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自然と信仰に生きる生活―農本主義的世界観

農本主義を唱える者は、実際に農業を営むべきなのかもしれない。学者でもないのに農本主義研究を行い、農本主義に共感するからこそ、その自問自答は消えない。
一方で現代は、アグリビジネスとしての農業はともかく、農本的世界観の実践の場としての農業は滅びつつある。
そういう意味では思想的に世界観を問うことにも一定の意義はあるだろう。

日本人のみならず現代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆らって文明の進歩発展・経済発展の道をひた走ってきた。こうした進歩発展的世界観が忘れてきたのは、資源は有限であるということだ。一部の怪しい環境活動家が跋扈する現代の状況は望ましいものではないが、環境問題が深刻になってきていることは否定しがたいだろう。
化石燃料が有限であるということは指摘されてきた。それだけではなく土壌もまた有限なものである。農作物を生産できる土壌は限られている。農地でない場所で作物を生産するためには、何年もの月日を経るか、化学肥料漬けにしなくてはならない。だが化学肥料を作るには大量の化石燃料が必要だし、化学肥料を使ってしまえば、細菌が営む土壌の機能は低下し、土地はますます痩せてしまう。また、化学肥料の蔓延は、機械化とともに農業の金銭産業化を促進させた。工業化された農業は、農村から人を追い出し、都市貧困層に加わらざるをえなくしている。大地に抱かれ信仰とともにあった農村の生活はなくなり、農民心理は商人心理に変化した。一にも二にもカネを求める農村は、ただの不便な都会と化した。アスファルトとコンクリートで固めた都会(都市化した農村を含む)には生き物の臭いがしない。都会そのものが無機質な工場だ。農業あっての都市であり、あくまで本分は農業におくべきである。

近代的世界観が世界を覆ったことで、個人主義的となり、共同体の絆や信仰の力が弱まってしまった。金銭的価値だけで世を図ろうとする自由貿易、国際分業、グローバリズムの推進は大きな禍根を残した。
農業は、単なる食料を世に届ける生産基地ではない。自然と深く関わり、環境保全や景観の維持、そして地域共同体を支える営為なのである。わが国の農業は、神道の信仰と深く結びついてきた。収穫への感謝が新嘗祭、大嘗祭というかたちで宮中祭祀の重要祭祀とされていることからもそれはうかがい知ることができる。わが国は稲作を営むことにより、米と文化、信仰が密接に絡んだ世界観を作りあげてきた。米とともに粟などの畠作も重要な役割を担ってきた。
余談ながら「畠」という字は国字で、水田の周りに存在する、水を入れない乾いた耕地を意味する。焼畑を連想させる「畑」とは違った概念である。
近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を崇拝し畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようという近代的世界観が世を支配した。それに対抗するためには、地産地消する流れを促進する意識を持つことが重要だ。里で、山で、浜で、それぞれの土地にあったものが作られ、食されること。これこそが地産地消の発想であり、自然自治の思想である。

自然自治は、自然の中に宿る生命と人間の生命とが一体であるという心を大切にすることによって実現するのである。
都市化を切望するのは資本主義の必然である。そしてそれこそが資本主義がもたらす害悪なのである。
資本主義の負の側面を是正するのは、人々の共同の力である。それは農業、地域共同体、共同組合によって担われる。わが国の共同組合のルーツは、頼母子講などの伝統組織を経つつ賀川豊彦の主導で始められた共済事業や生協である。しかしこうした事業にはクリスチャン賀川豊彦によって担われたこともあり、日本の伝統信仰に基づく意識が希薄である。自然と共に生きるという日本人の信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養うことが大切である。
日本人は祖先の魂が自然と一体になる信仰を持っている。祖先の御霊はふるさとに残っている。それを破壊し続けてきたのが資本主義だ。なぜ右翼、保守派が資本主義に甘いのか。それは冷戦によるものでしかない。もはや冷戦が終わって久しいのに、いまだに左翼攻撃しかできない右翼保守派の惨めさは眼をおおうばかりである。ましてや権力の太鼓持ちと化し、下劣なヘイトスピーチや権力への異議申し立てをする人を罵るだけの人間など論ずるに値しない。安倍政権が退潮するに伴って、こうした愚劣な輩も一掃されることであろう。

