我が国の核武装は個別的自衛権の範疇であるから、憲法改正の必要がなく、現行憲法の枠内で実現可能である。1957年、岸信介首相(当時)は、「現行憲法のもとで許される自衛権の行使の範囲内であれば、核兵器を持つことは憲法が禁じない」との見解を述べている。また1964年、佐藤政権下の内閣調査室から提出された報告書では、我が国が原爆を少数製造することは当時のレベルでもすでに可能であり、比較的容易であると指摘されている。つまり法的にも技術的にも我が国の核武装は何時でも可能であり、首相の政治決断の問題だということだ。その際、現行のNPT条約が、我が国の核武装に対する国際法的な障害になるが、同条約は第10条で「 各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。」と規定しており、北朝鮮の核・ミサイル開発はその「異常な事態」に該当する。よって我が国は「自国の至高の利益」の為に、速やかなる核武装を断行すべきである(詳細は『自主防衛論』を参照のこと』)。
この様に、刻下の急務は我が国の核武装であって、それは個別的自衛権の範疇であるから安倍首相の政治決断によって何時でも実行可能なのである。しかるに安倍首相は、その決断を避け、個別的自衛権を集団的自衛権の問題にすり替えて、我が国の安全保障上の脅威の拡大が、あたかも憲法9条が集団的自衛権の行使を禁じ、「日米同盟」が十全に機能しないことに起因しているかのごとく喧伝している。そして、シナや北朝鮮の脅威に対して「日米同盟」による有効な抑止を働かせるためには、集団的自衛権の行使を可能にする必要があるとして、従来の憲法解釈を変更し、安保法案を成立させて、我が国の「存立危機事態」における軍事的対米支援を合法化したのである。しかし、シナや北朝鮮の脅威など、我が国の存立に関わる問題は個別的自衛権で対処すべきであって、集団的自衛権は副次的な問題である。例えば、我が国固有の領土である尖閣諸島の問題についても、積極的な海洋進出を続けるシナの脅威から尖閣諸島を防衛する為には、自衛隊を尖閣に常駐させ港湾施設を整備する等、軍事的実行支配を固めるのが先決である。事実、安倍首相は、かねてより自分が首相になったら尖閣に自衛隊を常駐させると公言し、2010年の民主党政権下における尖閣沖漁船衝突事件に際しては、当時の自民党保守派を先導して、尖閣諸島への自衛隊配備を求める要望書を政府に出している。しかるにいざ首相になるや、尖閣防衛を集団的自衛権の問題にすり替え、有事の際にいち早く駆けつけると称して、わざわざアメリカからオスプレイなど高額な兵器を購入して日米の軍事的一体化を進めているのである。これでは本末転倒だ。
それでは安倍首相の売国的罪状について一つずつ見ていこう。まず、第一の国防・外交政策について、政府は北朝鮮の核・ミサイル開発に対する唯一の対抗策として、ミサイル防衛システム(MD)に莫大な費用をかけている。しかしMDは、実用性に乏しい事がつとに指摘されており、複数の場所から同時にミサイルを発射された場合、全てを迎撃することは困難とされている。その際、北朝鮮のミサイルが核弾頭を搭載している場合、一発でも撃ち漏らせば致命傷になる。しかも目下北朝鮮は核を小型化して潜水艦発射型ミサイル(SLBM)の弾頭に搭載しようとしており、これが実現した場合、ミサイルの発射地点を把握することは益々困難になり、MDの実用性は薄れる。そこで、我が国が北朝鮮の核攻撃を防ぐ為には、アメリカの核抑止力が必要になるが、報道される様に、先般の北朝鮮はアメリカ本土を射程に収める大陸間弾道(ICBM)の開発に成功したとされ、このミサイルに核弾頭を搭載すれば、米朝の間に相互核抑止が働く事になり、仮に我が国が北朝鮮の核攻撃を受けても、アメリカは北朝鮮に対して報復する事が出来なくなる。つまり、北朝鮮の核武装は、アメリカの核の傘を破り、「日米同盟」を無力化する事を意味するのである。トランプ大統領は強い口調で北朝鮮を非難し、同国の核・ミサイルを止めさせようとしているが、金正恩体制が続く限り、北朝鮮が核開発を止めることは絶対にないし、その金正恩体制は、アメリカの東アジアにおける覇権を牽制する中露の庇護を受けているから、イラクの様な体制転換が起こるとは考えにくい。よって、我が国が北朝鮮の核・ミサイル開発に対抗する残された唯一の手段は、我が国もまた核・ミサイル開発に着手し、北朝鮮との間で相互核抑止を働かせる以外にないのである。しかるに、安倍首相は、最早無力化しつつある「日米同盟」にしがみ付き、MD等ほとんど役立たずで、アメリカの軍産複合体を儲けさせるだけの無用の長物に莫大な国税を費やし、北朝鮮の脅威に対する有効な対策を怠っている。それどころか、本来我が国の国防と直接の関係がない、集団的自衛権に論点をすり替え、国民の関心を問題の本質からそらしているのである。
