雑誌に掲載していただいたことの告知を除けば随分久しぶりの更新となってしまいました。
わたしは安倍批判、自民党批判を書くことも多いですが、やはりそういう言論は保守的とみられる人たちから評判が良くないものです。それでも必要だと思うから書いているのですが、なかなか受け入れてもらえません。
「安倍が駄目なら誰が総理ならいいんだ」というのがこういう人たちの言い分です。その言い分はとてもよくわかります。しかしわれわれは議員バッジを付けた国会議員ではないのです。おかしいものはおかしいと批判するのが筋ではないでしょうか。
自民党の応援団でしかないのではなく、堂々と所信を問う一草莽であるべきです。
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西尾幹二氏が以下のように書いているのでご紹介します。
民族の生存懸けた政治議論を 保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ
平成28年8月18日産經新聞「正論欄」より 評論家・西尾幹二氏
今でも保守系の集会などでは当然ながら、安倍晋三政権を評価する人が少なくなく、私が疑問や批判を口にするとキッとなってにらまれる。「お前は左翼なのか」という顔をされる。今でも自民党は社会体制を支える最大級の保守勢力で、自民党の右側になぜか自民党を批判する政治勢力が結集しない。欧州各国では保守の右側に必ず保守批判の力が働き、米国でもトランプ一派は共和党の主流派ではなかった。先進国では日本だけが例外である。
≪≪≪仲良しクラブでは窒息死する≫≫≫
日本政治では今でも左と右の相克だけが対立のすべてであるかのように思われている。民主党も民進党と名を変え、リベラル化したつもりらしいが、共産党に接近し、「何でも反対」の旧日本社会党にどんどん似てきている。ここでも左か右かの対立思考しか働いていない。自民党も民進党もこの硬直によって自らを衰退させていることに気がついていない。
それでも国内の混乱が激化しないのは、日本は「和」の国だからだという説明がある。まだ経済に余裕があるからだとも。米国のある学者は、世界では一般に多党制が多く、二大政党制を敷く国は英国をモデルにしたアングロサクソン系の国々で、ほかに一党優位制を敷く国として、日本やインドを例に挙げている。自民党を喜ばせるような研究内容である。しかし選挙の度に浮動票が帰趨(きすう)を決めている今の日本では、一党優位制が国民に強く支持されているとは必ずしも言えない。仕方ないから自民党に投票する人が大半ではないか。党内にフレッシュな思想論争も起こらない今の自民党は日本国民を窒息させている。
「受け皿」があればそちらへいっぺんに票が流れるのは、欧米のように保守の右からの保守批判がないからだ。左右のイデオロギー対立ではない議論、保守の立場から保守政権を正々堂々と批判する、民族の生存を懸けた議論が行われていないからである。
保守政党が単なる仲良しクラブのままでは国民は窒息死する。一党優位制がプラスになる時代もあったが、今は違う。言論知識人の責任もこの点が問われる。
≪≪≪保身や臆病風に吹かれた首相≫≫≫
私は安倍首相の5月3日の憲法改正案における第9条第2項の維持と第3項の追加とは、矛盾していると、6月1日付の本欄で述べた。そのまま改正されれば、両者の不整合は末永く不毛な国内論争を引き起こすだろう、と。
今は極東の軍事情勢が逼迫(ひっぱく)し、改正が追い風を受けている好機でもある。なぜ戦力不保持の第2項の削除に即刻手をつけないのか。空襲の訓練までさせられている日本国民は、一刻も早い有効で本格的な国土防衛を期待している。これに対し、首相提案を支持する人々は、万が一改憲案が国民投票で否決されたら永久に改憲の機会が失われることを恐れ、国民各層に受け入れられやすい案を作る必要があり、首相提言はその点、見事であると褒めそやす。
さて、ここは考え所である。右記のような賛成論は国民心理の読み方が浅い。憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている。≪≪≪保守の立場から堂々と批判を≫≫≫
北朝鮮の核の脅威と中国の軍事的圧力がまさに歴然と立ち現れるさなかで敵に背中を向けた逃亡姿勢でもある。憲法改正をやるやるとかねて言い、旗を掲げていた安倍氏がこの突然の逃げ腰-5月3日の新提言そのものが臭いものに蓋をした逃げ腰の表れなのだが-のあげく、万が一手を引いたら、もうこのあとでどの内閣も手を出せないだろう。
国民投票で敗れ、改正が永久に葬られるあの幕引き効果と同じ結果になる。やると言って何もやらなかった拉致問題と同じである。いつも支持率ばかり気にし最適の選択肢を逃げる首相の甘さは、憲法問題に至って国民に顔向けできるか否かの正念場を迎えている。
そもそも自民党は戦争直後に旧敵国宣撫(せんぶ)工作の一環として生まれた米占領軍公認の政党で、首相のためらいにも米国の影がちらつく。憲法9条は日米安保条約と一体化して有効であり、米国にとっても死守すべき一線だった。それが日米両国で疑問視されだしたのは最近のことだ。今まで自民党は委託された権力だった。自分の思想など持つ必要はないとされ、仲良しクラブでまとまり、左からの攻撃は受けても、右からの生存闘争はしないで済むように米国が守ってくれた。
しかし、今こそ日本の自由と独立のために自民党は嵐とならなければいけない。保守の立場から保守政権を堂々と批判する勇気と見識が今ほど必要なときはない。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2218
保守派が安倍応援団と化してるのは思考停止しているのもそうですが、日本人が総じてリベラル化(自由化、民主化、個人化)してしまってるのも一因じゃないですかね。
もはや保守派ですら、都会でサラリーマンをやってる人が大半でしょうし、一人一人の生活様式・文化も自由化、個人化している人がほとんどでしょう。
社会全体がリベラル化して皆それを抵抗も無く受け入れてるがゆえに、安倍程度の政治家であっても右寄りの立派な保守政治家に見えるんじゃないでしょうか。
私としてはこの期に及んでもなお、クーデターやテロを起こすことを考えない民族派にも不甲斐なさを覚えています。
内憂外患のこの時代にあって、未だに覚醒しない政府やマスコミ、保守派、大衆に憤りを感じていながら、武装蜂起もしない。
西尾幹二氏は安倍総理の手抜きと保身、臆病、闘争心の欠如を指摘していますが、保身に汲々として闘争心に欠けている臆病者は果たして安倍総理だけでしょうか。
Nさん
コメントありがとうございます。
返信が遅くなり大変申し訳ございません。
確かに日本人が総じてリベラル化してしまっていることは大きな問題だと思います。そしてそれをもたらしたものこそ、資本主義ではないかと思います。
わたしも都会でサラリーマンをやっている一人ですが、地方に行ったとしても、あるいは会社を興したとしても、資本の論理から逃れられません。
安倍政治はこうした問題に踏み込まないどころか、より一層こうした傾向を強めようとしているように映りますが、そこに批判の目を向ける「保守」派はどれほどいるのでしょうか。
>1
>私としてはこの期に及んでもなお、クーデターやテロを起こすことを考えない民族派にも不甲斐なさを覚えています。
今時、テロやクーデターを煽るとは、さすが右翼ですね!
だったらご自分で自衛隊に乗り込んでクーデターを煽ったらどうでしょうか?
三島由紀夫の二の舞になるだけだと思いますけどね。
>2
ブログ主さんも是非、Nさんと共にテロを起こしてみて下さい!