今年も台風により大規模な被害がもたらされた。地球温暖化によってか、台風が日本列島にやってくるルートが変わってきたのかもしれない。自然との共生、信仰の回復、農の精神の再興は急務である。あらためて日本の伝統的価値観を取り戻すことが重要なのである。

近代への抵抗

共産主義か資本主義かにかかわらず、近代はあらゆるものに世俗化、大衆化が進み、便利になる反面陳腐化していった。なかでも知識に対する蔑視感情は強く、そんなもの得たところで一円の得にもならないと教育をバカにする声は産業界を中心に起こっている。ならば中卒人材を採用すればいいだけの話なのだが、そうならないところが不思議でならない。

私自身は心ならずも会社員として働いているが、働かないことに対してまるで犯罪者のように捉える風潮は根強い。「働かざる者食うべからず」はレーニンの言葉だったが、資本主義共産主義共通の世界観である。
本当は山で木の実をとったり、川で魚をとったりしてぶらぶらと暮らしてもよいはずだが、そういう生き方を政府も社会も許さない。農林水産業というひとつの事業者としてくくりたがる。そこから溢れたものは浮浪者として排除する。浮浪者だと安定しない、冬は寒いし夏は暑い、といったリスクを甘受するならば一つの選択肢といってもよいはずだが、なぜだか排除したがるのである。会社員の方が浮浪者よりえらい人間であるかのような空気がある。
浮浪者も排除したし、歴史を動かさんとする浪人をも排除した。個々の利益を追求するのに夢中で、社会の根本的変革を望む者、社会からあぶれる者を置き去りにした。
あぶれ者を厚遇しろなどと言っているわけではない。無理やり警察権力で排除する必要はないのではないかということだ。
近代的価値観は行き詰まりをみせている。その反省が必要である。権力からも遠く、民衆からも日陰者のようにみなされる浪人あるいは草莽の生きざまにこそ、注目しなければならない。

行き詰まりの正体

既存の俗流経済論は、経済における政府権力の存在をほとんど無視することで成り立っている。政府権力は、時に国民を守り福祉を提供し格差を減少させるが、時に一部商人と結託して一部の人間の利権のために動くことがある。

社会福祉をおもんじる立場も市場競争をおもんじる立場も、どちらも物質的充足を人生の目的としていることは変わらない。だが、物質的充足は人生の手段であっても目的ではないのではないか。要は金銭的な意味でなく何を成したか、何を残したかが重要ではないか。
かつて労働とはそういう自己実現的側面があったが、分業化マニュアル化が進めば進むほど、労働は苦痛で生きるために仕方なくせざるをえないことに変わっていった。
戦後日本は自ら戦争を行う気概を失った。憲法前文及び九条は、平和主義の美名のもと実は米軍の保護下におかれる自己正当化にすぎない。しかし自ら国民を守る気概のない国が経済的にも国民生活を真剣に守るはずがない。そのような政府など信用に値しないが、政府への信頼が奪われてしまえば、人々はますます目先の自己保身に汲々とし、物質的利益に固執するようになってしまう。
資本主義だろうと共産主義であろうと、人々を土や文化から引き剥がそうとする。土や文化から離れた人間とは、共同性を失った人間である。都会も田舎も風景が等質化され、ふるさとはただの出身地でしかなく、郷愁をもたらす存在ではなくなってしまった。こうした事態をもたらしたのは開発を無条件によしとする発想であろう。開発は、利権にとらわれた政治家(つまり政府関係者)が進めてきたことである。
卵が先か鶏が先かの循環論法になってしまいがちだが、政府=人心=開発の関係をみていくことは重要であろう。そして政府=人心=開発の関係を支えているのが進歩主義である。進歩だ発展だとそんな軽薄な概念にうつつをぬかしている隙に、われわれの人間存在が希薄化してしまっている。現代の行き詰まりの正体は、およそこのようなものではあるまいか。

