愛国者を自認する人が増えてきたが、それは中国、韓国、北朝鮮に強硬な言辞を吐くことにしかなっておらず、真に祖国の風土や文化、信仰、歴史、共同体に想いを馳せることには繋がっていない。あまつさえ愛国の名のもとにヘイトスピーチを囀ずるなど論外で、かの国の「愛国無罪」を嗤うことはできない。
「日本について」カテゴリーアーカイブ
外国人を酷使しなければならない―道義の退廃
今治タオルが外国人技能実習生の酷使で炎上している。
しかしこれは技能実習制度の闇の氷山の一角だろう。そもそも発展途上国支援であった技能実習制度が超低賃金労働の隠れ蓑になっている状況を見てみぬふりをしていたからこうなる。
外国人留学生も同様に法の網をくぐり抜けて酷使されている。
誰かが誰かを酷使しなければ成り立たない現代の「便利なくらし」とは何なのか。根本的に見直されるべきではないのか。
出井康博『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』を読んだときも、東京が蜃気楼の大都市に思えて呆然としたことを思い出す。
わが祖国は恥ずかしい国に成り果ててしまったものだ。これも利益を見て道義を見ぬからだ。
誰のための入管法改正か
新元号公表の陰で…
四月一日、新元号公表の陰でひっそりとある法律が施行された。改正入管法である。これにより外国人労働者の就労が拡大される。日本政府は、フィリピン労働雇用省のシルベストル・ベリョ労働雇用相と会談し、「特定技能」を有する外国人材に関する協力覚書を締結した。日本にとってフィリピンは「特定技能」制度に係わる協力覚書の最初の締結国となった。
ベリョ氏は地元紙に対して、「改正入管法の施行によって、新たに10万人以上のフィリピン人労働者が日本で就労する可能性がある」とコメントしている。たしかに「移民はいない」との建前を掲げながら、実際は「留学生」や「技能実習生」として外国人労働者が管理されず入国就労している現状は問題であった。政府は、「特定技能」を有する外国人労働者に対して日本人と同等またはそれ以上の賃金が支払われることや、悪質な仲介事業者の排除等を約束している。同様の覚書をネパール、カンボジア、ミャンマーの四カ国と交わしているようだ。
だが実際は企業や自治体の受け入れ態勢の整備は整っておらず、拙速な対応というべきであろう。日本語教育の問題や二世のセミリンガル化の問題、信仰の多様化への対応など、課題は多く残っている。
外国人労働者を入れたい動機
そもそも外国人労働者がなぜ必要なのかといえば、経済界を中心に「人手不足」の現状があるからだ。だが、日本人でも就労したくてもできない人は大勢いる。要するに「超低賃金、長時間労働で働く人材」が不足しているというだけのことである。すなわち、日本にやってくる外国人労働者が着く職は、「超低賃金、長時間労働」ということになる。
例えば昨年失踪した技能実習生は、過去最多の九〇五二人に上っている。この背景にも低賃金や長時間労働が顔をのぞかせている。違法な労働条件を外国人労働者に強いる企業が後を絶たないのは、外国人労働者を入れる動機が「最低賃金」という法的制約の抜け道になっているからに他ならない。こうした外国人奴隷状態の根本解決に、今回の法改正はなりえるのだろうか。仮に本当に違法な労働条件を取り締まっても、留学生や技能実習生などの「抜け道」がなくなったわけではない。企業が外国人を入れたい動機が「低賃金、長時間労働」である限り、問題は一向に解決しない。それどころか、さらなる悪化を招きかねない。
東京都港区の寺院「日新窟」のベトナム人尼僧ティック・タム・チーさんは、メディアの取材に以下のように語った。「日本人は西洋人は尊敬するが、アジア人は見下す。同じ人間なのだから平等に扱ってほしい」。
ヨーロッパの移民の失敗
かつてヨーロッパはアフリカを中心に多くの移民を受け入れた。その結果が今の欧州の政治経済の混乱、テロの勃発である。「低賃金、長時間労働」を動機に外国人労働者を入れた結果、入ってきた外国人の憎しみを買い、手痛いしっぺ返しを食らっている状態である。当然というべきである。
特に問題なのは、人種構成が大きく変わることで文化的死滅を免れないということである。かといって彼らに生まれ育った文化を捨てさせるような同化政策など取れるはずがない。日本文化は早晩死滅することになるだろう。
文化の軋轢は、異なる文化への寛容性を失うことにつながる。それを抑えるのは、警察権に代表される政府の武装強化である。「多様性」を目指すことでかえって強権支配が訪れ息苦しい世の中になってしまうのである。さらに言えば、若い力をとられる途上国の経済にも、短期的にはともかく長期的には決してプラスにはならない。
大亜細亜の理想
『大亜細亜』誌で度々引用し、論じていることではあるが、重要な問題なので再度繰り返す。
明治十五年生まれでメッカに日本人で初めて巡礼した、日本人イスラム教徒の草分け的存在である田中逸平は以下のように主張する。アジアは古来聖人が命を受け、大道を明らかにし、広めてきた場所である。大アジア主義の「大」とは領土の大きさのことではない。道の尊大を以ていうのである。しかし西洋文明が押し寄せることで、智に偏し物欲が人を苦しませている。大道は廃れんとする中、大アジア主義を問うときが来たのである。
