと続くなら、わたしの魂はこの風景のもとに安んじて帰ってくるだろうな、とおもったのである」と言い、海岸線に「民族の心象」、「わが民族のふるさと」を求めた(『海岸線の歴史』202頁)。そして、テトラポットによって砂浜が失われた九十九里浜や、大型の船やタンカーが入るために再開発された、産業用の「人口の港湾」をあさましいとみなすのである(同204~206頁)。
 松本は『海岸線の歴史』で、志賀が『日本風景論』で火山を称え、海や海岸線をあまり取り上げていないことを批判する(201頁)。対照をなすかのようにも見える両者であるが、志賀が「小利小功に汲々とし」、「名木」、「神木」を斬り、「道祖神」の石碣を橋に使うような態度は、「歴史観念の聯合を破壊」すると批判した(岩波文庫版321頁)のに対し、松本は景観を考慮しないコンクリートの建造物を、「美しい調和をぶち壊す」「日本人が伝統的に培ってきた美意識や精神の豊かさをぶち壊す」「高度経済成長以降、特にバブル期の日本を象徴する風景」であると批判している(『海岸線の歴史』247頁)。両者とも風景に託しているのは「文化」であり、経済が文化の妨げになる光景を嫌うのである。そして、二人とも将来の日本人の感性の豊かさのために、景観を保護すべしと訴えている。
 ところで、松本健一は白砂青松の海岸線に日本のアイデンティティを見たわけだが、柳田国男が白砂青松の光景を批判していることに触れていない。柳田は海の歌、海の絵といえば松の木を点出しようとすることを「古臭い行平式」であると非難し、白砂青松という類の先入主を離れて、自在に海の美を説く必要があるという。海の風景は塩を焼く等で著しい歴史の変遷があるが、以前のほうが美しかった。今のような経済生活が続く限り、遅かれ早かれどこの海も似たような外貌になって、文学の単調を非難し得なくなるという(「雪国の春」『柳田国男全集 2』ちくま文庫版75~76頁)。私は小賢しい知識を振り回して松本を非難したいのではない。松本も必ずしも白砂青松の海岸線であればよいという言い草をしているわけではないからだ。それよりも柳田が経済的理由のために一様になっていく海岸線を見て文学的単調が起こるのではないかと嘆いたように、松本が白砂青松すらなくなってコンクリート化されていく海岸線に「化石となった物語」しか持てなくなる民族的アイデンティティの危機を感じた(『海岸線の歴史』235頁)ことに相似形を感じ、共感したためである。経済や軍事は自然を軽視し、破壊して国を守り、発展させていくためだという。経済や軍事が必要なのはもっともなことである。だがそういったものに常に置き去りにされる自然、そして文学を軽視してはならないのではないか。
 自然と人間の間には社会が介在している。自然と人間と社会は三者それぞれ影響を与え合って生きている。自然を軽視するのは社会や人間を軽視するのと同じである。目先の功利によって自然を破壊するとき、そこには社会や人間も忘れ去られており、人はただ利益に使われる存在でしかなくなる。
 経済、あるいは軍事などもそうであろうが、そういった政府の自己防衛、自己発展作用は時に文化や民族の誇りをも破壊することがある。なるほど文化や民族の誇りが経済力や軍事力なしに維持できると思うのは、あまりに甘い考えと言わなければならないだろう。だがそれは、経済や軍事による文化の破壊を、見て見ぬふりをする理由にはならない。土地土地の文物も一様化し、自然の心象風景も開発しつくされ、人間の文化や心の豊かさが失われた果てに、いかなる愛国心が描けるだろうか。それは経済力や軍事力を誇るだけのつまらないお国自慢の類ではないだろうか。我々が後世に伝えるべき物語は、このような陳腐化した物語でよいのだろうか。あるいは、すでに失われ化石化した物語を、見て見ぬふりをしてさもあるかのように伝え続けるのだろうか。
 政局に近づきすぎると、思想は堕落する。日本人の美意識を、コンクリートが無神経にぶち壊すさまを見ても、それでも経済成長や外国の脅威があるからやむを得ないと思うのであれば、その人は政局に近づきすぎている。
 確かに国際政治は結局力と力の衝突である。しかし美意識は我々の実存の問題であり、何を誇りに生き、何を次代に残すかということである。伝統と国益は時に衝突する。伝統、あるいは国粋はかけがえのないものだ。我々はこのかけがえのないものを失って、他に何を守るというのだろうか。
 故郷とは単に思い出深いといった正の印象ばかり抱いている場所ではない。泥臭くて、もう帰りたくない、飽き飽きするような嫌気すら抱える場所でもある。それは自分自身に対する印象とも似ている。自己への嫌悪感と似たような感覚で故郷に嫌悪感を抱く。ただ、その嫌悪感を一生切り離せないと達観しているのである。その意味で、今の日本人には「故郷」があるだろうか。たまらなく愛しく、それでいて許しがたい故郷。そんなものは近代画一主義のもと、跡形もなく吹き飛んでしまったのではないか。欧州には今でもコンビニエンスストアの進出を制限し、店舗の深夜営業を禁じている所があるという。地元の商店街を守るためである。故郷を守る気もなく、安直に自由競争経済を肯定しているものにはその論理は想像できまい。自由競争によって、耐え難い故郷の喪失と、どこに行っても同じ風景の悪しき画一化がなされたのである。そのことへの痛みや憤りを持っているだろうか。自由競争社会は故郷に根ざした真の民族主義を破壊してしまったのだ。もしくは、今でも電灯を嫌い、ろうそくの灯りの中で生活するイギリスの伝統主義者をせめて嗤わないでいただきたい。
 それは世界単位でも変わらない。いまやアフリカにも高層ビルが立ち並ぶ時代になってしまった。「これが日本だ」と世界に発信しようとしても、思い浮かぶのは高層ビルとマクドナルドと…。どこの国でもあるものばかりになってしまった。もはや故郷は故郷性を失いつつあるのである。それに対して、鋭敏に感性を張り巡らせている日本人が何人いるのだろうか。
 故郷の喪失は世界大で見ても民族主義の喪失なのである。地球規模の画一化が米国の手によって異常なまでに進んでいる今日、民族主義は危機に瀕している。徳富蘇峰は「俺の恋人誰かと憶ふ 神の造った日本国」と詠んだ。そうした熱烈な民族主義は、もはや出現しないのだろうか。もっとも、そうした危機状況への反動として、各国で民族主義が強調され始められたということもできなくもない。移民への反発、高失業率がそれに拍車をかけていることは確かである。日本に限らず、各国の「極右」団体は移民の排斥を主張しているのもそのためである。その排斥された移民が、原理主義と結びつきテロ行為に走るという哀しい現実もある。しかしそうした民族主義は自然と結びつくものではなく、単に血縁でだけ結びつく関係である。あまりにも混淆した世界の中で「血」にしかアイデンティティを見出せないのは悲痛な事態と言わざるを得ない。

結論のようなもの

 志賀が火山に見出し、松本が海岸線に見出した日本の美。その他さまざまな人間が日本の国土、地理、風景に美を見出してきた。そこに私のようなものが付け加える余地などないのだが、ふと感想のように思うのは、日本の雑草についてである。私は植物に精通しているわけではないが、日本は多湿であり、四季も鮮やかであることで様々な雑草が生育しているということくらいは知っている。
 「雑草という草はない。必ず名前がある」という言葉もあるが、あえて私は「雑草」と呼びたい。名など知られぬ草木であっても、そこには生きる場所があるということだからだ。誰も気づかないような場所に咲く花であっても、片隅で懸命に生きる花を摘まない世であってほしい。現代ではどこもかしこもまるで花壇のように、「名のある」草しか生育を許さず、名のない雑草の生きる場所を奪ってきた。しかしそうした「名のある」草しか生きられない世界はきっと生き苦しいに違いない。私が都市部に住むからそう思うのだろうか。それとも、私が雑草を見つける余裕がないだけで、雑草は私の見えないどこかでちゃんと息づいているのだろうか。そんな気もする。
 気づけば「小利」に使役せられ、路傍の草花に心動かされるような日常を失っている。そんな日常を失ったとき、私の生命力の強さも失われ、生きるひたむきさを忘れ、ただこなすべきことをこなすことにばかり頭がいっぱいになっている。他人に怒り、絶望し、嘆くばかりで、己の弱さに目をつぶっている。それを文明のせいにするのは不遜な態度なのかもしれない。それでも、この世界ですれ違う人々に路傍の草花を眺める余裕があるようには見えない。そんな余裕があるならもっと働け、もっと稼げ、そうやって文明は発展してきた。人々の人生を、自然を、社会を、文学を置き去りにして。
 生きるのはしんどいことではあり、世間はせつなさに満ち溢れている。しかしどこに行こうとも生きられる。道端に雑草が生えている限り。

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◆今後の更新予定

 今書き進めている長編物のブログ原稿は以下の通り。

・陸羯南論―「自由」と「国際」に潜む絶望―

・伝統と信仰

・皇室中心の政治論

・蓑田胸喜『国防哲学』を読む

・秩序とは何か

・世界文明のために

・武士と商人

 やはりどうしても文献を多く参照するものは時間がかかる。引用するのは大変だし、そもそも文献を買い集めるのだって資金的余裕からつくらなければならない。
 愚痴めいたことを書いてしまったが、要するに反資本主義的内容ばかりになってしまっているブログ原稿を反省している。引用が少ないために書きやすいのだ。反資本主義もまた私の考えではあるのだが、そればかりに偏るのは問題だと思っているがなかなか改められない。次の投稿も、今の所ほとんどできていない「秩序とは何か」「武士と商人」あたりのほうが先に出来上がってしまうような気がする。

良心を問え―自主防衛論―

 平成二十七年の夏は暑い夏として人々に記憶されるだろうが、こと政治的にはどこか空々しく暗鬱で、喧しくも隔靴掻痒の感を拭えないものとなった。安倍内閣の提出したいわゆる「戦争法案」が、その主役である。
 さて、公の場でまつりごとを論ずるからには、私の今回の「戦争法案」に対する態度を明らかにせねばなるまい。私は「賛成でも反対でもない」である。旗幟を鮮明にするといっておきながらその態度は何事かとお叱りを受けそうだが、しかしどう考えても集団的自衛権を語る前提が欠けているように思われてならないのである。それゆえ、賛成派の意見も反対派の意見も、どこか空転したものになっているのではあるまいか。
 さきほど「戦争法案」という呼び方をしたが、この名称のセンスのなさには名付け親の感覚を疑わざるを得ない。この法案の成立により徴兵制になるといった軽率なレッテル貼りも含めて、本当に反対する気があるのだろうか。

 国会では、安倍内閣が提出した安全保障法案に伴い、論議が盛んに行われている。本稿でその細かい議論にまで踏み込むつもりはないが、日本の国防に関しては、何をおいても語られなければならないほど重要な問題であろう。だが、肝心の国防に関する議論が、どこか空転しているような気がしてならない。これに関してはある印象的な場面があった。衆院平和安全法制特別委員会における審議の際に、野党が「反対」のプラカードを掲げたのだ。しかしそのプラカードは、議長ではなく、カメラを向いていた。メディアを通じて流布された「戦争法案」という稚拙なネーミングといい、野党は本当に法案を阻止する気があるのか、疑問に思われたのである。「戦争法案」というネーミングにはとにかく戦争を恐れて逃げ惑っていればよいのだという卑怯さがにじみ出ている。自己利益しか考えられなくなった戦後の浅ましさがいかんなく発揮された言葉が「戦争法案」なのである。この論議には、日本が国家としてどういう態度を取るべきか、日本は世界に向けてどういう態度を取るべきかという態度が決定的に欠けている。
 かつて、太田光と中沢新一が『憲法九条を世界遺産に』という本を出した。太田や中沢が今回の法案に対し、どういう態度を取ったかを私は知らない。ただ、少なくともこの本で示した矜持は、「戦争法案」と言うレッテル貼りやなぜか委員会に関係のない議員が乗り込んで、議長ではなくカメラに向かってプラカードを掲げた野党議員の態度を許さないような気がしてならない。長いが引用する。

