「社会について」カテゴリーアーカイブ

土とともに生きるとは

ムスカ「終点が玉座の間とは、上出来じゃないか。ここへ来い」
シータ「ここが玉座ですって? ここはお墓よ。あなたと私の。国が滅びたのに、王だけ生きてるなんてこっけいだわ。あなたに石は渡さない!あなたはここから出ることもできずに、私と死ぬの。今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
宮崎駿監督『天空の城ラピュタ』

人類は、科学技術を発展させ、ヒトモノカネが自由に行き交い、全能の「神」にでもなったかのような生活を手に入れた。だがその生活は、自然の脅威の前には屈しざるを得ない代物でしかなかった。
人類と文明はあるときまでは共存する生活を営んでいたはずであった。農業自体あるひとつの作物を栽培し、その他の植物を「雑草」と称して取り去ってしまう人為的産物であった。しかしそこには収穫の喜びと神への感謝があった。アグリビジネスと化した現代の農業がもっとも失ってしまったものである。家庭菜園のほうがまだ残っているのではないかと思うくらい、現代の農業は効率に毒されている。
それは工業とて変わらない。職人技で機械が操られたり、補修されたりした時代は過去のものとなった。現代に起こっているのは、むしろ「機械の都合のいいように」仕事が分断されて作業と化す現象である。機械を操っているつもりがいつしか機械に操られている人間の仕事の成れの果てである。端的に言えば人間が機械化したのである。機械化された人間は、もはや仕事で自分の運命を変えることはできない。現場に力がなくなり、マニュアルとコンプライアンスがはびこる世界である。
「土とともに生きる」とは、地に足をつけ、人間らしく生きようではないかという精神のことである。この精神の復活なくしては、人類は滅びへの道を歩むこととなってしまうであろう。

台風19号とダム建設

台風19号による各地の爪痕が徐々に明らかになってきた。

ネット世論では八ッ場ダムを建設したことで被害が少なく済んだ、この建設を止めさせようとした民主党政権はダメだったんだという、相変わらずの民主党悪口がはびこっている。別に民主党なぞ庇う筋合いはないのだが、このようなあからさまな政権擁護のことばがはびこっているさまをみると、ちょっと反発したくなる心理も芽生えてくる。
そもそもダムは河川の氾濫に対してどれほど効果があるのか、きちんと検証はされているのだろうか。人によっては「八ッ場ダムの貯水量など誤差の範囲」といった反論が出ている(https://www.news-postseven.com/archives/20191018_1470166.html?DETAIL)。
こうした意見の是非を検証する能力はわたしにはないが、例えば自民党政権が長年に亘って行ってきた、林業農業の軽視の影響はなかったのか、河川をコンクリートで固める影響はどうかなど、総合的になされるべきであろう。
わたしは政府が積極的に財政支出を行うべきという意見である。しかしそれはダム建設のような旧来の自然や文化を破壊するものでよいのか、問われなくてはならない。

社会の解体と自治のあるべき姿

新自由主義は社会を解体する。マーガレット・サッチャーは「社会なんてものはない」と言い放った。もっともこの発言は当時のイギリスメディアによる単純化が産んだもので、サッチャーの発言そのものではないようだが、新自由主義が結果的に社会の解体に動いてきたことは確かだろう。

われわれの世代には、もはや高度経済成長期のような、経済発展に対する無邪気な期待を抱くことができない。
それはもう劇的な経済発展を達成することはできないという見立てもさることながら、経済発展の負の側面が明らかになってしまったということがある。
イースター島のモアイ像は、引き倒されていたものを観光用に並び替えたものだ。ハワイはマングローブが生い茂りマラリアが発生する土地柄だったものを、観光のために人工的に作り替えた場所だ。フラダンスは現地の躍りを参考に欧米人が考えたものだ。商売は景観や文化さえも偽造する。
かつての村落共同体は精神的絆で固く結ばれていた。仕事はまさしく共同体に「仕える事」であり、共同体はお互いがお互いの面倒を見合い、助け合った。それが資本主義によってバラバラに解体されてしまったのだ。
それが、生きることにどこか本気になれない、ニヒリスティックな消極的自殺願望すら呼び起こす。システムが先行し、人間はそのシステムに従属する存在になったのだ。
「古き良き時代」は遠くに去り、友情よりも仕事の誇りよりも、カネがすべての価値を決める下品な時代が到来した。
元来生産すべきものがまずあって、そのために必要だということで資本が求められていた。だがもはや現代では主従は完全に逆転し、資本があって、この資本を増大するために何が必要かということで生産が後から見出されるようになった。だから資本の増大は相変わらず続いているが、それは生産者には降りて来なくなった。そして生産者の仕事は徹底的に分業され、いくら勤めてもニッチな技能は身に付いても、本当に経済的に自立する技能はまるで身に付かなくなっていった。マクドナルドのバイトを何年勤めても、パティを焼きパンに挟む技術は身に付くかもしれないが、ハンバーガーショップを営むノウハウは永遠に身に付かないのである。
「共同体を作り直す」。このことを目的に見据えなければ、社会はどこまでも解体されていくのではないか。自分の一身を超えた大いなるものへの参与なくして、現代人の持つ虚しさは解決し得ない。「ご先祖様」とは「わたしのおじいちゃんのそのまたおじいちゃんの…」ということではない。ご先祖様とは共同体の先人なのだ。血縁はこの際問題ではないのである。ご先祖様、つまり死者と生者が共同して自治し、そこに地域の自然が織り成す恵みがある。これこそが真の共同体だ。
こうした自治が確立し、その自治体の延長に国がある。それこそがあるべき姿なのだ。そうしたナショナリズムを、近代社会は解体し、政府と国民ののっぺりとした均質な関係に変えていった。
われわれの魂はいつまで資本に翻弄されるのか。ニホンという市場だけが残り、日本国家は消え去るのか。反抗の声が必要だ。

資本主義の自滅

既に世界の人口の半分以上が都市に生活しているという。これが「先進国」限定の話であったらさして驚かないが、「発展途上国」も含めてもそうであるというから驚かされる。

資本主義はその性質上都市化を求める。だが都市化してしまえば人口減少が発生する。してみれば資本主義は自滅が宿命づけられている思想と言えるのではないか。
日本人は、「自力で生活できない人を救う必要はない」と考える人が世界と比べても多い、薄情かつ冷酷、ケチで陰険な人間が多い。働くことに過度の期待と信仰を持ち、働くことは素晴らしいことだ、働かない奴はクズだという世界観にいる。ある意味非常に共産主義的な風土とも言える。
また、労働問題は景気回復と経済成長で解決できるという安易な考えがはびこっている。そのためそれまでは努力と根性で耐えろとブラック企業的発想になる。だがそうやって労働にしがみついても、得るものは少ない。
世界史をながめると、農村の崩壊は、より増産するために「囲い込み」が発生し、共同体で一緒に農地を管理し収穫を公平に分けあう原始共同体が解体されたことによる。これによって農家はただの農業事業者になり、食えない者は都市労働者に転じた。労働は人を救わないのである。

