「経済について」カテゴリーアーカイブ

河上肇という人物

昭和八年十月、マルクス主義者河上肇は懲役五年の思想犯として小管刑務所に着いた。このとき五十五歳。この年にして三畳一間の生活に甘んじることになったわけだが、意外にも河上は明るかった。便所は水洗だ。この便器をイスにして、洗面台を机にして河上は日々の記録をつけ出す。「これが向こう三年間のおれの幽閉所か。よしよし持ちこたえてみせるぞ!」
獄中で河上が愛読したのは陶淵明の漢詩であった。繰り返し繰り返し低唱し、その詩の韻律を味わった。その後は陸放翁(陸游)の詩を愛す。陶淵明も陸放翁も愛国詩人とも呼ぶべき存在である。同郷の吉田松陰を生涯敬愛した河上にとって、マルクス主義と愛国主義は両立するものであった。
河上は晩年、『自叙伝』で「私はマルクス主義者として立っていた当時でも、曾て日本国を忘れたり日本人を嫌ったりしたことはない。寧ろ日本人全体の幸福、日本国家の隆盛を念とすればこそ、私は一日も早くこの国をソヴィエト組織に改善せんことを熱望したのである」。
河上にとって、ナショナリズムとマルクス主義は両立可能なものであり、最後までナショナリズムを捨てることはなかった。
「愛国心というものを忘れないでいて下さい」。
河上はかつて島崎藤村に説教したこともあった。留学先で出会ったときに藤村が「もっとよくヨーロッパを知ろうじゃないか」と話しかけられた時に、答えたのがそれである。ヨーロッパに憧れる藤村に、内心ムッとする河上の姿がよくわかる。

振り替えれば河上肇は『貧乏物語』で、「人はパンのみで生きるものではないが、パンなしで生きられるものでもない。経済学が真に学ぶべき学問であるのもこのためだ。一部の経済学者は、いわゆる物質文明の進歩―富の増殖―のみを以て文明の尺度とする傾向があるが、出来るだけたくさんの人が道を自覚することを以てのみ、文明の進歩であると信じている」という。河上は、富さえ増えればそれが社会の繁栄であり、これ以上喜ぶべきものはないという考え方を批判した。道徳を衰退させる経済思想では理想の社会を作ることはできないのである。
さらに遡れば河上肇は大学卒業後、農科大学の講師について横井時敬の指導を受けた。そのときに書いたのが『日本尊農論』である。河上肇はそこで農本主義的議論を展開していた。河上の原初は農本主義であった。
若い頃から尊皇的発言を繰り返し、天皇への私有財産への奉還を主張する。同胞愛を説き、貧しき人を救うために自分が着ている服まで寄附してしまう。
「いかに無告の民を救うか」。
そうした草莽の志が、河上の義侠心を支配していた。
そんな河上の説く経済が、貧富の格差を野放しにする「自由競争」に甘んじるはずがない。
ひょっとしたら中流層を厚くしていく経済政策よりも、一握りのアイデアに満ち溢れた企業家が経済を牽引し、残り大多数の人間は彼らの手足となって働く方が効率的で豊かになれるのかもしれない。だがそれで望ましい社会は手に入るだろうか。また、同胞愛はあるだろうか。同胞の窮状に心を痛めずして愛国が語れるのだろうか。同胞愛は自己利益を超えたところにある。単に物質的豊かさだけではなく、社会を構成する者として、各人が居場所を持つことは効率よりも重んじられるべきことだ。
河上肇の生きざまに共鳴できるか。これが「愛国」と「愛政権」を分けるカギであるかのように思える。

土を忘れた民

明治時代、ありとあらゆるものに所有権が確定されていき、共同的なものが奪われていった。入会地は廃止され、山林は富者や国の所有物となった。谷の風景は、養蚕やタバコ畑に置き換えられたが、それらはやがて倒産した。リンゴなどの果樹園や、スキースノーボード、温泉などのレジャースポットに代わったりしたが、それもどこまでもつか。皮肉めいた言い方をすれば、荒廃し誰が所有者だかもわからなくなってしまえば、あるいは山林は元の姿を取り戻すのかもしれない。

自由、民主主義、経済成長―。そんなものが無告の民にとってどれほどのものか。自由、民主主義、経済成長さえあれば世の問題のすべてが解決し、みな幸せになるかのような物言いに、傲慢さはないか。
どこまでいっても道は舗装され、土を踏みしめる機会は極端に減っている。土を忘れた民は、いまはいくら豊かでも早晩滅びる。そのことを胸に刻むよりないはずだ。