家族と会社員、近代化

わたしには自らの思想について一つ気になって仕方ないことがある。
それは、家族についてである。

わたしの政治思想を思うに、どう考えても家族は最重要の存在と考えなければならない。家族は道徳の根幹ともいえる。
だが、現実にいまの世の中でありうる家族を考えてみたとき、あるいは自分が今後持つかもしれない家族を思ってみたとき、そこには大きな希望をつなぐことはできない。
例えば赤尾敏の夫婦仲は、晩年はよろしくなかったと言われることなどを考えると、ますますそういう思いが強くなる。
家族というものは俗物であり、基本的に家族が世のため人のために何かをすることを喜ばない傾向にある。赤尾家も「夢ばっかり追って」と運動に邁進する敏にあきれたのがきっかけだったようだ。

ところで現在は国民の大多数が会社員である。わたしも会社員である。だがこの「会社員」ほど不思議な存在はない。会社員の家に生まれると、子どもは親が働く姿を見ないで育つことになる。会社員は安定した収入、安定した休日、分業による生産性の向上とまさに資本主義に特化した存在だが、こうした会社員を生むために犠牲になってきたのが、農村であり、家族的自営業者であり、ふるさとであった。

高齢の人に「あなたの人生で一番楽しかったのはいつごろでしたか。それはなぜですか。」と聞くと、「昭和三十年頃が良かった。家族みんなで仕事ができたからだ。」と答えるのだという。家族みんなで仕事が出来る機会を、都市は、会社は、奪ってきた。経済発展のために。

その結果、家族の繋がりはとても薄いものとなり、「親子の縁もカネ次第」の世の中となってしまった。艱難辛苦を共に乗り越えることのない、抽象的なカネでしか結びついていない関係となってしまったのである。これでは家族関係が希薄化して当然だ。

大家族制も解体され、核家族さえ希薄化した今、われわれは砂粒の個でしかないのだろうか。

生命の希薄化

 啓蒙的な合理主義によって世の中が進歩していき、発展していき、幸せになっていくー近代社会が描いた未来像である。それを達成するために、合理主義の名の下にまず信仰が「迷信」とされた。次に芸術が解体され、学問は実証可能なもの以外は排除され、文学や音楽は売れ行きだけがそれへの価値を示す指標となった。歴史が権力闘争と利害関係の織り成す群像劇に置き換えられていくのと同時に、人々が真に仰ぎ見る正義を貫いた姿が見えにくくなった。その合理主義の究極が、国家を解体するグローバリズムである。だが、グローバリズムの破綻と金融工学の失敗は、われわれに合理主義の限界を教えた。むろん、合理的な態度は冷静な判断をもたらすと言う意味で人間に必要なものだ。捨てられるべきは合理主義以外のいかなる発想をも打ち捨て、未開野蛮時代遅れとみなす態度であろう。

 イスラム原理主義はそれら合理的世界観へのアンチと見られる事がある。だが、彼らもジハード以外に信仰的価値を見出せないある種のニヒリズム的心情を抱えている。さらに言えば彼らのルーツは、ソ連に抵抗するためにアメリカが育成した集団である。アメリカとイスラム原理主義もまた、同じところに起源を持っている。

 国家と、伝統的に培った信仰とが巧みに共存し、人々の精神的安寧をもたらす世界観は、なかなか現代で想像しづらくなってしまった。わが国では伝統的に民俗信仰による共同体的国家観を培ってきたと言える。しかしそのわが国ですら、ビジネス文化と外国人労働者の流入なくして回らない経済が、共同体的国家観をはぐくむ事を妨げている。今こそ日本の伝統の古層に還り、自ら培った世界観を取り戻す事が求められているにもかかわらずである。