じわり忍び寄る元号軽視の気配に警戒せよ

御代替わりを来年に控え、各所で少しずつ準備作業が始まっている。
その中で起こっているのは、元号標記をやめて、西暦標記に統一しようという動きである。
少し検索しただけでも下段のとおりたくさんのウェブニュースが見つかった。
御代替わりに際して元号というものを問う空気は昭和から平成への転換においてもみられたことである。
だが今度の動きは皇室廃絶といった不穏当なものではなく、「不便だから」「紛らわしい」という実務上の観点に立っている分、いっそう厄介なものを秘めている。
最近の世論は西暦で表記すれば公平でグローバルスタンダードにのっとっているかのような物言いをするが、イスラム教徒はイスラム暦を使うし、仏教国なら仏暦を使う。決して世界中で必ず西暦を使うようなものでもない。
さらに言えば、暦をつかさどるのは古来天子の専権事項とされている。
皇室に由来する元号を使用することは「天皇の国・日本」に住む民として必要なことなのだ(このブログも西暦標記が残っており大いに遺憾である)。

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百舌鳥古墳群の世界遺産登録に反対します

同志から情報提供を受け発信します。

いま大阪府、堺市などが百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録すべく奔走しています。
百舌鳥・古市古墳群とは大阪に50基以上ある古墳群のことで、そのなかには世界最大の墳墓、仁徳天皇陵が含まれている。
一見すると天皇陵が世界遺産に登録され、多くの人に知ってもらえることは良いことであるかのように思ってしまう。

だが、ちょっと考えてもらいたい。天皇陵とは皇室財産なのである。世界遺産登録されるということはそれが宮内庁の管轄からユネスコの保護下に移るということである。そして言うまでもなく天皇陵とは天皇の陵墓であり、それをさらし者にすることが本当に良いことであろうか。
言うまでもなく観光地化することでゴミ問題などが発生する。陵墓が観光客の出したゴミで汚染される危険性があるのである。

問題はそれだけではない。
堺市は世界遺産登録による経済効果を1000億円と見込んでおり、アサヒビールなど企業もPRに関与している。観光客による収益を目的とした事業なのである。それが天皇陵という場所の性質と本当にあったものなのだろうか。さらに大阪府知事は「仁徳天皇陵をイルミネーションで飾り、内部を公開せよ」と発言するなど、天皇陵に対する畏敬の念も欠けている。

それだけではない。堺市は、近隣の住民にわずかのカネを出すことを条件に立ち退きを迫っているという。
観光地化し再開発するために、近くに住居があっては邪魔だというのだろうか。

このような事業のために数十億円もの税金が投じられるというのだから、許しがたいことである。

ネット署名サイトもありますのでもしよろしければご協力いただければと存じます。

冷戦が忘れさせた社会論

保田與重郎は『戴冠詩人の御一人者』で、「明治はまづ實用主義風に市民社會體制を學ばねばならなかつた。歴史から學び得ぬまでに後れてゐた。兆民もまた諭吉もやはり武士の氣魄である。その精神が日本をアジアに於ける唯一の獨立國とした。近代世界を建設した市民の人文精神は江戶の傳統にはなかつた。日露役を越した日本市民文化の昂揚さへ比較すれば淡い姿である。近代市民の人文精神の代りに日本に於いては「さびしい浪人の心」が封建への反逆を描いた。中世の世捨人たる俳諧師ではなく時代の監視者たる浪士、明治の三十年代の市民文化さへその失意の丈夫の心の導いたものである。さらに近代の社會主義革新主義さへ浪士の心に導かれたのである。」(『保田與重郎全集』第五巻213頁)と述べている。社会主義革新主義をも「さびしき浪人の心」に位置づけていることは興味深い。
少なくとも明治時代までの社会主義は、在野精神と拝金主義への嫌悪と、格差に憤る義侠心がもたらしたものであって、マルクスは読んではいたがあくまで参考意見として参照していたに過ぎなかった。
そもそも皇室は民を「大御宝」と呼び仁政を施こうと努められてきた。明治以降も皇室は社会福祉政策の源流としての立場も持っていた。
そもそも市場において「神の見えざる手」が働き、自動的に利害関係が調節されるなどということは幻想である。「神」の存在を強く信じたい西欧人の願望の表れではないかという疑いを禁じ得ない。市場が拡大することで伝統的共同体が壊滅の危機に瀕し、一人ひとりが「砂粒の個」として孤立するようになった。共同体を維持するということはムラ社会に人々を閉じ込めるということではない。すべてを、人間の存在価値でさえも、金銭的価値に置き換えようとする力を持つ市場圧力の中で、人々の生活を維持していく防波堤となるものこそ共同体である。
いわゆる右翼、保守と呼ばれるものこそ、「市場圧力からの防波堤」の維持に努めるべきだ。市場は、本質的にグローバルだからである。ところが、冷戦による反共精神がそれを忘れさせ、資本主義への警戒心を甘くさせた。その弊害が、昨今の新自由主義の跳梁跋扈である。冷戦期には反共の名のもとに政権と手を握ることが習い性となってしまい、政権より右の立場から政権を厳しく批判する勢力の醸成を怠った。それはアメリカの占領政策と融和的である自由民主党の方針とも合うものであった。自民党を支持する限り永遠に戦後属国体制のままであるということさえも見えなくなっている。
既に北海道を中心に広大な土地が中華系を中心とした外国勢力によって買い占められている。その多くは税金対策等の理由であろう。しかし、こうしたインバウンド需要を幸いとして外国資本に便宜を図ろうとする勢力がいる。いうまでもなく自民党政権と官僚である。
このような政権のやり方を正当に批判する勢力が生まれなければならない。

武士と商人―その精神的反抗―

 世界の有力者の租税回避地を利用した課税逃れについて記載されているパナマ文書が公開されたことが世界的に話題を呼んでいる。タックスヘイブンで税金逃れをしている大企業や富裕層は、日本は世界第二位で、そのほとんどが法人だという
 自民党をはじめとして日本はカネを稼ぐことにうつつをぬかすような国づくりに精を出し、社会に還元することを見失っている。そもそも法人は株主に利益を還元するためだけに存在するのであって、理論上は他の何物にも責任を負っていない。法の網を潜り抜け、グレーゾーンでカネを稼ごうが、それにより株主に還元できていればそれが是とされるのである。法人は他のいかなる都合も考慮しない。法人の傍若無人がまかり通っているのが現代社会である。それは今に始まったことではない。大窪一志は『自治社会の原像』を、日本社会から「現場の力」がなくなってきていることを指摘することから始めた。「社会」が市場に取って代わられ、「現場」の権限が奪われ、人々が助け合う余地が狭められていった。日々の仕事が官僚的になり、人に付いた仕事を誰にでも代替可能なものにしていったことが原因である。その結果、かえって社会はギスギスした息苦しいものとなっていった。人々の間にあったはずの共同関係はいつの間にか雲散霧消し、物が人を使う世の中が訪れ、職場は荒廃した。仕事への愛情は失われ、会社員に求められるのはどこからか降りてきた「上」からの指示を粛々と実行し、「成果」を挙げることのみになったのである。その方が「成果」を挙げ、「成長」を達成するには効率的であったが、その反面職場は崩壊し、人々の交情は失われた。会社員を続けても、恋人はおろか一人の友人もできない時代となったのである。

