日本人の精神は「開発」と「経済成長」に毒され続けた。「自然」と「信仰」に対する敬意は、常に後回しにされた。その起源を探れば、冷戦も大きいと思うが、やはり文明開化にまでさかのぼっていかざるを得ないだろう。日本は生き残るために開国し、近代文明を受け入れた。それは他の選択肢を取りようがない状況だったが、結果的に物質的生存が重んじられて精神の生存が軽んじられた側面は否定できない。このことは常に指摘され、国粋主義者などによっても見直しが叫ばれてきたことも知っておくべきだ。大地に根差す思想でなければ日本の伝統を真に受け継いでいるとは言えない。グローバル化、消費社会化の今日の状況下で、文化、伝統を考えようとすれば、大地に根差す思想とは何かということを考えないわけにはいかないのではないか。
「日本」と言う境界は、誰かが突然地図上に線を引いてできたものではない。さまざまな歴史的経緯によっていつの間にか生まれ、それを近代政府が追認していったものだ。つまり「日本国民」であるという条件は歴史的、伝統的に定められたものであり、我々はその大きな歴史的流れの中に乗っている存在である。柳宗悦は、日本の地図はいつ見ても見飽きないと言う。山も川も、平野も湖も、島や岬、港や町もすべて歴史を持っているからである。地図はいつでも祖国への愛着を呼び起こさせる。その国に生まれた運命に、感謝と誇りを持つことが務めではないか、と言う。柳のライフワークとなった民芸も、その土地の気候風土を離れて存在し得ないものであるとみていた(『手仕事の日本』岩波文庫版15頁)。
地理は単に国籍や歴史を分かつ境界線ではない。地理的制約は文化的制約であり、生活的制約でもある。地理は文化を分かつ境界線でもあるのだ。江戸時代に『人国記』が著されるなど、風土と文化の関連は早くから関心がもたれていた。古くは『風土記』などもその一種と言えるのかもしれない。
日本は古くは葦の生い茂る沼地だったという。それを少しずつ耕作地などに作り替えていったのが日本の歴史だった。日本人が米という田を必要とする作物の栽培を重んじたのもそれと無縁ではないだろう。松本健一は、「日本、台湾、中国南東部、インドシナ半島、ボルネオ島(カリマンタン島)、インドネシア、そしてバングラディシュ、スリランカ、東部インド」を「泥の文明」と見做す。「泥の文明」においては、「生命を生む、人智を超えた畏るべき力を持っている根源は泥である、という世界認識になる。人間も、その中から生れてくる」という(『砂の文明 石の文明 泥の文明』岩波現代文庫版105頁)。水分の多い泥土が多くの生命を育むことから、畏きものとして泥から神々が生まれてくるという世界観を持っているのではないかと指摘している。
その他にも、風土を以て日本の文化的特徴やナショナリズムの根拠と為す議論は多く見出すことができる。浅羽道明は『ナショナリズム』で、『日本風景論』を使って国土、国民が運命共同体であるという物語が作り上げられたことを論じた(92~115頁)。志賀は確かに日本の風景を「夜郎自大」に誇っていたが、それは国籍のない客観的分析として誇っていたのではなく、一人の日本人として日本の風景に誇りを感じるという自己表現でもあったことを忘れてはならないのではないか。ただし、志賀のほうも、「日本人が日本江山の洵美をいふは、何ぞ啻にそのわが郷にあるを以てならんや、実に絶対上、日本江山の洵美なるものあるを以てのみ。外邦の客、皆日本を以て宛然現世界における極楽土となし、低徊措く能はず、自ら 花より明くる三芳野の春の曙みわたせば もろこし人も高麗人も大和心になりぬべし 頼山陽 の所あらしむ」(岩波文庫版14頁、改行略)と、「日本人だから日本の風景に美を感じる」という側面を自ら拒否して、日本人でなくとも世界的に素晴らしいものだと言いたがるところがあった。明治の国粋主義は、日本を国際的に位置付けなければどうしても気が済まない側面があった。それは日本の独立、存亡すら危うかった時代の不安、危機感の裏返しでもある。日本の美は「絶対的」に美であるはずなのに、外国人の評価を気にしないではいられない心情が隠されている。