 神武天皇は八紘為宇を宣言し、それがわが国の建国における大きな精神のひとつとなっている。八紘為宇はナショナリズムではない。しかしすべてをまぜこぜにするグローバリズムでもない。「各其処を得る」、すなわちすべての民族がその培った伝統を発揮し、共存していくことである。相互理解の下に各住む領域を定め、共存していく事ではないだろうか。

 最初に書いたとおり、合理主義による近代社会は人間を真に鼓舞する、生命の源を希薄化させてしまった。それへの批判精神を持った上で、新たな理想を提示しなければならない。それこそが「八紘為宇」の世界観である。新たな大理想を描き、それへの実現に努めることがわれらの使命ではないだろうか。

なじめぬ自己

 近代に入って、自由競争による市場の発達が生活を向上させ、衛生的な環境をもたらし、乳児死亡率を下げ、繁栄をもたらしてきたが、同時に人間を不幸にもした。人々は商品の奴隷、いや、人の人生そのものが労働と言う名のもとに商品となり、すべてのものが市場価値に置き換えられそれ以外の評価軸を許さない。学問も思想も政治も芸能もスポーツも、世の中のあらゆるものが市場に飲み込まれ、そこでしか生きられなくなっている。伝統も、民族の誇りもカネ次第と言う世の中になってしまいつつある。そんな現代に対して、生きづらさを抱えている。

 人生を削り、何のために生まれたのかもわからぬままいいように使役せられ、気づけばもう若くない年齢に差し掛かり、病巣を体内に抱え込むようになる。会社員の人生にはその程度の未来しか待ってはいない。そうなれば後はゆっくりと死に向かって歩むだけである。それが市場に翻弄されるほとんどの人生である。
 ではそうでないものは優雅な生活を送れているかと言えばそうではない。株価や不動産価格に一喜一憂し、責任をかぶされ、せっかく稼いだ金を使う時間もない。妬み嫉みにさいなまれ、何をしてもしなくても悪いように解釈され、憎まれ、馬鹿にされ、金づるとしか思われず、カネがなくなれば誰も残らない。誰一人をも幸せにせず、その不幸の負のエネルギーを食って市場はいつも通り動いていく。
 チャップリンが歯車に巻き込まれる様で市場に翻弄される人間を風刺したが、現代はまさに制度が先に立ち、その制度を維持していくために人間が犠牲になっている。そのような生活である。たかだか会社勤めをしているに過ぎない人間を「社会人」などと呼びならわす現代日本人は市場が大好きなのであろう。わたしは嫌いだ。市場に塗れなければ一日とて生きられぬ自分の人生をも呪う。

 市場も好かなければ多数決の民主制にもなじめない。多数派になるようなものはたいてい碌なものではないことは経験上知っているし、それだけの人の意見を糾合できるようなものは何らかの嘘が含まれているに違いないのだ。だから多数決で勝つものはすべて間違っている。極端な話、わたしが考えた案であったとしても、それが多数派になってしまったらそれはもう偽物である。

 さりとて共産主義に共鳴することもできない。資本主義、民主主義、共産主義は同じ穴の狢であり、近代思想の三兄弟とも呼ぶべきものだが、そのどれもが近代思想に基づく偽りの考えである。

 わたしの居場所などどこにもない。別に居場所が欲しくて書いているわけではないが、少なくとも安易な答えを求めて脊髄反射のような態度しか取れないような人は軽蔑する。不敬だ、反日だ、売国奴だ、戦争法案だ、軍靴の足音が聞こえる…。人をアイコンで判定するようなまともでない人間の言葉に耳を傾ける暇はない。

 ほとんど連想ゲームのようにただ思うことをだらだらと書いて結論もなく起承転結もないひどい文章だが、とりあえず今思っていることとして残すこととしたい。

価値観外交という薄甘い世界観

 本日は坦々塾新年会に出席させていただきました。二次会で一言発言する機会を戴いたので以下にその内容を記します。
 実際はもっと拙いものでしたがこういうことが言いたかった、ということでご容赦いただければと存じます。

