高度経済成長は日本人に何の良いことももたらさなかった。
高度経済成長が日本を破壊したと捉えるべきである。この頃から日本人は占領基本法(通称「日本国憲法」)を改正する気力を失い、花より団子、右翼も左翼も衰退することとなった。三島由紀夫が自衛隊に檄をとばす覚悟を固めたのも、この頃の日本人の体たらくに憤ってのことである。
昭和40年ごろから、松下電器(現パナソニック)などの企業で会社が住宅ローンを手当てする代わりに持ち家を推奨する風潮が現れた。一見企業による社会福祉の増進を示すような事例に見えるが、これにより企業は従業員を借金まみれにし、借金をタテに従業員を働かせる「社畜」が登場したのである。無理な転勤、ひどい残業も借金を抱えている身では甘んじなければいけない。
サラリーマンはローン返済のためだけに生きるような存在となってしまい、カイシャに縛られることとなった。
カイシャに縛られ、社会のことに気を向けられなくなる異常な風潮は、この頃から徐々に日本社会を覆い始めたのである。
しかしこの会社員という仕事を労働者の側も喜んで就くようになった事実もありますよね。
自作農や自営業という職種は非常に不安定で、厳しい時期は本当に飯を食えない。みんなそれは嫌だからサラリーマン、特にホワイトカラーになりたがったという側面もあるわけでしょう。
無理な転勤も、ひどい残業もあるけど、福利厚生がついて毎月安定して給料がもらえるなら我慢しようと。
カイシャに縛られ、窮屈さに苦しむようになったのは、毎月の安定した給料と引き換えに社畜となることを選んだ労働者自身の責任も大きいと思いますね。
本質的にこの世はリスクの塊で、今月食えても来月食えるとは限らない。
一生安定して食える稼業もなく、農業も商売も不安定なものでしょう。
その不安定なものによる給与所得について、サラリーマンの多くはどこか「降って湧いてくるもの」であるかのような無責任感を抱いてるのも確かではないでしょうか。
カイシャに依存しなければ生きていけない仕組みを本気で変えようと思うなら、
「嫌な会社は辞めてやる、自分で商売でも起こしてやる、最悪食えなくなったら万引きでも家業にして生きてやる」
ぐらいの覚悟や覇気をサラリーマンも持つ必要があるんじゃないでしょうかね。
N様
コメントありがとうございます。
やはり資本主義の世の中をどうにかしないかぎりサラリーマンを選ぶのは当然な気がします。
その当然なはずのサラリーマンをみんなが選んでしまったら社会が崩壊するという矛盾を抱えているような気がするのです。