「クビにされた」「クビになった」などと俗に言う。要は組織から追い出されることを指す。解雇されるときにも使われる。
この「クビにする」、漢字で書くと「馘にする」と書く。「首」は文字通り人間の首から上をかたどった象形文字がその由来であり、「或」は刀を意味している。つまり「馘」とは刀で首斬りをされている様子、もしくは耳を削がれている様子を表しているのである。
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東洋大学の学生が、同大学の竹中平蔵教授を批判するビラや立看板を設置したことで、大学側から退学を勧告されたという。
件の大学生は四年生。卒業論文も終え卒業を控えるだけの学生に対しあまりに酷な仕打ちである。その後東洋大学は「退学処分にしない」と表明したようだが、それにしても自己の政治的見解を明らかにすると権力を振りかざして黙らせにかかるのは横暴である。さらに言えば、「政権への忖度ではないか?」という疑問も感じさせるものである。
もっとも、政治権力も大学当局もそんなものだとも言える。小池都知事と仲が悪いからというくだらない理由で、石原慎太郎ですら産経新聞のコラムを打ち切られたというではないか。世間は愚かしい忖度で溢れている。お偉いさんの機嫌を損ねかねない主張をする者は黙らせろというのが偽らざる本音だろう。
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政治は結果責任である。いくら圧力をかけて黙らせようとしても、結果はつきまとう。
竹中平蔵は、小泉政権、安倍政権において新自由主義的弱者切り捨て政策、格差拡大政策をとらせるべく影響力を行使し続けた。
郵政民営化など公共サービスの市場化を進め、破壊してきた。現代の格差社会を生み出した中心人物である。
竹中平蔵が取り組んだ新自由主義政策によって経済的に困窮し、自ら命を絶った人も多かろう。警察は、人一人を殺すと飛んできて牢屋にブチ込もうとするが、何千、何万人もの命を奪う政治的失敗に対しては、もちろん捕まえもしないし捜査もしない。むしろそうした政治的抗議の声をあげた人を捕らえ、罪人というレッテルを張り続けるだろう。
「君子は義にさとり、小人は利にさとる」と言うが、まさに利にさとる小人を生み続けたのが、竹中平蔵である。
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「謀反(むへん)」とは君主に背くことであり、「謀叛(むほん)」とは政府権力に背くことである。政府は「謀反」と「謀叛」を意図的に混同させ、反逆者として取り締まろうとする。
だが国体の存立基盤である共同体を弱めようとする政策を取り続ける小泉、安倍、竹中こそ謀反人、つまり逆賊・朝敵なのであって、小泉、安倍、竹中に反発する者は、謀叛人であるかもしれないが謀反人であるはずがない。「共和制」を一言も口にせず共和を実現しようとする勢力が、わが国には存在するのである。
権藤成卿は明治政府を「プロシア的」「官治」と呼び、信仰に基づく地域共同体である「社稷」を重んじた。官治は自らがコントロールできない「自治」を嫌うものだ。巧みにアガリを取りやすい資本主義を愛するのである。
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どんなに経済成長しても、どんなにうまく立ち回っても、それだけではつまらないではないか。日頃のせせこましいマニュアルや上司の意向に拘束される自分から時に抜け出て、ありのままの心で日本人の躍動、文化を感じたい。
たしかに機械化、IT化、高度資本主義化は生活水準を高めるかもしれない。だがそれが人間の生活の充実を意味するとは限らない。西洋近代思想とマニュアル的先例主義、忖度、自己利益、儲け話、そのすべてを蹴飛ばして、日本人の心の奥底に宿る魂の躍動、霊性の震えに身を委ねよう。
それこそが、日本精神だ。
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竹中平蔵を馘にせよ。すべてはここから始まる。