本書は勉誠出版から最近刊行された二冊である。
「読書について」カテゴリーアーカイブ
アマゾンレビュー 高橋清隆『山本太郎がほえる~野良犬の闘いが始まった』
政治に絶望しかけている人へ
アマゾンレビュー「もう一人の昭和維新 歌人将軍斎藤瀏の二・二六」
アマゾンに「もう一人の昭和維新 歌人将軍斎藤瀏の二・二六」についてレビューを投稿いたしました。
以下レビューの内容です。
歴史の新たな一面を開く
若くして佐佐木信綱の門を叩き、作歌活動をしながら、二・二六事件に参加した人物がいた。それが本書の主人公齋藤瀏である。
瀏は国家革新の志を持ちながらも、「非合法の活動はダメだ」と青年将校を戒める立場であった。それが決起への参加に転じたのはなぜか。
瀏にとって歌は日常であり、「歌人」などという特別な人間が作るものではなく、日本人誰もが心に流れるものであった。
齋藤瀏の生涯を追うことで歴史の新たな一面を開く著作である。
書評:中島岳志『保守と大東亜戦争』
まったくひどい本があったものだ。
わたしは原稿を書くにあたっては氏の著作を大いに参考にしているところがあり、見解の相違を感じながらもその著作には敬意を払うものである。しかし本書はひどい。粗雑、ご都合主義というに尽きる。論理破綻、矛盾も甚だしい。
いちおうあらすじを紹介しておくと、いわゆる保守思想家として名高い竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、福田恒存、池島信平、山本七平、林健太郎らは戦後の革新思想にも批判的であったが、同時に戦前の大東亜戦争に批判的であった。
一方で「その後の世代」である渡部昇一、中村粲、小堀桂一郎、石原慎太郎、西尾幹二らが大東亜戦争肯定の立場であり、それが著者には納得できないのだという。
元来保守主義は理性を過信せず、設計主義的な革新を厭い、熱狂から遠いものだ。「その後の世代」の言論は保守主義と異なるところがあるのではないか、というものだ。
こういう意見があること自体は否定するつもりはない。
おおまかな筋だけ聞くと「そういうこともあるのかな」と思ってしまう。
だが中島氏による上記の論証たるや支離滅裂なのである。
理由は簡単で上記で取り上げた人物はそれぞれ意見が異なるところがあるのにそれを見ずに、上記ストーリーにそぐわないものは完全に無視しているからだ。
なので少しでも上記著者の著作を読んでいるものには違和感だらけになってしまう。
一例をあげよう。
田中美知太郎や猪木正道は、戦前はアナキズムに共感する思想を持っていた。アナキストと保守派が意外に共通するところが多いのはそれはそれで興味深いテーマなのだが、それは本稿とは関係ない。ポイントはアナキストが戦争に反対の考えを持っていたところで、それは「保守主義が戦争に反対だった」ということになるのか? という素朴な疑問である。
戦後のイメージで「保守」としているだけではないのか。しかも中島がこれらを知らないはずがなく、確信犯的ミスリードではないのか。
二つ目。
保守派が大東亜戦争を肯定するのはおかしいし、南京虐殺や従軍慰安婦否定はなおおかしいと述べている。だが南京虐殺否定の最初のきっかけは何か。それは中島がいう「保守主義者」に入れている山本七平の「百人斬り」批判である。もちろん山本は「百人斬り」を否定しただけだといえる。だがそれをきっかけに南京虐殺否定論が起こっていることは疑いない。これを無視するのはおかしいのではないか。
三つ目。
中島氏は、竹山道雄が親戚である一木喜徳郎にならって天皇機関説を肯定し、筧克彦の天皇親政論は狂信的で「唐人の寝言」だと考えていたことを紹介する。竹山がそういう考えであったことは確かだろう。ところで中島先生、保守は理性を妄信しないのではなかったのですか? なぜ天皇機関説の時は「理知的」「制度設計的」な機関説を肯定して、天皇親政論を退けるのでしょう? ご都合主義ではないですか。「懐疑の精神」なるものは天皇機関説のどこにあるのでしょう。ちなみに上杉愼吉といい、筧克彦といい極めて冷静に天皇親政論を語っているので、熱狂には当たらない。
四つ目。
猪木正道が河合栄治郎と研究会を行い、その死にあたっては「日本軍国主義」に殺されたと痛憤した旨紹介している。だが単なる病死の河合を「日本軍国主義」に殺されたというのは大分熱狂しているように見える。またこの時猪木が読んで感動したという西谷啓治『世界観と国家観』を紹介しているが、西谷は京都学派で「近代の超克」を論じた人物ではないか。整合性がなさすぎるのではないか。