中沢 ただですね、こういう日本国憲法を守っていくには、相当な覚悟と犠牲が必要となるということも忘れてはならない。
太田 たとえば、他国から攻められたりしたときですね。
中沢 そうです。犠牲が出る可能性がある。理想的なものを持続するには、たいへんな覚悟が必要です。覚悟のないところで、平和論を唱えてもだめだし、軍隊を持つべきだという現実論にのみ込まれていきます。多少の犠牲は覚悟しても、この憲法を守る価値はあるということを、どうみんなが納得するか。
太田 憲法を変えようと言う側と、変えるべきではないと言う側、どっちに覚悟があるかという、勝負ですね。(中略)僕は、軍隊をもとうと言っている側の方が、覚悟が足りないと思うんです。それを強く感じたのは、イラクの人質事件です。(中略)実際に香田君が殺されたときも、自己責任だったと、国も言うし、国民も言った。自分の国は自分で守りましょうと言っている人たちが、自分たちの国民を殺されて、文句一つ言わないなんて、何が国防なのかと思います。そんな人たちが軍隊を持っても、戦争なんてできないと僕は思うんですよ。
中沢 平和憲法を守れと言う人たちのほうが、現実的だという人もいます。日本の軍隊を発動させたところで、どれほどの現実的な力を持つのかと。むしろ軍隊を出すことによって、戦争に巻き込まれていく危険性のほうが大きいという主張です。むしろ、軍隊を出すことによって、戦争に巻き込まれていく危険性のほうが大きいという主張です。しかし、僕はこの考え方も、覚悟が足りないように思えます。ことはそんなに簡単にはいかないでしょうから。
日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受け入れるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのように生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕は、その犠牲を受け入れたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。
太田 憲法九条を世界遺産にするということは、状況によっては、殺される覚悟も必要だということですね。
太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』144~147頁

 私は、憲法九条が彼らの言う「守るべき価値」に値するとはまったく思えない。だが、「守るべき価値」を設定し、それに殉じようという姿勢は素直に共感する。安倍内閣の安全保障法案に対する賛成・反対以前の問題として、「何が守るべき価値なのか」ということが問われなければならない。
 それは与党の側も同じで、今回の安全保障論議は、要はアメリカに追従する側面が強く、日本の属国化をますます強めるものだと言わざるを得ない。
 なぜ安全保障に関する議論は空転するのだろうか。それは日本の戦後史に由来すると考えられる。
 日本は敗戦後、米国による占領を受けた。占領政策の一環として「日本国憲法」が制定され、国防は「平和を愛する諸国民」、すなわち連合国、端的に言えばアメリカに委ねられることとなった。連合国は平和を愛する国民であり、日本のような好戦的な国から軍事力を剥奪すれば、世界平和は保たれるのだという、アメリカの独善的なイデオロギーを注入された。この占領政策はサンフランシスコ講和条約により終了したが、講和が結ばれた同日に、日米安全保障条約が締結され、米国軍が我が国土に駐留する事態は継続することとなった。米国にとっては、日米安保は日本の暴発を抑止する「びんのふた」とされ、敗戦によって注入された独善的なイデオロギーは見直されることがなかった。その後、日米安保は何度か改正がなされ、「日米同盟」とも呼ばれることとなったが、日本国憲法と日米同盟という同じ根を持つ体制が根本的に見直されることなく今日まで続いてきた。

 安倍総理は米議会での演説で以下のように述べている。

「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」
「焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました」「米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です」
「こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。
その営為こそが、TPPにほかなりません」
「親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。
日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません」
「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。(中略)この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう」
「テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H1E_Z20C15A4M10600/

 長々と引用したが、この安倍演説がアメリカから自由・民主主義・法の支配という普遍的価値を教わり、冷戦に勝利した、という世界観によって成り立っていることは言うまでもない。これこそ日本国憲法と日米同盟が相互依存して成り立っている「日本国憲法=日米同盟」体制だ。安倍総理は「戦後レジーム」を打破するかのようなことを言っていたが、それはなんと「日本国憲法=日米同盟」の克服ではなく、それを黒船来航以来の国是にすり替えようという動きだったのだ。日米同盟は「希望の同盟」であり、その希望はアメリカが保障するのだという。ここまでの売国政権は、なかなか思い浮かべることができない。

 今回の「戦争法案」審議も、それがどこまでアメリカの要請によるもので、どこまで安倍総理の考えによるものかはわからないが、アメリカの意向が大きな影響を与えていると考えるのが妥当であろう。アメリカから押し付けられた集団的自衛権を歓迎する心理がそこにはある。

 だがここで私は一つの疑問にぶち当たらざるを得ない。そもそも我が国に、厳密な意味での「集団的自衛権」などありうるのだろうか。あるとすれば、それは「日本国憲法=日米同盟」体制の打破なくしては不可能ではないだろうか、という疑問である。
 一般的に集団的自衛権とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行うことである。だが、個別的自衛権があやふやにされている国に、そもそも集団的自衛権など議論できるのだろうか。「日本国憲法」は戦力の保持を禁じており、それは様々に解釈改憲されてきたが、自衛隊を軍隊と呼びづらいことなど、自衛権があやふやにされていることは疑いない。岸内閣のときの日米安保は、米国は日本を守る。日本は国内の米軍基地を守るという奇妙な論理で「相互」に防衛する同盟であるとされた。これが先に挙げた一般的な集団的自衛権の定義とは違い、アメリカの武力の傘の下に日本が入る条約でしかないことは自明である。日米安保条約は岸内閣以降幾度も修正されはしたが、現在に至るまで根本的に日本がアメリカの武力の傘の下に入る体制は変わっていない。端的に言って、「個」がそれぞれ独立しているから「集団」といえるのであって、「個」がないなら「集団」もあり得ないではないか。日本の「集団的自衛権」についての議論は、議論を進めていくうちにいつの間にかアメリカの個別的自衛権の話になってしまい、日本はそれに巻き込まれるか否か、という話になってしまう。それは日本の個別的自衛権が不完全だからである。「戦争法案」も、日米にとっての「危機」とは何かはアメリカが判断するのだという。なんだ集団的自衛権じゃないじゃないか。アメリカの自衛権のお話に過ぎないじゃないか。
 問題は常に個別的自衛権なのだ。個別的自衛権が不完全な国が集団的自衛権を語っても、それはアメリカの個別的自衛権への迎合にしかならず、そもそも「集団的」ではないからだ。

 もちろんアメリカはこんな体制をボランティアでやっているわけではない。それはアメリカの極東政策に沿って行われているものであり、日本もこの体制を維持するために相応の代償を支払っている。「思いやり予算」のようなわかりやすい例ばかりではない。今安倍内閣が「戦争法案」を通す根拠として使われる「砂川判決」もまた、アメリカの圧力により行われたものであり、日米同盟に関しては日本の司法権の独立性さえも失ったことを示すものなのである。それを根拠に法案成立を進めようなど、この法案の売国的性格は推して計るべしと言ったところであろう。
 友好の美名をたてに、同盟相手から利益を掠めとるなど国際政治の常套手段であり、それを行われたところで今さら非難するにも値しない。問題は同盟の厚情と各国の思惑による好運にすがるよりない我が国の国家意志のなさの方である。

 自主防衛、祖国独立の意志こそ守るべき価値である。なによりもまず日本は自力で祖国を防衛する意志を示さねば話は始まらない。陸羯南は日本の自由主義の起こりを、勤皇の志士の愛国心の発露にみた。「ああ自由主義、汝は日本魂の再振と共に日本帝国に発生せしにあらざるか」(「自由主義如何」岩波文庫『近時政論考』90頁)。自衛権も同じである。祖国独立の意志を失った自衛権など強者への売国的阿諛追従にしかならない。戦争末期に竹槍で闘おうとした先人や、特攻で敵艦に突撃した先人を戦後の人々は嗤ったが、竹槍を嗤う心情からアメリカの庇護のもと平和を貪る心情までは一直線に繋がっている。仮令勝てなかろうとも相手に傷一つは負わせてやる、日本人の怖さを思い知らせてやるという感情こそが祖国防衛の源泉なのだ。自衛権よ、お前は愛国心が奮い立った時に、この日本に発生したのではないのかと、私も呼びかけたい思いで一杯である。いったい、いつになったら祖国防衛の展望は眼前に開けるのであろうか。

 私は昭和六十年の生まれである。私が政治というものがこの世で行われていることを知った時には、既に占領の終了は当然のことながら冷戦すら過去の出来事であり、ロシアをソ連と言ったら笑われる時代であった。にもかかわらず国内は相変わらず占領体制に端を発する主体性のない政治を続けており、平和の祈りは米国の核の傘のもと欺瞞的に繰り返し語られて来たにすぎないのである。それは、本音は米国の傘下より脱し厳しい状況に踏み出でんとする大望を「非現実的」とせせら笑う親米論者の陰湿さと性根を同じくしている。日本国憲法と日米同盟は二つでひとつであり、戦後の密教と顕教であろう。だが、何時までもこのような状況でいられるはずがない。問題なのは、何かが起こった際に日本独自の意志を示せないことにある。次代にこのような体制を残したままにしておいてよいのであろうか。

 地中にいるうちに地表がコンクリートに舗装され、地上に出られないまま生涯を終える蝉がいるという。日本を覆う閉塞感、行く先を阻む隘路は「日本国憲法=日米同盟」からなる戦後体制である。日本はこの戦後体制という分厚いコンクリートに阻まれ生涯を終える蝉となるか、それともコンクリートを食い破り、蒼天に躍動する龍となるか、僭越ながら諸兄の志を問う次第である。

 ここまで語りながら、私には自分がある種の空しさを雄々しい空元気で誤魔化してはいないかという感慨を押さえることができない。私のような意見は議会で一議席も占めてはいないし、今後このような議論が盛り上がる気配すらないのである。
 桶谷秀昭は以下のように述べている。
 「敗戦時の空白と寂しさがわたしに教えたものは、体制であれ反体制であれ、およそ支配イデオロギーはその中核に決定的な虚偽を隠蔽して、のさばるということである。そしてその虚偽を見抜くのは、すべての橋を焼き、己一個の生存の暗い根底に立ったときである。敗戦時の感慨は、国破れて山河あり、であった。戦後二十五年の今、国は復興して山河は滅びようとしている。公害だけではない。われわれの内なる日本の滅亡である。これがほんとうの滅亡ではないか。/わたしは今年の八月十五日も、雑炊をくらい、竹槍を削るつもりである」(『凝視と彷徨 上』254頁。/は原文改行)。
 私は政治家や自衛官に大きな期待を持つことはできない。権力が物事を解決するとは思われない。ただ私は今回の「戦争法案」の審議を眺め、「嘘だ」と呟くよりない。それは私の良心がそうさせるのである。
 権藤成卿は、理想の実現のために軍閥に期待すべしという自らの支持者に対し、政党や財閥が汚いのは無論だが、軍閥も汚い。綺麗なのは皇室とそれを戴く国民だけだ。私は唯綺麗なものが欲しいのだ、と述べた。自分が自分を支配しなければならない(自治)と述べる権藤に対して、支持者は新たに自分を支配する権力者を見つけたがっているだけだ。だが、己の良心は誰にも支配することができない。良心を信じず権力を信じる心から、米国、金持ち、与党、数の力などあらゆる強者への屈従が始まってくのである。

 日本はコンクリートに阻まれて身動きできない蝉に違いない。だがその蝉はそれでも活路を求めてコンクリートに皸ひとつでも入れんとする蝉である。そう信ずるよりない。この蝉の生きざまにしか、未来を託すべきものは見当たらないのである。

国家論と現代の経済【短編版】

 「国家論と現代の経済」は某誌に寄稿するために字数を減らしたものを作成した。私の筆力が足らず、掲載はかなわなかったが、自己評価としては長編版よりは論旨がわかりやすくなっていると思うのでブログに掲載したい。

