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読書メモ:橘孝三郎『神武天皇論』

橘孝三郎は五・一五事件に関与したことでも知られる思想家である。
その橘が戦後著した大部の本が通称天皇論五部作と言われるものである。
橘の戦前の論考は時事的な内容を論じることが多かったが、天皇論五部作は歴史評価に基づきあるべき姿を描いたものである。
この天皇論五部作は実質自費出版に近いものであったらしく、橘はこれを出すために自らの家を売りに出したともいわれている。また、戦後の風潮の中で橘の天皇論執筆に協力するものは任侠右翼くらいしかなく、賭場で机を出して執筆していたとも言われる代物である。

今回はその第一巻『神武天皇論』についてである。
と言ってもブログに書いてはいるが後で自ら読み返すための備忘録程度のものと捉えていただきたい。

まず序論から、共産主義と資本主義の不当を論じ、金が生活を安定させるという金に対する迷信を打ち破ることが必要だと論じる。そのうえで日本民族の指導原理を皇道文明に求めた。

神武東征を周の武王的革命ではなく、モーセのエジプト脱出、くにまぎとして捉えることはユニークな視点。

津田左右吉(と思われる)推古朝以前の記紀に代表されるわが国の儒佛到来以前の歴史を後世の造作と見る見解を一蹴。儒佛到来以前には神道の日本文明があったとして江戸時代の伴信友などの国学者などの業績を使いながら神社の事績等を膨大に書き連ねる。

神武天皇の祭政一致の政治は日本史上に於いてばかりでなく世界史上においても最も理想的なものであったとする。

権藤成卿が東洋的教養に基づき歴史評価を論じているのに対し、橘は西洋的教養も非常に深いことが特徴。

社畜の登場

高度経済成長は日本人に何の良いことももたらさなかった。
高度経済成長が日本を破壊したと捉えるべきである。この頃から日本人は占領基本法(通称「日本国憲法」)を改正する気力を失い、花より団子、右翼も左翼も衰退することとなった。三島由紀夫が自衛隊に檄をとばす覚悟を固めたのも、この頃の日本人の体たらくに憤ってのことである。

昭和40年ごろから、松下電器(現パナソニック)などの企業で会社が住宅ローンを手当てする代わりに持ち家を推奨する風潮が現れた。一見企業による社会福祉の増進を示すような事例に見えるが、これにより企業は従業員を借金まみれにし、借金をタテに従業員を働かせる「社畜」が登場したのである。無理な転勤、ひどい残業も借金を抱えている身では甘んじなければいけない。
サラリーマンはローン返済のためだけに生きるような存在となってしまい、カイシャに縛られることとなった。

カイシャに縛られ、社会のことに気を向けられなくなる異常な風潮は、この頃から徐々に日本社会を覆い始めたのである。

じわり忍び寄る元号軽視の気配に警戒せよ

御代替わりを来年に控え、各所で少しずつ準備作業が始まっている。
その中で起こっているのは、元号標記をやめて、西暦標記に統一しようという動きである。
少し検索しただけでも下段のとおりたくさんのウェブニュースが見つかった。
御代替わりに際して元号というものを問う空気は昭和から平成への転換においてもみられたことである。
だが今度の動きは皇室廃絶といった不穏当なものではなく、「不便だから」「紛らわしい」という実務上の観点に立っている分、いっそう厄介なものを秘めている。
最近の世論は西暦で表記すれば公平でグローバルスタンダードにのっとっているかのような物言いをするが、イスラム教徒はイスラム暦を使うし、仏教国なら仏暦を使う。決して世界中で必ず西暦を使うようなものでもない。
さらに言えば、暦をつかさどるのは古来天子の専権事項とされている。
皇室に由来する元号を使用することは「天皇の国・日本」に住む民として必要なことなのだ(このブログも西暦標記が残っており大いに遺憾である)。