平成二十九年八月二十八日、新橋で崎門研第八回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志八人(うち京都、大阪、愛媛から合計四人スカイプで参加)が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書七十八ページから八十三ページまで輪読した。
保元の乱において、崇徳上皇方は源為義がいったん関東に退き勢力を蓄える献策をしたが、藤原頼長は却下した。また、源為朝が夜討ちと火を放つことを献策したが、藤原頼長は、戦いは堂々と行うべきであるし、翌日興福寺の僧兵が来るから必要ないと退けた。
潜鋒が思うに名将は寡兵でも奇策を用いて勝つ。大軍は必ずしも良いとは限らない。大群を使いこなせるのは大将が優秀だったからである。藤原頼長は兵法に疎いこと甚だしく、無策というべきである。結果上皇方は敗れ藤原頼長は矢に当たって死ぬのである。
更に今回は、「保建大記打聞」に加え、神儒兼学を旨とする崎門学の全体像を早い段階でつかむため、若林強斎先生の「神道大意」の解説を含む近藤啓吾先生の「日本の神」を今回は六ページから十一ページまで輪読した。主な内容は以下の通り。
自分のいのちは父母のいのちを受け継いでいる。父母は祖父母のいのちを受け継いでいる。そうして遡ると神代にさかのぼる。父母が子を大切にし、子が父母を大切にする思いこそ神道の基本精神である。古代ヨーロッパでも家族神(ラリーズ)がいて家族を一つにまとめていたが、そうしたラリーズの信仰を統合し守ってきたのがご皇室である。ご皇室は国の安らぎと民の幸いの成就に向けてお誓いされてきた。長い皇室の歴史のなかでは、そうしたお誓いを守らんとするために非常にご苦労された天皇もいらした。その御一人が後醍醐天皇である。また、北畠親房がわが国の国柄と皇室のご責務について後村上天皇の御心得として記したのが『神皇正統記』である。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は十月一日浦安で開催の予定。
これは単なる一例に過ぎない。他にも安倍首相は、従来における保守的な信条と明らかに矛盾するばかりか、かつて自らが激しく非難した民主党政権に負けじとも劣らぬ政策的誤りを犯している。その罪状として思いつくものを挙げると、以下の五箇条にまとめられる。
第一に、空虚な「日米同盟」幻想に基づいた、宗主国アメリカに対する従属的な外交・防衛政策、シナや北朝鮮の脅威に対する無為無策、拉致問題での進展ゼロ、
第二に、上述した慰安婦問題を含む、歴史認識の問題における自虐史観の追認、靖国神社への不参拝、
第三に、深刻化する移民問題や在日特権の放置、
第四に、昨今における今上陛下の御譲位の問題に際して表出した皇室への不敬不忠、
そして第五に、我が国独立の基盤である農業や地方社会を破壊し、国家資源や国民財産を外資に売り渡し、国民を貧富の格差で分断する一連の新自由主義的経済政策である。
以下では、その一つずつについて説明して行くが、何れについても言えるのは、安倍首相が保守政治の看板の下にやっていることは、親米保守の名におけるひたすらなる対米従属であり、これは以前の民主党政権における媚中親韓外交と本質的には何も変わらない、事大主義的な属国政治だということだ。要は親米反中か反米親中かという違いに過ぎないのであって、そのどちらにも日本がないのである。それでも、安倍首相を支持し続けるというのなら、それは彼の掲げる「保守」の偽装看板に騙されているに過ぎない。だから未だに安倍首相を保守の最後の希望のごとく信じている方はいい加減目を覚まして頂きたい。安倍首相がやっていることは、保守でも何でもない、「偽装保守」のまやかしだ。そればかりか、善良なる保守層の期待を裏切り、「日本を取り戻す」どころかアメリカに売り渡した罪は「売国」の名にすら値する。だから、共産党は言うに及ばず、民進党や社会党崩れが「売国リベラル」なら、安倍首相や自民党の自称保守勢力の実体は、「売国保守」に他ならない。この様に、我が国を席巻する左右の売国勢力に対して、いま我が国に必要なのは、真に日本の立場に立つ独立派の勢力でなのであり、我が日本独立党こそ、その一翼担わんとするものである。
