我が国が真の独立、完全なる主権を回復する為には、日米安保を終了し、核抑止力を担保とした、非同盟・中立外交による「栄光ある孤立」政策を国是に据えるべきだ。
周知の様に、我が国は、52年のサンフランシスコ講和発効によって表向きの独立を回復したが、それ以降も、日米安保によって米軍の駐留が継続し、半主権国の状態が続いてきた。日米安保の運用は日米地位協定によるものとされており、日米地位協定は、在日米軍の区域や施設に関する規定は、日米合同委員会で決定されることになっている。しかし、この日米合同委員会は、議事録や合意文書が原則非公開であり、同委員会で決定した日米合意は国会での承認を必要としないため、軍事的対米従属の根拠を成す数多くの密約が結ばれる装置と化して来た。なかでもその最たるものは、裁判権密約、基地権密約、指揮権密約の三大密約である。裁判権密約とは、米軍関係者が日本の法律で裁かれない、いわゆる治外法権を認めたものであり、基地権密約とは、米軍が日本の国土全体を自由に使用することを認めたものであり、そして指揮権密約とは、戦争になっなら自衛隊は米軍の指揮の下で戦うというものである。何れもアメリカにおける外交文書の公開で明らかになった。現行の日米安保や地位協定では、両国の関係が対等なものとされ、例えば基地についても、我が国の同意が必要であると書かれているが、その裏では日米間の密約によってこれらの同意権が留保され、実質的には独立前と同じ米軍による占領体制が継続している。これらの密約は、選挙による政権交代が実現しても官僚機構そのものが変わらない限り、主権者の意思を超越して永続する。それは民主党による政権交代が証明した。
したがって詰まる所、我が国が真の独立と完全なる主権を回復する為には、軍事的対米従属の根拠となっている日米間の三大密約を初めとする諸密約を廃止せねばならず、その為には密約の製造装置と化している日米合同委員会を廃止せねばならない。また合同委員会を廃止するためには、日米地位協定を廃止せねばならならず、その為には日米安保そのものを廃止せねばならない。日米安保の廃止は我が国がアメリカにその旨を通告して一年経てば実現できる。我々は自主核抑止力を担保として、日米安保を廃止し、非同盟・中立外交による「栄光ある孤立」政策を国是とすべきである。
我が国日本の対外的独立性を担保するのは確固たる軍事的基盤であり、その唯一の方策は自主核武装をおいて他にないが、そう主張すると直ぐに返ってくる反論は、我が国の核武装は国際的孤立化を招き、戦前の二の舞になるというものである。確かに戦前の我が国は、満州権益でアメリカと衝突し、石油を求めて南進した結果、アメリカに石油を止められた為に、乾坤一擲、大東亜戦争への突入を余儀なくされた。その意味で、我が国が核武装を志向すれば、アメリカは経済制裁と称して我が国へのウラン燃料の輸出を停止し原発の運転を不可能ならしめるだけでなく、サウジアラビアやUAEといった親米産油国に働きかけて、石油の対日輸出をも制限して政策変更を迫るであろう。
言うまでもなく、我が国は石油や天然ガス、石炭といったエネルギー資源のほぼ100パーセントを海外から輸入しており、その内石油については9割近くを中東に依存している。更に中東からの石油輸入の6割以上はサウジアラビアやUAEといった親米国に依存している。したがって、アメリカがこれらの国に日本への輸出制限を要請すれば応じかねず、その場合我が国は瞬時にして行き詰まることになる。こうした事態を回避する為には、平時から原発への依存を減らし、石油や天然ガス、石炭などのエネルギー資源の供給源を多角化してリスクを分散しておく必要があるのは言うまでもない。
そこで新たなエネルギー供給国として注目されるのがロシアであるが、周知の通り、我が国とロシアの間には北方領土問題が横たわり、平和条約締結の障碍となって来た。去年十二月のプーチン訪日では、北方領土問題の歴史的進展が期待されたが、結局何の成果もなく、かえって北方四島における「共同経済活動」という、我が国がロシアの実効支配を追認するかの様な屈辱的合意がなされてしまった。何故、北方領土問題は進展せず、平和条約は締結されないのか。プーチンは北方領土を返す気がないのか。その真意は分からないが、少なくとも返したくても返せない客観的要因が存する事は確かだ。それは、ロシアが我が国に北方領土を返還した場合、アメリカが北方領土に米軍基地を置く可能性を排除できないという問題である。
