じわり忍び寄る元号軽視の気配に警戒せよ


御代替わりを来年に控え、各所で少しずつ準備作業が始まっている。
その中で起こっているのは、元号標記をやめて、西暦標記に統一しようという動きである。
少し検索しただけでも下段のとおりたくさんのウェブニュースが見つかった。
御代替わりに際して元号というものを問う空気は昭和から平成への転換においてもみられたことである。
だが今度の動きは皇室廃絶といった不穏当なものではなく、「不便だから」「紛らわしい」という実務上の観点に立っている分、いっそう厄介なものを秘めている。
最近の世論は西暦で表記すれば公平でグローバルスタンダードにのっとっているかのような物言いをするが、イスラム教徒はイスラム暦を使うし、仏教国なら仏暦を使う。決して世界中で必ず西暦を使うようなものでもない。
さらに言えば、暦をつかさどるのは古来天子の専権事項とされている。
皇室に由来する元号を使用することは「天皇の国・日本」に住む民として必要なことなのだ(このブログも西暦標記が残っており大いに遺憾である)。


≪ここから引用≫

https://www.bcnretail.com/market/detail/20180520_61602.html
【日高彰の業界を斬る・13】 新元号の発表は、2019年5月1日の改元の半年前と言われていた時期もあったが、新聞報道によると、政府会合では改元1カ月前に発表する方針で固まったようだ。
改元に関して合わせて話題に上るのが、情報システムの改修だ。民間企業の日常業務では西暦を使うことが多いが、官公庁、金融機関、公的機関に提出する文書等では、まだまだ和暦が使われており、日々の業務で使われているシステムが新元号に正しく対応できるかは、業種を問わずあらゆる組織における関心事になっている。
「そんなこと今から簡単に準備できるじゃないか。とりあえず“??”とでも表示されるようにしておいて、新元号が発表されたらそこだけ書き換えればいいのでは」
このように思う人は多いだろう。筆者もまさにそう考えていた。しかし、長年にわたって使い続けられているプログラムに手を入れるとなると、そう簡単な話ではないらしい。
マイクロソフトは、新元号対応に関する情報をまとめたサイト「Japan New Era Name Support Blog」で、「合字」の問題を指摘している。合字とは、例えば「平成」という複数の文字を、1字分の文字で記号のように表現したものだ。これは元号のほか、単位や法人格でもよくみられる。

合字の例

同社によると、和暦の表示にこのような合字を使用しているシステムが「相当数存在」するという。国際的な文字コード標準化団体のUnicodeコンソーシアムでは、日本の新元号のためにコード位置を確保するようすでに提案が行われており、コード「U+32FF」が割り当てられる見込みだ。
当然のことながら、新元号の発表後にフォントのアップデートが行われるまで、U+32FFは字体が存在しない“空き地”だ。フォントを更新した環境では新元号が表示されるが、それ以外の環境では空白や他の記号などになってしまうだろう。個人や限られた範囲で利用する文書ならともかく、役所や銀行が発行した書類の日付が「〓01年05月01日」というわけにはいかない。各端末のフォントのアップデートとテストだけでも、トータルの作業量はそれなりのものになりそうだ。
単に表示や印刷ができないだけではない。明治から平成までの合字はコード位置が連続していたが、その前後にはすでに別の文字が割り当て済みなので、新元号は飛び地に割り当てられている。西暦から和暦合字に変換する処理の中で、合字のコードが連番であることを前提にしたプログラムが書かれていた場合、複雑な改修が必要になる。複数のデータを日付順に並べ替える、新元号を含むデータを検索するといった処理も、正しく動作しない可能性がある。