クリスマスの馬鹿騒ぎとアメリカリベラリズムの終焉

クリスマスはキリスト教的由来がほとんどない、ただの資本主義的な祭りである。ハロウィンも同様である。

クリスマスはキリストの誕生日とされているが、それに何の根拠もない。ただ冬至の祭りにあわせてローマ教会がそうしただけのことである。ここまではよくある話で、これで終わるのであれば何もうるさく言わなくてもということになるだろう。
日本(世界でも大抵そうだが)ではなぜかキリスト教と関係のないサンタクロースが子供たちにプレゼントを持ってくる。サンタのあの姿はヨーロッパの土俗信仰が合わさる形でああなったのだが、それが一層定着したのはコカ・コーラの広告によるものである。
ちなみに戦前日本でもクリスマスは伝わっていた。最初に三越が明治四十年に贈答品としてクリスマスの広告を打った。大正時代にはラジオ放送でさらに広まっていった。
だが大正天皇が崩御されたのが十二月二十五日だったことで異論も噴出した。昭和二年には上杉慎吉が「大正天皇が崩御された日にメリークリスマスと祝うなど不謹慎だ」と述べ、柳田国男は「今年に限って自粛するのは賛成」と述べている。
戦前においてはクリスマスは馬鹿騒ぎする日であり、家族や恋人と過ごす日ではなかった。ちょうどいまのハロウィンがそれに近い。急に恋人めいてくるのは戦後の女性誌の登場による。そこで「恋人とデートする日」だと煽りたてられ、高度経済成長やバブルの風潮にのって一気に「そういう日」になってしまった。
潮目が変わるのはバブル崩壊である。バブル崩壊により不況が常態化し、豪勢に恋人と過ごす雰囲気は衰えつつある。
代わって盛んになってきたのはハロウィンである。もとは子供がお菓子をねだりにいく日だったはずだが、なぜかそうしたことは忘れ去られ、仮装して馬鹿騒ぎする日になってしまった。
クリスマスもハロウィンも由来なんか怪しいもので、商業的動機から捏造され宣伝されるに過ぎないので、その時々の商売ニーズによって節操なく変えられていく。
こうした商売的馬鹿騒ぎが必要とされるのは、生地を捨てて都市に集結するリベラリズムと資本主義のあわせわざによる鬱憤の捌け口が必要とされたからであろう。もう少し閉じた共同体であればこれが村祭りがその機能を担ったであろう。
近代的リベラリズムを体現するアメリカの凋落が著しいが、こうした商売的馬鹿騒ぎはいつまで続くのであろうか。

地方の衰退と自治の精神

明治時代以来、わが国は立身出世、富国強兵をスローガンに国を営んできた。その結果何が起こったか?地方の衰退である。それは人口減少に突入したいま、より顕著な課題としてわれわれに迫ってきた。
手入れがなされない里山は土砂崩れや獣害のリスクに直面している。地域共同体は最大のセーフティネットだったが、資本主義の論理を無邪気に適用するだけでは安心も幸福も手に入らない。山水の恵みは、人間社会に必要なものなのだ。
かつてアジアには「社稷」という発想があった。社稷は土地の神と穀物の神であり、王が祭祀権を持ったことで王の祖先神的性格を有したが、共同体共通の神であった。社稷は政府より上位の存在とされ、人民の生活の象徴である。新嘗祭などにも社稷の影響が感じられるものである。わが国では五・一五事件に思想的影響力を持った権藤成卿が社稷を重んじたことが知られる。また平田国学、佐藤信淵にも農本主義的側面があった。佐藤信淵は平田国学と出会い家学を発展させたのであるが、それは農政で万民の困窮を救うもので、幕府や藩といった小さな枠にはまるものではなかった。社倉のような共同備蓄にも深い関心を有していた。
戦後、こうした思想は「農本ファシズム」と嘲笑されるようになり、いつしか嘲笑すらされず忘れ去られることとなった。開発主義、経済成長絶対に対するアンチテーゼは生まれなかった。その結果が地方の軽視となった。
そんななか、田中角栄は地方に対する思いのある政治家であった。だが角栄の日本列島改造論は、要は地方に道路や鉄道を通すというものでしかなく、結果として地方の人間をますます都市部に送り込むかたちになってしまった。地方再生には、回復には、山水と共同体の力が必要なのではないか。
機械化によって忘れ去られているが、元来農業は共同労働の側面を持つ。家族や地域で連携して食物を植え、雑草を取り、収穫を行うのである。「社稷」は「家稷」であり、人の生きる意味を与えるものなのである。これこそが「自治」である。
近代文明は資本主義のアクセルのもと、暴走し続けてきた。それは確かに人々の所得レベルを引き上げはしたが、それと引き換えに自然や共同性を破壊し続けた。カネに依存しカネがなければ生きられない生活に陥れられた現代人は本当に豊かなのか。問われなければならない。