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 わたしは戦後70年の安倍談話に違和感がある個所がありまして、違和感だらけなんですが、本日のシンポジウムで登壇者がご指摘されなかった部分について述べたいと思います。以下その違和感のある個所について読み上げます。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携え

 と書かれているのです。

 外交は自由、民主主義、人権などという薄っぺらな価値観で決まるものではなく、国際情勢や国益など、さまざまなことを総合的に判断して決められるべきものであります。もちろん不自由ではない方がいいでしょうし、独裁者なんかいない方が良い。自国民を迫害する政権など論外であります。しかしその程度のことを外交的価値観として、しかも普遍的なものとして打ち出すことに大変強い違和感を覚えます。

 この論理構造、どこかで見たことあるなと思ったら、日本国憲法前文に「政治道徳の法則は普遍的なものであって」云々と書いてあるんです。これを見ても、わたしは安倍談話は戦後レジームの克服に何ら寄与していないと思います。ゆえに支持できるものではないと考えます。

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 「自由、民主主義、人権」とか「法の支配」等を普遍的な価値観とみなす価値観外交というのはアメリカのネオコンが生み出した概念だと言われる。それに安倍や麻生といった自民党の主要政治家が共鳴したのだと言われる。それはその通りであろう。だが同時に東京裁判史観や日本国憲法を押し付けた世界観とも不思議と共鳴することも忘れてはならないのではないか。安倍談話ではそれを「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」と、戦前にまで当てはめているのである。全く噴飯物の歴史観である。と同時に価値観外交は、利害関係や謀略渦巻く国際政治のどろどろした部分を何も見つめていない。ただ、「自由、民主主義、人権」を共有する国と手を携えましょう。それで世界平和が成し遂げられるのですという全くのお花畑的世界観に貫かれていることも指摘しておかなくてはならない。

 安倍総理は安倍談話の最後を「終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」と結んでいる。「そのような日本」とはどのような日本か。どう読んでも安倍総理は「「自由、民主主義、人権」の価値観を共有する国と手を携えることで世界平和に貢献する日本」を思い描いているとしか読めないのである。このような子供でも信じないようなことを平然と言える総理大臣で日本は大丈夫なのだろうか。外交上の深謀遠慮があるのかもしれない。それはわたしにはわからない。だが、それにしてもこのような近代的価値観に対する疑いの念が全くない世界観はあまりにも軽薄で、到底承服できるものではないのである。