五つ目。
「その後の世代」の議論の紹介が、中村粲と小堀桂一郎くらいしか行われていない。
まさか「日露戦争までは良かったがその後軍部が統帥権を振りかざし暴走したからよくない」と言っていた渡部昇一や神道系の議論を嫌う西尾幹二では都合が悪かったからではないかとうがった見方をしてしまう。
それにしても、ストーリーを定めてそのストーリーに沿うものだけをピックアップする論法はずいぶん「構築主義的」「設計的」で「懐疑の精神」に欠けるのではないかと思うがいかがだろうか。
アマゾンレビュー「日本のお米が消える」
本日アマゾンに「日本のお米が消える」のレビューを掲載したしました。
以下レビューの引用です。
安倍政権の売国を知れ
昨年(2017年)、ある法律がひっそりと廃止されることとなった。その名は「種子法」。このことによって、それまで各都道府県が予算をつけ、人をつけて管理していたコメの種の維持・管理・開発が、法的根拠を失った。
「地方自治体がやらなくても民間がやればよいではないか」。そう思うかもしれない。
安倍政権もそういう理屈で同法を廃止したのであろう。だが、「民間」とは具体的にいったい誰のことなのか、考える必要がある。
都道府県が撤退した先にやってくるのは、グローバル資本モンサントである。
このことで日本の食糧安全保障は大きく後退する。
本当の意味での「国産」のおコメは、いったいいつまで食べられるのでしょうか。
構造改革の名の下で進められる売国が、いままさに行われているのである。
アマゾンレビュー「山本直人『敗戦復興の千年史』」
本日紹介するのは山本直人氏の『敗戦復興の千年史』である。わたしがアマゾンに書いたレビューは以下の通り。
白村江戦と大東亜戦争の交錯
昭和二十一年八月十四日、昭和天皇は首相、閣僚が出席したお茶会で、「(白村江の敗戦の後に)天智天皇がおとりになった国内整備の経綸を、文化国家建設の方策として偲びたい」と仰せられたという。大東亜戦争の敗戦という事態に直面したとき、昭和天皇が思い起こしたのは白村江の敗戦に向き合った天智天皇のお姿であった。わが国の悠久の国史においてただ二回だけの敗戦であり、どちらも皇室の存続の危機でもあった中で微妙なかじ取りを迫られた時期であった。
この両時期とも日本は外来の律令制度や「民主」制度をひたすら導入することに努めた時代であった。後の時代から見れば、そのように外来の文化を際限なく受け入れて、日本は大丈夫かと思わず考えてしまうような状況であった。しかしそれはひとまず勝者の文明を受け入れたうえで、長い年月をかけて押し返そうという決意でもあった。そうした千年先を見据えた計によって、日本の存続はなされたのである。そのような両時代を往復しながら「千年史」を考察する一冊である。
書評 井尻千男『歴史にとって美とは何か 宿命に殉じた者たち』
月刊日本9月号に掲載された、井尻千男『歴史にとって美とは何か』の書評について、同誌の発売から日数が経過したこともあるので、本ブログに掲載する。
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本書は井尻の遺稿集である。単行本未収録の論文を集めたもので、本稿では主要論文である「醍醐帝とその時代」を紹介する。
井尻は、本論文執筆の動機を「戦後の日本人は、かつての日本人がシナ文化に憧憬したようにアメリカ文化に憧れて、いま失敗しつつある。その危機感を深めながら、現代と宇多・醍醐の時代を往還したい」と表明する。そのうえで宇多天皇、醍醐天皇の時代を「シナ文化への憧憬」から「天皇親政」「自国文化への確信」への大転換期と位置づけ、摂政・関白の廃止、遣唐使の廃止、古今和歌集の編纂をその時代精神の表れであるとみた。本論文は単に過去の歴史を描いたのではなく、過去を通して國體の大理想を強く訴えかけているのである。