年功序列について

経団連もトヨタも「年功序列の維持は不可能」だというようになってきている。
だが、欧米でも年功序列終身雇用というほどかっちりした仕組みはなくとも、高年齢者の雇用はある程度保護され、首になりにくい状況となっている。
国民の大半は凡庸で、そもそも仕事なんか生活に支障がない範囲でしかやりたくないと思っているものだ。スキルアップの意欲に溢れ、より利益をあげるために寸暇を惜しんで働く人などごく一部である。それを失業と賃下げの恐怖で無理やり働かせてきたのが、資本主義の偽らざる姿である。もちろんこれは年功序列だろうがそうでなかろうが大同小異だ。しかしそのなかでもとりあえず凡庸な人間でもそれなりにやっていれば家族を養えるだけの収入を得ることができる雇用を確保することは重要だ。
ようするに民政とは、こういう凡庸な人間でもいかにその能力を発揮してもらえるだけの環境を整えるかだ。それは稼いでもらいGDPを増やしてもらうというだけでなく、子供を育ててもらうことなどあらゆることを含めた総合的見地から考えられなくてはならない。

それを資本の論理に委ねればすべてうまくいくなどと考えるのは妄想である。なぜなら資本の論理では家事や子育て等直接カネを稼ぐ行為ではないことが軽んじられるからだ。
資本の論理に委ねた社会とは、1%が残り99%の富を独占する奴隷社会である。それでもよいなどと考える下劣な輩とは根本的に相容れないのだ。
解雇規制があるから経営を圧迫するのだとか(本稿とは関係ないが)法人税が高すぎるとか、そんな寝言に耳を貸す必要はない。そんなのはサラリーマン経営者を甘やかしているだけだ。社会的責任を放棄した企業に未来はない。

伝統、共同体の力―資本主義は絶対の真理なのか

人は社会にさまざまな形でお世話になってようやく生きている。それはまるで社会に応援されているかのようだ。

現代は個人主義がはびこり、「個の力」が重んじられる時代だ。それは悪いことばかりではない。コネだけでよろしくやることは通用しなくなるし、虎の威を借る狐のような疎ましい連中も減る。「何となく気に入らないから」と悪口を言われ潰されることもない。お偉いさんの私的都合に振り回されることも減った。
しかしそれでも、社会なくして個人などないのである。そんな時代だからこそ、「誰かのために自分の役割をまっとうする」生き方は、貴重なものとなる。
現代でもっとも「誰かのために自分の役割をまっとうする」生き方をされている方こそ、ご皇室の方々である。私を慎んで役割をまっとうされる美しさは、総理大臣以下の臣下にはとうてい真似できないものがある。
皇室は国民の共同感情を背負っておられる。皇室を抜きにして日本の共同体を語ることはできない。国民は天皇の赤子なのである。
国民個人の上に家族があって、地域共同体があって、国家がある。そうして同心円状に共同体は広がっている。そしてその同心円状の共同体を貫く芯のようなものが、伝統や文化、信仰といった聖なるものである。この芯を失ったら、すべてがバラバラになってしまう。
こうした伝統は利己主義を抑えるものであったが、高度経済成長の「成功」とともに影響力が薄くなり、代わりに利己心を充足する市場の力が強くなってきた。企業風土は家族的とはとても言えないものになり、従業員は交換可能な部品となっていった。
こうした伝統的人付き合いが減ったのは市場社会のひとつの目標であった。商品経済は人付き合いをサービスや商品に置き換えていった。一旦サービスや商品に置き換えられてしまえば、次第に効率化が進み、テクノロジーによって担われるようになる。そうなると、企業はテクノロジーに投資し、労働力(人間)に投資しなくなる。そうして給料は上がらなくなってくる。政府の財政出動的施策は対処療法として有効だが、わたしは本質的解決には繋がらないとみている。
やはり資本主義の常識から離れて、伝統や共同体の力を今一度見直すことが必要なのではないだろうか。