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 冷戦は人々の心に38度線を引いた。西側陣営に共感する者は他国の軍事基地が置かれようとも、反共の名のもとに日米の緊密な連携を訴え続けた。東側陣営に共感する者は、外国の共産党から資金や指令が来ることを粛々と受け入れた。冷戦が崩壊して久しい今となってはさすがにそのような極端な人間は影をひそめたが、それでも保守が政権与党や財界と連携する関係は改められずにいる。冷戦が始まるはるか前には、論客は思想的立場を超えて福祉の未整備や富者の傲慢に義憤していたことを人々はもう思い出せないでいる。
なるほど市場は国力の源泉である。豊かな市場があり経済が活発に動いてこそ、他国からの侵略にも備えうるだけの国力を得ることができる。一方で、市場は格差を生み、国を富者と貧者に分裂させる。郷土を荒廃させ、愛国心の源泉を台無しにする。伝統を破壊し、革新と流動を社会にもたらす。資本主義と共産主義は、ともに社会の一体感を破壊し、国民相互の連帯を阻害する思想である。国民相互の連帯を重んじる立場からの声は左右両極から忘れ去られ、声なき声として社会の片隅で行き場を求めている。
 資本主義社会の問題は、一部の邪な輩が己の欲望を肥大化させ自らの私利に周囲を捲きこんでいくということではない。そうであったら、むしろ事態は楽観できただろう。資本主義の問題は、資本の自己拡大する性質にある。資本は自己拡大するためだけに活動し、それに労働者の人生が巻き込まれていく。人間の生活を豊かにするための経済成長ではなく、経済成長のために人間が犠牲になる社会になっていく。その傾向は、経済がグローバル化することによってますます強まった。グローバル化がヒト・モノ・カネのあらゆる範囲に及んだ結果、格差の拡大につながっている。海外では、移民による文化の摩擦も起きている。
 グローバル化は、必ずしも政府を軽んじる方向に進んだわけではなかった。市場競争は企業による単純な自由競争にならず、国家間の競争とも連動して激化していった。企業には外交力や軍事力がない。その案件が大きくなればなるほど、自国政府を動かす必要がある。政府の側も、税収などの観点からも、ある程度グローバル企業に依存しなければ立ち行かなくなっていた。グローバリズムは、国家より市場を重視する論理に他ならないが、不思議なことにグローバル市場は政府の力なしには成立しないのである。政府の通貨、政府の教育、政府のインフラ、あるいは場合によって政府の補助金や規制緩和といった政策的支援があって初めてグローバル化が達成されるのである。
 商売の世界であっても、文化は基本的にローカルなものだ。商習慣や消費者の嗜好というのは意外に保守的であり、グローバル化したら即ローカルな部分が押し流されてしまうと考えるのは杞憂である。それだけ人々のもともと持っている習慣を維持しようとする力は強いということだ。地球規模で活躍する企業が常に強者で、ローカルなものが弱者だとみなすのは、ローカルなものが持つ強さを軽視することにもつながりかねない。その土地の文化や風土に適応しなければ、どんな大企業であっても成功しない。グローバル資本に対する警戒心を解くこともまた慎むべきであるが、同時にローカルの影響力を過小評価することもまた問題なのだ。
 なぜローカルが強い影響力を持つかと言えば、そこに人々のごく自然な感情として、土着的ナショナリズムがあるからではないだろうか。人々が歴史的に積み上げてきた文化、風土、国民性。そうしたものが経済に与える影響を、経済学は軽んじてきた。人々は自分に利益があるように動くものであるという功利的な人間観こそが、経済学が提示する人間像であった。だがそのような人間像は、本当に人々の素朴な感情に合致するだろうか。
 河上肇は『貧乏物語』で、人はパンのみで生きるものではないが、パンなしで生きられるものでもない。経済学が真に学ぶべき学問であるのもこのためだ。一部の経済学者は、いわゆる物質文明の進歩―富の増殖―のみを以て文明の尺度とする傾向があるが、出来るだけたくさんの人が道を自覚することを以てのみ、文明の進歩であると信じているという。河上は、富さえ増えればそれが社会の繁栄であり、これ以上喜ぶべきものはないという考え方を批判した。道徳を衰退させる経済思想では理想の社会を作ることはできないのである。
ひょっとしたら中流層を厚くしていく経済政策よりも、一握りのアイデアに満ち溢れた企業家が経済を牽引し、残り大多数の人間は彼らの手足となって働く方が効率的で豊かになれるのかもしれない。だがそれで望ましい社会は手に入るだろうか。また、同胞愛はあるだろうか。同胞の窮状に心を痛めずして愛国が語れるのだろうか。同胞愛は自己利益を超えたところにある。単に物質的豊かさだけではなく、社会を構成する者として、各人が居場所を持つことは効率よりも重んじられるべきことだ。
 政府が今進めるべきことは、決して官僚と会議室で組み立てた「成長戦略」などではない。もちろん税制や関税など、政府にしかどうにもできない問題もあり、決して政府の役割は否定されるべきではない。しかし、政策で景気やGDPを思うがままに操れると思うことは、端的に言って為政者の思い上がりである。むしろ政府の役割は、経済成長をいかにもたらすかということよりも、国民生活の安寧をいかに図るかということではないだろうか。企業は儲けるためには簡単に法律を踏みにじる。自爆営業やサービス残業を強要することも珍しいことではない。そういえばこうした企業にありがちな「ノルマ」という発想は、共産主義国で発明された残忍な概念だそうだ。「ノルマ」は「計画」が先にあって、その「計画」のつじつま合わせを人々に強いる、計画経済の象徴のような発想である。このような権力の濫用を阻止することこそ、法の果たすべき役割ではないだろうか。むしろその必要性は資本主義が高度化するにつれて強まってきているようにすら感じる。目先の景気動向も無論大事だが、あくまで見つめるべきは日本の国家的興隆である。それはGDPの良し悪しなどで測れるものでは決してない。
 経済成長。この言葉は確かに貧しさから立ち直るための希望であったと言えるのかもしれない。かつて貧しかったころ、人々は子供が死んだり身売りに出したりせずに暮らせたらどんなに良かったかと思っただろう。しかし、働くことが本当に互いを認め合い、助け合う心を養うのであれば、どうして過労死が起こらねばならないのだろうか。
 山川均は資本主義社会についてこう言っている。
 今日の社会では、芸術の才能のある人も、真に芸術に一身を捧げることは出来ぬ。学問の才能のある人も、真に学問に没頭することを許されぬ。何故ならば今日の経済組織の下では、全ての人は、芸術家たる前に、科学者たる前に、否な父たり母たり、妻たり同僚たる前に、先づ商売人とならねばならぬからである(「資本主義のからくり」)。
 これは見過ごせない指摘である。社会の一員たる前に商売人たらねばならない社会、それが資本主義社会であるというのである。
 別の観点から述べよう。国家とは単なる利益共同体ではない。国家には必ず信仰とも呼ぶべき物語が存在する。しかし自己利益の追求のみを信じて疑わない経済は、国を単なる経済的一拠点としか見なさない。そして人々が自己利益を保証される限りにおいてのみ、国の存立を認めるのだと思い込んでいる。しかしそのような国家観、人間観は浅はかな考えに基づくものである。「政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也」(『西郷南洲遺訓』)と西郷隆盛が述べたのは言い得て妙である。まさに現代の政府は「商法支配所」になってしまい、護るべき「価値」を失い、我利我利亡者が世にはびこることとなった。おまけにある一定の度合いを超えた時、金銭、あるいは地位による自己利益は、他人を不幸にしなければ絶対に訪れないようにできている。「自己利益を追求すれば神の見えざる手が働く」などという空論は卒業すべきである。
 明治時代の国粋主義者三宅雪嶺は『偽悪醜日本人』の「悪」として、日本人は正義を心に抱かないと主張した。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚びる。文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。海外の贅沢品をそのまま持ち込み、地方の特産物を軽視し、経済を疲弊させる。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけが良い思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人間である。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めているではないかと訴えた。
 同じく明治時代の国粋主義者陸羯南は『自由主義如何』で、自由主義と言っても既に国家の権威を認識する以上は、その主張するところの自由は無限の自由ではなく、国家の権威に制限されるものである。自由と平等は兄弟の関係であるが、仇敵の関係になることもある。門閥ではなく各人がその能力を発揮するために、平等は大きな効果をあげたし、自由もまたそれに貢献した。しかし自由主義のみが採用された場合、貧富の格差が拡大し、富める者は利益を独占し、貧しき者は何の勢力も持たない。自由主義は、国家は安全保障のみを果たす機関だとして、上記のことに何の干渉もさせようとしないのか。国家はある面においては平民主義の味方であり、社会主義の味方であり、富者の専横を抑制する働きを持っている。この場合国家は平等の味方であり自由の敵である。自由主義を単純に導入すれば貧富の格差は広がるばかりである。自由主義がこのようなものなら私はその味方であることをやめる他ない、と述べた。「国家はある面においては富者の専横を抑制する働きを持っている」ことを真正面から見つめる愛国者が、現代日本にどれだけいるだろうか。
 私はグローバリズムに対抗して国境線を再度引いて見せようとしているのではない。国境というなわばりを強調することだけでは、政府と結び付いた国際資本の跳梁跋扈を批判しきれていない。市場は〈利の世界〉である。社会全てが〈利の世界〉で満たされて良いはずがない。私は〈利の世界〉とともに、〈義の世界〉を持ち続けるべきだと言いたいのである。もちろん効率を考えない行動は愚かであり、およそ人間たるもの自己利益を考えることから逃れることはできない。ただしそれら効率や利益は倫理、道徳を踏み外さない範囲でのみ容認されてきたのではないか。ところが、倫理や道徳を高唱することは「きれいごと」とされ、軽蔑されてきた。しかし効率や利益に我を忘れそうになる自分に対して、常にあるべき場所に戻してくれる抑止力は倫理や道徳以外にないのである。
 近代的な政治機構は、人々の持つ公共心や愛国心、倫理や道徳を時に裏切ることがある。我々にできることは、政治や経済が時に土足で踏みにじりかねない人々の誇りとその源泉を守り続けていくことだけである。我々は日本が経済大国だから誇るのでもなく、軍事的に優位だから日本人になりたいと思うのでもない。経済力も軍事力も、ないよりはあったほうがよいに違いない。だがそれは、いくら札束を積み重ねたとしても、銃剣で他国を凌駕したとしても、安っぽいお国自慢にしかならない。我々の心の奥底にたぎるものはそんなものではないはずだ。ただし、政治や経済を抜きにして我々の誇りが維持できると考えるのもまた甘い考えであろう。伝統や愛国心、民族の誇りを重んじる者こそ、政治や経済と、己が守るべきものとのの関係について、真剣に考えていく必要があるのではないか。