新元号のコードは飛び地に割り当てられている

また、元々のデータが和暦で作成されていると、対応はさらにやっかいだ。日付を西暦でなく和暦で管理しているシステムが今どき存在するのか疑問だったが、朝日新聞の5月18日報道によれば、政府は「システム間のやり取りを西暦で統一するよう、関係省庁に中長期的な改修も指示した」といい、現在でも一部でシステム連携に和暦が使われているようだ。(古いプログラムでは現在もまれに昭和2ケタで日付を管理しており、3ケタにあふれる2025年の誤作動が懸念される「昭和100年問題」もあるという)
手書きの書類をスキャンして、文字認識によってデータを入力するような業務でも、認識エンジンの新元号へのチューニングが1カ月で行えるかはわからない。そのほか、新元号が3文字以上になったり、ローマ字表記の頭文字がこれまで略称として使われてきたM・T・S・Hと重複したりするかもしれない。
ここまで挙げたすべての問題は「あくまで可能性がある」水準のものだが、業務に使うシステムである以上、きちんとテストする必要がある。改修作業そのものよりも、検証により多くの手間と時間を要するケースも多いだろう。また、国内では大企業も含めほとんどの組織が、情報システムの保守・運用を外部のITベンダーに委託している。仮に1件ごとの改修・検証は短時間で済むとしても、来年4月はベンダーに改修依頼が集中するため、案件をさばききれなくなるおそれはある。
「そもそも改元を想定していないシステムが悪い」「和暦でデータを入力するユーザーが悪い」といった意見はもっともだが、そのようなシステムやデータが現実に存在する以上、何とか対応しなければならない。エンドユーザーとしては専門家にまかせるしかないわけだが、単に設定ファイルに1行書き加えれば済むというものではないことは知っておく必要があるだろう。(BCN・日高 彰)

http://blogos.com/article/271599/
そろそろ行政文書の元号表記はやめませんか

こんにちは。
大田区議会議員 岡 高志です。

行政文書って元号表記ですよね。
行政文書は元号表記がが当たり前なので、いつも脳内で平成⇔西暦を変換して理解します。
でも、今年作成された行政文書に平成32年の計画が記載されてました。
平成32年
ないですよ。。。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める政令 が、昨年12月8日に閣議決定されて、
平成31年4月30日に天皇陛下が退位され、翌5月1日に皇太子殿下が即位されることとなりました。
平成32年はありません。
平成31年すら、1年分ありません。
東京オリンピック・パラリンピックは、平成32年ではなく、シンプルに2020年。
そろそろ行政文書の元号表記はやめませんか。
西暦表記でもって、元号を付記する程度でいいでしょう。
併記すると書き間違えることもあるかもしれませんけど。

元号表記にしなきゃいけないの?

国会では、公的機関における元号使用の義務の有無と強制力について問題提起されたことがあります。
1.国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はない。
また、現在、国・地方公共団体等の公的機関の内部において事務の統一的な処理のため元号の使用を義務づけるような規則等は別として、国民又は国・地方公共団体等の公的機関に対し、一般に元号の使用を強制する法令は存在しないと考える。
2.国・地方公共団体等の公的機関の事務については、従来から年の表示には原則として元号を使用することを慣行としてきている。したがつて、一般国民から公的機関への届出等においては、公務の統一的な処理のために、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきているが、このような考え方は今日においても変わりがない。
昭和62年4月1日
野田 哲 参議院議員(社会党)
公的機関における元号の使用に関する質問主意書
に対しての中曽根康弘 内閣総理大臣の答弁書
元号表記は法的義務はないけど、慣習です。
しかし、一般国民に元号記載への協力を求めている。
そんな、玉虫色の答弁。
東京都議会では、公文書等の元号の使用廃止等を求めることに関する陳情の審査に際して、
現在の状況でございますが、日本国憲法及び元号法には、元号の使用の強制を禁止する規定はございません。
元号法は、元号は政令で定めること及び元号は皇位の継承があった場合に限り改めることのみを規定してございまして、元号の使用については規定しておりません。
国におきましては、昭和54年に、元号法の制定時に、当時の総理府総務長官談話として、公的機関の事務についていえば、これまでも年の表示には原則として元号を用いてきたところであり、この慣行は、今後も当然続くものという考え方を示してございます。
これを受けまして、東京都も、公文書における年の表示方法について、従来から慣行として元号を使用しておりまして、必要に応じて西暦を併記しております。

平成28年10月5日
総務部長説明

この陳情者は各地に同種の陳情を提出しているようで、委員会の審議はスルーされてました。
とはいえ、東京都も元号表記はたんなる慣習と認めています。

元号制定運動って?