内村鑑三はそんな志賀の議論を受けて、日本の風景は「園芸的」「公園的」美に過ぎないではないか、と批判し、外国の「偉大な美」には及ばないと論じている(『日本風景論』岩波文庫版付録367頁)。その内村は『地人論』で地理と文化の関連を論じているが、それは、日本に引き付けたものというよりは博物趣味的なところがあったように思う。むしろ日本に引き付けたのは志賀重昂の『日本風景論』であった。志賀は『日本風景論』で、古典文学から様々な引用をしつつ、それを地理的特徴と結びつけることでナショナルなものとして論じるという特徴があった。『日本風景論』はある種の「まとまりのなさ」を抱えた本である。日本の山々の特徴を述べたかと思えば登山を奨励し、日本の風景保護を訴える。統一的な主張はよくわからないがとにかく志賀が日本の風景を大事にしていることだけは伝わってくる。そういうつくりになっている。志賀は理知的に語っているつもりなのだろうが、結局は理知よりも人の情に訴えるところが強い、そんな不思議な本なのだ。先に引いた内村の批判も、批評家の任として触れざるを得ないが、志賀の愛国の情は高く評価するという調子であった。
和辻哲郎は『風土』で、すべての文化、伝統は風土によって形成される面があり、それぞれ独自な価値を持つことを主張した。和辻は、ヨーロッパは夏の乾燥があり、雑草がない。したがってヨーロッパの自然は人間に従順であるのに対し、日本では自然に対峙しなければならないことを説いた(岩波文庫版74~89頁)。
高山彦九郎は、日本の民族文化の固有性を考えるために、日本全国を歴遊し、この地方では何が取れるか、どんな人物が出たのかと言ったことを詳細に調べて回った(松本健一『海岸線の歴史』170頁)。各土地の文物を民族文化、日本精神にまで昇華させようとしたところに注目すべきであろう。同様に、例えば牧野富太郎は日本産の植物に漢名をつけることを激しく嫌った。サクラを桜桃と書くことや、アジサイを紫陽花と書いてはならないと主張していた(『植物記』等)。ここに国学的な態度を連想するのはそう突飛な感想ではないだろう。牧野は植物の生態を民族文化にまで高める部分があったと言えるのではないか。
五木寛之はセイタカアワダチ草に外来のものと日本との関係を見る。セイタカアワダチ草は外来の植物で、既存の日本の植物を駆逐して広まっていき、一時期はセイタカアワダチ草の駆除も行われたが、完全に絶滅させることはできなかった。しかし、セイタカアワダチ草そのものが馴化して、既存のススキなどと共生するようになったという。それに伴い、セイタカアワダチ草はその背丈も低くなり、他の植物を枯らしてしまうようなこともなくなったという(『人生の目的』幻冬舎文庫版188~198頁)。外来のものが、年月を経てその地になじむ過程を五木は植物に見出している。
松本健一は、玄界灘の小島を見ながら、「あぁ、このように白い砂浜をもち、緑の林をもった島の風景がわたしの死後もずっと続くなら、わたしの魂はこの風景のもとに安んじて帰ってくるだろうな、とおもったのである」と言い、海岸線に「民族の心象」、「わが民族のふるさと」を求めた(『海岸線の歴史』202頁)。そして、テトラポットによって砂浜が失われた九十九里浜や、大型の船やタンカーが入るために再開発された、産業用の「人口の港湾」をあさましいとみなすのである(同204~206頁)。
松本は『海岸線の歴史』で、志賀が『日本風景論』で火山を称え、海や海岸線をあまり取り上げていないことを批判する(201頁)。対照をなすかのようにも見える両者であるが、志賀が「小利小功に汲々とし」、「名木」、「神木」を斬り、「道祖神」の石碣を橋に使うような態度は、「歴史観念の聯合を破壊」すると批判した(岩波文庫版321頁)のに対し、松本は景観を考慮しないコンクリートの建造物を、「美しい調和をぶち壊す」「日本人が伝統的に培ってきた美意識や精神の豊かさをぶち壊す」「高度経済成長以降、特にバブル期の日本を象徴する風景」であると批判している(『海岸線の歴史』247頁)。両者とも風景に託しているのは「文化」であり、経済が文化の妨げになる光景を嫌うのである。そして、二人とも将来の日本人の感性の豊かさのために、景観を保護すべしと訴えている。