国家論と現代の経済

資本主義の問題点

 「保守主義」という政治思想がある。伝統、文化、国柄を保守するという思想だ。だが、日本に「保守派」は存在するだろうか。今も昔も日本の「保守派」は、親米反共であり、資本主義者であった。日本の伝統を守るとか、皇室を尊崇するとか、そういったことは「反共」の目的で後から見出されたにすぎなかった。だから資本主義によって愛国心の源泉である故郷が破壊されても、格差を生み国民が一体となれなくなっても、「親米反共資本主義礼賛」のため、見て見ぬふりをした。きつい言い方をすれば、日本を売って親米反共資本主義を守った。共産主義、支那朝鮮との対決に心を奪われて、アメリカによる同盟をたてにした祖国への侵略を「仕方ない」と目をつぶり、そして国内の格差拡大による社会分裂には「自己責任だ」と耳をふさぎ続けた。あげくがアベノミクスに対する無思慮な礼賛であった。
 確かに国家論の観点から考えても、市場は国力の源泉である。豊かな市場があり、経済が活発に動いてこそ、他国からの侵略にも備えうるだけの国力を得ることができることは忘れてはならない。一方で、市場は格差を生み、国を富者と貧者に分裂させる。郷土を荒廃させ、愛国心の源泉を台無しにする。伝統を破壊し、革新と流動を社会にもたらす。特に近代化して以降、市場をどう扱うかという問題は、国を考える上では避けては通れない問題となった。競争、対立こそが経済に活力をもたらし、社会を進歩させるという議論は、それまでの伝統的思想からはなじまない考えだった。自然、伝統を擁護する論者は市場競争に批判的になっていった。
資本主義には自由な市場による競争が実現することで自由と同時に平等も達成できるというユートピアを持っていた。共産主義も、革命による社会変革により階級がなくなり、自由で平等な社会が実現できるというユートピアがあった。だがこれらはどちらも偽りのユートピアにすぎなかった。この両方のユートピアから醒めた態度が求められている。資本主義と共産主義はともに社会の一体感を破壊し、国民相互の連帯を阻害する左翼思想である。冷戦的な常識では、資本主義は保守・右翼で、共産主義は左翼・革新である。だがそれは冷戦期だけの常識だ。現在起こっている新自由主義は、資本主義の根本的な命題である、「市場に任せれば神の見えざる手が働いて、利害関係が自然に調整される」という考えを発展させたものだ。その意味で新自由主義こそ資本主義の正統性を持つ思想であり、いわゆるケインズ的な、政府による市場への介入に寛容な立場は思想的というよりも実際の国家運営の中で実務的に育まれていったものではないだろうか。
 なぜ物事を市場の判断に委ねるとうまくいかなくなるのだろうか。市場競争の中では、人はその競争ゲームを勝ち抜くためのプレイヤーにならざるを得ない。つまり自分の意思とは無関係に、市場競争に勝つよう適応しなければ自分が負けてしまうことになる。しかし勝者になるのが難しいとすれば、そこで人々は負けないように、己の身を守るために最低限不利益を被ることがないように防衛的になる。他者を信頼せず、警戒し、社会性を失っていく。一時的に勝者となったとしても、いつ敗者に転落するかわからないため安息の地はない。結果、人が何かをするために存在するはずのカネが、逆にカネ自身のために人を動かすことになっていくのである。そして利益につながらないものは軽んじられていくことになる。
 資本主義社会はカネがものをいう社会である。資本主義の問題は一部の邪な輩が己の欲望を肥大化させ、自らの私利に周りを捲きこんでいくということではない。そうであったら、むしろ事態は楽観できただろう。資本主義の問題は、資本そのものが自己拡大を求めるところにある。資本は「利子」とか「配当」という名前で自ら拡大する性質をもつ。資本は自己拡大するためだけに活動するのであって、他の何の目的も持たない。ところが、資本はモノであって人ではないから、資本が拡大するための原資は誰かが労働することによって補われなければならない。拡大するために人間が犠牲になっていくことが問題なのだ。人間の生活を豊かにするための経済成長ではなく、経済成長のために人間が犠牲になる社会になっていく。資本主義が進めば進むほどこの傾向は強まっていく。
 たしかに富裕層や大企業には「社会の公器」たる自覚がまるでなくなったように思える。経営者には株主の利益ばかりでなく、従業員、顧客、下請け、地域社会に対する責任感が欠如している。しかしそれはある意味金銭的な成功のみを勝利とする資本主義的な考えに、社会全体が染まってしまったことも意味するのではないだろうか。富裕層や大企業の醜態は、資本の自己拡大に追い立てられ、先のことや周りのことを考えられなくなった哀れな姿なのである。

グローバル資本主義の問題点

 資本主義の進展により人がカネに動かされ、利益にならないものが軽んじられる傾向は、経済のグローバル化により一層拍車がかかった。世界経済はグローバル化と称してあてのない拡大を続け、それは輸出入の「自由化」から、人材の行き来、カネの出回りにいたるまであらゆる範囲に及んだ。だがそれらはほぼ惨憺たる失敗に終わっている。金融関係はリーマン・ショックで破綻し、人材の行き来はあらたな底辺層の登場と、中間層の消失、格差の拡大につながっている。通貨の統合は周辺弱小国の破綻となって跳ね返ってきた。それがなくとも統合により零細農家が続々と廃業しており、失業率は高止まりし、いずれはガタがくる仕組みであった。
 通信、交通技術の進歩により、市場は国境をはるかに超えて拡大している。だが、そうした中に生まれた「グローバル」な市場には歴史的積み上げがない。シルクロードの交易などと現在のグローバル経済は全く異質なものである。
 グローバル化は国境の観念を消失させようとする。それは制度面でも、意識面においてもそうである。自然発生した事物と人間とのかかわりなどは、むしろ人為的に制御することが必要になる。現在の資本主義市場はマネーゲームやあるいは赤の他人が集う職場で仕事をする形態から見ても、人為的な事物である。人為物の暴走は人為で止めるよりあるまい。ましてやグローバル化など、市場の拡大のために自然発生的に培われた国境の概念をも超えようとしているのだから、全く人為的な産物と言うべきだろう。
 いくら言い訳をつけても、自由競争の結果は経済の無政府状態にならざるを得ない。無政府状態という言葉がわかりにくければ、無秩序状態と言い換えてもよい。企業家は雇用や国際競争力を人質にして賃下げの容認を迫る。そのつけは政府が支払わざるを得ない。そうならないように政府は「自由貿易協定」という名の密室の交渉で、自国に有利になるように他国と条約を結ぼうとする。しかし、それが成功したとしても、やはりそのうまみは1%にしか入らず、99%は貧困化するのである。そうして経済の無秩序化は深刻になっていく。
 元来、資本主義は、「すべての価値を市場が決める」という前提で成り立っている。その市場がなぜ公正な判断を下せるのか、という疑問に対しては「神の見えざる手が働くから」というオカルト信仰でごまかしてきた。だが、市場は個人が生活できるほどの所得を本当に与えるかどうかはわからない。「グローバル化」によりますますそれは不確かなものになった。物価は先進国基準であっても、賃金は新興国と「競争」させられるのだとしたら、それは人が生きられない仕組みである。しかし、資本はその帰結に責任を負わない。それは、資本主義が国家や社会を軽んじる思想だからだ。
 そのような非道な仕組みは改めるべきだが、グローバル化を肯定する論者は、市場社会の中で「努力」して「自分の価値を上げること」、つまり「競争」で優位を築け、と言うのである。だがこれは実際の給与生活者、即ち国民の多くを占める会社員の生活に何ら立脚していない。
 ところで、資本主義の進展は、単純に無政府化の進行が一直線に進んだというわけではなかった。市場競争は単純な企業による自由競争にならず、国家間の競争とも微妙に交錯して激化していった。政府はグローバルな市場と対立関係にあるだけではなく、奇妙な依存関係にもある。市場は本質的にグローバルだが、だとすれば市場にとって政府は必要ないか。いや、そうではない。なぜなら市場には外交力や軍事力がない。その案件が大きくなればなるほど、自国政府を動かす必要がある。政府の側も、税収の観点や雇用などの政策の観点からも、ある程度グローバル企業に依存しなければ立ち行かなくなっていた。グローバリズムは、国家より市場を重視する論理に他ならない。だが、不思議なことにグローバル市場は政府の力なしには成立しないのである。政府の通貨、政府の教育、政府のインフラ、あるいは場合によって政府の補助金や政府が規制緩和するといった政策的支援があって初めてグローバル化が達成されるのである。また、これと関連して政府の景気対策に期待する向きも依然として残っていることからも、グローバル化が即無政府化に繋がるとは限らない。
 生まれ持った風土や文化を離れて企業が存在できると言う考えそのものが「グローバル化」の空論とも言える。人々が「自然」に育んだ文化や歴史を無視した、のっぺりとした「各国画一的な市場」というものは存在しない。仮に資本が海を越えるようなことがあったとしても、それはその先で必ず現地の文化の研究に迫られることだろう。ローカル市場は思うほどやわではない。ただし、グローバル市場とは違った論理で動いているので、グローバル市場の論理を杓子定規に当てはめてしまうと、おかしなことになるのである。「自国でダメだったから他国で儲ける」式の理屈は通用しない。いくら「グローバル化」だの「民間にできることは民間に」と叫んでみたところで、有事になればむき出しの国家の論理に支配されるのが現実の社会である。
 グローバル化することにより、企業はその所属する政府を自由に選択することができる。したがって税金のもっとも安いところに本拠地を置けばよい。上記は理論的帰結だが、実のところ顧客や従業員を捨てて他国に転出するなど、そう簡単にはできやしない。社会が分裂し、不安定化しようとも結局企業はそこにいるしかなくなる。だが退行した市場はそう簡単には戻らない。結果政府の補助金や施策に依存する体質が生まれてくるのである。グローバル化により、市場はグローバル市場とローカル市場に二分化されることになった。
 言うまでもなく国に存在する「規制」の多くは、慣習からなっており、社会の安定や秩序を守り、弱者を救う「持ちつ持たれつ」の関係が明文化されていったものだ。それを破壊して経済成長がなしえるなど、狂気の沙汰である。「規制緩和により既得権が解消されることで、誰にでもチャンスが訪れる」などというのは笑えない錯覚である。概して規制を「不便」と感じるのは強者であり、要するに規制緩和とは強者が弱者からより多くむしり取るために足かせを外せと言っているに過ぎない。政治力学上から言っても、多額のカネを献金してくれそうな有力な企業が規制緩和を要望するから政治家も動くのであって、その逆はあり得ない。したがって、「規制緩和」は概して既存の秩序を破壊して、弱者を苦しませる結論になってしまうのである。社会秩序を破壊した果てに「成長」がある、という幻想。その幻想はたとえ成長がなかったとしても、「まだ破壊が足りない」ということで正当化される。それはまるで「革命」の結果が惨憺たるものであったとしても、「まだ革命が足りないからだ」と言う理屈で正当化しようとした思想を見るようだ。新自由主義と共産主義は、真逆にありながら同じ発想をする双子の兄弟である。
 国際社会における経済の競争は戦争の代行である。自由貿易と謳いながらその実密室の交渉で自国に有利な条件を引き出そうと各国は牙を研いでいる。その一方で経済がグローバル化する中で国家意思と企業の利害は必ずしも一致しなくなった。グローバル化する経済は国家化と非国家化が同時平行で訪れている。それを前提に日本の今後を論じなければならない。
 グローバル企業は、平時にしか成り立たない幻想の世界で商売を行っているようなものだ。そもそも市場の形成に際しては、同じ通貨(もしくは交換比が明確な通貨)を使い、会話が通じ、安全であることが不可欠だ。これらすべて市場だけではなしえることではなく、あくまで政府の前提があってこそ成り立つものだ。要するにこの通貨、言語、安全の前提が成り立たなくなった時点で、「グローバル」と言う幻想の世界はいつの間にか消滅して、世界は相変わらず主権国家の論理で動きだすのである。政府は今やグローバル企業の稼ぐ外貨なしでは運営もままならず、それゆえ政策的にあれこれ「支援」して見せるのだが、それはもはや「幻想の世界」なくしては立ち行かない、哀しき政府の姿でもある。賃上げしたり、企業に社会負担を担わせようとすれば「国外に出ていく」と脅しをかけられ、負担から逃れようとされる。また、そうした企業がはびこれば、優遇措置をとることで企業を誘致しようとする政府も出てくる。それを実現するための負担は一般国民から取られていく。我が国の企業は内部留保を多く抱えており、供給力に比べて需要が弱いとされる。ならば需要側(=消費者、=一般労働者)に優遇措置をとり、供給側(=企業、≒富裕層)に負担を願うのが当然の措置というものだ。だが企業が圧力をかけるため、その措置は取れない。企業の側も株主等に配当責任を負っており、おいそれと認めるわけにはいかない。しかし認めなければ結局需要は尻すぼみに小さくなり、経済は回らなくなるのである。ここに「社会的ジレンマ(=わずかの不利益を甘受すればかえって良い結果が出るにもかかわらず、誰もが自分だけはこのわずかな不利益をも逃れようとするために、結果より悪い状況に陥ること)」が発生している。
ところで今、安倍内閣のもとで賃上げ要請が行われているが、それによる賃上げは物価高に比してごく小さいものにとどまっている。したがってその影響はほとんどないと言ってよい。
 原理的に考えてみれば、新自由主義は規制緩和を好み官僚主導を嫌い、グローバル化や市場による競争を好意的に見つめることなど、国家意識が希薄な思想である。だからこそ新自由主義者は政府の役割を「夜警国家」などとたとえて見せるのである。三島由紀夫が嫌った「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」(「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」)とは資本主義を骨の髄まで沁み渡らせた国家のことである。それは新自由主義の跳梁によってますます進んでいくだろう。