東京都の説明にあるように、元号方が制定されたのは昭和54年。
元号制定運動の中心にあったのは、日本会議。
スクショは日本会議の国民運動の歩みから
そして、今は元号を憲法の中に定めようとのことで、自民党の改憲草案の4条に明記しています。
政治的多数派が元号にこだわる以上、元号表記の慣習は変わらなさそうです。
でも、あくまで、慣習です。

元号表記はやめたほうがいい!

今、日常的に使われる元号は昭和と平成のふたつです。
であれば、昭和64年は平成元年であると自然に認識して、時系列は追えます。
これは、僕らが昭和生まれだから、自然と認識できるんじゃないでしょうか。
平成生まれの小学生に、昭和と平成の変換をさせても上手くできない。
これが、新しい年号の”世代”になると、もっと難しくなりそう。
元号で記述された文書の時系列が瞬時にわからない。
日本人だけが甘受しなければならない労苦ではないでしょう。
子どもたちのことを考えると、元号表記から、西暦表記中心にしたほうがいいでしょう。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11331
平成の終わりを意識する今考える、「日本人と『元号』」

『「元号」と戦後日本』鈴木洋仁氏インタビュー

本多カツヒロ (ライター)

12月1日、皇室会議が開かれ、平成が2019年4月30日で終わり、翌日から次の元号になると報じられた。にわかに注目を集める平成ではあるが、平成に起きた出来事を西暦ではなく、平成◯年と即答できる人は昭和と比べると、少ないのではないか。
明治、大正、昭和という元号は、戦後日本でどのように位置付けられ、歴史意識に関わってきたのか。『「元号」と戦後日本』(青土社)を上梓した事業構想大学院大学の鈴木洋仁准教授に「戦後と元号」「平成という時代と、次の元号」について話を聞いた。

――ある出来事について考えるとき、一般的には平成よりも西暦で覚えている人たちのほうが多いように思います。

鈴木:たとえば、阪神淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたのは1995年ですが、この年を平成7年だと覚えている人は少ないと思います。平成に入り、西暦ではなく、元号で意識することが、ますます希薄になってきたのではないでしょうか。
日常生活のなかでは、書類などにも西暦で書くことが多いですから、西暦が主流かもしれません。日本史のテストでも元号ではなく西暦での解答が求められます。
昭和であれば、1925を足すことで簡単に西暦に計算し直すことができました。しかし、平成を西暦に変換するには、1988を足さなければならず、計算も面倒です。そういった物理的な要因もあると思われます。
一方で、第2次世界大戦終結前の昭和、つまり、戦前ではどうだったかと言えば、時代ごとのイメージを持つよりも、「明治」や「大正」は単に昔の時代を表す記号としての面が強かったと考えています。

――昭和以前の生まれだと、昭和の出来事に関しては、それが起こった年を元号で覚えている人が多いようにも思いますが、それは第2次世界大戦が終結した戦後に入ってから、元号への意識が変わったということでしょうか?

鈴木:昭和20年(1945年)に一度ご破算になり、リセットされました。というよりも正確に言えば、リセットしたいという欲望が、当時の日本社会に強かった、と思われます。そして、元号が、その時代ごとの雰囲気や空気を想像させるのは、「戦後」という時代区分が確固たるものとして共有されるようになったから可能になったのではないか、と論じました。

――そこで、「昭和史論争」や「大正デモクラシー」「明治百年」を分析対象にしたと。

鈴木:その3つを選んだのは、戦後という線分のなかで、元号が際立って注目された事例だからです。「戦後と対比する昭和」「戦後と似ていたとされた大正」そして「戦後の起源としての明治」という3つの類型を私は『「元号」と戦後日本』の中で提示しました。

――上記の3つについて、あらためて説明していただけますか?

