【時論】 第四次安倍内閣の発足


先の総選挙で自民党が大勝し、第四次安倍内閣が発足した。選挙前、安倍首相は、この度の解散を「国難突破解散」と命名し、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対する外交政策への支持を国民に求めた。しかし「国難」を前にして、国民に外交政策への支持を求めるというのも可笑しな話である。もし本当の「国難」なら、選挙などしている暇などあるまい。むしろ「国難」などというのは単なる解散のための口実であり、安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して、内政の諸問題を覆い隠し、選挙での躍進を図ったのではなかったかと疑念が拭い去れない。
 首相は、北朝鮮に対しては、最早対話ではなく圧力しかないと強調しているが、その圧力の内実は軍事的なそれではなく、あくまでこれまで続けて来た経済制裁の強化に過ぎない。今年九月には、国連安保理で、対北朝鮮制裁決議が採択され、北朝鮮から石炭などの輸出が禁止されたが、アメリカの覇権に対抗するシナやロシアは、北朝鮮体制崩壊や暴発を望んでおらず、北朝鮮への石油供給も「現状維持」に止まるなど、北朝鮮の対外政策を変更させるレベルには達していない。こうしたなかで、北朝鮮は着々と核・ミサイル開発を推進し、核弾頭の小型化と、アメリカ本土に到達可能な弾道ミサイルの開発に成功し、アメリカに対する核抑止力を確立するのは時間の問題と見られている。
 残念ながら、我が国による如何なる経済制裁を以てしても、北朝鮮核武装を止めることは出来ないのであり、これに対する唯一の対抗策は、我が国もまた核・ミサイル開発を断行して核抑止力を構築する以外にないのである。しかるに、安倍首相は、現行のNPT体制にしがみつき、原発の再稼働は断行する一方で、何の効果もない経済制裁を「圧力」と称して国民を瞞着し、実際には、隣国が核武装するのを指を咥えて見ているだけである。アメリカが北朝鮮を軍事攻撃するシナリオもあるが、一度米国本土を射程に収めるICBMが完成してしまえば、米朝間に相互核抑止が成立し、アメリカは北朝鮮を攻撃することができなくなる。その場合、北朝鮮による恫喝に対しても、我が国はアメリカの抑止力に頼ることができなくなり、外交的な屈服を余儀なくされるだろう。

自主独立の気概なし

 本来北朝鮮の脅威の増幅は、我が国が自主防衛体制を確立し、米国の軍事的保護下から脱却する千載一遇のチャンスである筈であるが、我が国世論の動向を見ても、自主独立の気運は払底し、むしろ安倍首相は、トランプ大統領の当選早々、貢物を持ってニューヨークに馳せ参じる体たらくである。何故、かくも気概なきや。それは我が日本国民が、戦後の自虐史観に脳漿を冒され、畏くも聖上を主君に仰ぐ我が国体の万邦無比にして尊厳なる所以を解さないからである。真摯に天壌無窮の神勅を奉じれば、我が国体における君臣の分、内外の別は自ずから分明であり、国民が主権者を僭称し、「日米同盟」の名の下に、数万もの夷狄の軍隊が国土に蟠踞する状況は断じて許されない筈である。しかるに我が国民は戦後民主主義の中で、「自由と民主主義」を万国普遍の価値と誤信し、その価値の中心であるアメリカを、宗主国のように崇めている。このように、我が国によるアメリカへの臣従は、国体観念の喪失と「自由と民主主義」への妄信に起因するものである。
 遡れば、江戸時代の徳川幕藩体制においても、我が国では、シナから受け入れた孔孟程朱の学を妄信するあまりに、シナを「中華」として尊貴となし、自国を「東夷」として卑賎となす弊風が瀰漫したことがあったが、山崎闇齋、君臣の大義、内外の別を高唱して、国体の尊厳を明らかにし、もし孔孟が我が国を攻めてきたら、一戦相まみえて生け捕りにしてしまうのが孔孟の道であると喝破した。この国体の尊厳に発する独立不羈の精神こそ、明治における国家隆盛の基であり、玄洋社の来島恒喜をして大隈外相に爆弾を投擲せしめたものに他ならない。したがって、いま我が国民に必要なことは、「自由と民主主義」への妄信をすて、君臣内外の分別を正して、国家独立の精神的根基を確立することである。それなくして真の「国難突破」など出来得る筈がない。

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