第二次安倍内閣の発足から五年、未だに安倍首相を支持している方にお聞きしたい。結局、安倍首相は、我が国の為に何を残したのか。特に安倍首相は、保守政治家を自任し、全国の保守層の衆望を担って政権に返り咲いた経緯がある。その安倍首相が、保守的な信条に基づいた自らの政策を全然実行しないばかりか、従来の主張に逆行する様な政策を次々と行っているにもかかわらず、それでもまだ安倍首相を支持し続けている理由が何なのか教えて頂きたいのである。安倍首相以外に期待を託せる政治家がいないという意見もあるだろう。しかし、安倍首相がこれまでやったことは、「売国的」と非難された、あの民主党政権がしでかしたことに勝るとも劣らない位「売国的」であると言わざるを得ない。例えば、韓国との間での、いわゆる「慰安婦合意」についても、安倍首相は従来、戦前の我が軍によって売春を強要された「従軍慰安婦」など存在しないと断言し、保守派の喝采を浴びてきた。しかし、実際に政権に就いてやったことは、「従軍慰安婦」の存在を認め、韓国に対する謝罪と事実上の追加賠償である十億円の支払いを敢えてするという、かつての安倍首相があれ程口汚く罵った「河野・村上談話」を上塗りし、かの売国的な民主党政権でも成し得なかった暴挙であった。この「慰安婦合意」にもかかわらず、韓国側は釜山日本領事館前の慰安婦像を撤去しないどころか、今度は朝鮮人徴用工の問題を持ち出して、新たな謝罪と賠償を求め始めている。しかし、こうなる事など、初めから分かっていたではないか。慰安婦問題にしても、既に1965年の日韓基本条約において、韓国は戦後賠償における対日請求権を放棄し、両国の歴史問題は解決済であったにもかかわらず、韓国はその後も慰安婦問題を掘り返してきたのであるから、仮に「慰安婦合意」で、我が国がもう一度謝罪と賠償をしたところで、韓国が合意を破り、再び歴史問題を掘り返すことなど火を見るよりも明らかであった。それでも安倍首相は、必要のない「慰安婦合意」を敢えてした結果、かえって韓国側を勢い付かせ、今日の事態を招いたのである。「韓国けしからん」と思うのは当然であるが、それ以前に、こうなると分かっていながら、韓国に我が国の「侵略責任」を認め、屈辱的な謝罪と賠償を敢えてした安倍首相こそ断罪されて然るべきである。
浦安市を含む全国の自治体で見かける「非核平和宣言都市」の看板や垂れ幕。欺瞞以外の何物でもない。北朝鮮が核・ミサイル開発に邁進するなかで、いまだに「非核平和」を宣言するということは、「我が自治体は、米朝の有事に際して、日米安保にもアメリカの核の傘にも頼りません」、という事か。余りにも時代錯誤、無責任で馬鹿げている。「非核平和」という言葉は、いかにも「核を持たなければ平和になる」といった印象操作を与えるが、現実は逆、つまり「核を持たねば平和を保てない」のである。我が国が昭和二十年八月六日と九日の時点で核兵器を持っていれば、アメリカに原爆を落とされる事はなかった。左翼や一部の似非保守は、我が国は唯一の被曝国であるが故に、絶対に核を持ってはならないというが、逆だろう。すなわち、我が国は世界で唯一の被曝国であるが故に、絶対に核を持つ資格があるのである。国防の現実を顧みない無責任な「反核平和」思想が国を滅ぼす。
『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成二十九年八月二十八日(月曜日)午後六時半開始
○場所 RAKUNA新橋Ⅱ B号室(東京都港区新橋1丁目17ー1 YUKEN新橋ビル3階B号室)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)
本日、八月十五日は、戦後七十二回目の「終戦記念日」である。先の大東亜戦争で殉難された全ての我が国民に対し、衷心より哀悼の誠を捧げる。「終戦記念日」とはいえ、その実は「敗戦記念日」であり、周知の様に我が国は、「国体を護持しうる」という条件の下でポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、戦後我が国に進駐したアメリカ占領軍によって、神道指令や天皇の人間宣言、主権在民憲法の制定など、我が国の国体を根本から否定する政策を課され、さらにサンフランシスコ講和によって「独立」を回復して以降も、日米安保や日米地位協定によって、事実上のアメリカの軍事支配下に置かれ、「独立」とは名ばかりの属国的地位に甘んじて来た。この状況は米ソ冷戦が終結して四半世紀が経とうという今日に於いても一向に変わらないばかりか、現在の安倍晋三内閣は、むしろ「日米同盟」の強化の名の下に、従来の「対米従属」に拍車をかけ、我が国の独立は遠のく一方である。この様に、我が国はいまだに、「敗戦」から立ち直れぬまま今日に至っているのである。