鈴木:まず「昭和史論争」とは、1955年に出版された『昭和史』(岩波新書)がベストセラーとなったことに端を発します。同書の著者たちは、簡単にいえば「戦前」=「昭和」=悪、と切り捨てました。
この論争が起きた1956年は、経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」という言葉が流行語となりました。それまでとらわれていた「戦後」に区切りをつける絶好のタイミングとなりました。それまでの戦後を切り捨てて、高度経済成長期へと向かう国民の支持があったのです。そこで「戦後と対比する昭和」が成り立ちました。

――社会の授業でも習った「大正デモクラシー」とは。

鈴木:確かに私の世代では教科書にも登場した言葉ですが、現在、歴史学からは疑義が呈され、あまり使われないようです。
この言葉が広まった背景には、1960年代から70年代に危機に瀕していた日本の戦後民主主義への警鐘であり、戦後への新しい希望があります。つまり、この言葉を擁護する論者たちは、戦後民主主義に類似する潮流を、大正時代に見出したのです。

――「明治百年」とは。

鈴木:先に「戦後の起源としての明治」と言いました。戦後復興の中心人物は明治後期生まれが多かったのです。彼らの幼少期の記憶にある輝かしい明治時代を、戦後復興に重ね合わせようとしていました。その意味で、戦後の原型・プロトタイプを明治に見ようとする指導者が多くいました。もちろんその筆頭は、明治34年(1901年)生まれの昭和天皇です。
そして、その重ね合わせが最も際立って現れたのが、戦後20年が過ぎたころ、つまり、1968年(昭和43年)の「明治百年」をめぐる一連の政府主導のイベントです。
これは国家的プロジェクトとして計画され、日本政府主催の式典が1968年10月23日に日本武道館で開催されました。
もともと元号とは、古代・中国の前漢武帝に始まります。皇帝が、領土だけではなく、時間をも支配するという考えに基づき、紀元前140年の建元から始まりました。そして、西暦で言えば645年の大化から平成まで247に及ぶ元号が制度として続いているのは、日本だけです。
明治時代から一世一代となり、元号は天皇の在位期間と一致するようになった。そして、大日本帝国憲法(明治憲法)下では、元号について、皇室典範などの法令によって定めていました。しかし、戦後になると元号を定める法令がなくなりました。その後、いくつかの議論を経て、1979年に元号法が成立し、戦後34年目にしてようやく、法的根拠を得ることになりました。

――天皇制賛成・反対とは関係なく、西暦で考えると継続している時代が、元号により断絶されているようにも見えますね。

鈴木:元号を制度として継続することに反対する人たちは、1人の天皇の在位期間によって時代を無理やり区切るのはおかしいと主張します。ただ、こうした主張は、裏を返せば、それだけ元号が広く共有されている証拠とも考えられます。たとえ、元号が制度として定められていたとしても、既に空洞化しているとすれば、わざわざ反対する意味はありません。
また、西暦の方が便利だから、という主張については、1300年以上続いてきた元号という制度を、いま廃止する方が難しいと思われます。なぜ、わざわざ、いまでなければならないのでしょうか。そして、文字通り西洋の暦(こよみ)である西暦、しかも、キリスト教というひとつの宗教に基づく暦を、日本が用いなければならないのでしょうか。

――昨年8月に天皇陛下が生前退位の意向をにじませたお気持ちを表明し、今年12月1日に皇室会議が開催され、平成が2019年4月30日に終わることが決まりました。平成とはどんな時代だったと考えますか?