ところで、松本健一は白砂青松の海岸線に日本のアイデンティティを見たわけだが、柳田国男が白砂青松の光景を批判していることに触れていない。柳田は海の歌、海の絵といえば松の木を点出しようとすることを「古臭い行平式」であると非難し、白砂青松という類の先入主を離れて、自在に海の美を説く必要があるという。海の風景は塩を焼く等で著しい歴史の変遷があるが、以前のほうが美しかった。今のような経済生活が続く限り、遅かれ早かれどこの海も似たような外貌になって、文学の単調を非難し得なくなるという(「雪国の春」『柳田国男全集 2』ちくま文庫版75~76頁)。私は小賢しい知識を振り回して松本を非難したいのではない。松本も必ずしも白砂青松の海岸線であればよいという言い草をしているわけではないからだ。それよりも柳田が経済的理由のために一様になっていく海岸線を見て文学的単調が起こるのではないかと嘆いたように、松本が白砂青松すらなくなってコンクリート化されていく海岸線に「化石となった物語」しか持てなくなる民族的アイデンティティの危機を感じた(『海岸線の歴史』235頁)ことに相似形を感じ、共感したためである。経済や軍事は自然を軽視し、破壊して国を守り、発展させていくためだという。経済や軍事が必要なのはもっともなことである。だがそういったものに常に置き去りにされる自然、そして文学を軽視してはならないのではないか。
自然と人間の間には社会が介在している。自然と人間と社会は三者それぞれ影響を与え合って生きている。自然を軽視するのは社会や人間を軽視するのと同じである。目先の功利によって自然を破壊するとき、そこには社会や人間も忘れ去られており、人はただ利益に使われる存在でしかなくなる。
経済、あるいは軍事などもそうであろうが、そういった政府の自己防衛、自己発展作用は時に文化や民族の誇りをも破壊することがある。なるほど文化や民族の誇りが経済力や軍事力なしに維持できると思うのは、あまりに甘い考えと言わなければならないだろう。だがそれは、経済や軍事による文化の破壊を、見て見ぬふりをする理由にはならない。土地土地の文物も一様化し、自然の心象風景も開発しつくされ、人間の文化や心の豊かさが失われた果てに、いかなる愛国心が描けるだろうか。それは経済力や軍事力を誇るだけのつまらないお国自慢の類ではないだろうか。我々が後世に伝えるべき物語は、このような陳腐化した物語でよいのだろうか。あるいは、すでに失われ化石化した物語を、見て見ぬふりをしてさもあるかのように伝え続けるのだろうか。
政局に近づきすぎると、思想は堕落する。日本人の美意識を、コンクリートが無神経にぶち壊すさまを見ても、それでも経済成長や外国の脅威があるからやむを得ないと思うのであれば、その人は政局に近づきすぎている。
確かに国際政治は結局力と力の衝突である。しかし美意識は我々の実存の問題であり、何を誇りに生き、何を次代に残すかということである。伝統と国益は時に衝突する。伝統、あるいは国粋はかけがえのないものだ。我々はこのかけがえのないものを失って、他に何を守るというのだろうか。
故郷とは単に思い出深いといった正の印象ばかり抱いている場所ではない。泥臭くて、もう帰りたくない、飽き飽きするような嫌気すら抱える場所でもある。それは自分自身に対する印象とも似ている。自己への嫌悪感と似たような感覚で故郷に嫌悪感を抱く。ただ、その嫌悪感を一生切り離せないと達観しているのである。その意味で、今の日本人には「故郷」があるだろうか。たまらなく愛しく、それでいて許しがたい故郷。そんなものは近代画一主義のもと、跡形もなく吹き飛んでしまったのではないか。欧州には今でもコンビニエンスストアの進出を制限し、店舗の深夜営業を禁じている所があるという。地元の商店街を守るためである。故郷を守る気もなく、安直に自由競争経済を肯定しているものにはその論理は想像できまい。自由競争によって、耐え難い故郷の喪失と、どこに行っても同じ風景の悪しき画一化がなされたのである。そのことへの痛みや憤りを持っているだろうか。自由競争社会は故郷に根ざした真の民族主義を破壊してしまったのだ。もしくは、今でも電灯を嫌い、ろうそくの灯りの中で生活するイギリスの伝統主義者をせめて嗤わないでいただきたい。