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家族と会社員、近代化

わたしには自らの思想について一つ気になって仕方ないことがある。
それは、家族についてである。

わたしの政治思想を思うに、どう考えても家族は最重要の存在と考えなければならない。家族は道徳の根幹ともいえる。
だが、現実にいまの世の中でありうる家族を考えてみたとき、あるいは自分が今後持つかもしれない家族を思ってみたとき、そこには大きな希望をつなぐことはできない。
例えば赤尾敏の夫婦仲は、晩年はよろしくなかったと言われることなどを考えると、ますますそういう思いが強くなる。
家族というものは俗物であり、基本的に家族が世のため人のために何かをすることを喜ばない傾向にある。赤尾家も「夢ばっかり追って」と運動に邁進する敏にあきれたのがきっかけだったようだ。

ところで現在は国民の大多数が会社員である。わたしも会社員である。だがこの「会社員」ほど不思議な存在はない。会社員の家に生まれると、子どもは親が働く姿を見ないで育つことになる。会社員は安定した収入、安定した休日、分業による生産性の向上とまさに資本主義に特化した存在だが、こうした会社員を生むために犠牲になってきたのが、農村であり、家族的自営業者であり、ふるさとであった。

高齢の人に「あなたの人生で一番楽しかったのはいつごろでしたか。それはなぜですか。」と聞くと、「昭和三十年頃が良かった。家族みんなで仕事ができたからだ。」と答えるのだという。家族みんなで仕事が出来る機会を、都市は、会社は、奪ってきた。経済発展のために。

その結果、家族の繋がりはとても薄いものとなり、「親子の縁もカネ次第」の世の中となってしまった。艱難辛苦を共に乗り越えることのない、抽象的なカネでしか結びついていない関係となってしまったのである。これでは家族関係が希薄化して当然だ。

大家族制も解体され、核家族さえ希薄化した今、われわれは砂粒の個でしかないのだろうか。

百舌鳥古墳群の世界遺産登録に反対します

同志から情報提供を受け発信します。

いま大阪府、堺市などが百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録すべく奔走しています。
百舌鳥・古市古墳群とは大阪に50基以上ある古墳群のことで、そのなかには世界最大の墳墓、仁徳天皇陵が含まれている。
一見すると天皇陵が世界遺産に登録され、多くの人に知ってもらえることは良いことであるかのように思ってしまう。

だが、ちょっと考えてもらいたい。天皇陵とは皇室財産なのである。世界遺産登録されるということはそれが宮内庁の管轄からユネスコの保護下に移るということである。そして言うまでもなく天皇陵とは天皇の陵墓であり、それをさらし者にすることが本当に良いことであろうか。
言うまでもなく観光地化することでゴミ問題などが発生する。陵墓が観光客の出したゴミで汚染される危険性があるのである。

問題はそれだけではない。
堺市は世界遺産登録による経済効果を1000億円と見込んでおり、アサヒビールなど企業もPRに関与している。観光客による収益を目的とした事業なのである。それが天皇陵という場所の性質と本当にあったものなのだろうか。さらに大阪府知事は「仁徳天皇陵をイルミネーションで飾り、内部を公開せよ」と発言するなど、天皇陵に対する畏敬の念も欠けている。

それだけではない。堺市は、近隣の住民にわずかのカネを出すことを条件に立ち退きを迫っているという。
観光地化し再開発するために、近くに住居があっては邪魔だというのだろうか。

このような事業のために数十億円もの税金が投じられるというのだから、許しがたいことである。

ネット署名サイトもありますのでもしよろしければご協力いただければと存じます。

権藤成卿の思想の真価について

いよいよ権藤成卿生誕百五十年祭が明日に迫りました。お越しになる方はもちろん、お越しになれない方も権藤成卿について知っていただけたらと思います。

さて、権藤成卿は慶応四年生まれ。慶応四年は明治元年に代わる年ですから、権藤の生涯は、明治維新後の日本を象徴する存在と言えるでしょう。

権藤成卿は、農本主義者、アナキスト、漢学者、復古主義者、東洋的無政府主義者、ファシスト、制度学者、皇典学者、ニヒリスト…と、さまざまな肩書で呼ばれました。権藤自身はそうしたレッテルはどうでもよかったようです。権藤の胸にあったのは、同朋の窮状を救うこと、そして明治維新のやり直しでした。