鈴木:前著『「平成」論』(青弓社)で論じたように、とらえどころのない時代だというのが、私の一貫した見解です。それは、昨夏からの一連の経緯を経ても変わりません。
ただ、それでも敢えて時代をまとめて考えてみると、強いて言えば、「天皇と天災」の時代だったと表現できるかもしれません。
まず、平成3年の長崎県における雲仙・普賢岳の噴火がありました。そして、天皇皇后両陛下のお見舞いが注目を集めました。また、平成7年の阪神淡路大震災、平成16年の新潟中越地震、平成23年の東日本大震災などでも、両陛下は被災者ひとりひとりと向き合ってお見舞いされました。
とはいえ、他の時代と比較すると、平成は非常にわかりづらい、中途半端な時代であったという印象です。

――平成の次の元号についての取材を受けるとのことですが、どう予想していますか?

鈴木:「喜永」(きえい)とこれまでの取材では予想しました。まず「喜」ですが、これまでにも使われたことはありますが、この文字が元号の一文字目になったことはありません。次に「永」はこれまで29回使われています。
また、イニシャルとしても、明治のM、大正のT、昭和のS、のいずれとも重ならないKです。
しかし、この元号は万が一候補になったとしても、使用されることはないでしょう。世間で予想されたものは、その時点で外されますから、候補にすら入りません(笑)。

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180120/soc1801200001-n1.html
年号の標準は西暦にして! 元号とのダブルスタンダードによる混乱解消を

昨年12月8日、政府は閣議で天皇陛下の譲位の日を2019年4月30日と決定した。そして譲位翌日の5月1日、皇太子殿下の即位と同時に改元を行うことで検討が進んでいるという。もしそうなれば、日本人は1年の途中で元号が変わる混乱に再び直面することになる。
明治維新以降、改元によって1年に2つの元号が重複する経験は、これで5回目だ。「元年」でいうと明治は115日、大正は155日、昭和はわずか7日、平成は358日、新元号は245日と、1年365日を満たしてこなかった。
独自の文化による年号を公式に採用している国はほかにはないそうだが、私は、元号という文化はしっかりと存続させる一方で、来年の改元を機に国が「西暦を標準とする」という情報統一の取り決めをすべきと思う。西暦と元号のダブルスタンダードによる著しい情報の混乱を解消するためだ。
コンピューターデータでは「年」は西暦に統一されている。そうしなければデータとして意味がなくなるからだが、役所関係や金融機関での書類を中心に、今も西暦のみの表記を認めないケースが多い。元号の頭にM、T、S、Hといったイニシャルをつければいい、という問題ではすまない。たとえば、東京都教育委員会の「平成28年度教育人口統計報告書」が「平成41年度には、本年度実数に比べ…」と記載しているように西暦表記がないケースが多い。
だが、昨年の12月8日、「平成41年」という年は存在しないことが決まったのだ。つまり、これまで作成してきた天文学的な数の役所書類には、幻の年号が残されたままになる。これらの書類のデータべースで西暦の「2029」と検索しても「平成41年」の書類は「該当なし」となってしまうだろう。
西暦と元号の混乱は、新聞記事などでよく見る西暦の下2桁のみを表記するケースでも顕著だ。「30年度からは…」という表現がそれだ。これが「2030年度」を指すのか「平成30年度」を意味するのか戸惑う。両者は12年も異なる。これは、外国人が検索する場合にも大きな壁だ。情報の世界では今や国境はない。公式書類は「世界標準」の西暦に統一すべきなのだ。
個人の情報整理でも西暦は基本の基本。私は1994年に日本で発売された第1号のデジタルカメラ(アップル社のクイックテイク100)で撮影した画像データから現在のデジカメ撮影画像まで、おそらく数百万枚の写真データをすべて日付をつけたフォルダに入れハードディスクに保存してきた。
そのフォルダのファイル名は、「20180112 フランクフルト」と、頭に西暦の日付を8桁で付けてある。そのため、フォルダの数が膨大になっても、「ファイル名」で並べ替えをすれば、瞬時にきれいに年順になってくれる。