カルロスゴーンの逮捕と外国人労働者問題

カルロスゴーンが捕まった。彼はルノーから送り込まれた人間で、日産の日本幹部の接待漬けにあい、贅沢を覚えさせられ、その裏でいつでも切れるよう証拠を握られていた。ゴーン追放万歳と手放しで喜ぶ訳にはいかない。大企業幹部の悪辣陰険な権力闘争の風潮はそのまま残された。

いま外国人技能実習の問題が取りざたされている。経済界は「人手不足」だというが、実際は超低賃金でも働きたいという人が少ないだけで、職を求めている人はたくさんいる。要するに「人手不足」とは賃上げする気がない心情の現れなのである。だから法の網をくぐって悪事を働こうとする。自動車業界もまた「人手不足」を叫んでいる業界のひとつである。
ゴーンが去ったところで、ゴーンが残したCEOに高額報酬が集中し、現場に低賃金を求める体質は変わらないだろう。これは日産や自動車業界に限らない、社会全体、世界全体の問題だからだ。日産にはこうしたわたしの見立てをいい意味で裏切ってくれることを期待したい。
参考までにかつて『大亜細亜』誌でわたしが書いた外国人労働者問題に関する論説を全文紹介する。

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現代の経済に関するメモ

・現代はあらゆることにリアリティーがない。信仰心も弱く、共同体は解体され、会社ではいつでもクビにされかねない部品でしかなく、家族はバラバラである。近代化が進むとともに、人生の選択肢は増えたが、その代わり人生に対する希望が失われていった。

資本主義は、カネを稼ぎ、自己利益を追及する人間像を描いたが、果たして人間はそういった「大きな物語」のない人生に耐えられるだろうか。
新自由主義に至っては、「主義」とついてはいるものの、体系的イデオロギーも世界像も放棄している。とにかく人間も企業も自己利益で動くんだ、それが当然なんだ、余計な規制などするなというばかりである。しかしそれは過去も未来も考慮しない、ニヒルで刹那的な生き方ではないだろうか。貨幣経済への盲信は禁物である。
・井上日召『日本精神に生よ』
「人間生活の殆んど全部が経済的生活となつて来た現代は遂に黄金万能の世となつて大義は将に滅せんとし、被圧迫階級の人々までが資本主義に中毒して利己一点張となり互ひに嫉視排擊し合ふ様になつたので要するに右傾派は個人闘争、左傾派は階級闘争の連続で何れにしても人類の理想は出現せんのである」
・河上肇は大学卒業後、農科大学の講師について横井時敬の指導を受けた。そのときに書いたのが『日本尊農論』である。河上肇はそこで農本主義的議論を展開していた。河上の原初は農本主義であった。

渥美勝『日本の宣言』より

戦前、独特な思想を展開した維新者である渥美勝は以下のように書いている。

社会主義にカブレル事は考へねばならぬと同時に、資本主義にカブレル事も同様に危険である。私の云ふ危険とは、警官などが噪ぐやうに、皇室や又は国家に取つて危険だと云ふのでは無く、日本の内部生命に取つて危険だと云ふのである。
資本主義者が右手の唯物史観を生命としてゐるそれが危険なのである。然るにその右手の危険に反対な左手の危険―社会主義を持つて来て、一体日本の生命、私たちの先祖や子孫を何うしてくれると云ふのだ? 眼覚めねばならぬ。資本主義は日本では御免蒙らなければならぬと同時に、唯物史観をギヤアギヤア云ふ社会主義も亦御免蒙る事だ。
先ごろ、「財産奉還論」が主張されたが、日本の行き方は昔からこれだ。行き詰つて困つた時は総て天子様に奉還する事だ。最近に於ては徳川幕府が行詰つて大政を奉還した。徳川氏はマツリ(祭り)をマツリゴト(政事)にせず、武力によつてやつたので、遂に行詰つて天子様に奉還したのである。
頼山陽は日本外史に於いて頼朝の鎌倉幕府の条で「此時よりして政権武門に移る」と云つてゐるが、これローマの如く武力を以て横領したのである。即ち頼朝より徳川に至るまでの間は武力による豪族の横領時代である。その時代には侍は「斬り捨て御免」とか「斬り取り強盗武士の習ひ」とか云つて、之を武士の特権だと為してゐた。これでは町人や百姓は堪つたものぢやない。武士と云ふと聞えは良いが、これではその実、大江山の酒呑童子のやうな山賊の行ひと何等異る所はない。
私は彦根の産だが、徳川が山賊の大将とすれば、彦根の殿様井伊侯は差し当たり山賊の小頭位に当る。私の家は井伊の家来で三四百石貰つてゐたから小頭に使はれる小者位の者であつた。それが徳川の大政奉還によつて山賊稼業を止めた訳である。これでやつと神ながら日本が現出すると思つたが、豈図らんや今度は別な横領舞台が開けた。「斬り取り強盗」が止んだと思ふと、今度は「算盤取り強盗」が始まつた。「斬り捨て御免」は廃止されたが、新たな「喰はさず捨て御免」は黙認されてゐる。これではローマの真似は止めたが、ユダヤの上半身が残つてゐる訳である。
諸君、日本の神ながらなる、在るべき姿は、さうした事実や同胞のある事を許し得ない。故に諸君はこれを徳川が止めた様に、資本家に向つて資本を奉還して貰ふ事を、日本の生命のドン底から要求せねばならぬ。天祐と云ふ事は、日本では、困つた時には之を柔順に親爺様の処へお返しする事を云ふのだ。
(『日本の宣言』平成十一年復刻版80~81頁)

