会社に属するがゆえに安定した収入があり、将来への不安が少ない。その対価として、上司に頭が上がらないまま馬鹿馬鹿しい仕事にも取り組まなければならない。あまりにも当然で、これに不満をこぼすならば、甘えていると言われても仕方ないのかもしれない。
だが、会社員以外の人生など一握りの人以外選べない。自分はその一握りではないと悟った時、生きるということ自体が悲しみに包まれるのも、また当然ではないだろうか。将来の選択など初めからなかった。ならば余計な気を持たせず、初めから江戸時代のように親の身分で職業が決まっても同じではないか。気を持たないだけその方が幾分ましだったかもしれない。身分による秩序を努力とか才能による秩序にすり替えたかのような幻想が現代社会を覆い、生きる悲しみを生み出している。
今日の社会では、芸術の才能のある人も、真に芸術に一身を捧げることは出来ぬ。学問の才能のある人も、真に学問に没頭することを許されぬ。何故ならば今日の経済組織の下では、全ての人は、芸術家たる前に、科学者たる前に、否な父たり母たり、妻たり同僚たる前に、先づ商売人とならねばならぬからである。山川均の言葉である。何よりも先に商売人であらねばならぬことは、人間が動物であるということでもある。成虫になってから7日で死ぬ昆虫が、生きる意味など問うひまもなく子孫を残すことにいのちを燃やすのと同じである。だが、そこに悲しみを感じるのも、人間の人間たるところであろう。
若松英輔は、新見南吉の「生きるかなしみ」を読んだことが悲しみに気づくきっかけであった、という皇后陛下の講演での発言に注目する。
ある日、でんでん虫は、自分が背負う殻が悲しみでいっぱいになっていることに気がつく。不安にかられ、友を訪ね、悲しみのあまりもう生きていけないのではないかと語る。すると友達も、いや、君だけではない。自分も同じなんだという。その後もでんでん虫は、つぎつぎと友のもとを訪れ、内心を語るが、かえって来る声は同じだった。でんでん虫はようやく、悲しみを持たない者はどこにもいないことに気が付く。むしろ、生きるとは自分の悲しみを背負うことと同じであることを知る。(若松英輔『生きる哲学』245頁)
ここでは、「生きる悲しみ」とは結局何なのかがまるで明示されない。かなしいからかなしいのであって、何か理由があるからかなしいのではないのだ。例えば先ほど会社員の悲哀を書いたが、会社員だからかなしいのではない。それはかなしみを感じる一つの「きっかけ」でしかない。会社を辞めれば、また違ったかなしみが待っているからだ。思えば会社に入るずっと前から、生きることは悲しくて仕方なかったではないか。
かなしいとは、切ないとか苦しいとかいうことだけではない。すばらしいと感じるのも、かわいいと感じるのも、いとしいと感じるのも、「かなしい」のである。それは古典の用例を知れば一目瞭然だろう。かなしいとは、こころが突き動かされる状態を指す。かなしみとは感情の動いた証である。
言葉は誰かに伝えることが前提となっている。即ち人が真摯に発言するとき、それは自分のためであり、日本のためであり、先人のためであり、将来の同胞のための発言である。その目的を分かつことなどできない。その目的を分けられるとしたら、それは自己利益の為に発言しているからである。言葉を受け取り、言葉を書き残すという行為は他者に道を設ける行為である。いっぱいになった悲しみは、他者を感じるときかなしみになる。でんでん虫は、友に話して、友も悲しみを持っていると気づいたとき、きっと何かが変わったはずだ。自らの悲しみはなくなったわけではない。だがそれでも、幾分心が軽くなったに違いない。他者から「自分も同じだ」という言葉を受け取ったことで、悲しみはかなしみに変わったのである。
生きることはかなしみに満ちている。それは何も変わらない。問題は何一つ消え去ったわけではない。しかしそれでも、悲しみがかなしみに変わった経験を持つものは、絶望のうちにあっても一筋の光を見る。自らが多くの言葉を受け取ったように、多くの言葉を残しうることを知っているからである。