田中は大アジア主義をアジア諸国の政治的外交的軍事的連帯に求めない。はたまた白人に対する人種的闘争にも求めない。大道を求め、それぞれの文化で培った伝統的思想(「古道」)の覚醒に努めるべきだというのである。日本においては「神ながらの道」がそれにあたるという。田中はイスラムにもその「古道」が流れているのを感じ取ったのである。
伝統的信仰を取り戻し、侵略者を追い払うことを通じて、立国の精神を共有することが大アジア主義の志であった。それは必然的に政教一致の政体を模索することにつながるであろう。
だとすれば目指す道は「移民」によって生まれ育った文化をまぜこぜにしてしまうことではない。各国、各民族がそれぞれの場所でそれぞれの文化を輝かせるよう連帯を進めていくべきなのである。
財界のどす黒い下心にまみれた移民政策はアジア主義に合致するものとは思われない。それより「立国の精神」の再確認こそ肝要と言うべきである。
謀叛論:竹中平蔵を馘にせよ
「皇道」「國體」の日本
「日本」という概念は日本民族の魂である。そこに文化、歴史、国土があるからだ。日本は単なる地理的名称ではない。その「日本」という概念の中心たる「國體」は、まさに民族の生命大系そのものであると言ってよい。
ご譲位のお言葉に関して―「皇室令」「宮務法」の体系を復活せよ―
本年八月八日、今上陛下がご譲位のご叡慮を示されたが、そのお言葉を享けて、いわゆる保守派を中心にある種の「困惑」があったように思われる。その一つの要因に、陛下が「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とされていながら、摂政の設置を明確に退けられている点にも表れている。というのも、多くのいわゆる「保守派」は、有識者会議を見てもわかる通り、陛下のご譲位に向けたお言葉が発表されるようだ、というニュースが流れても「摂政を置くということでよいのではないか」という程度の認識でしかなかったからだ。もちろんわたしも例外ではなく、不明を恥じなければならない。やはり陛下が当用憲法における天皇の地位、権限にあれほど配慮されていながら、それでもなお摂政の否定に言及されたのは、深い意図があると理解すべきではないだろうか。しかし陛下はその「深い意図」を公にはされないであろう。したがって拝察申し上げるよりないのであるが、不勉強なわたしにはそれも難しく、述べられることは限られているが、二、三書き残しておきたい。
すでに多くの識者に指摘されているのが、陛下は宮中祭祀の削減への対策として、ご譲位を決断されたのではないか、ということだ。戦後、GHQは当用憲法において天皇を「国民統合の象徴」とし、その地位を「国民の総意」に基づくとしたうえで、神道や日本神話との関係を絶つことに血道をあげた。その一つに「神道指令」があり、その結果宮中祭祀は国家的儀礼から、「天皇家の私事」へと変更された。
変えられてしまったのはそこだけではない。皇室典範は、戦前は憲法と並立した存在であったが、戦後は憲法下にある一法律に改められた。なおかつ、皇室典範の下位にあった天皇や皇室に関する法律、いわゆる「皇室令」「宮務法」はことごとく廃止されることとなった。「皇室令」は皇室、家族等に係る法律の総称で、帝国議会は関与せず定められた一連の法体系のことを指す。具体的には、「皇室会議令」、「摂政令」、そして「皇室祭祀令」などがある。「皇室祭祀令」は祭祀の日にち、儀礼等について定めたものである。宮中祭祀は「天皇家の私事」とされたために、公務としての法的根拠をGHQに失わされているのである。
昭和天皇の御代の最後期には、宮内官僚が暗躍し、祭祀を簡略化、形骸化、廃止すべく動いていた。それへの対抗策として昭和天皇もたびたび「ご譲位」を口にされていたという。平成の御代になっても、今上陛下が体調を崩された際に真っ先に削減されるのは宮中祭祀であるという。
これらの事象は、官僚がイデオロギー的に宮中祭祀を疎ましく思い、廃止に走ったというだけではない。既に述べたように、皇室の「私事」としてすでに公務としての法的根拠を失っている宮中祭祀は、法的根拠のある他の公務より軽んじられるのは、官僚が機械的に事務作業を行うだけであったとしても、有りうべきことなのである。宮中祭祀は皇室と国民の信仰的、精神的結びつきを考えるうえで欠くべからざる行事であるが、このようにして徐々に形骸化されつつあるのである。
ところで、有識者会議では一部委員が「摂政」を提案しているわけだが、しかし摂政に関する規定も戦前の宮務法にあったにもかかわらず、それが失われているということは、摂政を設置することは法整備を行わなければ実質的にできないということである。現状、摂政は「公務を代行する」という程度の規定しかないが、戦前の宮務法では、「摂政は憲法改正の発議ができない」など、天皇の権限との違いも明確に定められていた。そうした体系が閉ざされてしまったのである。