『昆虫記』余話

 アンリ・ファーブルの『昆虫記』は、大変有名な本の一つであるが、意外にその中身を知らない人が多い。ファーブルの『昆虫記』は昆虫の観察に関する回想録であるが、その中に折々ダーウィンの進化論に対する批判が挟み込まれている。そしてまさにこのことこそが、ファーブルが『昆虫記』を執筆した動機とも思われるのだ。ファーブルはおそらくキリスト教的発想から進化論を批判し、昆虫は本能によってその社会を形作っているということを研究した。その成果が『昆虫記』なのである。その成果は日本でも早くから注目されている。
 ファーブルの『昆虫記』を日本で初めて紹介したのはキリスト教的社会運動家賀川豊彦だと言われる。だが、賀川の叙述の段階からすでに『昆虫記』を適者生存弱肉強食批判として読み替えている。実際に自然界の摂理から弱肉強食を批判したのは、戦前発禁されていたクロポトキンであり、ファーブルはそのクロポトキンの文脈で理解され紹介されてきたという歴史的経緯がある。
 ところで、ファーブルの『昆虫記』を初めて全訳したのは賀川ではなく無政府主義者の大杉栄である。先ほど書いた賀川がファーブルの日本での最初の紹介者だというのは、大杉訳の『昆虫記』の序文に依っている。大杉はファーブルに関する情報を賀川から得て、初めて読んだファーブルの著作も賀川から借りたものだという。しかし、大野正男氏はファーブルを日本で初めて紹介したのは賀川ではなく、他にも先例があるという。詳しくは氏の研究を読んでいただきたい(大野正男「大杉栄『昆虫記』までの日本ファーブル史」日本古書通信平成23年9月号~10月号)が、結論を言えば明治43年の三宅恒方、内田清之助「ふをるそむ氏昆虫学」が最初だという。ただしここでは断片的に触れられているのみのようだ。他にも大野氏が何名かファーブルの紹介例を挙げているが、まとまったものは賀川、大杉の時代まで待たなくてはならないようだ。ところでこれまで、『昆虫記』と当然のように述べているが、原題は「Souvennirs Entomologiques」というそうで、直訳すると「昆虫学的回想録」となるそうだ。これを『昆虫記』と訳出したのは大杉の感性の賜物で、古事記や太平記などの書名を背景とした命名であろうと先行研究でも指摘されている。この『昆虫記』という人の耳目を引く題名は他の訳にも利用され、シートンの著作は『動物記』と訳され、牧野富太郎は自らの著作を『植物記』と名付けるなど日本社会における影響が大であった。
 『昆虫記』で批判されたダーウィンの進化論であるが、その進化論は、当時の日本では、資本主義を肯定する者にも否定する者にも広く受け入れられていた。そして、その生物進化の法則を社会的に適用したダーウィニズムが、立場を超えて様々な論客の間にも浸透していた。徳富蘇峰の「将来の日本」は武力社会から平和社会に進歩すると論じていたし、陸羯南も『国際論』で、欧米の文化一色になっては世界の文化の進歩は望めない、として東洋文化を護っていくことを主張している。資本主義者は競争の結果を「適者生存」とみなし正当化し、共産主義者は「資本主義から共産主義に進歩しなければならない」と考えていた。
 不思議なもので、大杉は『昆虫記』の訳者でもあるのだが、ダーウィンの進化論、『種の起源』の訳者でもあるのだ。大杉は丘浅次郎(実は丘も『昆虫記』の初期紹介者のひとりである)の『進化論講和』の愛読者であった。明治期の社会主義者にとって、『進化論』は社会主義と矛盾するかということは大きな関心事であったし、日本社会全体がこのダーウィンの進化論から発展した俗流の社会進化説に賛同・反発両面で大いに囚われていた時代でもあった。「社会進化説」は封建主義から資本主義を経て社会主義に進化するものとして、唯物史観にも使われたくらい社会主義と縁が深いものであったが、同時に適者生存、弱肉強食を正当化する理屈でもあり、真正面からこれを唱えることは社会主義者にとっては抵抗があったに違いない。こうした矛盾した両面の影響の中で進化論とその批判は受け取られたのであった。大杉がダーウィンの『種の起源』を翻訳したのは大正三年から四年にかけてであり、『昆虫記』訳出の時期(大正十一年ごろ)より早い。余談ながら進化論に関しては、昭和天皇が生物学者の姿を持つことが、戦後から世に広められたと誤解されているが、実は戦前からマスコミを通じて積極的に広められていた。「科学者としての天皇」は戦前社会が求めた一面でもある。ただし「現人神」としての天皇と「科学者」としての天皇が特に進化論関連について矛盾しないかということについては敏感な問題だったようで、天皇の研究が生物の形態研究にとどまっており、進化論の哲学的理論に進んでいないかは西園寺公望なども注目している(右田裕規『天皇制と進化論』163頁)。そういえば北一輝は昭和天皇を「クラゲの研究者」と軽蔑するように呼んでいたという話が渡辺京二などによって語られ、北が尊皇的でなかった証として語られる。それはあたっているかもしれないが、進化論と現人神の関係を見るとまた別の側面もあるように思える。