 突飛に聞こえるかもしれないが、実は武士道はそうした時代への反抗ではなかっただろうか。武士道は太平の世に生み出されたものである。武士道は、江戸時代太平の世が訪れ、勘定方が出世し、日々の仕事が官僚化していく中で生み出された武士による日常に対する精神的反抗である。武士道と後に称される思想が生み出された時代である江戸時代は、同時に商人道も説かれた時代であった。山本常朝が武士道の代表的書物である『葉隠』を書いた時代と、石田梅岩が石門心学で商人道を説いた時代はまったくの同時代である。そして両書が書かれた江戸中期は、日本社会において資本主義が始まった時代でもある。
 江戸時代同様に、あるいは江戸時代以上に武士道が説かれた時代が、明治時代である。明治期の反資本主義的感情は、旧武士層によって担われた。中江兆民は足軽身分の子であるし、山路愛山は幕臣の家に生まれている。三宅雪嶺も陸羯南も武士層に属する。ただし山路家は天文方であり、三宅は藩医の家柄、陸は茶道師範の父を持つなど、武士の中でも周辺に属する家柄であることは興味深い。少し時代を遡っても、反資本主義的な言説を残している藤田東湖や吉田松陰、西郷隆盛など、思い浮かぶ人物はみな武士層である。社会主義者で言えば、堺利彦は没落士族、高畠素之も士族、木下尚江も士族である。ただし幸徳秋水と山川均は士族ではないようだ。社会主義とは少し違うが、田中正造も士族ではない。調べ出すときりがないが、明治時代の思想と階層の関係は注目すべきだろう。ただし、資本主義的な言説を唱えた人物を調べても、福沢諭吉や渋沢栄一は幕臣、田口卯吉も士族、若き日は資本主義思想家だった徳富蘇峰も士族であり、あまり深い因果関係を考えすぎても間違えてしまうだろう。ただ、初期の反資本主義に間違いなく大きな影響を与えているのは武士道である。
 少し出自の話を続けよう。武士道にこだわり、「士道不覚悟」と味方を粛正していった新選組は武士ではなかった。神風連の乱を起こした熊本敬神党は武士でも下級の身分に属し、上級士族は横井小楠など西洋文明を受け入れる方向に向かっていった。上級士族だからこそ武士道へのあこがれのような感情がなかったのかもしれない。
 出自の話をすれば、山鹿素行は浪人の子、山崎闇斎も浪人の子と言われる。浅見絅斎は医者の子である。武士道にとって重要な思想を打ちだした人物が、これほどまでに武士の出自でないということはもっと注目されて良い。笠井潔は武士と商人を対比して商人を擁護する形で『国家民営化論』を書いている。だが実は武士道は武士でない人物によって醸成されてきたということも可能なのである。そもそも武士道は、乱世の時代には謀略・だまし打ちなども知略の結果と称賛されてきた。それが太平の世になると、「卑怯なふるまいをしない」といった倫理性を帯びたものに変容していく。源平合戦から鎌倉時代にかけて、あるいは戦国時代から江戸時代にかけても同様の思想的変遷をたどっている。後世のわれわれが思い浮かべる武士道の印象は太平の時代に生まれたもののほうである。謀略の称賛は、戦略性に富んではいても思想性には乏しいからであろう。
 三宅雪嶺は『偽悪醜日本人』の「悪」で、日本人は正義を心に抱かないと非難する。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚び、文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけがいい思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人種である。彼らを排撃し、社会に重きをおかせないようにすべきだ。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めるのである。士族の風尚美徳と、公共のために死を視る精神により維新は誕生したのであるから、士族を重きにおくべきであると主張した。当時の三宅は旧士族への期待を持っていたわけだが、それは商人道を批判したわけではあるまい。むしろ武士層に利害を超えた精神的価値を重んじる姿勢を見出し、これを称賛したのである。
 あるいは、幸田露伴が資本主義的風潮に対し江戸の職人気質を礼賛したこともあった。また、明治二十年代に条約改正や欧化主義に抵抗した国粋主義者の社会主義感覚はむしろ儒教の「仁」の政治の実行という意味合いがあった。「社会主義」は「個人主義」の対極とみられ、むしろ日本の国体に合うものと受け止められた。高畠素之がいわゆる社会主義から国家社会主義に「転向」し、上杉愼吉などと連携していくようになることを非難するような議論は日本の社会主義史を踏まえない見解だろう。もちろん細かい意味での意見の変遷はあったに違いない。だが、上杉が国家と社会は分離できるものではない、すなわち国家主義と社会主義も分離できず、社会主義的思想が国体の清華を発揮するのに適したものだ、と述べるとき(田中真人『高畠素之』203頁を引用者意訳)、それは明治の国粋主義者の社会主義論ととても似通っており、私には陸羯南の「国家的社会主義」が重なって見えてくる。
 社会主義もまた国民への博愛の情として理解されたのであり、革命思想としては理解されなかった。社会主義が「階級闘争」と「プロレタリアート独裁」の共産主義になるのは明治末から大正時代にかけてである。それまでは社会主義とは博愛、現代でいえば福祉を重んじるというくらいに受け取られたのと同時に、資本主義の興隆によって起こった道義の荒廃を救うものとして、孟子の文脈で社会主義は理解された。幸徳秋水をはじめ初期社会主義者はみな耶蘇(片山潜、木下尚江、山川均、大杉栄、荒畑寒村、安部磯雄)か孟子の信奉者(幸徳秋水、堺利彦、河上肇)であった。武士道もまた強者の弱者への横暴を嫌いむしろ弱者へのいつくしみをたたえる思想であった。この点で三者は互いに結び付いていた。社会主義は唯物主義とも言われるように西洋では耶蘇の信仰と相性が悪いのだが、明治日本においてはそうはならなかったのである。
 幸徳秋水は社会主義を実現する目的を武士道の実現においた。社会主義は経済的平等と同時に理想的人間像の提示といった作業が行われてきた。幸徳の場合、武士道の精神こそが目指すべき人間像だった。幸徳は武士道を振起する手段はないか、と聞かれたら社会主義の実現にあると答える、とした(『市場・道徳・秩序』151頁)。同様に陸羯南も、「士族社会」に自主独立の気風があるのは世禄という恒産があったからだとした(同前155頁)。桶谷秀昭は、この頃の社会主義を「修身」の延長だと捉える。そのうえでそこから革命思想への転換を、「自分が未知の何ものかに変らなければならないといふ強迫観念に似た衝動」であったと評した(『昭和精神史』88頁)。
