平成二十九年八月六日、浦安で崎門研第六回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志四人が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書六十五ページから七十七ページまで輪読した。
今回の主な内容は、以下の通り。
シナが王朝ごとに国璽が違っていたのはわが国の神器が皇祖から伝わっているのと全く異なる。故に神器を持っている君主が正統なのは疑いない。保元の乱でいえば後白河天皇方が正統である。平清盛は母が重仁親王の乳母でもあったことから、上皇方か天皇方かどちらに付くのか微妙であるとみられていたが、鳥羽法皇の違勅と称した美福門院の招きに応じ、天皇方として立った。これは清盛の勲功であって、後の振る舞いが良くないからと言ってこれをほめることをためらうべきではない。これは源為義が、自分は老いているし悪い夢も見たからと固辞しようとしたものの、ついに上皇方に説得されたのと好対照である。崇徳上皇も重祚の夢を…見ておられたようだが、神武天皇が八咫烏を夢に見て得られたのとは異なる結果となった。夢はみだりに信じてはならないが、夢の霊験が全くないとも言い切れない。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は八月二十八日新橋で開催の予定。
(記:事務局 小野)