皇道経済論の一つである財産奉還論が展開されているほか、明治維新に対する歴史認識も興味深い一節なので紹介した。

官治・都市・成長の欺瞞と山河・民族・ふるさとの復興

わが国の歴史を紐解けば、社会的政策を「お上」が決定してきたことは否定しがたい。無論それはわが国に限らず世界的共通事項だと言えなくもないのだが、どうにも歴史の負の部分に「官治」の影が付きまとうことは否定しがたい。
明治時代、わが国はプロイセンをモデルとした官僚社会を作り上げた。それは植民地化の脅威の中で生き残りを図るための方策であった。中央集権体制の確立は、エリート官僚のもと「欧米に追い付け追い越せ」という国家目標に特化させるものであった。それを支えたのが帝国大学(東京大学)を中心とした大学組織である。敗戦を経て、現在に至るまでも大学の中央集権体質は変わっていない。いまでも高級官僚は旧帝大出身者で占められているのがその証である。
そうした社会の中で学生は東京を中心とした大都市圏に集められ、卒業後は官僚になろうが民間企業に行こうが大都市圏に就職し、地元に帰らなくなってしまうのである。もちろん職歴もない学生を育て上げるだけの体力のある会社はそう多くなく、それが大都市圏に集中しがちなのは自然の道理ではある。だが、こうした中央集権体質はふるさとの人材を枯渇させようとする圧力になり続けている。
わが国の産業社会は一次産業二次産業を軽んじ続けてきた。欧州などでは農家は国境警備隊の意味合いも持ち、大事にされてきたのだが、わが国では島国ということもありそうした意識は育たなかった。バブル崩壊以後若干弱くなったとはいえ、依然中央の官僚が偉いという意識は根強く残っている。
官僚や会社員だらけになってしまった現代の日本社会は、「暮らし」と「労働」が完全に分離してしまった。
われわれは家族の暮らしと、会社員としての労働に一日を完全に分断されてしまっていて、そこに相関関係のない二重人格の生き方を強いられている。こうした生活の中で両親への敬意が自然に育まれるだろうか。大都市圏に長距離通勤を強いられる中で、家庭は労働の疲れを癒す場所でしかなく、地元の人々と交流する必然性をもはや持ち合わせていない。これで地元への愛着や地域への帰属意識が育まれるだろうか。
会社員の登場は経済効率を格段に良いものとした。だが、それと引き換えに失ってしまった生活がある。ふるさとの荒廃の根本原因は、大学、官僚制、カイシャという中央集権体制が、人々をふるさとから引きはがし、一人の学生、一人の国民、一人の従業員(労働者)という地元のバックボーンのない「砂粒の個」に仕立て上げたためである。大学、官僚、カイシャは父、祖父、といった祖先から受け継ぐものが何もない。ただマニュアル化された「作業」だけが引き継がれていく。そこに祖先から続く「縦の流れ」はない。郷土もない。ただただ金銭貸借があるだけなのである。
「ふるさとに暮らす真の生活」への回帰を阻む考えの一つに、新自由主義がある。新自由主義の人間観は、「人々は自分の利益になるように動くもの」であり、バックボーンの違いや、道徳心による行動というものは、ほとんど念頭に置かれていない。その意味で新自由主義は官治国家と大変相性が良いのである。「民間にできることは民間に」「既得権益の打破」を訴える新自由主義はともすれば官僚社会と対立するものであるかのように見られがちである。だが「規制緩和」とは、どの産業を育成するためにどの規制を緩和するか政府が決定するということである。即ち政府権力の強化につながりかねないのである。
選挙を通じて地元民の声を中央に届けることこそ、各地方(選挙区)から国会議員が選ばれる大きな理由だったはずだが、いつの間にか本末が逆転し、党中央が決定した政策に賛同しなければ議員として公認されない風潮になってしまった。いまや議員は中央のやり方を地方に押し付ける先兵となってしまったのである。