日米安保条約第六条は、在日米軍の「施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」とあり、それを定めた日米地位協定第二条では、「個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。」、「日本国政府及び合衆国政府は、いずれか一方の要請があるときは、前記の取極を再検討しなければならず、また、前記の施設及び区域を日本国に返還すべきこと又は新たに施設及び区域を提供することを合意することができる。 」とあるが、この規定の解釈について、外務省が作成した機密文書『日米地位協定の考え方』は
「このことは、次の二つのことを意味している。第一に、米側は、わが国の施政下にある領域内であればどこにでも施設・区域の提供を求める権利が認められていることである。第二に、施設・区域の提供は、一件ごとにわが国の同意によることとされており、従って、わが国は施設・区域の提供に関する米側の個々の要求のすべてに応ずる義務を有してはいないことである。地位協定が個々の施設・区域の提供をわが国の個別の同意によらしめていることは、安保条約第六条の施設・区域の提供目的に合致した米側の提供要求をわが国が合理的な理由なしに拒否しうることを意味するものではない。特定の施設・区域の要否は、本来は、安保条約の目的、その時の国際情勢及び当該施設・区域の機能を綜合して判断されるべきものであろうが、かかる判断を個々の施設・区域について行なうことは実際問題として困難である。むしろ、安保条約は、かかる判断については、日米間に基本的な意見の一致があることを前提として成り立っていると理解すべきである。」とあり、日米安保の実際的運用面においては、在日米軍の展開に関する我が国の同意権を実質的に放棄することが記されているのである。
プーチン訪日に先立ち、谷内正太郎・国家安全保障局長は、モスクワ入りしてロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談した。その際、パトルシェフ氏が日ソ共同宣言を履行して2島を引き渡した場合、「島に米軍基地は置かれるのか」と問いかけてきたのに対して、谷内氏は「可能性はある」と答えたという。これではロシアが懸念を持つのも仕方がない。プーチンは訪日直前のインタビューで「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどれぐらい実現できるのか見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。」と発言して我が国の主権の独立性に疑義を呈し、さらに首脳会談後の共同記者会見では、いわゆる「ダレスの恫喝」を引き合いに出し、「1956(昭和31)年に、ソ連と日本はこの問題の解決に向けて歩み寄っていき、「56年宣言」(日ソ共同宣言)を調印し、批准しました。 この歴史的事実は皆さん知っていることですが、このとき、この地域に関心を持つ米国の当時のダレス国務長官が日本を脅迫したわけです。もし日本が米国の利益を損なうようなことをすれば、沖縄は完全に米国の一部となるという趣旨のことを言ったわけです。」と述べ、日米安保に基づくアメリカの宗主的影響力が、日露平和条約交渉の障碍になっていることを明確に示唆しているのである。
我が国の世論は、親露派のトランプがアメリカの大統領になった事で、日露交渉の障碍がなくなったと淡い期待を抱く意見もあったが、問題の本質は誰が大統領になるかということではなく、日米安保・地位協定によって我が国の主権が完全に独立しておらず、ロシアが我が国を対等な交渉相手と見做していないことに存するのである。したがってロシアとの外交的手詰まりを打開する前提としては、我が国が北方領土に対する日米安保の適用除外をアメリカから取付ける必要がある。その上で、北方領土の非武装地帯化をロシアに提案してはどうか。何れにしても、安倍首相の対米追従外交を是正しない限りロシアとの平和条約など夢のまた夢であろう。
立入宗継(たてりむねつぐ)は京都の人で、父祖の時より洛外に住み、皇室の御料所から納められる年貢を預かっておりましたが、永禄年間に禁裏御蔵職に就いて、朝廷に納める酒や御物の管理に当たりました。
ところが、当時は戦乱久しく相継ぎ、皇威衰えておりましたので、宗継は大いにこれを嘆き、ある日、中納言万里小路惟房(これふさ)に説いて、「今の時宜しく天下の英雄を得て、全国の乱を定めるがよい。それには尾張の織田信長こそ適任であろう。君乞う、これが綸旨を請わんことを」と勧めました。されど、惟房は内外を憚って決せなかったから、宗継は再び説いて、「この事もし外に漏れて禍を蒙れば、臣独りこれに当たらん」と言い、永禄五年(1562年)十月遂に正親町天皇に奏上しました。