権藤成卿には最晩年に『血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件その後に来るもの』という本を書いています。書肆心水から『行き詰まりの時代経験と自治の思想』と題を変えて復刊されています。権藤は五・一五事件に思想的影響を及ぼしたと言われていますが、蹶起の計画には直接関与していなかったため、早期に釈放されて、二・二六事件の後まで長命を保っていました。この本は亡くなる一年前に刊行されたまさしく最晩年の本と言えるでしょう。

その本で権藤は、明治維新の本質について議論を向けています。
明治維新の本質は勤皇・倒幕にあるといい、薩長藩閥は、倒幕を成し遂げた功績はあるが、その後結局徳川の勢力を打倒した代りに薩長がその位置についただけに終わってしまったという。
維新に至る機運を醸成した人間として、竹内式部、山県大弐、高野長英、渡辺崋山の名前を挙げ、特に自分(権藤)の学統から言えば竹内式部、山県大弐によるところが多いと言います。
また、そこで引用されているのは樽井藤吉の『明治維新発祥記』です。

権藤は常に当時の現況を以下に救わんかという観点で発言し続けた論客です。しかしその発言は単に時勢論に留まらず、明治維新が徳川幕府から薩長幕府に代わってしまったことへの批判意識が強かったことの証左ではないかと思います。
権藤成卿の思想の真価はここにあるのではないでしょうか。
自治、農本主義、と言われる権藤ですが、それらはあくまで手段であり、この本質を見逃してはならないと思います。

いまも長州の血統を持つ安倍晋三総理が政権を受け持っていますが、現代のわれわれも、この「維新のやり直し」という観点を忘れてはならないと思います。もちろん「武力倒幕」がすべてではありません。権藤もそうした「武力倒幕」には大きな期待を寄せていませんでした。何よりも重要なのは国民一人ひとりの自覚です。日本の本質を自覚することが何よりも求められていることなのです。

アマゾンレビュー「日本のお米が消える」

本日アマゾンに「日本のお米が消える」のレビューを掲載したしました。

以下レビューの引用です。

安倍政権の売国を知れ

昨年(2017年)、ある法律がひっそりと廃止されることとなった。その名は「種子法」。このことによって、それまで各都道府県が予算をつけ、人をつけて管理していたコメの種の維持・管理・開発が、法的根拠を失った。
「地方自治体がやらなくても民間がやればよいではないか」。そう思うかもしれない。
安倍政権もそういう理屈で同法を廃止したのであろう。だが、「民間」とは具体的にいったい誰のことなのか、考える必要がある。
都道府県が撤退した先にやってくるのは、グローバル資本モンサントである。
このことで日本の食糧安全保障は大きく後退する。
本当の意味での「国産」のおコメは、いったいいつまで食べられるのでしょうか。
構造改革の名の下で進められる売国が、いままさに行われているのである。

月刊日本十二月号に拙稿が掲載されました

『月刊日本』十二月号に拙稿「ふるさとを復活させよう②観光立国とインバウンド依存経済の限界」が掲載されました。ご覧いただければ幸いです。

今回は観光地化と、爆買いなどの訪日消費需要に依存する現代日本の状況に警鐘を鳴らしたつもりです。

余談ながら、「観光」とはれっきとした儒教用語です。易経の「観国之光利用賓于王」(国の光を観る。もって王に賓たるによろし)から来ており、「他の地域を見分し、広く人材を探し、国を輝かせる人材に出合いもてなす」という意味があるようです(易経は解釈が難しく、諸説ある)。いずれにしても観光の目的は素晴らしい人物に出会うもしくは他国を学び自分が素晴らしい人物になることが目的にあります。
いまのレジャー志向とはまったく別物なのです。