ローカル経済の強靭性

 市場の中で育まれた文化は基本的にローカルなものだ。商習慣や消費者の志向というのは意外に保守的であり、ITや金融などの環境に比べたらはるかにローカルが力を持っている領域である。グローバル化したら即ローカルな部分が押し流されてしまうという感覚は杞憂である。それだけ人々のもともと持っている習慣を維持しようとする力は強いということだ。地球規模で活躍する企業が常に強者で、ローカルなものを弱者にあてはめるのはローカルなものが持つ強さを軽視することにもつながりかねない。その土地の文化や風土に適応しなければ、どんな大企業であっても成功しない。一方で、先進国の製造業などは途上国に生産地を移した揚句、技術を途上国に占められてもはや自国に帰ることもままならなくなっている。グローバルとローカルの関係は、各業界の事情により様相は相当に異なっている。もっともローカルが強い業界の一つである食品関係についても、グローバル企業であってもその国の風土に合う味を追求しようとする一方、洋食化が進むことで人々の嗜好が変化するという状況も起こっている。地域によるローカルルールの相違を根本的に認めないのが「グローバル経済」であり「新自由主義」である。従って警戒心を解くこともまた慎むべきであるが、同時にローカルの影響力を過小評価することもまた問題なのだ。グローバルとローカルは緊張状態の中で日々双方に影響を与えあっている。そうした状況を認識したうえで改めて経済関係を見据える必要がある。
 なぜローカルが強い影響力を持つかと言えば、そこに人々のごく自然な感情として、土着的ナショナリズムがあるからではないだろうか。
 伝統とか自然、文化と言った土着性に根拠を置いた「ナショナリズム」はどこの国にでもあるわけではない。歴史の中で自国の風土や文化についてじっくり醸成される期間がなかった国は過剰な愛国心と異常なまでの卑屈の繰り返しとなる。我が国は平安時代の国風文化と江戸時代の鎖国の期間、自国の文化を見直す機会があった。両方とも外来文化の排斥というよりも、外来文化と自国の文化がゆっくり溶けあう期間であった。国によってはそうした安定した土着的愛国心を持ちたくても持てないのだ。
 戦後日本の「ナショナリズム」は土着性を失い続けてきた。先人の築きあげた遺産とはまったく別なところに愛国心の根拠を生み出そうとしている。東京では皇居の周辺ばかり緑にあふれ、その周辺はビジネス街になっているあたりが象徴的である。戦後日本社会は国民が伝統という土着性を皇室に押し付けることで成り立っている。
 ひょっとしたら中流層を厚くしていく経済政策よりも、一握りのアイデアに満ち溢れた企業家が経済を牽引し、残り大多数の人間は彼らの手足となって働く方が「効率的」かもしれない。豊かになれるかもしれない。だがそれで望ましい社会は手に入れられるだろうか。また、民族的連帯はあるだろうか。民族とは、歴史的に醸成された共同体のことを言う。民族はある程度共通の言語をもち、共通の地域性も持つ。その両方が達成されてこそ民族である。民族主義以外でどのようにして国家を共同体化する理屈があり得ようか。民族主義以外のいかなる思想において愛国が語りえようか。民族主義は同胞愛である。同胞の窮状に心を痛めずして愛国が語れるのだろうか。民族主義は国家を共同体とみなすゆえに、ある程度の構成員の均質性を求める。均質性を拒否する人間が愛国を語る時は、たいてい階級格差の隠蔽と相場は決まっている。同胞愛は自己利益を超えたところにある。単に物質的豊かさだけではなく、社会を構成するものとして、各人が居場所を持つことは、「効率」よりも重んじられるべきことだ。今私は意図的に「べき」という言葉づかいをした。「効率」と「成長」を追求する学問が経済学だと仮にするならば、経済学は「べき」とは縁遠くなり、数学や電卓、コンピューターと近しくなるだろう。もともと経済学は古典的に「どのような手段を用いるべきか」ということは論じても、「どのような目的を持つべきか」ということを論じない。そうすることで価値判断から「自由」になれたかのような認識でいた。しかしそれは「効率」と「競争」を唯一の「価値」とすることに他ならないのではないか。

「計画」経済の不可能性

 安倍内閣では「産業競争力会議」なるものを開催し、竹中平蔵を委員として招聘し、新自由主義的な政策を練っている。財政出動を旨とする思想もまた、単に政府が介入したほうが、経済が活性化される場合もあるといった程度の考えであった場合、新自由主義と同じ穴のむじなだ。国を率いる立場として、その社会の構成員それぞれが生活を営めるよう苦慮するのが政治家の職務であるはずだ。それは経済的な効率よりもはるかに重んじられるべきものだ。安倍内閣の財政出動論は、新自由主義と、政治家の使命と、果たしてどちらに基づいて進めているのだろうか。
 第一次安倍内閣で「美しい国」と言っていたときより、第二次の「経済の再生」と言っている今のほうが、したたかで政治家として成長している、という見方がある。だがアベノミクスの金融緩和や成長戦略などは、大方アメリカで行われていることの後追いでしかない。むしろ第二次安倍内閣のほうが、理想を放棄した分一層対米依存を強めているという見方もできるのではないか。
 先ほど、安倍政権のもとで、竹中平蔵を中心に新自由主義的政策を練っていると書いたが、竹中は新自由主義者と呼ばれることを嫌う。竹中は「経済思想から判断して政策や対応策を決めることはありえない」(『経済古典は役に立つ』)といい、小泉総理にこれからは新自由主義的な政策を採用しましょうなどと言ったことは一度もないという(佐藤優、竹中平蔵『国が滅びるということ』)。日々起こる問題を解決しようと努めてきただけだ、というわけである。だが、あまたある事象の中でどれを問題とし、どういう解決を図るかは、やはり思想が大きな影響を与えているのではないか。あるいは竹中にとって市場原理によって物事を解決することは自明のことだと思っているあまり、それが一思想に過ぎないことが見えていないのだろうか。ところで佐藤は竹中のマルクス理解の正確さをほめたたえているわけだが(同前)、竹中は高校生の時期に民青に関わっていた(佐々木実『市場と権力』)。竹中は確かにイデオロギー的に新自由主義を信じている人物ではないのかもしれない。自由放任と「神の見えざる手」の信奉者ですらなく、むしろその時々で流行りの議論に飛びつき、それを日々起こる課題に対応しているだけだ、と嘯く類の人間と言ったほうが適切だろう。竹中の比較的古い著作、例えば私の手元にある『民富論』(1994年刊行)を紐解けば、そこでは竹中はインフラなどの「社会資本」の重要性を説いたり、自由貿易は錦の御旗ではない、というなど、現在の竹中の印象とはまた違った側面を見ることができる。竹中が小泉内閣の時は新自由主義的な発想から政策を進め、安倍内閣においても、「アベノミクス」のブレーンの一人となっているのは、本人にとっては当然のことなのであろう。
 現在の日本の状況はと言えば、労働者の労働条件を守るよう訴える労働組合は有名無実であり、社会保障はお上頼みという状況である。それは決して望ましい状況とはいえない。安倍総理は自ら経済界に賃上げ要請をしたが、それは賃上げという方向性に導こうという意志は正しいものの、方法論として政府が直接救済を目指した点で課題がある。インフレ政策は公共事業等の需要を増やす政策があって初めて意味がある。私は安倍内閣が訴える「国土強靭化」に賛成する。でなければインフレは燃料費等の高騰や資産の目減りを招き、貧富の差を広げるだけだ。そうならないためには、供給過多で、需要が不足している状況を改善するために、国が間接的に需要を増やす必要がある。公共事業はその一つの手段だ。その際には単なるハコものを作るのではなく、文化や風土を生かすものにすることが重要である。そして、国家と国民、市場ばかりでなく、社会には様々な中間的集団が存在することを念頭に、それらの復活を目的とした事業をすることが必要だ。総理が自ら賃上げ要請をせざるを得なかったのはこうした中間組織が機能しなくなりつつあるからではないか。だとすれば中間勢力の復活は急務である。
 そもそも金融緩和によりインフレを起こすことで消費が喚起できると考えるのは、カネさえ配れば皆モノを買うだろうという拝金主義的発想と紙一重だ。確かにデフレは経済を停滞させるが、その反対のインフレ政策なら良いという考えは安直ではないか。デフレは海外投資を促進させるばかりでちっとも国内経済が栄えなかった。しかしインフレにしても、一般庶民が潤う体制になっていなければ、その恩恵が社会に行き渡らないことになる。結局のところ、大企業や富者に応分の負担を求め、低所得層の底上げを図ることでしか健全な経済は達成されないのである。
 かつてデフレ下で好景気だった時も、従業員の給料は増えるどころか減り続けた。企業は内部留保と配当ばかり増大させてきたからだ。その流れは今の安倍内閣の政策ではとどめる力にはなりえていない。一度海外進出したものは容易には国内に還流しない。少々のインフレ政策では国内に雇用が戻ることはないし、国内産業の復興もない。グローバル化よりも、日本国民が幸せになるような経済のあり方でなければ意味がないのである。CSR、つまり企業の社会的責任というと企業が安全や環境に配慮しているかが問われるわけだが、本質的に企業の社会的責任とは、社会全体のために労働条件を改善することだ。
 ところで新自由主義とは、「市場に任せればすべてうまくいく」と考え、自然発生的な規制や暗黙のルールを「人為的に」撤廃するところに特徴があった。インフレ目標により人為的にカネの流通量を増やそうと言う積極財政の取り組みも、きわめて人為的なところは似通っている。新自由主義も積極財政論も、公平を偽りながら結局政策立案者に近しいものがその旨みをさらっていくことも共通している。国家社会を食い物にする連中は必ず秩序を破壊したがる。破壊した後にはむきだしの権力に近しいものが甘い汁を吸う世の中が待っているからだ。それにしても両者に共通する、権力をかさにきてそれに歯向かうものを叩き潰すやりくちはどうだ。カネや権力をあからさまに露出し、それにより吸引力を持たせようとする仕組みは資本主義そのものである。資本主義に道理など始めからない。カネや権力をもつものが「勝ち」を再生産し続けるのが資本主義である。努力して成り上がれるかのような幻想があるだけにそれはなおさら厄介である。昨今の富裕層の言い分は聞くに堪えない。曰く、「俺たちは努力している(お前たちは努力していない)。成功者が敬われるのは当然だ(だからもっと俺を敬え)。富裕者にやる気を出す仕組みにしなければやる気を失い海外に資本が流出してしまう(だから貧乏人が税金をたくさん払え)」。権力やカネの力にかさを着て弱者をたたきつぶそうとする醜く卑しい根性が惜しげもなく披歴されている。正義も道徳も惻隠の情もなく、ただカネの力を信じているかのように見える。
競争する、ということがこんなにも意識されること自体近代の産物であろう。独立した個人がいる、という発想がなければそもそも競争すること自体ありえないからである。ところが、競争には勝者と敗者が存在する。そのとき競争は勝者に過度の栄光を与え、敗者に過度の卑屈を求めるのである。
 河上肇は『貧乏物語』で、アダム・スミスに代表される古典的経済学について「誤謬」があるとする。それは経済の目的を国の富力の増加のみとして捉えている点だ、という。富は元来「人生の目的の一手段―人が真に人になること―」の一手段でしかなく、したがって限度があるために無限にその増加を図るべきものではない、とした。いかに一国の富が増えようとも、少数の富者と数多くの貧乏人により成り立っているものであれば「健全なる経済状態といい難きもの」であり、なおかつ事業家の自己利益に一任している状態では、その改善は見込めないとしている。河上が反対したところは、富さえ増えればそれが社会の繁栄であり、これ以上喜ぶべきものはない、という考え方自体であった。自己が儲けることを最上の価値とする経済思想を抱いているからこそ、道徳が乱れ、極端なる個人主義、利己主義、唯物主義、拝金主義に走るのだ。道徳を衰退させる経済思想では「理想の社会」を作ることはできない。
 「結果の平等ではなく機会の平等が必要なのだ」とか、「悪平等を排す」という言い方がなされる。そのうえで市場競争や国内における格差が容認されるべきであるかのような言説につながっていく。だがこうした説は全くの嘘である。例えば陸上の100メートル走で考えてみると、「機会の不平等」や「結果の平等」があっては競争が成立しない。だが、人生においてそのような場面はあるだろうか。そもそも人生においての「競争」とは、陸上競技のように速く走った人が勝者である、というような明確な「勝利」の基準が存在しない。仮に「より富貴になること」をその目的としたとしても、生まれによりその環境は全く異なるし、また、どの時点を以て競争のゴールとするかもはっきりしない。そしてスタートラインすらも不明確なまま「競争」が行われているのである。スタートとゴールすら決まっていない競争だと、「結果の不平等」はそのまま「機会の不平等」に直結する。今日の「結果の不平等」は明日の競争における「機会の不平等」につながるのである。逆に、「機会の平等」を得るためにはある程度の「結果の平等」が必要となってくるのである。そもそもスタートとゴールが明白でない競争において、「機会の平等」と「結果の平等」を分けて考えること自体間違っているのではないか。何を以て「機会」とするか、何を以て「結果」とするか自体不明瞭だからである。ときに市場競争は計画経済のような人為的制度と違い、自然発生的な秩序であるとみなされてきた。だがそうだろうか。例えば、八百屋のおやじと魚屋のおやじと肉屋のおやじが売り上げを伸ばそうと「競争」し、売り方を工夫して売上を増加させることに成功した、という程度の話であれば市場による競争は自然発生的秩序だと言えるのかもしれない。だが現代の競争はこうした牧歌的な「競争」とは全く異なっている。金融商品の購入による増益や、資本力による他社の買収、政府の補助金政策を要望、利用することなど、多分に「人為的」要素により市場の勝者が決まっているからである。競争を進めていく限り機会も結果も不平等な状況を受け入れざるを得なくなってしまうし、また人為的な秩序による市場競争の結果に従わなければならなくなる。
 計画経済とは、市場に任せず、政府が生産・配分の計画を練り、実行していくことである。この計画経済は、ソ連が崩壊することにより、地上からほぼその姿を消すことになったと言われる。「言われる」と書いたのは、近年また新たな「計画経済」がこの世に出現したかのように思われるからだ。「金融緩和」や「成長戦略」なるものがそれだ。
 金融緩和は、「中央銀行が貨幣供給量を調整することで景気を自在に操作することができる」という非常に人為的な思想を秘めている。政府もしくは中央銀行が、ある「目的」を以て金融政策を為すことで、経済を思うままに支配することができる、あるいはしなければならないと言う「計画」性を持っているのである。もちろん、先立つものがなければ投資もできないだろう。好景気とは、突き詰めればカネの流れが活性化されている状態のことで、不景気とはカネが流れない状態のことを言うのだから、政府がある程度経済を刺激してやることも必要なのであろう。しかしそれだけで経済が活性化し、すべてがうまくいくかのように考えるのは、まことにおめでたい発想と言わなければならない。
 同様に、「成長戦略」なる政治家や官僚が会議室で組み立てた議論で経済が活性化するなどという発想も、経済の「計画」性を示すものである。もちろん税制や関税など政府にしかどうにもできない問題もあり、決して政府の役割を否定するものではない。しかし、政策で景気やGDPを思うが儘に操れると思うことは、端的に言って幻想、あるいは為政者の思い上がりである。
 むしろ政府の役割は、経済成長をいかにもたらすかということよりも、国民生活の安寧をいかに図るかということではないだろうか。市場のなすがままに放任してしまっては、格差は拡大し、生活が営めない人が続出する。そうならないように諸施策を取ることが政府に求められることである。企業は儲けるためには簡単に法律を踏みにじる。企業は株主にさらなる配当をすることを「計画」し、それを達成するために従業員を使っているからだ。「計画」が未達に終わりそうだということになれば、従業員の生活に手を付けてでも「計画」を守ろうとする。「計画」の為に市場の結果を操作しようとする。自爆営業やサービス残業を強要し、本来従業員の生活費に回るはずだったカネを配当に回すことでその存在を維持している。そういえばこうした企業にありがちな「ノルマ」という発想は、共産主義国で発明された残忍な概念だ。「ノルマ」は「計画」が先にあって、人間がその「計画」のつじつまを強引に合わせる、「計画」経済の象徴のような発想である。このような権力濫用を阻止することこそ、政府にしかできない役割ではないだろうか。
 ソ連は計画経済の不可能性によって滅びた。ソ連は政府がすべてを生産し、すべての価格を決め、「計画」に従って配分すると言う体制だった。「計画」が先にあり、人々の生活の実態は「計画」のつじつま合わせのために踏みにじられた。今の資本主義社会はこうしたソ連型の計画経済の愚劣性はないものの、人々の生活の実態ではなく、どこかの誰かが考えた「計画」がまずあって、それへのつじつま合わせを立場の弱いものに強いると言う「計画」の愚劣さから逃れられていない。むしろその傾向は資本主義が高度化するにつれて強まってきているようにすら感じる。どこかの学者が考えた「金融工学」なる錬金術が破綻した様を、我々はすでに目撃しているではないか。人々の自生的秩序に基づく政治や経済でなければ、必ずどこかに無理が出る。「計画」経済を心底批判しなければ、いつの間にか同じ道をたどっているということにもなりかねない。ソ連やマルクスを批判したくらいで「計画」経済を克服したつもりになっては困るのだ。