…
時に天皇も、勅使を派遣して熱田神宮に奉幣する霊夢を見給うたから、ここにおいて吉兆なりと思し召し、宗継をして密旨をもたらして尾張に赴かしめ、信長を「古今無双の名将」とお褒めになると共に、御用の香合(こうごう)を下賜し給い、彼が天下を平定した暁には、戦国大名により押領された各地の皇室御料所を回復するよう命じられたのでした。
この時、宗継は、京師にて交わりを結んだ尾張道家の館に留まり、信長が猟から帰ってくる道に待ち受け、勅を信長に伝えたのでした。そこで信長は沐浴して衣を改め出で、謹んで詔勅を戴き、天皇より使命を辱うした如きは光栄身に余れりとて、直ちに御請を為し、それより宗継を厚く饗応して返しました。
かつて信長は日夜上洛の策を講じておりましたが、十年(1567年)十月、天皇また宗継を使いとして詔を齎し、信長の美濃尾張を平らげたる戦功を賞し、なお一層勇を奮い、威を宣べ、以て朕の望みにそえよとて、ために戦袍(鎧の上に着る衣服)一領を賜いましたから、信長はいよいよ感激し、その袍を拝し受けて曰く、「臣師を督し宮闕に詣るの日、まさにこれを着て賜を拝すべし」と、かくてその言のごとく勤皇の旗を京師に立て、天下一統の基を立てると共に、先の勅命を守って皇室の御料所を復旧し、荒れ果てた京都御所を修復するなどしました。この大事を成せる功勲により立入宗継は従四位下を贈られましたが、明治三十一年四月更に従二位を贈られたのであります。(絵は岐阜城で勅使の立入宗継より綸旨を拝受する織田信長)
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売国奴、竹中平蔵を庇う安倍首相も同罪だ。
安倍政権がそうまでして、移民の受け入れに固執する訳は、こうした一連の規制緩和によって生まれる巨大なビジネスチャンスや利権にありつこうとするレント・シーカーが暗躍し、政府に不当な圧力を加えているからである。その筆頭格が竹中平蔵だ。竹中平蔵といえば、かねてから新自由主義的な経済政策を掲げ、小泉内閣の経済閣僚を歴任して構造改革を推し進めた人物として知られるが、なかでも彼が主導した郵政民営化は、郵政グループの金融資産に目を付けたアメリカの外圧に呼応した政策であった事がつとに指摘されている(関岡英之氏の「年次改革要望書」に関する著作など参照)。竹中はアメリカ政財界と太いパイプを築き、その代理人として我が国の政府内で隠然たる政治力を行使し、「公正な競争」という大義名分の下で、構造改革によって生まれた利権を、米国資本や自らの取り巻きに供与するという、売国的悪行を積み重ねてきた。その代表例が郵政民営化であるが、他にも彼の罪状としては、不透明な新生銀行上場認可、りそな銀行の乗っ取り、オリック…ス「かんぽの宿」不正払い下げ未遂事件、日本振興銀行設立の闇などが挙げられている(植草一秀氏『日本の独立』参照)。
不可解なのは、かくのごとき曰くつきの人物が、いまだに安倍内閣の経済諮問会議の民間議員として政府の政策決定に一定の影響力を保持していることである。前述した国家戦略特区による農業移民の解禁についても、当初、所管の法務省や厚生省、農水省は消極的であったが、国家戦略特区諮問会議の有識者議員を務める竹中平蔵氏や八田達夫氏などから、「度重なる議論にもかかわらず、法務省の担当者などの対応が遅く、進捗が芳しくない」などと、文書でプレッシャーをかけられたことで、やらざるをえなくなった、という経緯がある。
さらに問題なのは、この農業特区に参入したオリックスの子会社「オリックス農業」の社外取締役に、特区政策の当事者である竹中が名を連ねていることだ。同様に竹中は、神奈川県における家事支援外国人の受け入れの特区指定に関与しておきながら、同事業を自らが会長を務めるパソナに受注させている。これが特区制度の私物化、利益相反でなくて何であろうか。目下政府は、働き方改革と称して女性を外で働かせ、家事を外国人にやらせようとしている。また農業人口の減少への対策として農業移民を受け入れようとしているが、これらは何れも竹中ら、レント・シーカーによる自作自演の茶番である。つまり、公正な競争に見せかけながら、受益者は最初から決まっているのである。昨今物議を醸している加計学園の不可解な事業認可も、問題の構図は全く同じだ。