 幸徳秋水は社会主義を武士道の復活として述べていたというが、武士道とは志を立て、自分は商人とは違うという自覚を持ち、利益を超えた「国家全体の価値」を想い行動することであった。武士道は社会主義の始まりであると同時に国粋主義の源流でもある所以である。
 幸徳と国粋主義者の関係は絶えることなく続いていた。陸羯南は自らの新聞『日本』に、幸徳の著書の広告を出し、三宅雪嶺とともに足尾銅山鉱毒事件において、幸徳とともに田中正造を支持する言論活動を行っている。幸徳の遺著となった『基督抹殺論』には、三宅雪嶺が序文を寄せている。これは大逆事件で幸徳が逮捕されたのちに出版されたものであり、そこに序文を寄せるなど並の覚悟、交友ではできないものであろう。そこでは、幸徳は不忠不孝の名のもとに死に就こうとしているが、窮鼠と社鼠のいずれかを選ぶのか、と問われている。窮鼠とは追い詰められて決起した幸徳であり、社鼠とは社に巣食う鼠、君側の奸のことである。そのいずれを選ぶのか、と問うたわけである。
 幸徳は大逆事件を起したとされているが、皇室と社会主義は矛盾しないとも述べている。社会主義とは社会の平和と進歩と幸福を重んじる思想であり、そのために有害な階級を廃そうというものである。明治維新によって四民平等が達成されたことも、それにあたる。また、古来名君と呼ばれた人物は皆民のために尽くした人間である。故に仁徳天皇のように、民の幸福を自らの幸福とされた、祖宗列聖(歴代の天皇)の事績は、決して社会主義に悖るものではなく、むしろ社会主義に反対するものこそ国体に違反するのではないかと述べた(「社会主義と国体」『幸徳秋水全集 第四巻』、筆者意訳)。この幸徳の論理を、当時の社会に受け入れられるためのレトリックに過ぎないと思う人もいるかもしれない。そういう側面もあるかもしれない。だが、小林多喜二が仁徳天皇の大御心の話を母親に話していたように、必ずしも社会主義者が即マルクス主義による革命を考えていたとは言い切れない面もあるのではないか。
 中村勝範『明治社会主義研究』によれば、幸徳はマルクスやクロポトキンを真に理解していたとは言えないという。そうかもしれない。幸徳の教養の基本は漢籍であり、西洋の理論は漢籍の教養による発想を理論化するのに参考にした程度だったのかもしれない。
 山路愛山も、社会主義を墨子の兼愛や堯舜の道にも通じるものとみており(「社会主義管見」『明治文学全集35 山路愛山集』46頁』)、明治社会主義の一つの特徴ともいえる。坂本多加雄『近代日本精神史論』によれば、山路愛山は「平民主義」に基づき歴史を叙述していたが、一方で自身は士族階級の出身であり、平民の台頭は士族の没落であるということを重く受け止めざるを得なかったという(講談社学術文庫版35頁)。山路は武士層の官僚化と士農工商の階層間の移動が少なかったことを江戸時代の「堕落」「老化」を見てこれを批判している。福沢諭吉に限らず、山路や陸も明治社会を実業の時代と捉え、各人が商売、生産を通じて国家に貢献することを主張した。だが福沢とは少し異なり、山路や陸は実業に携わることを名誉とみなさない士族出身の青年層に対し反政府的ナショナリズムを説くことで、実業に携わることに意味を与えていった。政府から恩給をもらわなくとも自らの身を立て、ときには政府に異議申し立てもしつつ国家に貢献する青年像を描いたのである。
 また、山路は陸についても、「三宅雄二郎氏、陸実氏も亦名を会員名簿に列し、殊に陸氏の如きは深き興味を社會主義に有し、其主宰する日本新聞に於て人間は自然の状態に満足して已むべきものに非ず。弱肉強食の自然的状態を脱し、強もまた茄(くら)はず、弱も茄はざる一視同仁の人道を立てゝ自然の運行以外に別に人間の天地を開くは是則ち社会主義の極意なるべしとの意を述べたり」(「現時の社会問題及び社会主義者」『明治文学全集35 山路愛山集』370頁)と回想している。この回想だけでも陸の社会主義理解に強い儒学の影響を見てとることができる。
 晩年の上杉愼吉は、「貧乏でなければ本とうの愛国は出来ぬ」(『日本之運命』189頁)とまで言い、無産者を救済しようとする。「我が無産の貧乏人は、燃ゆるが如き愛国心を持つて居るけれども、今は上流の人々の我が儘に憤激して、動もすれば非国家主義に陥らんとする傾向になつて居る彼等は横暴なる資本家地主を恨むのである、不肖は其れは当然であると思ふ、而して資本家地主を悪むの情強きが為め、思はず社会主義に乗ぜらるゝのである(中略)経済上の不平苦痛は、彼等を駆つてそこまで連れて行くのである、気の毒なるは我が忠良なる無産の愛国者ではないか、其の心中の煩悶を酌んでやらなければならぬ」(同28頁)という。富豪は金儲けのために国家を使う。国家を害し、同朋を傷つけようとも、金の為なら何でもする。神ながらの日本は鬼畜の世界になってしまった、道徳も何もないではないかと嘆くのである(同37頁)。
 ここまで戦前の社会主義についてみてきたが、彼らが貧しき人々を救うべきだと考えていたと同時に、国内で荒廃した道義の復興を考えていたことが伺える。道義の復興を彼らが考えたとき、念頭に浮かんだものの有力な一つに武士道があった。ところで笠井は武士と商人を対比して商人を擁護したが、笠井自身は一つの主義を重んじる武士的な部分を残しているようにも感じられる。堺屋太一や竹中平蔵のような商売性しか感じられないような人物とは異なる。
 少し蘊蓄が長くなった。さきほどからたびたび笠井の『国家民営化論』における武士と商人の対比を批判してきたが、一方で敗戦後の日本に限定して考えれば、太平の世になったにもかかわらず武士道の倫理性は忘れ去られて、かといって商人道があるわけでもなく、ただ利益だけが追求される世の中になったのである。葦津珍彦はこのことを、「敗戦後の日本国は、こんどは国中にただ一人の武士も残存させないことにした。しかし時代は流れ移ってゆくけれども、現世に激しい戦闘の消え去るようなことは、その兆候すらも見えていない今日である」(葦津珍彦『武士道』48頁)と表現した。ある意味現在は利益を得るための謀略渦巻く(戦国時代などと同様の)争いの時代なのである。資本主義による競争の激しさは倫理性を打ち捨てなければ到底生き残っていけぬような時代へと、われわれをいざなったのだ。