しかし我が国を取り巻く情勢の変化は、こうした体たらくを許さない所まで逼迫している。隣国の北朝鮮は我が国の主権を脅かす核・ミサイル開発に邁進し、中国は南シナ海での領海侵犯や海洋侵略の動きを活発化させている。これに対して戦後「世界の警察」を自称したアメリカは、自国第一主義を掲げるトランプ政権の下で、建国以来の孤立主義政策に回帰し、東アジアでは動乱の危機が着実に忍び寄っているのである。
こうした中で、我が国はいまこそ、自主独立の気概を振り起して、国体を顕現し、アメリカの属国体制から脱却して真の独立を取り戻し、中国や北朝鮮といった外敵の侵略を阻止せねばならない。それは取りも直さず、天照大神の正統を継ぎ給う天皇を主君に戴き、神皇一体、祭政一致の政体を回復すると共に、在日米軍を完全に撤退させ、核武装を断行することによって、真の軍事的独立を成し遂げる事に他ならない。特に、来年は畏くも今上陛下の御譲位が予定されており、我が国民は内外の懸案を払拭し、新しい大御代を迎えるべく万全の準備を尽くすべきである。我が国が、往古の国体を取り戻し、真の独立を成し遂げたとき、初めて「敗戦」は「終戦」になるのであり、その時まで我々の「戦後」が終わることはない。
北畠親房には三兄弟の子供がありました。顕家(あきいえ)、顕信、顕能であります。皆よく王家の為に尽し、公卿の出でありながら軍事に従事し、いずれも戦功を挙げたのは、その忠誠の志を示すものでありましょう。
元弘元年(1331年)、長子顕家は参議に任じ、同三年(1333年)には勅を奉じて陸奥守となりました。義良親王を奉じ、陸奥・出羽に赴き、両国を帰順せしめ、その功によって、建武元年(1334年)には従二位に叙せられ、二年(1335年)には鎮守府将軍を兼ねました。顕家の躍進は此の如きでありました。
足利高氏が反逆するや、義良(のりなが)親王(後醍醐天皇の第七皇子、後の後村上天皇)を奉じ、新田義貞と共に、高氏を鎌倉に攻めました。ところが、この時高氏は大兵を率いて京師の方へと進みましたので、顕家、義貞と共にこれを追いました。高氏と各所に戦いて一勝一敗あり、遂にこれを破りましたので、高氏は九州へと敗走しました。それによって車駕京師に還り、顕家は再び陸奥を鎮めることとなったのです。
然るに再び、高氏が九州で兵を挙げ、京師に攻め来りました。また、陸奥の将士の多くも高氏に応じ、顕家を攻めました。顕家は義良親王を奉じて霊山城に向かい、そこで籠り時を待ちました。折しもその時、詔書来り、京師に出でて足利直義を討てと仰せられたので、顕家は霊山を出ました。白川関を経て宇都宮に至り、足利義詮と利根川を隔てて対陣し、これを破って相模に入り、直ちに北条時行、新田義興と共に鎌倉を攻めて足利義詮を敗走せしめました。その後、兵を率いて京師に赴かんとしましたが、沿道の賊軍に阻まれたので、顕家は陣を青野原に留めました。時に高氏、高師泰を遣わして顕家を攻めさせました。このために、顕家は前後から敵に挟まれ、窮地に立たされました。各所にて戦い、漸く河内に逃れて男山に陣し、高師直と戦って破りました。然るに、師直さらに大兵を挙げて男山を囲みましたので、顕家は出でて戦いましたが大いに敗れ、接戦して遂に陣没したのであります。
時に顕家は僅かに二十一の青年でありました。後に功を以て従一位右大臣を贈られたのであります。
平成二十九年八月六日、浦安で崎門研第六回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志四人が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書六十五ページから七十七ページまで輪読した。
今回の主な内容は、以下の通り。
シナが王朝ごとに国璽が違っていたのはわが国の神器が皇祖から伝わっているのと全く異なる。故に神器を持っている君主が正統なのは疑いない。保元の乱でいえば後白河天皇方が正統である。平清盛は母が重仁親王の乳母でもあったことから、上皇方か天皇方かどちらに付くのか微妙であるとみられていたが、鳥羽法皇の違勅と称した美福門院の招きに応じ、天皇方として立った。これは清盛の勲功であって、後の振る舞いが良くないからと言ってこれをほめることをためらうべきではない。これは源為義が、自分は老いているし悪い夢も見たからと固辞しようとしたものの、ついに上皇方に説得されたのと好対照である。崇徳上皇も重祚の夢を…見ておられたようだが、神武天皇が八咫烏を夢に見て得られたのとは異なる結果となった。夢はみだりに信じてはならないが、夢の霊験が全くないとも言い切れない。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は八月二十八日新橋で開催の予定。
(記:事務局 小野)
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)