 さきほど社会ダーウィニズムについて書き、大杉が『昆虫記』の訳者であると同時に『種の起源』の訳者でもあることを不思議だと書いたが、実はダーウィンの進化論は、強いものが勝つというよりは環境に適用したものが勝つという内容であった。その意味では、「進化論」と『昆虫記』の両立も可能だったのかもしれない。
石川三四郎もまた『昆虫記』を部分的に訳出しているが、そこでは「彼等は淘汰だの、隔世遺伝だの、生存競争だのを持ち出して論証する。成る程堂々たる言葉だ。が、私には寧ろ幾分かの、つまらない事実のほうがいゝ」と述べ、生存競争を否定的にとらえた(「昆虫哲学序論」『近代日本思想体系16 石川三四郎集』196頁)。これは抄訳だからこそ石川の関心がどこにあったかが伺えるのである。
 現行版岩波文庫の『昆虫記』を訳した林達夫と山田吉彦(きだみのる)は思想的信念から『昆虫記』を訳したのであろうか。二人ともフランスびいきであったようだが(『歴史の暮方』中公クラシックス版38頁)、それだけであろうか。
 林達夫の妻は和辻哲郎の妻の妹だった。和辻と林は戦後『思想』という雑誌でともに活動した。林はマルクス主義からの脱皮を自力で行おうとした。少なくとも我が国では、『昆虫記』はアナキズム的思想を持った人物に愛されてきた。アナキストは資本主義への批判者であることと同時に共産主義への批判者でもあった。林がアナキストであったかはわからないが、少なくとも「資本主義への批判者であることと同時に共産主義への批判者でもあった」ことは間違いないだろう。
 きだみのるは友人関係にアナキストを持ち、旧制中学のころから幸徳秋水に関心を抱くなどの思想遍歴をたどっている。ただしきだ自身がアナキストであったかどうかはよくわからないし、それが『昆虫記』の訳と関係するのかどうかも不明である。以下わかったことだけしばし書き留めておきたい。
 きだは「『昆虫記』のファーブル先生が教えてくれること」として、「虫は本能をモーターにして動く機械」であると言う(『人生逃亡者の記録』21頁)。また、人々は「考えないで行動するときは人間らしい行動を、即ち社会を勘定に入れた生活をなし、考える動物として行動する場合、人間の尊厳を失った動物となる」と言う(『気違い部落周遊紀行』113頁)。きだは、伝統にのっとり相互扶助をしながら生活することを「人間らしい行動」とし、自己利益に基づいて行動することを「人間の尊厳を失った」行動だとみなす。考える、考えないを本能に基づくか理性に基づくかの対比と同様に考えてもおそらく問題あるまい。きだが『昆虫記』に託したのは理性(=自己利益)ではない本能(=相互扶助)の生活だったのかもしれない。
 ほとんど連想ゲームでしかないが、片山杜秀は『日本の右翼思想』で、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を使いながら、脳ではなく体全体で考えることが必要であると考える思想があったことを論じ、それが近代個人主義に反発するものであり、共同体みんなが生々しくつながりたいという願望を持っており、ファシズムと親和性が高いとまで言う(196頁)。片山はそれを踏まえて三井甲之など「右翼」思想家の身体論に結びつけていくわけだが、果たしてそれは「右翼」のみの思想的特徴だったのだろうか。
 『昆虫記』を思想書として読む人は少ない。だが、近代の日本におけるある種の思想において、理性ではなく本能に基づく秩序の模索の関係から、『昆虫記』が注目されたことは間違いない。この問題につては今後も関心を持ち続けていきたいと考えているが、ひとまず中間報告としてここまで論じた次第である。

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◆今後の更新予定

 今書き進めている長編物のブログ原稿は以下の通り。

・地理と日本精神

・陸羯南論―「自由」と「国際」に潜む絶望―

・伝統と信仰

・皇室中心の政治論

・蓑田胸喜『国防哲学』を読む

・秩序とは何か

・世界文明のために

・武士と商人