第一次安倍内閣では、行き過ぎた構造改革の是正が目指され、郵政造反組の復党が認められるなどしたが、第二次内閣以降では構造改革路線が継承され、竹中一派が息を吹き返した。安倍首相の真意は分からないが、竹中の様な国賊とその一味を政府内に温存し、好き放題させている安倍首相も同罪である。
「国家戦略特区」での移民解禁
現行の技能実習制度は、実質的な単純労働力確保の為の移民受け入れ政策であるが、名目上はあくまで外国人材への技術移転による国際協力が目的であった。しかし、目下、安倍内閣による一連の規制緩和政策の中でも、特に昨今の「加計問題」で物議を醸している「国家戦略特区」制度では、家事や介護、農業などの分野における単純労働力の受け入れが解禁され、もはや名実共に公然たる移民受け入れが推し進められている。
…
政府は少子高齢化を口実として、介護や農業での人材不足を補うためには外国人労働力がどうしても必要であるかの宣伝を行ない、その為の規制緩和を正当化しようとしているが、介護ヘルパーの平均年収は305万円に満たず、国民の平均年収とされる422万円(平成28年)に遠く及ばない。介護人材が足りないというのであれば、介護報酬を大幅に引き上げ、国策で介護職員の給料を上げれば良いではないか。また予算制約があるというが、国民の金融資産は1700兆円を超え、そのうちの6割は60歳以上が保有しているのであるから、介護保険料を引き上、受益者に応分の負担を課せば良いではないか。そうした努力もせずに、移民という安易な解決策に頼るのは政府の怠慢であり、未来への責任放棄である。
同様の事は農業についても言える。政府は、年々減少の一途を辿る農業人口の穴埋めで移民を考えているようであるが、我が国の主要農作物に対する関税率が他の先進国と比べて低く、農家への補助金も少ないことはつとに指摘されている。友人で愛媛に勤皇村を創ろうと意気込む気鋭の若者がいるが、彼らが農業での自活を計画したところ、当地のブランド米である宇和米の生産で1ヘクタール当り年間20万円の収入にしかならず、補助金の支給対象は水稲の場合、12ヘクタール以上の農家に限られていると聞いた。しかし、我が国における農家の平均耕作面積は2.41ヘクタールに過ぎないのであるから、実際補助を受けられるのは一部の大規模農家か農業法人に限られているとうう事である。これでは我が国の若者が農業で生計を立てられる筈がなく、離農が進むのは当然の帰結ではないか。外国人に農業をやらせる前に、まず我が国の零細農家を国がしっかり保護して生計の道筋を示すのが急務である。しかるに安倍内閣はTPPで、タダでさへ低い関税率を更に引き下げ、補助金の支給を困難にする政策を企てた。幸い未遂に終わったが、我が国の農業を破壊する売国的暴挙である。自ら農業を破壊する政策を推し進めながら、その結果を指して、農業人口が足りないから外国人を受け入れようとするのは本末転倒、自己欺瞞も甚だしい。
『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成二十九年十二月三日(日曜日)午後四時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)
「政治は結果責任」といいますが、「結果」とは何でしょうか。いつの時点を指していうのでしょうか。政治に関わらず世の中の事は今日は良くても明日は悪し、その逆も然りというように有為転変するものです。したがってその時良い結果が現れたとしても、次の日もそうとは限らない。そう考えると、政治は結果それ自体というよりも、その結果に向かって不断に努力する過程や、理念と政策の一貫性を追求する情熱の方が重要であり、むしろいまの政治に欠落しているのはその部分ではないでしょうか。実のところ、政治は結果責任とドヤ顔で言う人に限って、正義に対する確信がなく、目先の利害に囚われ、自らの変節に開き直っている場合が多いのではないでしょうか。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちればただの人」といわれますが、そうした、「政治家は選挙に受かってなんぼ」という発想が我が国の政治を堕落させた根本原因だと思います。政治は結果責任ではない。現在の政治家には、諸葛孔明が出師表で言った、「臣、鞠躬尽力(きくきゅうじんりょく)し、死して後(のち)に已(や)む、成敗(せいばい)利鈍(りどん)に至りては、臣の明の能く逆(あらかじ)め睹(み)るに非ざるなり」の言葉を噛み締めて頂きたいと思います。皆さんはどう思われますか?