それは世界単位でも変わらない。いまやアフリカにも高層ビルが立ち並ぶ時代になってしまった。「これが日本だ」と世界に発信しようとしても、思い浮かぶのは高層ビルとマクドナルドと…。どこの国でもあるものばかりになってしまった。もはや故郷は故郷性を失いつつあるのである。それに対して、鋭敏に感性を張り巡らせている日本人が何人いるのだろうか。
故郷の喪失は世界大で見ても民族主義の喪失なのである。地球規模の画一化が米国の手によって異常なまでに進んでいる今日、民族主義は危機に瀕している。徳富蘇峰は「俺の恋人誰かと憶ふ 神の造った日本国」と詠んだ。そうした熱烈な民族主義は、もはや出現しないのだろうか。もっとも、そうした危機状況への反動として、各国で民族主義が強調され始められたということもできなくもない。移民への反発、高失業率がそれに拍車をかけていることは確かである。日本に限らず、各国の「極右」団体は移民の排斥を主張しているのもそのためである。その排斥された移民が、原理主義と結びつきテロ行為に走るという哀しい現実もある。しかしそうした民族主義は自然と結びつくものではなく、単に血縁でだけ結びつく関係である。あまりにも混淆した世界の中で「血」にしかアイデンティティを見出せないのは悲痛な事態と言わざるを得ない。
結論のようなもの
志賀が火山に見出し、松本が海岸線に見出した日本の美。その他さまざまな人間が日本の国土、地理、風景に美を見出してきた。そこに私のようなものが付け加える余地などないのだが、ふと感想のように思うのは、日本の雑草についてである。私は植物に精通しているわけではないが、日本は多湿であり、四季も鮮やかであることで様々な雑草が生育しているということくらいは知っている。
「雑草という草はない。必ず名前がある」という言葉もあるが、あえて私は「雑草」と呼びたい。名など知られぬ草木であっても、そこには生きる場所があるということだからだ。誰も気づかないような場所に咲く花であっても、片隅で懸命に生きる花を摘まない世であってほしい。現代ではどこもかしこもまるで花壇のように、「名のある」草しか生育を許さず、名のない雑草の生きる場所を奪ってきた。しかしそうした「名のある」草しか生きられない世界はきっと生き苦しいに違いない。私が都市部に住むからそう思うのだろうか。それとも、私が雑草を見つける余裕がないだけで、雑草は私の見えないどこかでちゃんと息づいているのだろうか。そんな気もする。
気づけば「小利」に使役せられ、路傍の草花に心動かされるような日常を失っている。そんな日常を失ったとき、私の生命力の強さも失われ、生きるひたむきさを忘れ、ただこなすべきことをこなすことにばかり頭がいっぱいになっている。他人に怒り、絶望し、嘆くばかりで、己の弱さに目をつぶっている。それを文明のせいにするのは不遜な態度なのかもしれない。それでも、この世界ですれ違う人々に路傍の草花を眺める余裕があるようには見えない。そんな余裕があるならもっと働け、もっと稼げ、そうやって文明は発展してきた。人々の人生を、自然を、社会を、文学を置き去りにして。
生きるのはしんどいことではあり、世間はせつなさに満ち溢れている。しかしどこに行こうとも生きられる。道端に雑草が生えている限り。
―――――
◆今後の更新予定
今書き進めている長編物のブログ原稿は以下の通り。
・陸羯南論―「自由」と「国際」に潜む絶望―
・伝統と信仰
・皇室中心の政治論
・蓑田胸喜『国防哲学』を読む
・秩序とは何か
・世界文明のために
・武士と商人
やはりどうしても文献を多く参照するものは時間がかかる。引用するのは大変だし、そもそも文献を買い集めるのだって資金的余裕からつくらなければならない。
愚痴めいたことを書いてしまったが、要するに反資本主義的内容ばかりになってしまっているブログ原稿を反省している。引用が少ないために書きやすいのだ。反資本主義もまた私の考えではあるのだが、そればかりに偏るのは問題だと思っているがなかなか改められない。次の投稿も、今の所ほとんどできていない「秩序とは何か」「武士と商人」あたりのほうが先に出来上がってしまうような気がする。