 現代は、武士道も商人道も廃れ、官僚的な法人の都合が独り歩きしている。このような事態に対する精神的反抗ののろしを上げなければならない。一人一人が自己の裁量、自己の発想に基づいて日々の仕事が行われる世の中でなければならない。日常の小さな基点から反抗が必要だ。

 「人間のすべての社会的活動を、その努力を、その創造を否定するならば、人はただ、生まれ、食べ、交尾し、子供をうみ、そして死ぬてんとう虫と異なるところはない。だが、人間はてんとう虫ではない。人間を「万物の霊長」と称する古典的解釈は、けっしてまちがいではなかった。虫は自然の意志のままに生きそして死ぬ。人間は自然の意志に従うと同時にこれに逆らって、生き、死に、しかも、ついに大自然の意志を完成するのだ。
 大義のために死し、わが名を青史に列ねようとする努力―これこそ人間として誇りうるただ一つの人間的努力である。自分はまちがっていなかった。迷う必要はない。」(林房雄「青年」『現代日本文学館28 林房雄・島木健作』112頁)

 林房雄が述べたのは、ただ生まれ、食べ、交尾し、子どもを産み、死んでいくだけで甘んじることのできない人間の姿である。人間は己が全体に寄与している実感を求めるものなのだ。
 われわれの人生は次々と襲い来る世事に翻弄され、時に喜び、時にいら立ち、ままならぬ難題に煩悶し、苦しみ、もがき、それでもやっとこやっとこ歩いている。しかし、それは己の一身のことばかりに夢中になり、周りに思いをいたすことができない様でもある。おそらく今のわれわれの人生はそういったままならぬものに満たされており、何かが変だ、おかしいと思いながらも、その正体が見抜けずに仕方なく惰性のままに日々を繰り返している。
 労働者は、あるいは会社員は、と言い換えてもよいが、自分の人生、自分の生活、自分の運命をほとんど自分で決めることができない。休みの日も労働時間も仕事内容も、勤務先も、取引先さえもどこかの誰かが勝手に決めたものに左右されている。市場競争の結果、自営業よりも雇用者の形態のほうが「効率的」だと結論が出たのであるが、その結果、「各人が自由に競争できる」などという建前は全くの空語となった。自分自身の生活を、運命を、他の誰かに翻弄されて終わるのか。その無力感は無視できないものがある。
 自己決定など幻想だと知っている。だがそれでも今の会社員生活はあまりにもその行動すべてを他人に支配されすぎている。あるいは「他人」という人物に支配されているのではないのかもしれない。労働力は商品である。してみれば資本の論理に支配されているのである。人を馬車馬のごとく働かせた挙句、馬車馬のごとく働かせてくれたことに感謝するよう強要しようという雰囲気が会社にはある。いかにも不気味であり、こういう感覚をとても肯定する気にはなれない。競争は、地位や貧富で人を差別しようとする人間の嫌な面と分かちがたく結びついている。会社という組織は、その競争の嫌な面を増幅する装置である。業務を指示監督する立場である以上に、上司を人格的に逆らい難い存在に仕立て上げようとする。そこは、一度目をつけられたら、後々までささやかれ、ことあるごとに嫌がらせを受ける密告社会である。人の足元を見ることにばかり長けていて、相手が逆らい難いと見るや途端に無法な要求を恥も知らず押し付けてくる。「結婚したり子どもが出来たら転勤させられる」という噂はその典型的な例である。「会社」とか「職場」という利益社会のもつ怖しさは会社員として働いたことがあるものは多かれ少なかれ自覚していることである。自らが稼げればほかの連中はどうなってもよいと考える冷酷で残忍な人間が、会社の上層部を形成している。いや、彼らの人格がそうだというよりも、彼らも何かに駆り立てられてそういう方向に走らざるを得なくさせられている。そのことが資本のもつ最大の問題であろう。
 カネの為に身を屈する人間は、心の底ではカネを憎んでいる。手にした札びらは、屈辱の数でもあるのだ。
働くとは、元来そういうものではなかったのではないか。社会を構成するのは、国民一人ひとりであって、決して会社や資本ではないはずだ。それらは、便宜的に置かれたものに過ぎなかったはずだ。ところが、その道具のほうに振り回されて、肝心の一人ひとりがその生活を失って働く道具のように扱われていることに疑問を感じなければならない。生産も消費も、企業あるいは資本にとっての利用価値で計られ管理され、それによって生活が左右されてしまう。こんなことはおかしいではないか。大事なのは各自の尊厳であって、決して会社などではない。
 われわれの生活は日々何かと忙しいものだ。だがその忙しいことを誇る気にはどうしてもなれないのである。暇人を見つけ、それを「活用する」などと称して労働の場に引きずり出そうという大きなお世話を焼こうとするのが「忙しい」人間である。有限の人生の中で、そもそも何のためにせわしく飛び回るのか考えなければならない。しかし、それを考える余裕があるのは概して暇人の方なのである。せわしない生活には、自分の生活を自分で決められない苦しさがある。もちろん、自己決定など幻想である。しかしそれは、会社や資本に支配される生活を正当化するようなものであってはならない。平凡な人生を気楽とみなすのはどうなのか。志を果たし得ない人生は、ただ生活苦だけがある針のむしろかもしれないのである。いずれにしても、生活に自己決定権がないのは問題だろう。
 われわれは自分の生活を自分で決めたいのである。自分の志、自分の運命を他人に押し付けられるのはうんざりである。資本が自ら肥え太るために使役されるのは、もうごめんなのである。
 かつて人々は賃労働者になろうとした。家族やムラの論理から逃れるためである。しかし、賃労働者になっても新たな拘束や服従を強いられるだけであった。自ら生産手段を持った農民や家族的自営業者は、子どもを会社員にさせようとする。それは子どもをプロレタリアあるいはプレカリアートにすることと同じである。自ら生産手段を持たない者はどこまで行っても奴隷同然である。ここまで言ってはいけないのかもしれないが、わたしは会社員にまっとうな幸せなど訪れるはずがないと思う。

 「今の若者は無気力だ」という。そういう側面もあるかもしれない。だが問題は若者に限ったことではない。無気力は社会全体を覆って、人々から生き生きとした活力を奪っている。マニュアルと規制に縛られた日常に気力、活力が入り込む余地はない。よって活力が萎えてしまうのだ。
 産業革命以降、資本主義の進展により「公」の絶対性は減少していったが、同様に「私」の固有性も失われていった。「私」は努力と研鑽により作り出される無二の存在ではなく、凡庸で無個性で誰にでも置き換え可能な存在に変わっていった。
 資本主義は、人々を結びつけていた伝統的で細やかな関係をことごとく金銭的関係に置き換え、敬虔な信仰、武士道の美学、町人道さえも無力化させた。医者、文学者、教師に対する人々の尊敬の念を剥ぎ取り、彼らを売上だけを気にする賃労働者にした。教師を労働者のようにみなしたのは日教組によるものという決めつけがなされたが、日教組は幸いにも大した影響力を持っていない。むしろ資本主義的感覚の広まりのほうが大きいのではないだろうか。
 自由放任により社会が発展するなど空想に過ぎない。すでに明治四十一年刊行の山路愛山『現代金権史』においてすら、「政府の世話焼きは余計の沙汰なりと憤慨したる所にて、其実電信も政府に掛けて貰ひ、鉄道もこしらへて貰ひ、学校も政府の脅迫に依りて出来、銀行の営業振り、簿記法の記入方、乃至チョン髷を切るべきことまで政府の世話を受けて渋々進みたる人民が自由放任を口にしたりとて、それは親掛りの子息が贅沢にも親の干渉に不平を鳴らすに殊ならず」と揶揄されているのである(『明治文学全集35 山路愛山集』46頁)。自由放任などと主張しても、政府のインフラを使い、政府に教育された労働者を使っているなど政府にことごとく依存しているではないか。そんなのは親に育てられていながら親の干渉に文句を言っているのと同じだ、というわけである。
 個人には寿命があるが法人には寿命がない。今の日本は企業ばかり肥え太る法人資本主義と化しているが、それは市場の命運が法人の都合に左右されて、個人では如何ともしがたい性格を持っているということである。法人は裕福であるが個人は貧しい。個人は「法人の都合」を叶えるためだけに使いつぶされていくだけの人生しか持ち合わせていない。それは経営層であっても同じことである。
 わたしのことを左翼的だと思う向きもあるかもしれない。資本主義批判や会社批判に対してはそういう眼で見られたこともある。だが、国民の生活に思いをはせない愛国者などあり得ない。本当に日本と言う境界、日本人という所属を重んじるならば、生活に苦しむ同胞に対するまなざしがあってしかるべきだ。
 戦後、右翼・保守派によって「戦後思想を克服する」ことが唱えられた。たしかにそれは重要だが、目的ではない。挑発的な言い草をすれば、そんなものは人生の目的たり得ないごくちっぽけなものである。日本の歴史、文化、伝統に参与し、その偉大な伝統に、自らも黄金の釘を打ち付けて次代に託すことこそ、人生の大目的にふさわしい。
 日本人が各人その美質を発揮するためにも、経済問題は克服されなければならない。この大目的の前では、右翼と左翼の違いは大した問題ではない。無論皇室に害をなそうとするような思想は到底受け入れることはできないが、そういったものを除外すれば、右翼と左翼には共通する点も多く、お互いの意見を参照し、より高めることができるように思う。このブログで以前にもたびたび述べている通り、右翼と左翼と言う分類自体が冷戦期にしか通用しない代物なのだから、いわゆる「右翼的」、「左翼的」と称される思想に元来共通点が多いことはむしろ当然のことなのだ。