当時の世界大国唐を相手に国交を断つことがどれほどの大事件だったか、現代のわれわれには想像を絶する出来事であろう。たしかに唐には衰亡の兆しがあった。しかしそれでも超大国と付き合いを断つことは、果断なる政治的決断を必要としたはずだ。それを主導したのが宇多天皇であり、菅原道真であった。遣唐使は、菅原道真が廃止を建議した時点で既に六十年も派発しておらず、自然消滅させることもできた。しかしあえて途絶を宣言したことは強い意志があったからに他ならない。菅原道真が廃止を建議する六十年前の遣唐使では、副使の小野篁が派遣命令を拒否し流罪になっている。唐の衰亡に促されただけではなく、遣唐使によってもたらされた唐の実態への失望が、唐文化との訣別と国風文化の発揚を決意させたのだ。
宇多天皇の後を継いだ醍醐天皇はわが国をいかなる国にしていくかという重大な使命を背負っていた。醍醐天皇が出した答えこそ、最初の勅撰和歌集である古今和歌集の編纂であった。当時は仮名文字が発明されて八十年ほどしか経っていない。漢字仮名交じり文が発明された創初期にあって、わが国の文学をわが国の言葉で残すことは万葉集や記紀の編纂にも匹敵する畏るべき大事業であった。唐の傘下から離脱したことで自国への意識が高まり、国風文化が興隆し、古今和歌集の編纂に繋がったのである。
醍醐天皇が行った偉大な事業はそれだけではない。宇多天皇と醍醐天皇の治世は後世天皇親政の模範とされた。それまでわが国の官僚制度は唐に倣って形作られていたが、遣唐使の廃止は、わが国固有の新しい政治体制を模索させた。菅原道真の登用からして、藤原氏等の名門貴族を避けた天皇親政の実践の一過程であった。それを引き継いだ醍醐天皇も摂政関白を置かない政治を実践した。さらに醍醐天皇は土地制度改革にも着手している。形骸化した土地制度を、土地を通じて天皇と国民が繋がる大化改新の理想に復元させたのである。
遣唐使廃止による日本の自立、摂政関白を置かない天皇親政、土地制度改革、そして国風文化の結晶たる古今和歌集。それらはすべて國體に基づく統治という大理想のもとで繋がっている。井尻は、当時國體に基づく統治が目指されたことを繰り返し語り、政治、外交の次元にとどまらず、文化、美意識に至るまでわが国独自の在り方が模索されていたことを強調する。それは軍事に依らない「たたかい」であった。元寇の際に亀山天皇が祈願したことで有名な「敵國降伏」の勅願は、その三百年以上前の醍醐天皇の時代に始まったものなのである。
実証史学では醍醐天皇の治世は後世理想化されたような政治ではなかったとみなしている。しかし、井尻はそうした実証史学の見解を「なにもかもが出世欲、権力闘争、閨閥同士の勢力争い……まことに唯物論的というか素朴実在論的というべきか、人間観としてはきわめて貧しいというほかない。戦後の国史が陥った惨状というものである」と一蹴している。先人の精神の働きは実証的なだけの歴史学では到底描き得ない。井尻は「日本人が肇国の太古から試みてきた国づくりの精神史をいまこそ再点検せねばならない」と述べ、先人が国づくりに懸けた精神を鮮やかに描き出した。その筆致は感動的であり、読む者を惹きつけてやまない。
本稿で紹介した「醍醐天皇とその時代」の初出は平成二十五年に「新日本学」に掲載されたものである。井尻はその翌年に入院し、平成二十七年に亡くなった。本論文は井尻の最期に遺した論文といってよい。本書を耽読することで國體に基づく統治という大理想を再確認してはいかがだろうか。
本を買う悦び
先日、久々に池袋のジュンク堂を訪れた。ジュンク堂は比較的学術的な専門書も多く取り揃えており、ここを訪ねて関心のある分野の書架に行き、背表紙を眺めているだけでも大いに刺激を受けることができる。
ついネット書店に頼ってしまうと、「読むべき本がない」なんて思ってしまう。そうではない。自分が本を探していないのだ。ネットのような検索頼みのツールでは、読書は広がりを見せない。ネット書店は大変便利ではあるが、やはり本屋に行って背表紙を触っていくことがとても大事なのだと気づかされる。本屋に行かないと読書が貧しくなる。
同じく本を探す悦びを感じることができる場所に古書街がある。古書街をゆっくり散策して、表のワゴンセールから奥の雑然と積み上げられた本まで眺めると、うれしくなってくる。「まだまだ読みたい本がこんなにある。」それだけで生きていける。