私は若年に和辻博士の風土・埋もれた日本に接し、そこから谷崎潤一郎の陰翳礼賛に至りました。
それらに風土の固有性を意識させられ、わけても陰翳礼賛には、湿潤で変化多きこの風土性に対立せず、その風土性に融和的に没我してゆく日本人固有の感性を愛することを強く示唆されました。
後に今西錦司〜川勝平太に至る京都学派の一連の論考に接し、風土の個別の特性が、そこに住む者の、文化・歴史・政治のあり方を規定してしまうという考え方を知ります。
以後それは歴史や時事問題に照明を当てる際の重要な光源の一つ、となります。
以上のような背景を負った上で投稿を読ませていただいたので、興味深く。
「風土が文化・歴史・政治等を規定する」。
ゆえに「この地は、この風土に規定された固有の文化・歴史観・政治観を共有する者をこそ、正統の住民とする」。
ゆえに、昨今の「日本の地は日本人だけのものでない」的発言を根無し論として排撃致します。
尺八吹き笑亀 様
コメントありがとうございます。
地理・自然・文化と結びついた正当な愛国心、民族主義を持てないのはとても不幸で、血でしか結ばれない関係の民族主義は悲惨な対立をもたらすきっかけともなりうるものです。
よって「日本の地は日本人だけのものでない」的発言を根無し論とみなすご意見に共感いたします。
今後ともお読みいただけましたら幸いです。
たまたま読んで気になったところがあるので投稿します。自然観には同意するところが多いです。多少論点がずれるのでしょうが、投稿日がそうなので伺いたいのですが、中田さんは大東亜戦争についてはどう考えてますか?こういう破滅的な戦後をもたらしたものとして「も」否定するというのが、一貫した見方になると思うのですが。ちなみにそれは自分の見方でもあります。あまり同意してくれる人は多くないですけど
名無しの保守 様
コメントいただきありがとうございます。
大東亜戦争に対して、肯定か否定かという二元論で語るのは聞く側はわかりやすいですが、話す側にとってはとても誤解されやすく危険な部分をはらむことになります。
以下簡単に私の考えを述べたいと思います。
人類は地球上数多くの戦争を繰り返してきました。その中で大東亜戦争「だけ」もしくは「特に」大東亜戦争を否定する理由はないと思います。むしろ祖国の存亡と(政治宣伝的な要素もあったでしょうが)アジア解放をかけて戦った大東亜戦争にはただただ称える気持ちしかありません。
一方で、本稿のテーマである自然という観点から見ますと少し違うことが言えると思います。大東亜戦争時には「近代の超克」が叫ばれたりするものの、やはり近代戦争でしょう。近代戦争に備えること自体が自然を破壊するものですし、敗戦で焦土となった国土で自然も何もないでしょう。焦土となった国土からの復興=開発という意味でも戦後の産業主義的な世界は大東亜戦争がもたらしたという言い方もできるかもしれません。
しかし、大東亜戦争は文明開化せざるを得なかった明治時代の敗戦経験の払拭という意味合いもあるように思えます。また、戦争は相手がいてこそ始まるものであり、一国の事情だけでは始まるものではないということも押さえておく必要がありそうです。
答えになっていないかもしれませんが以上のような感じです。
〉否定する理由はないと思います 〉ただただ称える気持ちしかありません
目を通した限りの記事は一貫性への強い自負を感じますが、戦争解釈となるとなんか歯切れが悪いし矛盾を感じます。否定する理由なら亡国をもたらしたってだけで大ありですよ。「無条件賛美派」というのは相当刺激的で右の中でも珍しい類ですよね。である割りにはその点を普段から宣明されてないのですか
〉アジア解放をかけて戦った
フィリピンは独立を妨害されたわけですが、その点はどうなのでしょうか?満州ではソビエト軍に襲われた日本人は他の民族から守ってもらえませんでしたが、これは「アジア解放」の実態をよく物語るものではないのでしょうか?