 今後の日本社会をよりよくしていくための対策はいくつか考えられる。政策的には家族的自営業を支援し、大企業に対する法人税の増額、累進課税の強化、タックスヘイブンを利用した税金逃れの防止、地産地消の推進、フランチャイズの出店制限による地方の特色を生かした街づくりなどである。
 また、精神的には、武士道、商人道に倣いマニュアルよりも各自の精神の働きを重んじることだ。
 人は、一人一人に宇宙を持っている。人と人との交流は、宇宙と宇宙の交錯でなければならない。それは法人の都合に囚われぬ日常を大事にすることから始まる。人と人との交情は決してマニュアル化できないものである。誰にも替えがきかない、文字通りかけがえのないものを大事にすることが求められているのである。

社会に潜む暴力と大義の希求

 野村秋介は『さらば群青』で次のように語っている。

 私は沁々思うのだが、明日の命を保障されている人など一人もいない。「一日一生」という言葉があるが、かかる覚悟なくしての生涯こそ、無味乾燥の哀れをきわめた生きざまではあるまいかと、私は若いときから思い続けてきた。
 戦後日本人は、「死」や「暴力」といった実は避けては通れぬ大命題を、まやかしの平和論とすり替えて、なるべく触れたり直視したりすることを忌み嫌ってきた。
 人間は「死」とは無縁であり得ない。社会は「暴力」と無関係ではあり得ない。眼をそらし続けようと思えば思うほど、人間は正気を失い堕落していく。(はじめに)

  現代の日本はおそらく物質的には史上最も満たされている時代であろう。にもかかわらず、あるいはだからこそ、何か薄皮をまとった閉塞感が人々の心を覆ってやまない。右肩上がりの時代は終わりを告げ、成熟へと歩き始めた日本社会だが、歩き始めてふと、成熟とは何かまるで分らないことに初めて気づいたような、そんな心境であろう。そして何より、今の日本社会を回している「秩序」は、右肩上がりの時代に作り上げられたものだ。果たしてこの秩序というものを追究せずして、日本は未来に歩みを進めることができるだろうか。秩序のもつ便利さと恐ろしさを、もう一度見直す必要があるのではないだろうか。

 秩序とは暴力である。もちろん暴力とは警察とか軍隊といったことだけではない。数の力やカネの力、世俗的権威、あらゆる力がわれわれを抑圧すると同時に、われわれを守っている。そうやって組織と付き合いながら、人々は今の社会生活を送っている。われわれは社会の一部であるが、同時に社会はわれわれの一部でもある。

 戦後、経済発展し、日本は確かに豊かになった。だが、豊かになり、社会が複雑化すればするほど、わかりやすい悪辣な権力者が目の前に見えるわけではなくなったにもかかわらず、何かに支配され身動きできない情況が続いている。われわれはその中で、自らの命を超えた大いなるものへの一体感を失い続け、自意識は卑小な小市民の感情に収斂されるばかりである。