このたびのご譲位の思し召しは、陛下の健康問題に矮小化して捉えられてはならない。それらは単なる引き金に過ぎない。戦後ほとんどの日本国民が見て見ぬふりをしてきた皇室に関する法制度の破壊が、これほど問われている事象はないのである。戦後日本人が伝統の保持を皇室にのみ押し付け、GHQに毀損された法制度は触れず、経済成長に邁進してきたツケが噴出したのである。
この問題は摂政でも特措法でも解決できる問題ではない。また、単に陛下のご意志でご譲位を可能にするだけで解決する問題でもない。日本人にとっての皇室を改めて確認し、法制度としては皇室典範を戦前のように憲法の外に出た存在として位置づけなおし、宮務法の体系を復活し、当用憲法の破棄ないしは無視が必ず必要となる。そのうえで、ご譲位を可能にするのであれば、宮務法の体系に、戦前にはなかった「太上天皇」の規定を設けなければならないのである。もちろん「摂政」を置くという選択をしたとしても同様である。
既に述べたように、宮中祭祀は、さまざまな変容がありながらも、記紀や民族信仰に端を発する、ご皇室と国民の民族的信仰的紐帯というべき最重要事項である。それを歴代陛下や皇族の努力に押し付けることはその性質にふさわしくないことである。今回のご譲位に関する事態でまず最初に議論されなくてはならないことは、戦後における天皇の位置づけの異様さを認識し、それにもかかわらず歴代陛下の努力によってかろうじて伝統を繋いできた事態に深く思いを致したうえで、「皇室令」「宮務法」の体系を速やかに回復すべく制度を整えることである。
本土決戦論―敗戦の日を迎えるにあたって―
今年八月に書いた没原稿を掲載する。
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日本人の心
わたしにとって切実に論ずべきこととして心から離れないことは、日本人の心の問題である。経済成長がかくも日本人の心をむしばみ、日本社会を堕落させてしまったことに対するやるせなさである。「インバウンド」とか「爆買い」と言って誤魔化しているが、いまや日本は、外国人の購買力に依存し、彼らの無尽蔵な欲望を満たすことでかろうじて経済を維持しているのである。その意味では、「Tokyo」とか「Osaka」と言った経済圏は、意外にしぶとくその命脈を保つのかもしれない。だが、日本の伝統や、共同体や、民族性はどうだろうか。既に過去の遺物となってしまったのだろうか。
日本人はもう、伝統や先例、因習を頑なに守っていこうという意志を持たない。生活の便利さの追求は世を挙げて行われ、信仰心も薄く、共同体意識も弱い。微弱になった信仰の代わりに、数々の電化製品やレジャーが入り込み、便利ならそれでよし、楽しければそれでよしとなり、国はただの市場と化した。市場は、文化も伝統も民族性も破壊しながら、カネは天下の回りものとばかりに、今日も空転し続けている。
なぜ、いつから日本社会はこのように堕落してしまったのだろうか。そして、われわれがこの堕落から立ち直る方法はあるのだろうか。わたしは、本土決戦にそれを探る鍵があるのではないかと考えている。
本土決戦の経緯と「心法」
昭和二十年夏、わが国の戦局が思わしくない中、軍部は日本本土における地上戦を構想するようになる。國體護持を目的として、大本営を松代に移し、連合国軍の上陸に備え始めた。連合国軍が侵攻してきた場合、出来る限り抗戦して敵の消耗を図りつつ、侵攻してくる敵を日本本土深くまで誘い込んだ上で撃退するというものだ。
昭和二十年四月から沖縄戦が開始され、六月には沖縄がほぼ占領される。七月にはポツダム宣言が出され、降服が現実味を帯びてきたが、はたして國體が護持されているのか不明瞭であったために、国内でも降服すべきか論争があり、受諾しないでいたが、原子爆弾の投下を受けて降服することとなった。
日本の降服に当たっては、断固降服すべきではないという一派が存在した。彼らは戦争の続行を主張し、クーデターを計画したが失敗に終わっている。俗に宮城事件という。彼らはなぜ戦争の続行を主張したのだろうか。クーデターの中心人物の一人である井田正孝中佐の手記がある。長いが引用したい。
国敗れんとするや常に社稷論―すなわち「皇室あっての国民、国民あっての国家、国家あっての国体である」となし、国体護持も皇室、国民、国土の保全が先決なりと主張する。唯物的な国家論―なるものがある。社稷論は敗戦の寄生虫であり、亡国を推進する獅子身中の虫である。
社稷論第一の誤謬は、形式的なる皇室存続主義にある。形骸だけを残して精神を無視するものである。皇室の皇室たる所以は、民族精神とともに生きる点にあるがゆえに、精神面を没却した皇室には、意義も魅力もないことを深く考察すべきである。さらに彼らの出発点は、皇室の名を利用する自己保存であることを看破せねばならぬ。
社稷論第二の誤謬は、機械主義的な敗戦主義にある。開戦に当たっては傍観的あるいは逃避的態度を取り、戦局の推移につれて、第三者の立場から戦争を批判し、国民戦意の喪失にこれ努めたのである。その言うところは皇室の存続であるが、真の狙いは国家の面目よりも、物質的な生活苦ないしは戦争の恐怖に対する利己心以外の何物もない。