その地域の人と触れ合い、その地域の素晴らしいところを学ぶ「観光」が一般的となることを願います。

冷戦が忘れさせた社会論

保田與重郎は『戴冠詩人の御一人者』で、「明治はまづ實用主義風に市民社會體制を學ばねばならなかつた。歴史から學び得ぬまでに後れてゐた。兆民もまた諭吉もやはり武士の氣魄である。その精神が日本をアジアに於ける唯一の獨立國とした。近代世界を建設した市民の人文精神は江戶の傳統にはなかつた。日露役を越した日本市民文化の昂揚さへ比較すれば淡い姿である。近代市民の人文精神の代りに日本に於いては「さびしい浪人の心」が封建への反逆を描いた。中世の世捨人たる俳諧師ではなく時代の監視者たる浪士、明治の三十年代の市民文化さへその失意の丈夫の心の導いたものである。さらに近代の社會主義革新主義さへ浪士の心に導かれたのである。」(『保田與重郎全集』第五巻213頁)と述べている。社会主義革新主義をも「さびしき浪人の心」に位置づけていることは興味深い。
少なくとも明治時代までの社会主義は、在野精神と拝金主義への嫌悪と、格差に憤る義侠心がもたらしたものであって、マルクスは読んではいたがあくまで参考意見として参照していたに過ぎなかった。
そもそも皇室は民を「大御宝」と呼び仁政を施こうと努められてきた。明治以降も皇室は社会福祉政策の源流としての立場も持っていた。
そもそも市場において「神の見えざる手」が働き、自動的に利害関係が調節されるなどということは幻想である。「神」の存在を強く信じたい西欧人の願望の表れではないかという疑いを禁じ得ない。市場が拡大することで伝統的共同体が壊滅の危機に瀕し、一人ひとりが「砂粒の個」として孤立するようになった。共同体を維持するということはムラ社会に人々を閉じ込めるということではない。すべてを、人間の存在価値でさえも、金銭的価値に置き換えようとする力を持つ市場圧力の中で、人々の生活を維持していく防波堤となるものこそ共同体である。
いわゆる右翼、保守と呼ばれるものこそ、「市場圧力からの防波堤」の維持に努めるべきだ。市場は、本質的にグローバルだからである。ところが、冷戦による反共精神がそれを忘れさせ、資本主義への警戒心を甘くさせた。その弊害が、昨今の新自由主義の跳梁跋扈である。冷戦期には反共の名のもとに政権と手を握ることが習い性となってしまい、政権より右の立場から政権を厳しく批判する勢力の醸成を怠った。それはアメリカの占領政策と融和的である自由民主党の方針とも合うものであった。自民党を支持する限り永遠に戦後属国体制のままであるということさえも見えなくなっている。
既に北海道を中心に広大な土地が中華系を中心とした外国勢力によって買い占められている。その多くは税金対策等の理由であろう。しかし、こうしたインバウンド需要を幸いとして外国資本に便宜を図ろうとする勢力がいる。いうまでもなく自民党政権と官僚である。
このような政権のやり方を正当に批判する勢力が生まれなければならない。

議員バッジがついているかのようにふるまう人たち

 雑誌に掲載していただいたことの告知を除けば随分久しぶりの更新となってしまいました。

 わたしは安倍批判、自民党批判を書くことも多いですが、やはりそういう言論は保守的とみられる人たちから評判が良くないものです。それでも必要だと思うから書いているのですが、なかなか受け入れてもらえません。

 「安倍が駄目なら誰が総理ならいいんだ」というのがこういう人たちの言い分です。その言い分はとてもよくわかります。しかしわれわれは議員バッジを付けた国会議員ではないのです。おかしいものはおかしいと批判するのが筋ではないでしょうか。

 自民党の応援団でしかないのではなく、堂々と所信を問う一草莽であるべきです。

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西尾幹二氏が以下のように書いているのでご紹介します。

民族の生存懸けた政治議論を 保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ

平成28年8月18日産經新聞「正論欄」より 評論家・西尾幹二氏

 今でも保守系の集会などでは当然ながら、安倍晋三政権を評価する人が少なくなく、私が疑問や批判を口にするとキッとなってにらまれる。「お前は左翼なのか」という顔をされる。今でも自民党は社会体制を支える最大級の保守勢力で、自民党の右側になぜか自民党を批判する政治勢力が結集しない。欧州各国では保守の右側に必ず保守批判の力が働き、米国でもトランプ一派は共和党の主流派ではなかった。先進国では日本だけが例外である。

