bounan2 のすべての投稿
外国人を酷使しなければならない―道義の退廃
今治タオルが外国人技能実習生の酷使で炎上している。
しかしこれは技能実習制度の闇の氷山の一角だろう。そもそも発展途上国支援であった技能実習制度が超低賃金労働の隠れ蓑になっている状況を見てみぬふりをしていたからこうなる。
外国人留学生も同様に法の網をくぐり抜けて酷使されている。
誰かが誰かを酷使しなければ成り立たない現代の「便利なくらし」とは何なのか。根本的に見直されるべきではないのか。
出井康博『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』を読んだときも、東京が蜃気楼の大都市に思えて呆然としたことを思い出す。
わが祖国は恥ずかしい国に成り果ててしまったものだ。これも利益を見て道義を見ぬからだ。
対米従属関係の正体
国際化するとは、決して自国をグローバルスタンダードに合わせるということではない。国際化とは自国の概念を他国に広げることを指す。国際化とは、何か普遍的なルールを共有するということではない。強国のルールを受け入れること、あるいは自国が強国となり、国際社会に自国のやり方を強制していく、そんな力と力のやり取りのことである(佐伯啓思『従属国家論』57~60頁)。このような正しい意味での「国際」関係を理解していた人物に陸羯南がいる。
陸羯南は『国際論』で、日本の国家目的を欧米の侵略を止めさせることに置いた。陸の国際認識は『国際論』に言い尽くされている。陸は世界史を力による侵略、非侵略の歴史と見做し、侵略がどのようにして行われるかを詳細に論じた。それによれば、侵略は外交に対し憧れのような感情を持たせることから始まり、次に経済的に依存させ、最後には領土を奪うのだという。ただし近年の侵略は領土まで欲するものは少なくなっているといったことまで触れている。そのうえで日本がどう対抗するかといえば、まずは自国の使命を自覚することだという。日本の使命は「六合を兼ねて八紘を掩う」ことにあり、世界に公道をもたらし弱肉強食の国際関係を止めさせることにある、という。国際法は所詮欧米が決めた、欧米に有利なルールに他ならないが、先の日本の使命から国際法に東洋の立場も盛り込ませることが重要だといっている。
ここでは国際関係を非常に現実的にとらえる陸の目が感じられる。国際社会を現実的な力関係で捉えるのはそう珍しい意見ではない。だがそうした論客はたいてい日本が生き残るためには、「強いものに付け」という態度に出ることが多いように思われる。しかし陸はそうではなかった。ここに陸の凄味があるように思われる。そしてだからこそ陸は欧米に与せず、アジアの側に立ったのであった。
国際社会が力関係で動くということを認めるということは、必ずしも強国への従属につながるわけではない。強国への無思慮な追従こそ属国化を招くものだという言い分も充分成り立つからである。侵略は敵国からだけなされるのではない。同盟国が同盟をたてに侵略することなど日常茶飯事である。同盟とは作戦の共有であって、運命共同体ではないからだ。
誰のための入管法改正か
新元号公表の陰で…
四月一日、新元号公表の陰でひっそりとある法律が施行された。改正入管法である。これにより外国人労働者の就労が拡大される。日本政府は、フィリピン労働雇用省のシルベストル・ベリョ労働雇用相と会談し、「特定技能」を有する外国人材に関する協力覚書を締結した。日本にとってフィリピンは「特定技能」制度に係わる協力覚書の最初の締結国となった。
ベリョ氏は地元紙に対して、「改正入管法の施行によって、新たに10万人以上のフィリピン人労働者が日本で就労する可能性がある」とコメントしている。たしかに「移民はいない」との建前を掲げながら、実際は「留学生」や「技能実習生」として外国人労働者が管理されず入国就労している現状は問題であった。政府は、「特定技能」を有する外国人労働者に対して日本人と同等またはそれ以上の賃金が支払われることや、悪質な仲介事業者の排除等を約束している。同様の覚書をネパール、カンボジア、ミャンマーの四カ国と交わしているようだ。
だが実際は企業や自治体の受け入れ態勢の整備は整っておらず、拙速な対応というべきであろう。日本語教育の問題や二世のセミリンガル化の問題、信仰の多様化への対応など、課題は多く残っている。
外国人労働者を入れたい動機
そもそも外国人労働者がなぜ必要なのかといえば、経済界を中心に「人手不足」の現状があるからだ。だが、日本人でも就労したくてもできない人は大勢いる。要するに「超低賃金、長時間労働で働く人材」が不足しているというだけのことである。すなわち、日本にやってくる外国人労働者が着く職は、「超低賃金、長時間労働」ということになる。