さらに戦争を挑発しながら、敗戦主義を指導した一派のあることを忘れてはならない。かくて、社稷論は軍人を除く上層階級に瀰漫し、さらに平泉学派も節を屈してこれに参画するに及び、神州不滅論は大転換を見るに至った。
(田々宮英太郎『神の国と超歴史家平泉澄』180頁からの孫引き)
彼らは皇室も国家も単に存続するだけでは駄目で、「形骸だけを残して精神を無視するものである」ものであり、民族精神とともに生きなければいけないという。彼らは勝算などまるで問題にしておらず、ただ「民族の精神」、「国民戦意」、「国家の面目」を失わないようにするため、戦争の継続を主張したのだ。
桶谷秀昭は「本土決戦といふのは、一億総特攻の思想であり、日本国民の生命のすべてを挙げるだけでなく、日本列島そのものを特攻とする思想である。/これは戦術とか作戦構想の名にあたひするであらうか。それは戦法といふよりは心法である。」(桶谷秀昭『昭和精神史』587頁、/は改行)と評している。本土決戦は作戦の問題ではなかった。後に残された日本人の精神(=「心法」)の問題である。
本土決戦以外にも、作戦の問題ではなく後に残された日本人の精神の護持を目的として立案されたものに、特攻がある。特攻作戦の発案者とも言われる大西瀧治郎は「この神風特別攻撃隊が出て、しかも万一負けたとしても日本は亡国にならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる」「ここで青年が起たなければ日本は滅びますよ。しかし青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」と言ったという。大西のこの発言は、軍事的効果のみを考えたのでは全く理解することはできない。しかし、戦闘の勝敗を超えた「日本人の存続」を考えたとき、どうしてもなされなければならぬ作戦であった。
戦後、茫然とした日本人
結果として言えば、本土決戦は沖縄を除いてなされなかったと言ってよい。それが現在まで残る沖縄の「捨て石にされた」という意識の所以であろう。
沖縄戦は凄惨な持久戦となり、多数の犠牲者が発生した。沖縄にのみ自国民と領土を犠牲にする選択を負わせる結果に終わったことで、戦後、沖縄は本土が主権を回復した後もアメリカに占領されることとなり、今も多くの米軍基地が残ることとなった。それ以上に問題であることは、現代の日本人がこうした経緯にほとんど無自覚なことである。特攻は後生の日本人のための貴い犠牲だと考えることはできても、沖縄に対してもそのような目で見ることができる人は、残念ながらほとんど稀なのである。
戦後の日本人が敗戦により茫然とし、それが落ち着いたときに、まるで敗戦を見ないようにするかの如く経済大国の実現に邁進したことを丹念に取り上げる論客に、桶谷秀昭がいる。
桶谷は「昭和二十年八月十五日の正午」には、敗戦による茫然自失の感覚がかつてはあったが、「この嘘のない純粋な感触の記憶は、やがて戦後の新文学の高い声に吹き消されたかのやうに、人の記憶から失はれた。かういふ記憶を抱いて生きるといふ生き方をしなかつた。/それが日本列島の美しい海浜を埋め立て、石油コンビナアトを建て、経済大国を実現する本能に駆り立てられた生き方であつた」という((「近代日本人と道」『時代と精神 評論雑感集 上』31頁/は改行)。
また、「敗戦時の空白と寂しさがわたしに教えたものは、体制であれ反体制であれ、およそ支配イデオロギーはその中核に決定的な虚偽を隠蔽して、のさばるということである。そしてその虚偽を見抜くのは、すべての橋を焼き、己一個の生存の暗い根底に立ったときである。敗戦時の感慨は、国破れて山河あり、であった。戦後二十五年の今、国は復興して山河は滅びようとしている。公害だけではない。われわれの内なる日本の滅亡である。これがほんとうの滅亡ではないか。」と記している(「八月十五日の記憶」)。
「内なる日本人の滅亡」を問題とする桶谷の議論は、後生の日本人のために本土決戦や特攻が必要だと考えた先人と、深く魂で通じ合っているように思われる。
現代人の心性について
日本は本土決戦を行わず敗戦という選択をした。これは皇室の国民とともにある姿勢、国民の犠牲を避けようとされる叡慮、国民と日本文化さえ残っていれば、日本は必ず甦るという確信と、さまざまな思いの果てに決断されたであろうことは疑いようがない。世界史においてたびたび繰り返された、国王がさっさと亡命してしまう事例などよりもはるかに偉大で崇高な態度であった。しかし物事には裏表があるものであり、やはり本土決戦を行わないことによって、「生き延びられればそれでよい」という観念を植え付けはしなかったか。醜の御楯となる誇りは忘れ去られてしまい、現代人はいきなりその感覚を取り戻すのは難しくなってしまった。少なくともその感覚を持てない自分を恥じ入ることから始めなくてはならない。