アジア主義者竹内好が問題としたのは、「民族意識」であった。いわゆる左派的論客が「民族意識」が解体されることを封建制からの脱却であるかのように肯定的に捉えていたのに対し、竹内は民族意識を欠いたところに、文学も文化も革命もあり得ないと確信していた。外来思想にかぶれ、国籍のない抽象的な自由人をきどっても、それは政府や資本の奴隷にしかならないと論じたのである。竹内は60年安保に反対したが、それは非常にナショナリスティックな意識からであった。もちろん「民族」という概念自体は近代の産物である。だが、その民族観念の原初たる同朋感情、文化、歴史は前近代からもたらされたものである。
高度経済成長期、日本は人口増が見込まれていた。人口増に対応するため、郊外型の都市開発が乱発された。人口増加が下火になった現在、それは地方コミュニティの崩壊となって跳ね返ってきた。市場経済は基本的に自然の循環を断ち切って、物質的に「成長」することを目指している。むしろこうした自然循環は経済発展に邪魔なものであった。自民党保守派は無論、憲法九条真理教と化した戦後左派も、この問題に無自覚であった。戦後左派は左派と言いながら民族意識を軽んじ、怯懦を正当化する「平和主義」を基調としていたために、己の身さえ豊かであればよいというエゴイズムと親和的であった。そもそもが憲法九条なるものがアメリカの庇護下で経済成長に注力することの自己正当化でしかないのだから、自民党保守も九条左派もそれを本気で打倒する気がまるでないのは当然と言えよう。戦後体制の打破なくして地方の衰退の問題、資本主義の問題点は語れないのである。
われわれはいま、快適で便利な都市という箱の中で生かされているブロイラーと化している。それはちょっと郊外に行ったくらいでは何も変わらない。何処の土地にも所有権が定められており、お金なくして生活ができない限りそれは「都市」の範囲内である。だがそのブロイラーは本当にこれからも生かされるのだろうか。野村秋介は言う。
  「勿論、〈反共〉は我々にとっても極めて大切な課題である。しかし更に大切なことは、敗戦によって壊滅された〈祖国日本〉そのものの復興なのである。(中略)経済大国営利至上主義にうつつを抜かし続けた日本は、いまもって、敗戦で喪失した〈民族的魂〉の回復はなされていないのだ。〈反共〉に目がくらんで、 〈日本〉そのものの復興をおろそかにしてはいなかっ たか、という慚愧の思いがなくてはおかしいというのである。/さらに営利至上主義は、日本的文化、ことに神道の母体である日本の〈山河〉を無定見に破壊した。日本人が、神州清潔の民とか東洋の君子国とか呼ばれる、特異な民族性をつちかい得たのは、一に山紫水明なる日本の〈山河〉あったればこそである。(中略) かかる状況を可能として来た大企業における決定的な罪過は、戦後三十余年間、『民族』を単に『マーケット』 として見下して来たことだ。それは民族国家に対しての冒涜でなくて何であろう」(『友よ山河を滅ぼすなかれ』 46 頁、「/」は改行)。
「戦後というこのブヨブヨの飽食の時代の中で、タラ腹食って肥満し、ガキの頃からやれ塾へ行けの一流大学に行けのと親にケツを叩かれ、成れの果てはサラ リーマンか役人に仕立て上げられてだ、微々たる月給をもらってやれマイカーだ、やれマイホームだのと、汗水たらして稼いだ金を大企業・大資本にそっくり搾りとられて、これではまるで近代化された鶏舎にいるブロイラーと何ら変わりないではないか」( 『いま君に牙はあるか』2頁)
これ以上に付け加える言葉は無用であろう。

*月刊日本平成三十年二月「ふるさとを復活させよう③」、国体文化平成30年3月号「資本主義の超克とその先の国家論 十二」における拙稿の抜粋を加筆した