前回は毛利元就についてお話いたしました。その元就がご皇室の大祭挙行の費用を献じたことは前に述べましたが、それ以前、応仁の乱後の朝廷は実に衰微を極めておりました。また足利氏も幕府の威勢衰えて、公事大礼の費用を献ぜぬために、すべての儀式を挙げ給うことかなわず、僅かに文明七年(1475年)正月に四方拝の式を挙げ給うたのみでありました。
されば明応九年(1500年)、後土御門天皇崩御されるや、葬礼を行うべき費用がない時に佐々木高頼がその費用を工面いたしましたから、無事に泉涌寺に送り奉ることを得ました。これを賞して、高頼には菊桐の御紋と後光厳院宸筆の三略秘抄とを賜い、昇殿を許されたのであります。
…
後に後柏原天皇、位を嗣ぎ給うても費用が足りず、即位の礼を行い給うこと能わずにおられた。かくして二十年後に至り、本願寺の僧光兼が黄金一万両を献じたために、大永元年(1521年)に初めて大礼を行わせ給いました。その功により光兼は門跡に准せられたのであります。
またその後、後奈良天皇の朝には内大臣三條西実隆(さんじょうにしさねたか)が百方苦心して輔け奉り、諸国の豪族に使をして数石の米と数両の金とを得て僅かに御膳を供することを得たのでありました。
このように朝廷の衰微極まり、上下の分の乱れること甚だしき戦国の世にあたって、高頼と光兼の志は実に賞すべきものであります。
昨日の葛飾区議選で、元維新政党新風代表の鈴木信行氏が当選した。失礼ながら、氏の主張は、現状の生温い民主政治の中では受け入れられないだろうと思っていたので、予想外の結果に衝撃を受けた。恥ずかしながら、鈴木氏の主張によって、初めて外国人の生活保護に年間1,200億円もの税金が使われていることを知った。これが事実だとすれば、明らかに異常な事態であり、弱者保護の名における逆差別、悪平等以外の何物でもない。氏の主張によると、外国人の生活保護受給は四万世帯を超え、そのうち6割以上は韓国・朝鮮の国籍を有している者だという。ということは単純計算しただけでも、一世帯当たり300万円という事になり、我が国における二十代後半の平均年収に匹敵する。こんな馬鹿げた事が許されて良い訳がない。どうしても生活保護が欲しいなら、日本に帰化すればいいという意見もあるが、現行の国籍法における血統原理に例外を設けるべきではない(簡単に帰化させるべきではない)。ではどうすればよいか。思いつくのは三つである。第一に韓国か北朝鮮に帰るという選択である。これが一番スッキリして分かりやすい。しかし朝鮮半島の母国が彼らを受け入れるとは限らない。そこで第二に、民団や朝鮮総連が面倒を見るという方法である。周知の様に在日朝鮮人は焼肉やパチンコでボロ儲けした連中が沢山いるのであるから、生活に困窮しているならそれらの同胞やその代表機関である民団、総連から生活保護を受けるのが望ましい。第三に、それでもダメなら、最終的に人道上、必要最低限のレベルで我が国政府が支給し、その費用は日本政府が在日朝鮮人から徴収すべきである。これ以外に何か良い方法があれば御教示下されたい。とにもかくにも、鈴木氏の当選は、氏の身を張った行動もさる事ながら、我が国を取り巻く時代状況の変化によるものも大きい。氏の当選に祝意を表すると共に、全国の自治体で第二第三の同志が後に続く事を期待したい。
先の総選挙で自民党が大勝し、第四次安倍内閣が発足した。選挙前、安倍首相は、この度の解散を「国難突破解散」と命名し、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対する外交政策への支持を国民に求めた。しかし「国難」を前にして、国民に外交政策への支持を求めるというのも可笑しな話である。もし本当の「国難」なら、選挙などしている暇などあるまい。むしろ「国難」などというのは単なる解散のための口実であり、安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して、内政の諸問題を覆い隠し、選挙での躍進を図ったのではなかったかと疑念が拭い去れない。…