名無しの保守 様
無条件賛美派というか、日本人として否定することはできない、ということです。福田恒存が「大東亜戦争否定論の否定論者」であると言いましたが、そういった感じでしょうか…。
国籍も民族心も関係ない第三者として客観的に判断できるなどというのは幻想でしょう。
戦術的な議論にまで細分化すれば誤りと言わざるを得ないこともあるでしょう。
客観的に素晴らしいと言っているというよりは、日本人としてよくやってくれたというよりないという感じです。
アジアの側も相当打算的で、勝つ方につこうとしか考えていませんでした。
しかし基本的に外交において打算が先に立つというのは国際政治の中では常識の部類でしょう。
日本も例外ではなく、国益の観点から戦争をしなければならないと判断したのでしょう。
しかし第二次世界大戦以降、戦争はイデオロギー戦争という性格も帯びることになります(それ以前も部分的にあるかもしれませんが)。このイデオロギー戦争において私は日本側のほうに共感します。
〉戦術的な議論にまで細分化すれば誤りと言わざるを得ないこともある
歯切れ悪いですね。亡国したんだから戦略の完全失敗でしょう?それを認めないならまた亡国しかない。山本七平は読んでるいらっしゃるようですが、小林よしのりみたいに氏の歴史観については無視なんですか?山本は完全な否定論者ですよね。日本人なら否定できないって、司馬だって山本だって実際に戦地に行った人間として否定しているでしょう。詳しくはないですけど多分福田は行ってないですよね
他にもつっこみどころ多いですけど論点しぼってこれだけにします。
名無しの保守 様
何を以って肯定し、何を以って否定するのかが明確にならない限り意味のない問いです。
山本七平や司馬遼太郎などは合理的な考えを重んじる立場から大東亜戦争を批判的に書いています。
合理的な考えを重んじる立場に立てばそうなるのは当然のことです。
一方で合理では計れないものもある。
また、物量で劣っていたからと言って、とっとと降参すればよかったのか。あるいは最初から戦わなければよかったのか。それならばそもそも国を立てる意味もないし、結局強者に付き従っておればよろしいという考えに行きつくよりない。何を保守するのか、なぜ日本は日本としてあるのでしょうか。
あと、少し気になったのは戦地に行った人の意見が絶対ではないでしょう。所詮戦後になってから書いているわけですし。司馬が書いている戦車にやすりをかけたら傷がついた、この戦争はダメだと思った、なんて話のように、明白に嘘だとわかっているものもありますし。
〉何を以って否定するのかが明確にならない限り意味のない問い
国の存亡≒伝統の継続ということでも否定できるはずですが。まあ、これ以上の議論は並行性かもしれませんね。
ただ、大東亜戦争観に確固たる自信をお持ちではないとことが分かりました。自信があれば普段からもっと旗幟鮮明のはずですし、現に議論していて肯定しきれば論駁されるからはぐらかしているという印象です。中川八洋の後釜を狙ってた岩田とかいうのは、本人が意識してるかどうか知らんがコンプで人種平等を唱えているとしか思えないが、あなたはどうですか
とにかく色々残念でした。もう一皮むけないならこちらが振り返ることもないですから、返答抜きでお願いします。あとコメント全消しでも構いません。議論に応じてもらえたことにはお礼をしておきます
名無しの保守 様
もう読まれていないかもしれませんが。
「国の存亡≒伝統の継続」ではありません。むしろ戦うべき時に戦わず外国に屈従することこそ伝統を危機に陥れるでしょう。生きながらえればそれでよしという事大主義からは伝統を貫く心は生まれません。
大東亜戦争そのものの評価に対しては、私はあえて言えば「肯定」ですが、肯定か否定か二元論では計れるものではない、ということを繰り返し伝えてきたつもりですが、伝わらず残念です。
もちろんこれは大東亜戦争に限ったことではなく、世の中のすべてのものに対して二元論では到底計れないものがあると思います。
なお、岩田先生は私が学生時代から存じ上げております。もっとも、数回お会いしただけなので先方が私を覚えてくださっているか心もとない部分もありますが。ただ、私の知る限り岩田さんは「中川八洋の後釜」を狙ったり劣等感から人種平等を唱えているのではないと思いますが。