新元号の発足まで1年と4カ月、「年号の標準を西暦に」の議論をぜひ深めてほしい。

http://blogos.com/article/266049/
元号は残すべきなのか?田嶋陽子氏「官公庁で使うのはやめるべき!」

政府は天皇陛下の退位を2019年4月30日とすることを閣議決定した。天皇の退位は約200年ぶりで、憲政史上初めてのこと。「GWの休みが10日になる」などと話題になっているが、もう一つ忘れてはいけないのが「元号」の問題だ。既にネット上では次の元号が何になるのかと大盛り上がりを見せている一方、元号自体の廃止を主張する人もいる。
街の人に聞いてみると「何のためにあるのかわからない」「覚えるのが面倒くさい」「今を生きるなら必要じゃない」といった”元号不要論”と、「無くなってから生まれてくる人は寂しい」「時代遅れ」などと、元号の存続を訴える人に意見は分かれている。
14日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、この問題について議論した。

■田嶋陽子氏「官公庁で使うのはやめるべき」

元号の始まりは「大化改新」でもおなじみの「大化」だ。宮廷内クーデターを起こした中大兄皇子を中心とする新体制が中国の政治を取り入れようとする中で日本の元号は始まった。以来、元号は中国の古典に由来するものが多く、明治になるまでは天皇の交代以外にも大きな出来事が起きた際に臨機応変に変えてきた。
元参議院議員の田嶋陽子氏は「あってもいいし、表現が豊かになる部分はあると思うけれど、日常生活では使う必要がない。主権在民なのに、天皇家のものである元号が私たちの日常生活に出て来るのはおかしい。入れたかったら西暦の後ろにカッコで入れておけばいい。民主主義の観点からいうと元号に振り回されているというのはおかしい。不便だし、少なくとも官公庁では使うべきではない」と主張する。
一方、文筆家の古谷経衡氏は、今まで通り元号を使用し続けるべきだという立場だ。「世の中損得じゃないものもある。不便だという理由や合理的な考えで推し進めていったら何だっていらなくなる。世の中全部そうだが、『合理的にこれが便利だから必要だ。これは不便だからいらない』と消していったら世の中殺伐としてしまう。民主主義と天皇制は両立できる。じゃあなんで、”キリストが生まれてから何年”という西暦を私たちが使わなきゃいけないんです?私たちはキリスト教国じゃない。アングロサクソン、西洋のことに対して時代遅れというのはおかしい」とコメント。すると田嶋氏は「そんなこと言ってる時代じゃない。グローバルの時代なんだから」と反論した。
日経ビジネスの柳瀬博一氏は「ビジネスの現場は大抵西暦でやっているが、官公庁や証券取引所に提出する資料などには元号を使わなければいけない。逆に言えば、そこしか平成を使うシーンがない。その点では、他国とのやりとりも相対的に多くなっている時代に不都合は確かにある。国事やお祭りなどには積極的に元号を使い、ビジネス文書などは西暦に統一ということは議論されてもいいのかなという気がする。ただ、グローバル化とは別に、日本独自のものとして年号はあった方が色んな意味でいいのでは」とコメントした。
また、「2000年問題」のように、元号が変わる際にはシステムトラブルなどの問題が起きる可能性も指摘されてきた。
あるシステムエンジニアは「この時代に、元号が変わった程度で混乱するようなシステムを組んでいるところは少ない」と話す。また、ある役所も「今のところ元号が変わった程度で予測される弊害は特にない」とコメント。カレンダーの印刷業者は「平成に変わったときには昭和天皇の体調などの情報をこまめに収集していたのと、変わったのが1月だったので大きな混乱はなかった」と振り返る。古谷氏も「出版やカレンダー業者などにとってはいろんな需要が出てきて、中小零細企業の助けにもなる。デメリットや混乱ばかりではない」と話す。