国家論から経済を見るべきだ

 国家は、歴史的に形成され、国民が国民であるために必要なものだ。国家は歴史性を背負っており、なおかつ国民性そのものである。ここで言う国家は政府と同義ではない。国家は政府、国民、文化、歴史などを包含した概念だ。経済を考える際にも、抽象的な資本主義理論だけではなく、文化や歴史、国民性なども考慮に入れなければ社会に害をもたらす。政治や経済は、自己の使命を達成する手段であり、それを見誤ってはならない。目先の景気動向もむろん大事だが、あくまで見つめるべきは日本の国家的興隆である。それはGDPが上がったとか、そういった数字で測れるものでは決してない。GDPの伸びを経済成長というならば、すべての家族を解体し、低所得者の仕事として使用人を使う社会になれば「経済成長」するだろう。あるいは親は子供の看病を放棄し、ささいな病気もすべて病院に見させれば「経済成長」するだろう。家庭が不和になれば離婚裁判で弁護士が必要になり、「経済成長」するだろう。学校はすべて私立とすれば「経済成長」するだろう。刑務所も民営化すれば「経済成長」するだろう。私は今極端な事例を挙げたが、要するに社会の内実を見ることを忘れた成長論など無意味だということだ。経済成長に固執することは誤りである。あくまでもその経済には内実が伴わなければならない。
 国家は「想像の共同体」でしかないと言われる。また、国境は軍事的、経済的力関係の中で歴史的に偶然固まってきたものに過ぎないと言われる。はたしてそうだろうか。確かに、人々の「想像」がなければ同じ国家を戴くという同胞意識は生まれないし、国境は歴史の積み重ねによる偶然の産物なのかもしれない。しかしある程度の文化や国民性もまた歴史的偶然により育まれてきたのである。国家という「想像」が形成されるには歴史が大きく寄与しており、ある日突然国家が生まれるようなことはない。「想像」は近代になって振り返られた過去だが、振り返らせるだけの過去がなければ、国柄は生まれず、カネと暴力が支配する世になるだろう。
 国家や民族を「想像の共同体」であると見做す論客は、マスメディアや都市化の発達といった「近代的」諸条件の整備が、「国家」や「民族」の成立に寄与したと考えがちである。そういう面もあるだろう。だがそれだけでは「国家」や「民族」は成立しない。先人が文化的、歴史的に積み上げてきたものがあってこそ、同胞愛が醸成される。国家が「想像の共同体」だというなら「町」や「村」や「家族」、「市民」、「国際社会」だって「想像の共同体」だ。だがそれらを「幻想」だと言えば何かどうでもよいものであるかのようにみなせると思うこと自体大いなる錯覚である。国家という「想像」は、宗教に代わって個々人の存在に意味を与え、歴史の中に位置づける存在である。
 人々が公の精神を失ったと言われて久しい。そして公の精神の回復が叫ばれて、これまた久しい。だがそれらは一向に回復する兆しを見せない。なぜなのだろうか。戦後日本において公の精神、国を思う心を破壊したのは「進歩的文化人」を代表するサヨクだと言われてきた。だが本当にそうだろうか。戦後サヨクは一度として主流になったことはなかった。GHQに占領されていた時代でさえ、一時的に共産党が躍進したが、すぐにその時代も終わってしまった。現代においては俗に「憲法九条」と呼ばれるものを楯に非軍事化を求める人は多いようだが、戦後日本において非軍事化が行われたことなど一度も無い。人びとは「左傾」化しているようで一度も共産革命など起こらなかった。にもかかわらず私利私欲にまみれた現代社会が現出したのは、むしろ過度な資本主義化が原因ではないだろうか。一次産業二次産業が次々と数を減らし、自営業者も少なくなり、三次産業ばかり隆盛しどこに旅行に行っても東京と同じ光景が広がっている。
 社会主義、共産主義よりむしろ資本主義の方が私利私欲を肯定する思想である。人のために行動すればあっという間に自分が破産する世の中が資本主義である。そんな資本主義化された世の中において自分一身のこと以上を考えろと言うことは不可能なのではないか。資本主義こそ日本人を矮小化させた張本人であり、自民党こそその担い手であった。戦後という醜悪な時代を作った責任を単に左派に擦り付けるのは不当と言わなければならない。自民党こそ戦後を作ったのだ。彼らこそ戦後日本を作り、古くから続いた日本の美風を破壊したのだ。
 思想とは正義を追求する行為であり、正義が追及されず私利ばかりがはびこる世の中は望ましいものではない。いや、私利であってもそれが各人の生活の必要最低限の要求から出るものならばまだよい。何よりも恐ろしいのは資本が一人でに歩き出して、私利でもなければ共同性でもない、ただの資本の自己拡大のために周り全てを破壊していくことである。
 三宅雪嶺は『偽悪醜日本人』の「悪」として、日本人は正義を心に抱かないと主張した。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚びる。文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。結果山間に海外の贅沢品をそのまま持ち込み、地方の特産物を軽視し、経済を疲弊させる。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけがよい思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人種である。彼らを排撃し、社会に重きをおかせないようにすべきだ。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めている。
 陸羯南は『自由主義如何』で、自由主義と言っても既に国家の権威を認識する以上は、その主張するところの自由は無限の自由ではなく、国家の権威に制限されるもの、即ち有限の自由である。自由と平等は兄弟の関係であるが、仇敵の関係になることもある。門閥ではなく各人がその能力を発揮するために、平等は大きな効果をあげたし、自由もまたそれに貢献した。しかし自由主義のみが採用された場合、貧富の格差が拡大し、富める者は帝王をもしのぎ、貧しき者は物乞いになってしまっている。自由主義は、国家は安全保障のみを果たす機関だとして、上記のことに何の干渉もさせようとしないのか。国家はある面においては富者を抑制する働きを持っている。この場合国家は平等の味方であり自由の敵である。自由主義を単純に導入すれば貧富の格差は広がるばかりである。自由主義がこのようなものなら私はその味方であることをやめる他ない、と述べた。「国家はある面においては富者を抑制する働きを持っている」ことを真正面から見つめる愛国者が、現代日本にいるだろうか。
 国際社会は厳然とした力の論理によって動いており、それが市場の競争にその舞台を移したところでその論理は変わることがない。競争社会で最も強いのは、魅力あるコンテンツを作る人間ではなく、競争のルールを作る者であり、その限りにおいて市場競争は強者が永遠に勝ち続けるために編み出された悪知恵であった。
 丸山眞男は戦後日本を「悔恨共同体」と呼んだ。「無謀」な戦争をなぜ止められなかったのか、という思いが戦後の出発点であるというものだ(「近代日本の知識人」)。竹内洋はこれを批判して、戦後日本には「無念共同体」と呼ぶべきものもあったとした。「悔恨共同体」が心情的に戦前と戦後を切り離して考えているのに対し、「無念共同体」は「今度はもっとうまくやろう」あるいは「あの戦争は避けられない運命だった」と捉えることで戦前と戦後を連続させている、という(『革新幻想の戦後史』)。さらに、佐伯啓思は『自由と民主主義をもうやめる』で、吉田満を参照したうえで「戦後の民主主義や平和や繁栄が、どうしてもどこか偽物、もっと言えば、自己利益と保身の産物という、ある卑しさによって成り立っている」として、「私はこれを、丸山の「悔恨共同体」に対して、「負い目の共同体」と呼びたい」と論じている。あるいは、佐伯の議論と重なるかもしれないが、江藤淳は「物質的幸福がすべてとされる時代に次第に物質的に窮乏して行くのは厭なものである。戦後の日本を物質的に支配してゐる思想は「平和」でもなければ「民主主義」でもない。それは「物質的幸福の追求」である」(「戦後と私」)と述べ、嫌悪感を表明している。
 このように、戦後の「自由」、「平和」、「民主主義」、「物質的幸福」は批判され続けながら、意外にもその命脈を保ちつづけてきた。
 確かに政治家は思想を語るべきではないのかもしれない。近代的に機能化された統治機構に情や道徳を求めることがずれているように、政治家に思想的な「正しさ」を期待することも間違っているのかもしれない。「公共心」や「愛国心」を裏切る「何か」を、近代的な政治機構は抱えている。「民主主義」、「資本主義」、「共産主義」の三つ子の近代思想が歴史と伝統を軽蔑し、踏みにじる側面を持っていることを忘れてはならない。
 思想的正しさが政治によって実現できると考えること自体が間違っているのかもしれない。政治や経済に多くを期待してはならない。我々にできることは、政治や経済が時に土足で踏みにじりかねない誇りとその源泉を守り続けていくことだけである。ただし、政治や経済を抜きにして我々の誇りが維持できると考えるのもまた甘い考えであろう。伝統や愛国心、民族の誇りを重んじるものこそ、政治や経済と、己が守るべきものとのの関係について、真剣に考えていく必要があるのではないか。