「特攻隊員の犠牲のおかげで今の経済発展がある」と言われることがある。坂口安吾ではないが、「嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!」と叫びたくなる。特攻隊員は、家族、故郷、生まれ育った自然のために命を散らしたのであって、その故郷を荒廃させ、自然をショッピングモールに変えた我々の堕落した生活なんぞのために命を散らせたのではない。特攻隊員は、我々が豚のように肥え太るために命を散らせたのではない。われわれはむしろ、祖国のために命を懸けた彼らを裏切ることで日々を生きている。その罪悪感から逃れることはあってはならない。
靖国神社は信仰的施設である。信仰とは特定の宗教を指すものではない。信仰とは己の一身を超えた大いなるものへの帰依である。靖国神社に宗教性があるかどうかは何とも言い難い。国民儀礼とも言えるからだ。しかし間違いなく信仰性はある。信仰とは先人の声を聴き、己の生き様を省みることである。その意味で靖国神社はまさしく信仰的な施設である。靖国神社はむしろ「○○が叶う」と言った現世利益を売りにした宗教施設よりもはるかに信仰的とさえ言えるのかもしれない。靖国神社への参拝は現世利益と言うよりも、むしろ現世否定と言ってもよい。靖国神社に眠る英霊より祖国に献身した人間は、今生きている人間には一人もいないからだ。祖国に献身した生き様を突き付けられ、欲望に塗れただらしない自らの生活を恥ずかしく思い、せめて一つだけでも英霊に恥じぬ行いをしようと努めようと決意する場所が靖国神社なのである。
後生に伝えるべき日本人の魂
日本人が一致団結し、祖国防衛の魂を全霊で発揮しなければならない。そのような危機感を心底抱かねば、独立を維持していくことなど到底できない。形式上の独立は保てるかもしれないが、強国に蝕まれて手も足も出ない姿しか許されないであろう。
強国のどこかに従っていれば、政府や市場は残るかもしれない。だがたとえそこに政府や市場が残っていたとしても、祖国に魂をささげる人が残らなければ、それは死んだ国である。われわれは生きながらえるだけではなく、日本人の魂を後生に伝えなければならないのだ。
一介の草莽として論ず
儒書の中でも基本の部類に入る本に『孝経』がある。儒学は独裁を擁護する思想のように言われることもあるが、それが間違いであることは『孝経』を読めばよくわかる。『孝経』は親子関係だけではなく、君臣間の関係についても語った本である。
『孝経』の「諫争章」では、子は父の言うことにそのまま従うのが孝だろうか。そうではない。諫めてくれる人がいるから道を違わないのである。君臣の関係も同じであり、不当、不善、不正があれば必ず子は親に諫言しなければならない、臣は君に諫言しなければならない、と言っている。ここで重要なことは上位者の絶対化を禁じていると共に、君臣間と家族間を同様にみなしているということである。この家族主義的国家観は東洋に独特のものであり、欧米流の社会契約的国家観とはまったく質を異にする。日本ではこのような有機的国家観のほうがなじむと思われるが、それは日本人の伝統にこの家族的国家間が根付いているからである。例えば穂積八束は国家と国民の関係を、個人が契約を結ぶような社会契約的国家観ではなく、家族のような国家となることを望んだ。
皇室に対しての諫言を不敬だ不敬だと騒ぎ立てるよりも、皇室の問題点を進んで指摘するのが本当の忠である。余りにも不敬だと騒ぎ立てすぎれば、あえて危ない橋を渡り皇室に諫言をなすものはいなくなってしまう。そのとき皇室は裸の王様となってしまい、ゆっくりと衰微していくであろう。そのようなことがあって良いはずがない。
天皇陛下が諫言を善しとしなければ、進んで罰を受ける覚悟は持つべきであろう。だが同時に周りがご叡慮も明らかになる前から勝手に忖度し、不敬だと騒ぎ立ててつぶそうとするのは如何なものか。それこそ陛下の御簾に隠れて人を撃つ類の人間であろう。敬不敬の前に一介の文人としてあなたはどう考えるのか。わたしが関心を持つのはそこである。
皇室への言及を「言論の自由」などというつまらぬ概念で正当化すべきではない。何を言ってもよい言論の自由などこの世にいまだに一度も現れたことなどないではないか。皇室に限らず、ある種のタブーがあるのはむしろ当然のことである。しかし、たとえ一部敬を欠く表現があったとしても、その者が皇室の永続を願う限りその言葉は尊重されるべきである。言葉狩りから何かが生まれることはない。
人の言葉を抜き出して、不敬だ反日だと騒ぐのは運動家の理屈である。わたしは運動家は信用しない。運動家に真摯な思索などあるはずがない。
読者はどう思っているかわからないが、自己評価としては「歴史と日本人」は皇室の話題が少ないと思う。出てきても、それは皇祖皇宗から続く日本の伝統と文化、民族の信仰を体現する存在としての皇室、天皇であって、具体的な人格を持った天皇についての言及はほとんど行っていない。それをもって「お前は西尾幹二に影響を受けた天皇抜きのナショナリストだ」と言われたこともある。西尾幹二の影響は否定しないが、たぶんわたしも西尾氏も「天皇抜きのナショナリスト」ではない。まず一介の草莽としてどう考えるかを重んじているからである。
頭山満は「一人でいても寂しくない男になれ」と言ったが、ある者の権威に寄りかかることは、一人になれない人間になるということだ。これに関してはわたしも自分ができているかは心もとないが、少なくともそうあるべきだという廉恥は備えているつもりである。
