いよいよ権藤成卿生誕百五十年祭が明日に迫りました。お越しになる方はもちろん、お越しになれない方も権藤成卿について知っていただけたらと思います。
さて、権藤成卿は慶応四年生まれ。慶応四年は明治元年に代わる年ですから、権藤の生涯は、明治維新後の日本を象徴する存在と言えるでしょう。
権藤成卿は、農本主義者、アナキスト、漢学者、復古主義者、東洋的無政府主義者、ファシスト、制度学者、皇典学者、ニヒリスト…と、さまざまな肩書で呼ばれました。権藤自身はそうしたレッテルはどうでもよかったようです。権藤の胸にあったのは、同朋の窮状を救うこと、そして明治維新のやり直しでした。
権藤成卿には最晩年に『血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件その後に来るもの』という本を書いています。書肆心水から『行き詰まりの時代経験と自治の思想』と題を変えて復刊されています。権藤は五・一五事件に思想的影響を及ぼしたと言われていますが、蹶起の計画には直接関与していなかったため、早期に釈放されて、二・二六事件の後まで長命を保っていました。この本は亡くなる一年前に刊行されたまさしく最晩年の本と言えるでしょう。
その本で権藤は、明治維新の本質について議論を向けています。
明治維新の本質は勤皇・倒幕にあるといい、薩長藩閥は、倒幕を成し遂げた功績はあるが、その後結局徳川の勢力を打倒した代りに薩長がその位置についただけに終わってしまったという。
維新に至る機運を醸成した人間として、竹内式部、山県大弐、高野長英、渡辺崋山の名前を挙げ、特に自分(権藤)の学統から言えば竹内式部、山県大弐によるところが多いと言います。
また、そこで引用されているのは樽井藤吉の『明治維新発祥記』です。
権藤は常に当時の現況を以下に救わんかという観点で発言し続けた論客です。しかしその発言は単に時勢論に留まらず、明治維新が徳川幕府から薩長幕府に代わってしまったことへの批判意識が強かったことの証左ではないかと思います。
権藤成卿の思想の真価はここにあるのではないでしょうか。
自治、農本主義、と言われる権藤ですが、それらはあくまで手段であり、この本質を見逃してはならないと思います。
いまも長州の血統を持つ安倍晋三総理が政権を受け持っていますが、現代のわれわれも、この「維新のやり直し」という観点を忘れてはならないと思います。もちろん「武力倒幕」がすべてではありません。権藤もそうした「武力倒幕」には大きな期待を寄せていませんでした。何よりも重要なのは国民一人ひとりの自覚です。日本の本質を自覚することが何よりも求められていることなのです。