結論

 経済成長。この言葉は確かに貧しさから立ち直るための希望であったと言えるのかもしれない。かつて貧しかったころ、人々は子供が死んだり身売りに出したりせずに暮らせたらどんなに良かったかと思っただろう。しかし成長してしまった後から見れば、カネを持っているはずなのに自殺率が異常に高い国があり、一方でそこまで豊かでないにも関わらず国民満足度が高い国もある。もし貧しさから立ち直ることだけが本当に素晴らしいことならば、なぜバブル期にも自殺が盛んだったのだろうか。働くことが本当にお互いを認め合い、助け合う心を養うのであれば、どうして過労死が起こらねばならないのだろうか。ややうがった見方かも知れないが、むしろそうした建前が雇用者による搾取の構図につながっている部分も見過ごしてはならないのではないか。「お客様のため」を免罪符としてサービス残業や過剰労働を隠蔽する効果さえ持ち始めたということである。
 確かに、いくら資本主義を批判しようが、カネは必要なのである。当たり前のことである。しかしカネが必要だと言っても、人の欲はきりがない。結局金銭で自分が満足するまでもらえたとしても、もらってしまうと人はもっとカネがほしいと思うのである。人の際限無い欲をあおる政治や経済というのはどうにも信用し難い。
 別の観点から述べよう。国家とは単なる利益共同体ではない。国家の存立基盤には必ず信仰とも呼ぶべき「物語」が存在する。それは近代国家に限らず、あらゆる国家的組織にとって「物語」は求められ続けるものである。しかし「経済学」あるいは新自由主義者は国を単なる経済的一拠点としか見ない。そして人々が自己利益を保証される限りにおいてのみ、国の存立を認めるのだと思い込んでいる。しかしそのような国家観、人間観は浅はかな考えに基づくものである。「政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也」(『西郷南洲遺訓』)と西郷隆盛が述べたのは言い得て妙である。まさに現代の政府は「商法支配所」になってしまい、護るべき「価値」を失った。ある意味それは選挙による「民主主義」の当然いきつく先であった。一人一票の「民主主義」がすでに、「各人が各人の利益に基づき投票すれば、最大多数の利益を擁護する者が政権に就くことができる」と言った、幼稚かつ極めて資本主義的な世界観に基づく代物だったからである。「民主主義」が進めば進むほど、政府は商人の顔に似てくる。資本主義の根本原理は、「人は必ず己もしくは自集団に利益があるように合理的に行動するものだ」という考えである。そしてそうした自己利益的な行動様式がかえって全体においても利益をもたらすことになる、という考えが功利主義である。ところで功利主義は人生の指針となりうるだろうか。確かに利益は重要であり、好きこのんで損をしたがる場合というのは多くないかもしれない。だがそれでも功利は人生に何も示さない。功利はさらなる利益を要求するだけであり、そこに際限がなく、おまけにある一定の度合いを超えた時、金銭、あるいは地位による自己利益は他人を不幸にしなければ絶対に訪れないようにできている。「自己利益を追求すれば神の見えざる手が働く」などという空論は卒業すべきであり、生きる以上の金銭、地位を求めなくてもどこにでも喜びの種は転がっている。
 山川均は資本主義社会についてこう言っている。
 今日の社会では、芸術の才能のある人も、真に芸術に一身を捧げることは出来ぬ。学問の才能のある人も、真に学問に没頭することを許されぬ。何故ならば今日の経済組織の下では、全ての人は、芸術家たる前に、科学者たる前に、否な父たり母たり、妻たり同僚たる前に、先づ商売人とならねばならぬからである(「資本主義のからくり」)。
 これは見過ごせない指摘である。社会の一員たる前に商売人たらねばならない社会、それが資本主義社会であるというのである。あるいはそれは共同体を無視して利潤を追求せざるを得ない、ということを意味する。それは経済がグローバル化した今日だからこそ身に迫る言葉である。歴史的に生み出された共同体による秩序を超えて、効率化の旗印の下、経済圏は国家の枠を超えて活動し、国家はその経済圏に対応を迫られるようにその垣根を低くするのである。TPPなどの新経済圏の確立は昔ながらの植民地を求める帝国主義とは全く違った形をした帝国主義である。陸羯南は『国際論』で、「個人が偶然にも他の民種を侵食する」ことを「蚕食」と定義し、「心理的蚕食」つまり外国勢力による精神侵略に警鐘を鳴らしているのだが、その「個人が偶然に」というところを強く意識した論考はあまりないと思う。「個人が偶然に」とは「国策でなく」という意味だ。これは現代の目から見ると、国策とは無関係に膨張を続けるグローバル企業を予言していたかのような感覚に襲われる。グローバル企業に依存することは、外国勢力に経済的に侵略される機会を与えることである。
 もちろん効率を考えない行動は愚かであり、およそ人間たるもの「利益」を考えることから逃れることはできない。ただしそれら「効率」や「利益」は倫理、道徳を踏み外さない範囲でのみ容認されてきたのではないか。ところが資本主義が疑問なく受け入れられて以降、倫理とか道徳を高唱することは、ためらわれることとなった。「倫理」や「道徳」は「きれいごと」とされ、「効率」や「利益」のために常に置き去りにされ続けてきた。しかし「効率」や「利益」に我を忘れそうになる自分に対して、常にあるべき場所に戻してくれる抑止力は「倫理」や「道徳」以外にないのである。「倫理」や「道徳」は人間の全体性をも含意している。私利私欲にまみれがちな己に対し、全体、あるいは人間を思わせる契機となる。倫理や道徳心を涵養することに努めることは、決して時代遅れではない。

本を読むとき、学びの中に発見がある時

 清水幾太郎は『本はどう読むか』の中で、「著者が相当なスピードで書いたものは、読者も相当なスピードで読んだ方がよいということである。そうでないと「観念の急流」にうまく乗れないということである」(114頁)と述べている。私もそう思う。

 読むということは単純に情報を仕入れるということではない。著者と語り合い、感性で交流するということである。したがって、自らが考えていたことそのものを揺さぶる力を持つ。著者の観念の流れを追体験するということである。

 本は手あたり次第読むべきである。乱読の弊害など信じない。「「乱読」は私の人生の一部で、人生の一部は、機械の部品のように不都合だから取りかえるというような簡単なものではない。「乱読」の弊害などというものはなく、ただ、そのたのしみがあるのです」(加藤周一『読書論』岩波現代文庫版まえがきⅤ頁)。

 学問的発見は、人間が努力して見つけるといった類のものではない。もうすでにそこにあるはずなのに気づかれないでいたものを見つけていく作業だ。学問は砂金掬いとか、考古学の遺跡発掘作業に近い。学問的発見のためには、論理より情緒とか感性が必要だ。学問的発見は、世間的に見ても初めて知ると言ったものもあるが、解釈の裏返しもある。今までこう解釈されてきたけど、実はこうだったのではないか。そう思うのは決して論理ではない。読書の過程で、著者が自分に語り掛けてくるのである。その言葉を、そのまま文字にしているに過ぎない。

 世界を一色に塗りつぶすことはできない。ありとあらゆる過去があり、著者と対話することで新たな小さな発見が生み出され続ける。利害関係にばかり目が行くと、世界は一様になれそうな気がするが、人間は利害関係だけで動いているわけではない。新たな発見は人類全体にとっても発見であるかどうかはわからない。でもそれはあなたにとってかけがえのないものだ。あなたの心に芯を一本入れるものだ。そんな発見が随所で生み出されれば、世界は一様でいられるはずがないではないか。

国家意思を問え

 私は議員ではない。したがって、今回の安全保障関連法案(通称戦争法案)の審議の経緯や細かい内容について論じようとは思わない。むしろ関心を掻き立てられるのは、「いかなる論理で」あるいは「いかなる理由」でこの法案に賛成もしくは反対しているのか、ということだ。そこには必然的に(安全保障と言う国家の存立にかかわる議論において)何を重んじているのかと言う、その論者の価値観が露骨に出てくるからである。

 さきほど、「戦争法案」と書いた。この「戦争法案」と言う名付け方の稚拙さはすでにツイッターのほうに書いた。

 「戦争法案」と言う名付け方は思わずからかってやらずにはいられないようなひどいもので、とにかく戦争を恐れて逃げ惑っていればよいのだという卑怯さがにじみ出ている。自己利益しか考えられなくなった戦後の浅ましさがいかんなく発揮された言葉が「戦争法案」なのである。

 太田光と中沢新一の『憲法九条を世界遺産に』と言う本がある。私は以前「憲法九条ナショナリズム」と題して、この本を取り上げたことがある。

 この時に書いた認識は、今でも何一つ変わっていない。太田や中沢が今回の法案に対し、どういう態度を取ったかを私は知らない。ただ、少なくともこの本で示した矜持は、「戦争法案」と言うレッテル貼りやなぜか委員会に関係のない議員が乗り込んで、議長ではなくカメラに向かってプラカードを掲げた野党議員の態度を許さないような気がしてならない。長いが引用する。