 我々は見失いかけている大義に思いをはせるべきである。

秩序とは何か

 人ある所に人なし、人なき所に人ありという。人が多くいる場所には大人物は出ず、人がいない場所にこそ大人物は出るという意味だ。義理と人情がごく自然に出るような場所で育つのは、人が少ないところだ。都市は人が多すぎるため、あまりに機械的に設計され、人の心が発揮できない場所になっている。秩序には人の心を自然に発揮させることを妨げることがある。
 思想の左右など、たまたま偶然のきっかけで別れたものに過ぎないのかもしれない。社会の善を考えざるを得ない人間にとって、右翼や左翼の差は大きな問題ではない。政府や世間が織りなす秩序は、彼らにとって、時に味方であり、時に敵である。右も左も変わらず、デモの主催者が嫌うのは問題を起して警察ににらまれることだ。それゆえ日本のデモは(ここで日本に限定しているのは海外の事情を私がよく知らないためで、それ以上の理由はない)とてもおとなしくて整然としている。警官に守られて整然と更新して、終わった後はお疲れ様でしたなんてやっている場合がほとんどである。このとき主催者はほとんど警察の代弁者にしかなっていない。問題を起さず、デモをただのガス抜きにしようとする側と一体となるのである。もちろん、デモに限らず政治運動は大方そういう具合になっている。それをダメだと言ったらおそらく何の運動もできなくなるだろう。だがそれでもそこに何らかの欺瞞性を感じないわけにはいかないのである。
 現代の日本はおそらく物質的には史上最も満たされている時代であろう。にもかかわらず、あるいはだからこそ、何か薄皮をまとった閉塞感が人々の心を覆ってやまない。右肩上がりの時代は終わりを告げ、成熟へと歩き始めた日本社会だが、歩き始めてふと、成熟とは何かまるで分らないことに初めて気づいたような、そんな心境であろう。そして何より、今の日本社会を回している「秩序」は、右肩上がりの時代に作り上げられたものだ。果たしてこの秩序というものを追究せずして、日本は未来に歩みを進めることができるだろうか。秩序のもつ便利さと恐ろしさを、もう一度見直す必要があるのではないだろうか。右肩上がりの時代に作られた秩序は、今のままでよいのであろうか。
 いきなり結論から言おう。秩序には官僚的な、人をがんじがらめにしてしまう働きがある。人々が元来持っている共同性すら発揮できないように無機質な制度に落とし込む怖さを持っている。人々の共同性がそのまま生かせる社会。その原点に立ち返らなければならない。
 法家は儒家の述べる徳治を「人による支配」であり、恣意的な政治であると批判したが、儒家もまた儒教道徳という絶対の規範の前では為政者たりとも従うことを求められるという意味で、「人による支配」を避けようとする思想であった。為政者が自らに有利なように法を作り、それへの服従を強いる「秩序」を、儒家は怖れた。
 組織は必ず何らかの思想もしくはイデオロギーを持っている。それはとても強固なもので、組織の構成員一人ではなかなか変えることが許されないものだ。組織の理屈はその理屈を維持するためだけに人を振り回し、押しつぶしていく。
 組織と秩序は密接な関係を持つ。組織の長は秩序を好む。それは自らに都合のよい形での「秩序」である。組織はその構成員に対して、どこか恩着せがましいところがある。就職させてやったのだから、そして給料を払ってやっているのだから、少々の転勤や残業にも文句は言うなというわけである。働かせてもらっている喜びをかみしめろというわけである。この巨大で無神経で不遜な組織の力は、どんな小さな組織にもある。そして時に組織は、こうした圧力を喜んで受け入れる人間になれと、人の心にまで踏み込むことがある。この横暴こそ、組織が求める秩序である。
 こうした圧力が日常的にある社会では、「気晴らし」をほしがるのかもしれない。社会にはびこる「レジャー」志向がそれである。「レジャー」は一種の散財である。日々さんざんこき使われた鬱憤を、散在して憂さ晴らししてくださいというわけである。だがそれが広告や観光産業と結びついた今日、その「レジャー」にすら飽いた白々しい感覚もまた社会に広がってきたように思う。「若者のクルマ離れ」「インドア志向」などというのはその一つの表れである。「若者」と言っているが、実は若者だけの現象ではない。
 企業組織の横暴の中で、心までも踏み荒らされた日常は、カネによってしか癒されない。働くのはカネのためである。そんな不健全な感情は、仕事では社会貢献はできないという絶望感と表裏一体のものである。組織に巣食う人間は、必ず面従腹背を覚える。なぜ面従腹背が行われるのか。それは組織が「喜んで」働くよう、心まで支配したがるからだ。人に過度な服従を強いる強権的な秩序は、面従腹背を育てる温床となる。管理と面従腹背は二つで一つだ。管理すればするほど、面従腹背が広がっていく。
 日本共産党は、平等を謳いながら、実際は東大卒のインテリ党幹部がすべてを決定する仕組みである。それが共産党の「組織の論理」なのだ。日本共産党に限らず、共産主義国家は、要は共産党がすべてを支配する、党幹部とそれ以外という階級体制を樹立するものである。
 マルクスの思想とマルクス主義は異なる。マルクスの思想は体系化されたものではない。体系化されたマルクス主義はマルクスの思想とは違う何かである。それを取りまとめたのはエンゲルスであった。マルクス自身が「私はマルクス主義者ではない」といったように、マルクス主義というイデオロギーは「マルクスの思想ではない何か」であろう。マルクスの思想はエンゲルスが取りまとめたが、マルクス主義はエンゲルスの手すら離れて世間に横行することになった。マルクス主義はマルクスの主義ではないが、エンゲルスの主義でもない。イデオロギーは広まる過程で得体のしれない「何か」に変わっていくのだ。イデオロギーは単純な図式的な思考である。それは思想とは大きく異なる。イデオロギーは秩序であり、思想は無秩序である。もっとも、思想は図式化されることで初めて広く人に伝わるともいえる。人に伝わるとは、「要するに」どうであるかが宣伝されるということでしかない。それは思想するものにとってはとても悲しい現実だが、ある種の心理であろう。図式化されていない「思想」というものは、師弟関係など深くかかわった人くらいにしか伝わらないものなのだ。思想とイデオロギーはまったく違うものであるが、思想とイデオロギーは区別しようとしてもできないものである。
 ソ連という国家は、外面は共産主義を標榜していたが、実質は政府が商売を独占する国家資本主義であった。江戸幕府による鎖国が、国を閉ざすものという世間の印象よりも、むしろ幕府が貿易を独占して行う、という方が正しいのと同様に、ソ連も共産主義という印象よりも政府が商売を独占して行っていたというほうが正しい。ソ連にはハエがいないというのは嘘だったが、労働組合は本当になく、労働者は生産計画のために搾取されていた。
 「全体主義」には二つの意味がある。全体のために個を圧殺する全体主義と、全体を構成する各員を全体のために救う全体主義である。ひとりのいのちは国家全体のためのいのちであり、決して軽んじられるべきではない。こうした全体主義もありうるのではないだろうか。しかしこれは、全体主義の二つの側面、裏表の利点と欠点を示したものとも言える。秩序は人を救うが、秩序の名のもとに殺される人がいるのである。
人間は利己的な動物か、それとも共同的な動物であるか。それは果たして二項対立として存在するものなのか。元来世の中のものは誰のものでもない。それを「私有」できると考えることの傲慢を想わざるを得ない。人間の利己性を深く認識するからこそ、その利己性を抑え、共同性を発揮できるよう努める立場もあり得るのではないだろうか。人には公正を望む心があり、義に生き、情に突き動かされる心がある。日常生活の中でそうした場面は、利己的な判断と同様にありふれていると言ってよいだろう。その時、人はあえて利他的な判断をした方が後々良いことがあるだろう、情けは人のためならずなどと功利的な計算をしているわけではない。義や情そのものに突き動かされて行動をしているのである。即ちそれは、営利活動のみ見ていただけでは世の中は語りえないということである。
 人は目に見える形で誰かと共同作業をすることばかりではない。にもかかわらず、人間として日々活動していることがすでに社会的存在であることの証明でもある。たとえば言葉が、嗜好が、価値観が、すでに社会的、歴史的存在なのである。即ち「個人」はどこにもいない誰かではなく、必ず国籍、社会、文化を背負った一人として存在する。