まず日米同盟から改めよ~日米同盟の抜本見直しと憲法改正の順逆を問う~
※本稿は某誌に寄稿するために作成したものだが、残念ながら掲載が叶わなかったためここにアップする。
―――
憲法を改正し、集団的自衛権を確立していくことで日米同盟を対等に近づける―。いわゆる「保守派」が描く対米自立への道筋である。だが、そのような道筋を取るべきではない。まず日米同盟から改めるべきなのだ。
日米同盟を改めようとする議論を、「非現実的」だと黙殺してきたのが戦後日本の「保守派」の姿である。だが、独立心を失った防衛論など強者への売国的阿諛追従にしかならない。戦争末期に竹槍で闘おうとした先人や、特攻で敵艦に突撃した先人を戦後の人々は嗤ったが、竹槍を嗤う心情とアメリカの庇護のもと平和を貪る心情には共に見落としていることがある。たとえ勝てなかろうとも相手に傷一つは負わせてやる、日本人の怖さを思い知らせてやるという感情こそが祖国防衛の源泉なのだ。それを抜きにした安全保障の議論こそ空論である。安全保障の問題を軍事力と経済力の問題に矮小化してはならないことは、近年のわが国の対米外交がまざまざと見せつけているではないか。
対米屈従の外交
小泉内閣がイラク戦争に賛同し、戦争協力に踏み切ってからというもの、日本政府の態度は常にアメリカに寄り添うものであった。この間にわが国の総理大臣は何人も変わっているが、皆ほぼ一様に「テロとの戦い」等、アメリカ政府が述べる「戦争の大義」を繰り返したに過ぎなかった。そこには苦悩も感じられず、自らの言葉すらも失ってしまった姿がある。なぜわが国の首脳はそのような態度に出てしまったのだろうか。日米同盟という祖国の防衛をアメリカに委ねる政策が、国の根本的進路を自ら選択できなくさせているからである。軍事力とは、国家が持つ牙である。牙を失った日本は、自らの生き様を決める力すら失ってしまったのだ。
アメリカがイラク戦争でフセイン政権を倒したころから、イスラム世界には無秩序が一層広がり始めた。当時、ブッシュ政権は「フセイン政権を倒せばイスラム世界に民主化がドミノのように広がり始める」と薄甘い楽観論を述べていたが、ドミノのように広がったのは「民主化」ではなく「無秩序」や「憎しみ」の方であった。フセインを倒し、ビンラディンを倒し、カダフィを倒したが、中東から無秩序と憎しみの連鎖が断たれることはなかった。アルカイダの次はISILと、イスラム勢力は過激化する一方ではないか。アメリカは泥沼化した戦争に入り込んでしまったのである。グローバル資本に搾取された欧米のイスラム系移民の憎しみと、戦争により平穏な生活を失った中東・アフリカの憎しみが結びついて起きたのが一連のテロ行為である。最近でもパリで同時多発テロが勃発し、120人以上の死者を出す事態となっている。
日本はアメリカとともにイスラム世界に無秩序や憎しみをもたらした張本人であるということを忘れてはならない。しかも、さしたる使命感もなくただ保身のためだけにそのような選択をしたということを、胸に刻み付けるべきだ。
陸羯南が唱えた国際競争の原理、日本の使命
明治時代に国民主義を唱えた陸羯南は、明治二十六年に「国際論」を著している。「国際論」とは、国家同士の侵略、被侵略がどのようにして起こるかを示したものだ。「国際論」で重要なのは、国際競争は決して軍事力や経済力だけではなく、国民精神や国の使命を基に考えないと属国化されてしまうことと、欧米偏重の世界観を正すことこそが日本の使命だということである。
陸は侵略の形を「狼呑(領土侵略)」と「蚕食(属国化)」に分類し、日本人が朝野こぞって欧米に憧れを抱くことそのものが、属国化の始まりであると警鐘した。陸羯南をはじめとする明治二十年代の国粋主義者たちは、当時の明治政府が鹿鳴館外交など欧米列強に媚びる政策ばかりすることに憤りを感じ、立ち上がった人々である。彼らは「欧米にペコペコしているやり口はけしからん」と言いたかっただけではない。欧米の顔色を窺う藩閥政府には日本の未来を決めることができないと感じたのである。
陸は「国際論」で次のように論じている。国際競争とはどういう意味かと問えば、おそらくは軍事力と経済力の争いであると答えるであろう。だが、軍事力と経済力が足りていれば国は安泰なのだろうか。もし輸出入の増加、人口の増加などを以て国の発展だと言うならば、欧米列強の傘下に入ってしまえば日本の繁栄は成し遂げられるだろう。だがそれではいけない。国際競争は軍事力や経済力の競争ではなく、国民精神の競争なのだ。人に使命があるように、国にも使命がある。国の盛衰は国民全員が国の使命を理解するか否かにかかっている。古今東西の歴史を鑑みれば、国の使命と言える思想がその国の元気を左右するのは議論の余地がないではないか。日本の使命は八紘為宇にある。日本の皇化を世界に広め、世界の公道を明らかにすべきだ。日本文化を保持し世界文明の発展に寄与すること、国際法などの欧米偏重を正すことだと述べている。