中沢 ただですね、こういう日本国憲法を守っていくには、相当な覚悟と犠牲が必要となるということも忘れてはならない。
太田 たとえば、他国から攻められたりしたときですね。
中沢 そうです。犠牲が出る可能性がある。理想的なものを持続するには、たいへんな覚悟が必要です。覚悟のないところで、平和論を唱えてもだめだし、軍隊を持つべきだという現実論にのみ込まれていきます。多少の犠牲は覚悟しても、この憲法を守る価値はあるということを、どうみんなが納得するか。
太田 憲法を変えようと言う側と、変えるべきではないと言う側、どっちに覚悟があるかという、勝負ですね。(中略)僕は、軍隊をもとうと言っている側の方が、覚悟が足りないと思うんです。それを強く感じたのは、イラクの人質事件です。(中略)実際に香田君が殺されたときも、自己責任だったと、国も言うし、国民も言った。自分の国は自分で守りましょうと言っている人たちが、自分たちの国民を殺されて、文句一つ言わないなんて、何が国防なのかと思います。そんな人たちが軍隊を持っても、戦争なんてできないと僕は思うんですよ。
中沢 平和憲法を守れと言う人たちのほうが、現実的だという人もいます。日本の軍隊を発動させたところで、どれほどの現実的な力を持つのかと。むしろ軍隊を出すことによって、戦争に巻き込まれていく危険性のほうが大きいという主張です。むしろ、軍隊を出すことによって、戦争に巻き込まれていく危険性のほうが大きいという主張です。しかし、僕はこの考え方も、覚悟が足りないように思えます。ことはそんなに簡単にはいかないでしょうから。
 日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受け入れるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのように生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕は、その犠牲を受け入れたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。
太田 憲法九条を世界遺産にするということは、状況によっては、殺される覚悟も必要だということですね。
太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』144~147頁

 私は、憲法九条が彼らの言う「守るべき価値」に値するとはまったく思えない。だが、「守るべき価値」を設定し、それに殉じようという姿勢は素直に共感する。
 私は、憲法そのものが持つ問題点を差し置いて集団的自衛権云々はおかしいだろうと思う。こうやってなし崩し的に解釈改憲を行うことで、日本のあるべき国家像を回復しようという試みは、ますます遠のくに違いない。「戦争法案」ではなく、「対米従属法案」とでも呼ぶべき代物なのではないか。
 集団的自衛権は個別自衛権ではない。現実問題として、アメリカの中東政策に加担するための法案と考えてよいだろう。だが、自らの祖国を守るためでもなく、アメリカのお付き合いで外国に乗り込み、恨みを買い、戦死する人間は報われない。「テロとの戦い」は、日本が始めたことではない。たとえ世界のどの国も止めたとしても、日本は「テロとの戦い」を貫くのか? おそらくそうではあるまい。所詮アメリカとのお付き合いなのだ。そこに日本の国家意思はない。

 フセインが倒されればビンラディンが出て、ビンラディンが倒れればISが出てきた。アメリカとのお付き合いで始めた「テロとの戦い」は、やればやるほど更なる過激派を生み、泥沼にはまるばかりである。こうした中東政策の帰結と、そこに追従した日本の国家意思のなさに対する総括なしに、なし崩し的に「テロとの戦い」を旗印に集団的自衛権を高唱しようなど、さらなる対米従属を招くばかりではないか。

 少なくとも今回の安全保障に関する論議の中で、日本はいかなる国家像を目指すべきかと言う議論よりも、戦争に巻き込まれる、いやそうではない、などという自らの小利ばかり数えられたのは、返す返すも残念だと言わざるを得ないだろう。

 私は、日米安保と憲法九条は二つで一つと考えており、この両方を改めなければならないと考えている。日本国憲法の破棄は日米同盟の破棄のために行われなければならない。少なくとも、一介の独立国が、自国に基地があり、安全保障政策の意思決定を他国に委ねている状況を正当化する理屈など何もないと考える。集団的自衛権よりもまず憲法そのものの問題と日米同盟の問題を考えるべきと言うのが私の立場である。

『昆虫記』余話

 アンリ・ファーブルの『昆虫記』は、大変有名な本の一つであるが、意外にその中身を知らない人が多い。ファーブルの『昆虫記』は昆虫の観察に関する回想録であるが、その中に折々ダーウィンの進化論に対する批判が挟み込まれている。そしてまさにこのことこそが、ファーブルが『昆虫記』を執筆した動機とも思われるのだ。ファーブルはおそらくキリスト教的発想から進化論を批判し、昆虫は本能によってその社会を形作っているということを研究した。その成果が『昆虫記』なのである。その成果は日本でも早くから注目されている。
 ファーブルの『昆虫記』を日本で初めて紹介したのはキリスト教的社会運動家賀川豊彦だと言われる。だが、賀川の叙述の段階からすでに『昆虫記』を適者生存弱肉強食批判として読み替えている。実際に自然界の摂理から弱肉強食を批判したのは、戦前発禁されていたクロポトキンであり、ファーブルはそのクロポトキンの文脈で理解され紹介されてきたという歴史的経緯がある。
 ところで、ファーブルの『昆虫記』を初めて全訳したのは賀川ではなく無政府主義者の大杉栄である。先ほど書いた賀川がファーブルの日本での最初の紹介者だというのは、大杉訳の『昆虫記』の序文に依っている。大杉はファーブルに関する情報を賀川から得て、初めて読んだファーブルの著作も賀川から借りたものだという。しかし、大野正男氏はファーブルを日本で初めて紹介したのは賀川ではなく、他にも先例があるという。詳しくは氏の研究を読んでいただきたい(大野正男「大杉栄『昆虫記』までの日本ファーブル史」日本古書通信平成23年9月号~10月号)が、結論を言えば明治43年の三宅恒方、内田清之助「ふをるそむ氏昆虫学」が最初だという。ただしここでは断片的に触れられているのみのようだ。他にも大野氏が何名かファーブルの紹介例を挙げているが、まとまったものは賀川、大杉の時代まで待たなくてはならないようだ。ところでこれまで、『昆虫記』と当然のように述べているが、原題は「Souvennirs Entomologiques」というそうで、直訳すると「昆虫学的回想録」となるそうだ。これを『昆虫記』と訳出したのは大杉の感性の賜物で、古事記や太平記などの書名を背景とした命名であろうと先行研究でも指摘されている。この『昆虫記』という人の耳目を引く題名は他の訳にも利用され、シートンの著作は『動物記』と訳され、牧野富太郎は自らの著作を『植物記』と名付けるなど日本社会における影響が大であった。
 『昆虫記』で批判されたダーウィンの進化論であるが、その進化論は、当時の日本では、資本主義を肯定する者にも否定する者にも広く受け入れられていた。そして、その生物進化の法則を社会的に適用したダーウィニズムが、立場を超えて様々な論客の間にも浸透していた。徳富蘇峰の「将来の日本」は武力社会から平和社会に進歩すると論じていたし、陸羯南も『国際論』で、欧米の文化一色になっては世界の文化の進歩は望めない、として東洋文化を護っていくことを主張している。資本主義者は競争の結果を「適者生存」とみなし正当化し、共産主義者は「資本主義から共産主義に進歩しなければならない」と考えていた。
 不思議なもので、大杉は『昆虫記』の訳者でもあるのだが、ダーウィンの進化論、『種の起源』の訳者でもあるのだ。大杉は丘浅次郎(実は丘も『昆虫記』の初期紹介者のひとりである)の『進化論講和』の愛読者であった。明治期の社会主義者にとって、『進化論』は社会主義と矛盾するかということは大きな関心事であったし、日本社会全体がこのダーウィンの進化論から発展した俗流の社会進化説に賛同・反発両面で大いに囚われていた時代でもあった。「社会進化説」は封建主義から資本主義を経て社会主義に進化するものとして、唯物史観にも使われたくらい社会主義と縁が深いものであったが、同時に適者生存、弱肉強食を正当化する理屈でもあり、真正面からこれを唱えることは社会主義者にとっては抵抗があったに違いない。こうした矛盾した両面の影響の中で進化論とその批判は受け取られたのであった。大杉がダーウィンの『種の起源』を翻訳したのは大正三年から四年にかけてであり、『昆虫記』訳出の時期(大正十一年ごろ)より早い。余談ながら進化論に関しては、昭和天皇が生物学者の姿を持つことが、戦後から世に広められたと誤解されているが、実は戦前からマスコミを通じて積極的に広められていた。「科学者としての天皇」は戦前社会が求めた一面でもある。ただし「現人神」としての天皇と「科学者」としての天皇が特に進化論関連について矛盾しないかということについては敏感な問題だったようで、天皇の研究が生物の形態研究にとどまっており、進化論の哲学的理論に進んでいないかは西園寺公望なども注目している(右田裕規『天皇制と進化論』163頁)。そういえば北一輝は昭和天皇を「クラゲの研究者」と軽蔑するように呼んでいたという話が渡辺京二などによって語られ、北が尊皇的でなかった証として語られる。それはあたっているかもしれないが、進化論と現人神の関係を見るとまた別の側面もあるように思える。
 さきほど社会ダーウィニズムについて書き、大杉が『昆虫記』の訳者であると同時に『種の起源』の訳者でもあることを不思議だと書いたが、実はダーウィンの進化論は、強いものが勝つというよりは環境に適用したものが勝つという内容であった。その意味では、「進化論」と『昆虫記』の両立も可能だったのかもしれない。
石川三四郎もまた『昆虫記』を部分的に訳出しているが、そこでは「彼等は淘汰だの、隔世遺伝だの、生存競争だのを持ち出して論証する。成る程堂々たる言葉だ。が、私には寧ろ幾分かの、つまらない事実のほうがいゝ」と述べ、生存競争を否定的にとらえた(「昆虫哲学序論」『近代日本思想体系16 石川三四郎集』196頁)。これは抄訳だからこそ石川の関心がどこにあったかが伺えるのである。
 現行版岩波文庫の『昆虫記』を訳した林達夫と山田吉彦(きだみのる)は思想的信念から『昆虫記』を訳したのであろうか。二人ともフランスびいきであったようだが(『歴史の暮方』中公クラシックス版38頁)、それだけであろうか。
 林達夫の妻は和辻哲郎の妻の妹だった。和辻と林は戦後『思想』という雑誌でともに活動した。林はマルクス主義からの脱皮を自力で行おうとした。少なくとも我が国では、『昆虫記』はアナキズム的思想を持った人物に愛されてきた。アナキストは資本主義への批判者であることと同時に共産主義への批判者でもあった。林がアナキストであったかはわからないが、少なくとも「資本主義への批判者であることと同時に共産主義への批判者でもあった」ことは間違いないだろう。
 きだみのるは友人関係にアナキストを持ち、旧制中学のころから幸徳秋水に関心を抱くなどの思想遍歴をたどっている。ただしきだ自身がアナキストであったかどうかはよくわからないし、それが『昆虫記』の訳と関係するのかどうかも不明である。以下わかったことだけしばし書き留めておきたい。
 きだは「『昆虫記』のファーブル先生が教えてくれること」として、「虫は本能をモーターにして動く機械」であると言う(『人生逃亡者の記録』21頁)。また、人々は「考えないで行動するときは人間らしい行動を、即ち社会を勘定に入れた生活をなし、考える動物として行動する場合、人間の尊厳を失った動物となる」と言う(『気違い部落周遊紀行』113頁)。きだは、伝統にのっとり相互扶助をしながら生活することを「人間らしい行動」とし、自己利益に基づいて行動することを「人間の尊厳を失った」行動だとみなす。考える、考えないを本能に基づくか理性に基づくかの対比と同様に考えてもおそらく問題あるまい。きだが『昆虫記』に託したのは理性(=自己利益)ではない本能(=相互扶助)の生活だったのかもしれない。
 ほとんど連想ゲームでしかないが、片山杜秀は『日本の右翼思想』で、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を使いながら、脳ではなく体全体で考えることが必要であると考える思想があったことを論じ、それが近代個人主義に反発するものであり、共同体みんなが生々しくつながりたいという願望を持っており、ファシズムと親和性が高いとまで言う(196頁)。片山はそれを踏まえて三井甲之など「右翼」思想家の身体論に結びつけていくわけだが、果たしてそれは「右翼」のみの思想的特徴だったのだろうか。
 『昆虫記』を思想書として読む人は少ない。だが、近代の日本におけるある種の思想において、理性ではなく本能に基づく秩序の模索の関係から、『昆虫記』が注目されたことは間違いない。この問題につては今後も関心を持ち続けていきたいと考えているが、ひとまず中間報告としてここまで論じた次第である。

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◆今後の更新予定

 今書き進めている長編物のブログ原稿は以下の通り。

・地理と日本精神

・陸羯南論―「自由」と「国際」に潜む絶望―

・伝統と信仰

・皇室中心の政治論

・蓑田胸喜『国防哲学』を読む

・秩序とは何か

・世界文明のために

・武士と商人