そういえば私生活で嫌なことがあると、いつも大型書店か古書街に行く自分がいる。本の背表紙を一冊一冊触って、舐めるように見回すことで何となく癒される自分がいる。まだ読むべき本がある、まだ自分の知らないことが世の中には山ほど眠っている。そう思うだけで日ごろの嫌なことなどもうそこまで深く気に留めなくなっている。まぁなんとかなるだろう。そんな気持ちになるのである。どうせ世の中は未知で溢れているのだから。気にしたって仕方ないのである。
本を買うことは一種の娯楽なのだ。私は買った本はすべて読むが、たとえ読まなかったとしても本を買うこと自体に一種の娯楽性が潜んでいる。たいてい本を買うことが好きな人は、本を読むことが好きな人ではあるが、「本を買うこと」と「本を読むこと」はやはり別個の趣味である。「本を買う楽しみ」というものが間違いなく存在するからだ。
批評家若松英輔氏の父は、晩年目が悪くなり本をほとんど読めなくなっても、本を買い続けたという。それも家計の負担になるほどに買い続けたという。何となくわかる気がする。やはり私も、本を読めなくなったとしても、本を探し、買い続けるような気がする。
本の存在自体が何か人を癒し、鼓舞する力を持ち続けているように思えてならない。
書き手になるということ
書き手になることは、書くことを生きることの中軸に据えることである。人は誰でも、心のうちにあることを真剣に書き記そうとするとき、書き手に変貌する。
逆に、どんなにたくさんの書物を世の中に出していたとしても、自らの心の奥底にあるものとの出会いから逃れようとする者は、ここでいう書き手ではない。
文字を書く人は無数に存在する。しかし、書き手が同様に存在するわけではない。魂の言葉を世に顕現させたいと願ったとき人は、はじめて書き手となる。
(若松英輔『生きていくうえで、かけがえのないこと』31頁)
当時一大学生だったわたしがこのブログを始めてから10年が過ぎた。自分なりにまじめに考えたり、調べたり、言葉を紡いできたつもりである。だがわたしがやってきたこの程度のことはしょせん独りよがりというか、他人からしてみたら取るに足らない努力に過ぎないのではないか。そんな不安も同時に持ち合わせている。
わたしは書くことを本当に生きることの中軸に据えてきただろうか。書きたいことを文字に残すために、文字通り身を振り絞って、寝る時間をも惜しむように取り組んできただろうか。
おそらく性格的には、毎日コツコツ体を壊すほどの無理はせずなすべきことを少しずつ進めていく方が性に合っている。何時間寝たか寝なかったかなどは自己満足の世界であり、何の関係もないことだとも思うこともある。だが、それでも自分には全霊を傾けているのだろうか、と劣等感にさいなまれる。
ただ、読むことと書くことなしの人生を生きなさいと言われたとしたら、そんな人生に希望も喜びも何も感じられないだろうということも確かなのだ。
アマゾンレビュー「ルポ ニッポン絶望工場」
本日紹介するのは出井康博の『ルポ ニッポン絶望工場』である。私がアマゾンに書いたレビューを引用する。
外国人を酷使し、見捨てられる日本
日本にも他国と同様、多数の外国人が「移民」として流入している。しかし政府は公式には移民政策をとっていない。彼らは「留学生」や「研修生」という名目で日本に入ってきている。これが非人道的な低賃金労働の温床となっている。
彼らを酷使する日本企業は無論、現地の業者、日本語学校などが彼らを送り込み、ピンハネをしている実態も描かれている。
彼らがこの構造に気づいたとき、日本人を恨み、「反日」化して日本から去っていく…。
一説には欧米で繰り返されるテロ行為はこうした低賃金労働による「恨み」が大きな影響を与えているとも言われるだけに、この問題は看過できるものではない。
一般の日本人にも無縁な話ではなく、彼らが超低賃金労働で働かされていることは日本人労働者の賃金の下降圧力にもなっている。
もはや現代日本の生活は彼ら超低賃金外国人労働者の存在なしには成り立たない。
しかしこの生活は法や人道を公然と無視する労働環境によってまかり通っているのであって、われわれは今の「豊かな」生活なるものを根本的に疑ってかかるべきではないだろうか。
ヒトモノカネが「自由」に行きかうグローバリズムがゆがみを見せる中で、全く新しい共生の理論が求められているように思う。
ところで「絶望工場」という書名は鎌田慧のルポから来ていると思われるが、鎌田のルポも私は好きである。いわゆる左翼的な論調ではあるが、非正規雇用の問題など低賃金労働の問題点を先駆的に取り上げたことは注目すべきである。