■古谷経衡氏「時間の経過によって”平成”にも重みが出てくるはず」

時代の流れの中で、元号の存在については国会でも議論されたことがある。
皇室に関する法律である旧皇室典範に記載されていた元号だったが、戦後、現行の皇室典範が制定された際にはその規定は消えていた。つまり、法律上は元号が一旦無くなったということだ。しかし昭和52年、昭和天皇が高齢になり、改めて元号の存在がクローズアップされることになる。この時、野党からは元号を廃止して西暦に統一するべきだという意見があがり、政府は世論調査を実施した。その結果、「昭和・大正というような年号を使っていますか?西暦を使っていますか?」との質問に、88.6%の人が「主に年号(元号)」と回答。元号は必要と判断され、昭和54年に「元号法」が制定、元号は政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めること規定されることになった。
このことから、古谷氏は「選挙で選ばれた国会、そして政府で決めるのであれば、民主的に決まったものではないか」と指摘。しかし田嶋氏は「使い方については言っていないし、官公庁は必ず元号を使えとも言っていない。使い方は自由で、国民のものだ。時代とともに意識も変化している」と重ねて主張した。
確かに、かつては元号がメインだと答えた人が圧倒的多数だったものの、番組で10~80代の人たちに街頭で調査したところ「西暦」と回答した人が76人だったのに対し、「元号」と回答したのは24人だった。
柳瀬氏は「事実上、社会生活で元号を使わなくなってきているのは確かだろう。ただ、昭和生まれにとっては、西暦よりも”昭和○年代”と表すことにリアリティがある。たとえば昭和一桁生まれの人たちは自分のことを”昭和ヒトケタ”と言ってきたし、”昭和20年代生まれのじじいじゃねえか”といった会話も成り立っていた。たしかに昭和生まれ対平成生まれということで考えることはあると思うが、”平成ヒトケタ”などとは言わないし、80年代生まれ、90年代生まれといった発想になっている。ごりごりの天皇主義者の方ですら平成○年ということにリアリティを持っているのだろうか」と指摘する。
これに対し古谷氏は「それは我々がいま平成に生きているからであって、時間の経過によって重みが出てくるもの。大正と聞いたときに大正デモクラシーや大正ロマンというものが思い浮かぶように、おそらく50年くらい経った時にそういう感覚が生まれていくのではないか」と訴えた。
議論を聞いていたふかわりょうは、「西暦と元号を変換する中で会話が盛り上がることもあるし、そういう煩わしさこそが社会の潤滑油。県ではなく、武蔵国とか言うときに趣があるように、昭和や平成の話をするのも楽しい。そんな些細なことが日常に潤いを与えていると思うので、めんどくさいからと消していったら息苦しくなる。でも、むしろ干支っていります?」とコメント。すると田嶋氏は「面白いじゃん!私は巳年だから蛇だぞ蛇だぞって言ったりして。楽しいじゃん(笑)」と、干支を使っていくことに対しては肯定的な様子だった。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

「じわり忍び寄る元号軽視の気配に警戒せよ」への4件のフィードバック

  1. 「不便だから」「紛らわしい」という理由で伝統ある元号を廃そうというのであれば、同じ理由で西暦も廃止して皇紀にすればいいじゃないかと皮肉ってやりたくなりますね。
    世界史を勉強するときに思いましたが、西暦だって紀元前1274年にカデシュの戦いが~だの、紀元前206年に前漢が建国され西暦8年に滅び…など、非常に「不便」で「紛らわしく」て「覚えにくい」ものでしたから。
    いっそ西暦を廃止して皇紀を再制定し、元号と皇紀の二本立てにすればいいんじゃないですかね。

  2.  元号を軽んじる気配が出てきたのは、最近の日本人に「天皇の臣」という意識が無くなってきたのも一因であるように思いますね。
    特に役人や公務員、自衛隊員、更に保守派や右翼の中にも天皇を我が主君と仰ぐ感覚が薄れてるように感じます。

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