「皇道」「國體」の日本


「日本」という概念は日本民族の魂である。そこに文化、歴史、国土があるからだ。日本は単なる地理的名称ではない。その「日本」という概念の中心たる「國體」は、まさに民族の生命大系そのものであると言ってよい。

しかし、近代化が進むにつれて、その地縁、血縁的共同性は薄らいできてしまっている。昨今のグローバリズムがそれに一層拍車をかけた。
国家が追求すべき価値を考慮しないかたちでの「現実主義」は、必ず現実の追認になっていく。価値観の議論は必須なのである。
戦後親米保守はアメリカと組めば安全だとばかりに日米同盟を盲信したが、同盟ほど危ういものはない。同盟を隠れ蓑にした同盟国への侵略に備えなければならない。
AI社会においては、単純労働を機械がどんどんこなしてしまうがゆえに、ひとを大事にしない。グローバリズムとAI社会の組み合わせは、人間が選別され、上層の人間しか生き残れない社会へと変わっていくだろう。

戦前の日本人は「皇道」を唱え新時代の扉をしめそうとした。現代のグローバリズムの負の側面を克服するためにも、「國體」「皇道」の研究が不可欠であろう。

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