このような陸の意見を参照するたびに、つくづく考えさせられることがある。現代では経済成長に気を取られて国民精神をなおざりにした政策がとられることがある。TPPでは農業や医療などに市場原理を適用し、共同体が破壊されようとしている。アベノミクスでは目先の株価や為替の動きに一喜一憂し、日本の果たすべき使命など全く忘れ去られている。このような事態に痛憤を感じないのであれば、いっそ日本をアメリカの州の一つに加えるように要望してはどうか。そうすれば公用語は英語になりグローバルに活躍する人材も出て、日米間の関税も非関税障壁もなくなり、一層の経済発展が見込めるのではないか。それでもいいと思っている人たちと、わたしは口をきく気にもなれない。日本の独立を守るために精一杯生きた先人たちに申し訳が立たないと思う。
独立を守る態度
イラク戦争以降、アメリカのいう「大義」にただ付き従ったわが国の在り方は、果たして国の独立を守る態度なのか。自ら政策を選択する言葉すらも失った政府首脳のやり方は、もはや「外交」と呼ぶに値しない。そして、安倍内閣に期待する人の中には憲法改正を唱える人もいるが、外交的進路さえも自らの言葉で語りえない今の政府に、国の根幹を示す憲法を描くことなどできるはずがない。もし、現状のやり方が改められることがないまま憲法が改められるとすれば、それは更なる属国化の表明にしかならない。幸い、日米安全保障条約はどちらかが「更新しない」と言えばそこで終わる。そうなったとき日本人は、アメリカに依存せず自国を防衛する方法を考えなければならなくなる。その時「日本国憲法」などというものは自然に改められるに違いない。アメリカにとって、日米同盟体制とは極東戦略の拠点構築であるとともに、日本を封じ込める「ビンのふた」としての役割を持つ。いつまでもアメリカに封じ込められる生活に甘んじていて良いはずがない。「戦後レジームの脱却」とは日米同盟を改めることだ。
いわゆる「保守派」は、「憲法改正」をまず成し得べき課題であるとしてきた。そのうえで日米同盟をより対等に近づけることを理想としてきた。そういう人々は、「日米同盟をなくしてしまったら、他国から侵略されるではないか」、「自国の軍事力だけで防衛するのは費用対効果の面で適切ではない」といった意見を述べることだろう。だがこうした議論は根本的なことを忘れている。「他国に軍事基地を置き、軍事的に依存させる同盟は、そもそも「同盟」の名を借りた侵略なのではないか」ということだ。そして、陸羯南も述べていたように「日本には国際的使命はないのか。日米同盟を重んじるのは、軍事力の多寡のみに囚われて国が持つ使命をなおざりにしていないか」ということである。明治時代の日本と欧米諸国の軍事力の差は、今とは比較にならないくらい大きかった。それでも陸は、欧米との同盟よりも日本の使命を第一に考えた。欧米に対峙しろという、断崖から飛び降りるような覚悟がなければ言えない科白を吐けたのは、日本人が一致団結し、祖国防衛の魂を全霊で発揮しなければならないという危機感である。欧米のどこかに従っていれば、政府や市場は残るかもしれない。だがたとえそこに政府や市場が残っていたとしても、祖国に魂をささげる人が残らなければ、それは死んだ国である。われわれは生きながらえるだけではなく、日本人の魂を後世に伝えなければならないのだ。
日本の使命
わが国はキリスト教が深く浸透した欧米社会とは異なる。そしてアジアを防衛するために立ち上がった歴史を持つ。現代における日本の使命とは、宗教による対立を止揚し、世界文明の発展に貢献することだ。八紘為宇とは日本による世界征服ではない。各自が道義的感化のもとにあるべき場所を得ることである。中立的立場からイスラム過激派の活動を抑制するとともに、憎しみの連鎖を断ち切ることは日本にしか果たせぬ偉大な仕事である。そのためにはまず日米同盟を改めることが必要だ。アメリカの顔色をうかがうような国に果たせることは少ない。
先人の生き様はわれわれに強く問いかける。「日本に果たすべき使命はないのか。わが身の安全ばかりで祖国の魂は守ることができるのか」。現代の日本人はこれに答える必要性を痛感すべきだ。わが身の安全が守りやすいというだけのことを簡単に「現実的」だと言ってはならない。日本人の魂の輝きがなくしていかなる現実がありうるのか。使命を心に抱かなければ、いのちを見失ってしまう。われわれが将来の日本人に残すのは安全なだけの日本なのだろうか。
戦前の農本主義者である権藤成卿は「理想の実現のために軍閥に期待すべし」という自らの支持者に対し「政党や財閥が汚いのは無論だが、軍閥も汚い。綺麗なのは皇室とそれを戴く国民だけだ。わたしはただ綺麗なものが欲しいのだ」と述べた。自分が自分を支配しなければならない(自治)と述べる権藤に対して、支持者は新たに自分を支配する権力者を見つけたがっているだけだ。だが、己の良心は誰にも支配することができない。良心を信じず権力を信じる心から米国などあらゆる強者への屈従が始まっていくのである。