首相は、北朝鮮に対しては、最早対話ではなく圧力しかないと強調しているが、その圧力の内実は軍事的なそれではなく、あくまでこれまで続けて来た経済制裁の強化に過ぎない。今年九月には、国連安保理で、対北朝鮮制裁決議が採択され、北朝鮮から石炭などの輸出が禁止されたが、アメリカの覇権に対抗するシナやロシアは、北朝鮮の体制崩壊や暴発を望んでおらず、北朝鮮への石油供給も「現状維持」に止まるなど、北朝鮮の対外政策を変更させるレベルには達していない。こうしたなかで、北朝鮮は着々と核・ミサイル開発を推進し、核弾頭の小型化と、アメリカ本土に到達可能な弾道ミサイルの開発に成功し、アメリカに対する核抑止力を確立するのは時間の問題と見られている。
残念ながら、我が国による如何なる経済制裁を以てしても、北朝鮮の核武装を止めることは出来ないのであり、これに対する唯一の対抗策は、我が国もまた核・ミサイル開発を断行して核抑止力を構築する以外にないのである。しかるに、安倍首相は、現行のNPT体制にしがみつき、原発の再稼働は断行する一方で、何の効果もない経済制裁を「圧力」と称して国民を瞞着し、実際には、隣国が核武装するのを指を咥えて見ているだけである。アメリカが北朝鮮を軍事攻撃するシナリオもあるが、一度米国本土を射程に収めるICBMが完成してしまえば、米朝間に相互核抑止が成立し、アメリカは北朝鮮を攻撃することができなくなる。その場合、北朝鮮による恫喝に対しても、我が国はアメリカの抑止力に頼ることができなくなり、外交的な屈服を余儀なくされるだろう。
自主独立の気概なし
本来北朝鮮の脅威の増幅は、我が国が自主防衛体制を確立し、米国の軍事的保護下から脱却する千載一遇のチャンスである筈であるが、我が国世論の動向を見ても、自主独立の気運は払底し、むしろ安倍首相は、トランプ大統領の当選早々、貢物を持ってニューヨークに馳せ参じる体たらくである。何故、かくも気概なきや。それは我が日本国民が、戦後の自虐史観に脳漿を冒され、畏くも聖上を主君に仰ぐ我が国体の万邦無比にして尊厳なる所以を解さないからである。真摯に天壌無窮の神勅を奉じれば、我が国体における君臣の分、内外の別は自ずから分明であり、国民が主権者を僭称し、「日米同盟」の名の下に、数万もの夷狄の軍隊が国土に蟠踞する状況は断じて許されない筈である。しかるに我が国民は戦後民主主義の中で、「自由と民主主義」を万国普遍の価値と誤信し、その価値の中心であるアメリカを、宗主国のように崇めている。このように、我が国によるアメリカへの臣従は、国体観念の喪失と「自由と民主主義」への妄信に起因するものである。
遡れば、江戸時代の徳川幕藩体制においても、我が国では、シナから受け入れた孔孟程朱の学を妄信するあまりに、シナを「中華」として尊貴となし、自国を「東夷」として卑賎となす弊風が瀰漫したことがあったが、山崎闇齋、君臣の大義、内外の別を高唱して、国体の尊厳を明らかにし、もし孔孟が我が国を攻めてきたら、一戦相まみえて生け捕りにしてしまうのが孔孟の道であると喝破した。この国体の尊厳に発する独立不羈の精神こそ、明治における国家隆盛の基であり、玄洋社の来島恒喜をして大隈外相に爆弾を投擲せしめたものに他ならない。したがって、いま我が国民に必要なことは、「自由と民主主義」への妄信をすて、君臣内外の分別を正して、国家独立の精神的根基を確立することである。それなくして真の「国難突破」など出来得る筈がない。
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)