≪≪≪仲良しクラブでは窒息死する≫≫≫

 日本政治では今でも左と右の相克だけが対立のすべてであるかのように思われている。民主党も民進党と名を変え、リベラル化したつもりらしいが、共産党に接近し、「何でも反対」の旧日本社会党にどんどん似てきている。ここでも左か右かの対立思考しか働いていない。自民党も民進党もこの硬直によって自らを衰退させていることに気がついていない。
 それでも国内の混乱が激化しないのは、日本は「和」の国だからだという説明がある。まだ経済に余裕があるからだとも。米国のある学者は、世界では一般に多党制が多く、二大政党制を敷く国は英国をモデルにしたアングロサクソン系の国々で、ほかに一党優位制を敷く国として、日本やインドを例に挙げている。自民党を喜ばせるような研究内容である。

 しかし選挙の度に浮動票が帰趨(きすう)を決めている今の日本では、一党優位制が国民に強く支持されているとは必ずしも言えない。仕方ないから自民党に投票する人が大半ではないか。党内にフレッシュな思想論争も起こらない今の自民党は日本国民を窒息させている。

 「受け皿」があればそちらへいっぺんに票が流れるのは、欧米のように保守の右からの保守批判がないからだ。左右のイデオロギー対立ではない議論、保守の立場から保守政権を正々堂々と批判する、民族の生存を懸けた議論が行われていないからである。

 保守政党が単なる仲良しクラブのままでは国民は窒息死する。一党優位制がプラスになる時代もあったが、今は違う。言論知識人の責任もこの点が問われる。

≪≪≪保身や臆病風に吹かれた首相≫≫≫
 
 私は安倍首相の5月3日の憲法改正案における第9条第2項の維持と第3項の追加とは、矛盾していると、6月1日付の本欄で述べた。そのまま改正されれば、両者の不整合は末永く不毛な国内論争を引き起こすだろう、と。
 
 今は極東の軍事情勢が逼迫(ひっぱく)し、改正が追い風を受けている好機でもある。なぜ戦力不保持の第2項の削除に即刻手をつけないのか。空襲の訓練までさせられている日本国民は、一刻も早い有効で本格的な国土防衛を期待している。

 これに対し、首相提案を支持する人々は、万が一改憲案が国民投票で否決されたら永久に改憲の機会が失われることを恐れ、国民各層に受け入れられやすい案を作る必要があり、首相提言はその点、見事であると褒めそやす。
 
 さて、ここは考え所である。右記のような賛成論は国民心理の読み方が浅い。憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている。

≪≪≪保守の立場から堂々と批判を≫≫≫

 北朝鮮の核の脅威と中国の軍事的圧力がまさに歴然と立ち現れるさなかで敵に背中を向けた逃亡姿勢でもある。憲法改正をやるやるとかねて言い、旗を掲げていた安倍氏がこの突然の逃げ腰-5月3日の新提言そのものが臭いものに蓋をした逃げ腰の表れなのだが-のあげく、万が一手を引いたら、もうこのあとでどの内閣も手を出せないだろう。

 国民投票で敗れ、改正が永久に葬られるあの幕引き効果と同じ結果になる。やると言って何もやらなかった拉致問題と同じである。いつも支持率ばかり気にし最適の選択肢を逃げる首相の甘さは、憲法問題に至って国民に顔向けできるか否かの正念場を迎えている。

 そもそも自民党は戦争直後に旧敵国宣撫(せんぶ)工作の一環として生まれた米占領軍公認の政党で、首相のためらいにも米国の影がちらつく。憲法9条は日米安保条約と一体化して有効であり、米国にとっても死守すべき一線だった。それが日米両国で疑問視されだしたのは最近のことだ。今まで自民党は委託された権力だった。自分の思想など持つ必要はないとされ、仲良しクラブでまとまり、左からの攻撃は受けても、右からの生存闘争はしないで済むように米国が守ってくれた。

 しかし、今こそ日本の自由と独立のために自民党は嵐とならなければいけない。保守の立場から保守政権を堂々と批判する勇気と見識が今ほど必要なときはない。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

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