三島由紀夫は「反革命宣言」で「日本の文化・歴史・傳統」を護った上であらゆる共産主義に反対することを宣言した。その上で、「われわれの反革命は、水際に敵を邀撃することであり、その水際は、日本の國土の水際ではなく、われわれ一人一人の日本人の魂の防波堤に在る」と述べた。現在はあの頃と違い日本が共産主義化する可能性はなくなったといってよい。しかし「日本の文化・歴史・傳統」や「日本精神」があの頃よりわれわれの身近な存在になったかといえば、必ずしもそうではない。共産主義化する脅威がなくなったのはあくまでも共産主義国家の自滅によるものであり、「日本精神」が勝利したわけではない。インターナショナリズムが抜けた空白はグローバリズムという新たなイデオロギーにより満たされている。三島が闘うべきと考えた「水際」は、日本の国境ではなかった。日本の国境は守られた。だが「日本人の魂の防波堤」はどうだろうか。経済発展に毒されて、「魂の防波堤」はどこかに置き忘れてしまったのだろうか。
読むとは、新たに書き直すことだという。先人の言葉に、生き様に触れた瞬間、われわれはもう自分がいかなる言葉を残すか試されている。われわれが後世に残すべき言葉や生き様は、どういう姿だろうか。使命を自覚する日本か、アメリカに遠慮し尻馬に乗るだけの日本か。問題は常にわが国の側にある。国際社会の力関係に囚われ、「アメリカに同調しなければ国が保てない」と委縮し、魂の声を聴くことを忘れている。同盟は作戦の共有であっても、一蓮托生の運命共同体ではない。同盟を口実にしたアメリカの内政干渉を非難しても仕方がない。それは国際社会の常套手段だからである。
われわれに必要なのは、日本の使命を自覚し、そのために何が必要なのかを考え、発信していくことである。わたしは日米同盟を改めることが、今の日本の状況を打開するために必要だと考える。憲法改正はその後の課題である。わが国が真の意味での独立を達成し、使命を果たしていくことが喫緊の課題なのである。
「旧皇族の子孫」という女系的存在
折本龍則氏が「崎門学報」の中で「時論」として皇位継承について書かれている。その記事はこちらから見ることができる。わたしも皇位継承についてはこのブログで何度か書いたことがあった。折本氏に触発され、わたしも皇位継承について書いてみようと思う。
まずわたしの意見と折本氏の意見の相違点を整理しておく。
同じ点
・安倍内閣がわが国の宰相として皇位継承の問題に方策を講じないのは怠慢の極みである。
・現状のままでは皇位継承は大変危機的状況にある。
・わが国は有史以来男系の皇室によって継承されてきており、女系に皇位継承範囲を広げるべきではない。
違う点
・戦後臣籍降下した11宮家を皇籍に復帰、場合によっては養子に迎えることで皇位継承させるべき。
⇒あってはならないことである。
同じ点は重複するので説明するつもりはない。違う点だけ述べておきたいと思う。
もっともこの問題はいくつかの事項を指摘するだけで了解しうることである。
1.戦前の典範においても「旧皇族」は臣籍降下されることが決まっていた。
2.「旧皇族」でご存命の方はいらっしゃらない。皇位継承の議論で取り上げられているのは「旧皇族の子孫」である。
3.「旧皇族」よりも今上陛下に男系として血統が近い方がいる。
4.3.により「旧皇族」が皇位継承者になりうると考えるのは「旧皇族」が明治天皇と母系でつながっているということを根拠とした女系的発想である(したがって女系論者こそ「旧皇族」の皇位継承を主張するのが自然である)。
1.2.はよく指摘される事項なので、3.と4.を解説したい。
3.の「旧皇族」よりも現皇室に男系として近い人物。それは近衛家などである。戦国時代~江戸初期に天皇家から養子に行っているのである。「皇族に養子を迎える」ことを主張するならば「皇室から養子に行った方」も考えなければならないだろう。まさか近衛家に皇位継承資格があるなどとは言うまい。そうするとなぜ近衛家でなく「旧皇族の子孫」が対象となるのだろう。わたしには「母方が明治天皇に繋がっているから」という理由しか思い浮かばないのである。これは立派な女系継承ではないだろうか。
もっと言おう。「旧皇族の子孫」に皇位継承資格があるというのならなぜ細川護熙氏には皇位継承資格はないのだろうか。それともあるとお考えなのだろうか。細川家は源氏の家柄で、平安時代にまで遡れば皇室につながる家柄である。なぜ室町時代はよくて平安時代はダメなのか? 武田信玄に皇位継承資格はあったのか? 吉良上野介や今川家、島津家にはあるのか? 蘇我氏は武内宿禰の子孫とも言われるが、皇位継承資格はあったのか?(現代の歴史学では怪しいと言われているが) 小野妹子は敏達天皇の皇胤だとか孝昭天皇の子孫とも言われるが、皇位継承資格はあったのか? そしてなによりも、足利高氏や足利義満に皇位継承資格はあったのか? 大げさな言い方をすれば、これは日本史の破壊ではないだろうか。意外にも「男系男子」というだけでは皇位継承候補者は日本史上にあまりにも多いのである。
わたしは公にするかしないかはともかく、現皇族に側室を持ってもらうことでしか行為の安定継承は成し得ないと考えている。
なお、皇位継承について陛下のご聖断を仰ぐべきという意見があるが、臣下の間で議論百出して煮詰まったうえで陛下にご聖断を仰ぐというのであれば賛成であるが、大した議論もせず陛下に決めて戴こうというのであれば、これは臣下たる者の責任の放棄ではないかと思う。