 ではなぜ、時に秩序が人を圧殺することがあるのだろうか。ワンフォーオール、オールフォーワンと言ったところで、現実は簡単に上司やお偉いさんの都合が、いつの間にか「全体の意志」として服従することを要求されるべき何かとして我々に迫ってくる。そこには共同性の欠片もなければ社会性もない。機械か道具にでもなった気分にさせられる。それに嬉々として従うことが人生の指南書なのだとしたら、即座に破り捨ててしまいたくなる。だが、こうした共同的、社会的関係が服従に置き換えられていくことに絶望し、人生に絶望してしまう前に、それらが弱肉強食に彩られていることに気づくべきであろう。弱肉強食は、弱者に過度な卑屈を強い、強者に過度な自尊を与える。その過程で共同性が見失われ、服従関係に置き換えられているのではないだろうか。弱肉強食は弱者を「人」として見なさない。雇用関係は労働者を「人」ではなく、はさみか机かパソコンのような「備品」に置き換えた。カネを払って使っているのだから、それはモノと同じというわけである。「ワンフォーオール」として求められる「オール」は、本当は誰かの「ワン」でしかないのかもしれない。ならば人に「ワン」の理屈を強要できる立場の人間が幸せなのかと言ったら、そうでもない。と言うより、そんな立場の人は誰もいない。人に「ワン」を強要する人間は、実は誰かの「ワン」の理屈を強要されている。それは顧客だったり、株主だったりする。そうやって連鎖反応のように誰かの要求に振り回され疲弊し、道徳が荒廃していくのである。
 マルクス主義が生まれる前から、貧者は街にあふれ、その日暮らしを送っていた。それを義侠心から告発した言論人は、明治時代には思想的立場を超えて存在した。だが、ロシア革命が起こる前後から、人は共産主義を憎み、共産主義者と誤解されることを恐れるあまり、貧しい人々を救うことを主張することを躊躇した。共産主義はかえって貧者の立場を苦しくしたとさえ言えるかもしれない。共産主義国家は貧者の楽園でも何でもなく、ただ「共産党関係者」と「それ以外の人間」という階級を固定する装置にしかならなかった。共産主義は貧者を誰一人救わなかった。だがそれは、共産主義の対立概念である資本主義、あるいはそれによって生まれた格差を何一つ正当化するものではない。
 マルクス主義は共産主義国家の崩壊とともに忘れ去られる思想であるかのように思われてきた。だが、資本主義に毒された人々が世の中を売買の関係にすりかえ、自己利益の追求を当然のこととみなしたとき、労働力も完全に「商品」となり、皮肉にもマルクス主義の見立てが裏打ちされることとなった。そうなったとき「プロレタリアートの窮乏化」は現に実質賃金の低下として眼前に広がりつつあるではないか。市場がもたらす秩序はまったく合法的に人を窮乏に追いやる。このことが意味する恐ろしさを改めて確認しておくべきだろう。
 ルールを一度曲げると、それが常態化してアノミーに陥る。それを避けるためには、ルールを厳格に守る必要がある。ところがルールを厳格に守りすぎると柔軟な対応ができず、ルールによる保護から零れ落ちる人が出てくることになる。深い信頼関係が醸成されている組織ならば、ルールを柔軟に運用し零れ落ちる人々を救済することができる。組織において、構成員が深い信頼で結ばれることはとても重要なことなのだ。
 政府を最高の価値と捉え、国民はその政府に奉仕するだけの存在とみなすような考えを時に公然と披瀝する論客がいる。自民党に寄生する類の自称保守がそれだ。面白いのは、そういう人はたいてい政治の中枢に携わっている人ではない。その周囲に寄生していると言ったら失礼だが、そういう人が礼節も謙譲の美徳もない発言を公然と唱えるときがある。権力は時に自国の文化を破壊したがる時がある。むき出しの権力を誇示したいものにとって、時に文化は足かせになる時があるからだ。企業家や財界も同じで、労働者に対する手当てや当然払われるべきとされている態度を、競争や自己責任の論理のもと放棄させたがるのは、そうなればむき出しの権力がものをいう世界になるからであろう。
 人生を決めるのは、ささいな運命のいたずらであることが多い。運は、神という言い方が適切かはわからないが、人智を超えたものから与えられるものだ。それは、俗世の地位や貧富などで差別されることなく、誰にでも訪れる可能性がある。悲運も同じで、この世の栄達を究めた人が病であっという間に亡くなることだってある。人は、運命の前に平等である。共産主義は、こうした神様のいたずらさえも人為的に平均化しようとしかねない危険性があった。と同時に、資本主義者はこうした天運さえも個人の努力と実力と成果に帰属させかねない危険性がある。どちらも人智を超えたものに対して不遜な思想である。幸も不幸も巡りあわせである。天から得た幸運を社会に還元し、天が与えた不運を皆で分かち合う敬虔さを、資本主義も共産主義も欠いている。近代社会が与えた秩序は、こうした人智を超えた働きを忘れさせるものであった。およそこの世に永遠に続くものなどない。資本主義も共産主義と同じく、必ず消滅する日が来る。資本主義は、その裏面である共産主義と共に崩壊するものである。崩壊した後も、人間は残り、文学が残り、歴史が残る。
 もちろん、身に起こることすべてを運命だと達観し、あきらめたり加持祈祷に走る態度は論外である。それは幸田露伴が『努力論』で世の成功者は幸運を自分の実力だと思い、失敗者は不運を運命だとあきらめていると述べたことにも通じるものがある。だがその露伴は、自己の幸運を自分のものだけとはせずに、世に幸福をもたらすべく使う「植福」を重んじたことを忘れてはならないのである。
 政治家によって語られる政治には、人を支配するための偽りが隠されていることが少なくない。「財政危機であるから増税する」とか、「日本を守るために集団的自衛権を行使できるようにする」等がその類である。これに対して、「日本の「借金」は多く国内によるもので大きな問題はない」であるとか、「集団的自衛権の行使はアメリカの要請によるもので、より対米屈従的外交政策を取らされることになる」と言った論理的反論をしていくことは重要だろう。私もそれを否定しない。だがそれは短期的目線に立つものであり、政治が「まつりごと」になっていない限り、人が人を支配するための道具にしかならないという根本命題を解決するものではない。神々が人を支配するのではなく、人が人を支配する限り、そこには強者による弱者の搾取という側面が付きまとうのである。
 政府が持つ権力には魔力がある。権力は人をひきつけてやまない力がある。権力に近いものが甘い汁を吸い、そのつけをその他のものが払うという不条理は、歴史上数知れず繰り返されてきた。それでも権力が露骨に人を支配することを善しとしない思想もまた古くから語り継がれてきた。例えば儒学は信賞必罰をあるべき姿としながらも、寛刑を善しとし、権力が人を拘引するさまを嫌うところがあった。犯罪が起こるのは社会が乱れているからであり、その乱れを正さずして犯罪者を処罰するだけでは事態は何も変わらないと考えた。近代国家における犯罪の処罰は、犯罪行為に対する責任追及が主で、その事態をもたらした根本原因とその改善は人々の叡智に頼っている。たしかに根本原因の治癒は、むやみに制度に組み込まれる必要はないだろう。だが、一人一人が、犯罪者を処罰するだけでは何の解決にもならないことを自覚すべきではないだろうか。
 我々は連帯しなければならない。人は一人では生きていけない。だが、その連帯の合言葉の中に、既に抑圧と馴れ合いが潜んでいるのである。連帯を求めながらも、その中で各人が孤立を恐れず主張し、なおかつ周囲もそれを寛容に受け止める。そんな世界は脳内にしかないのかもしれない。
 人の純然たる思い。本居宣長はそれを「もののあはれ」と呼んだが、そんな原始的な感情を、社会とか組織というものは簡単に抑圧する。秩序とか道徳という名によって。だがそれは秩序や道徳が要らないということにはならない。なぜならそういったものがなくなればなくなるほどむき出しの権力によって人が人を支配するような世の中が訪れ、人々は却って抑圧されるからである。また、何事にも寛容でありすぎると、却って差別化と排除が盛んになったりもする。まことに人の世は救いようがない。だが、人の純然たる思いの中には、おそらく全体と調和しつつ個の尊厳を害さないものへの希求が含まれているだろう。人はそれを良心とか、良知とか呼んできた。秩序とか道徳という名で実はそういう内容が唱えられたこともあるだろう。社会とは、自分の外側にあるものではない。自分は社会の一部分であると同時に、社会は自分の一部分なのである。なぜなら社会は人々の「期待」の寄せ集めでもあるからだ。そうした人間の「期待」に託すしかないのかもしれない。