例えば昨年失踪した技能実習生は、過去最多の九〇五二人に上っている。この背景にも低賃金や長時間労働が顔をのぞかせている。違法な労働条件を外国人労働者に強いる企業が後を絶たないのは、外国人労働者を入れる動機が「最低賃金」という法的制約の抜け道になっているからに他ならない。こうした外国人奴隷状態の根本解決に、今回の法改正はなりえるのだろうか。仮に本当に違法な労働条件を取り締まっても、留学生や技能実習生などの「抜け道」がなくなったわけではない。企業が外国人を入れたい動機が「低賃金、長時間労働」である限り、問題は一向に解決しない。それどころか、さらなる悪化を招きかねない。
東京都港区の寺院「日新窟」のベトナム人尼僧ティック・タム・チーさんは、メディアの取材に以下のように語った。「日本人は西洋人は尊敬するが、アジア人は見下す。同じ人間なのだから平等に扱ってほしい」。
ヨーロッパの移民の失敗
かつてヨーロッパはアフリカを中心に多くの移民を受け入れた。その結果が今の欧州の政治経済の混乱、テロの勃発である。「低賃金、長時間労働」を動機に外国人労働者を入れた結果、入ってきた外国人の憎しみを買い、手痛いしっぺ返しを食らっている状態である。当然というべきである。
特に問題なのは、人種構成が大きく変わることで文化的死滅を免れないということである。かといって彼らに生まれ育った文化を捨てさせるような同化政策など取れるはずがない。日本文化は早晩死滅することになるだろう。
文化の軋轢は、異なる文化への寛容性を失うことにつながる。それを抑えるのは、警察権に代表される政府の武装強化である。「多様性」を目指すことでかえって強権支配が訪れ息苦しい世の中になってしまうのである。さらに言えば、若い力をとられる途上国の経済にも、短期的にはともかく長期的には決してプラスにはならない。
大亜細亜の理想
『大亜細亜』誌で度々引用し、論じていることではあるが、重要な問題なので再度繰り返す。
明治十五年生まれでメッカに日本人で初めて巡礼した、日本人イスラム教徒の草分け的存在である田中逸平は以下のように主張する。アジアは古来聖人が命を受け、大道を明らかにし、広めてきた場所である。大アジア主義の「大」とは領土の大きさのことではない。道の尊大を以ていうのである。しかし西洋文明が押し寄せることで、智に偏し物欲が人を苦しませている。大道は廃れんとする中、大アジア主義を問うときが来たのである。
田中は大アジア主義をアジア諸国の政治的外交的軍事的連帯に求めない。はたまた白人に対する人種的闘争にも求めない。大道を求め、それぞれの文化で培った伝統的思想(「古道」)の覚醒に努めるべきだというのである。日本においては「神ながらの道」がそれにあたるという。田中はイスラムにもその「古道」が流れているのを感じ取ったのである。
伝統的信仰を取り戻し、侵略者を追い払うことを通じて、立国の精神を共有することが大アジア主義の志であった。それは必然的に政教一致の政体を模索することにつながるであろう。
だとすれば目指す道は「移民」によって生まれ育った文化をまぜこぜにしてしまうことではない。各国、各民族がそれぞれの場所でそれぞれの文化を輝かせるよう連帯を進めていくべきなのである。
財界のどす黒い下心にまみれた移民政策はアジア主義に合致するものとは思われない。それより「立国の精神」の再確認こそ肝要と言うべきである。
アマゾンレビュー「もう一人の昭和維新 歌人将軍斎藤瀏の二・二六」
アマゾンに「もう一人の昭和維新 歌人将軍斎藤瀏の二・二六」についてレビューを投稿いたしました。
以下レビューの内容です。
歴史の新たな一面を開く
若くして佐佐木信綱の門を叩き、作歌活動をしながら、二・二六事件に参加した人物がいた。それが本書の主人公齋藤瀏である。
瀏は国家革新の志を持ちながらも、「非合法の活動はダメだ」と青年将校を戒める立場であった。それが決起への参加に転じたのはなぜか。
瀏にとって歌は日常であり、「歌人」などという特別な人間が作るものではなく、日本人誰もが心に流れるものであった。
齋藤瀏の生涯を追うことで歴史の新たな一面を開く著作である。
書評 荒谷卓『サムライ精神を復活せよ!』
いつからだろう。「グローバルスタンダードに従え」と当たり前のように叫ばれるようになったのは。
国を守る精神
いわゆる「日本国憲法」には、欺瞞が含まれている。軍備を持たず周辺諸国民の公正と信義に期待するとしていながら、実際は日米同盟という対米依存体制によって国防がなされている欺瞞である。
謀叛論:竹中平蔵を馘にせよ
資本主義の自滅
既に世界の人口の半分以上が都市に生活しているという。これが「先進国」限定の話であったらさして驚かないが、「発展途上国」も含めてもそうであるというから驚かされる。
「皇道」「國體」の日本
「日本」という概念は日本民族の魂である。そこに文化、歴史、国土があるからだ。日本は単なる地理的名称ではない。その「日本」という概念の中心たる「國體」は、まさに民族の生命大系そのものであると言ってよい。