平成二十九年八月二十八日、新橋で崎門研第八回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志八人(うち京都、大阪、愛媛から合計四人スカイプで参加)が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書七十八ページから八十三ページまで輪読した。
今回の主な内容は、以下の通り。
保元の乱において、崇徳上皇方は源為義がいったん関東に退き勢力を蓄える献策をしたが、藤原頼長は却下した。また、源為朝が夜討ちと火を放つことを献策したが、藤原頼長は、戦いは堂々と行うべきであるし、翌日興福寺の僧兵が来るから必要ないと退けた。
潜鋒が思うに名将は寡兵でも奇策を用いて勝つ。大軍は必ずしも良いとは限らない。大群を使いこなせるのは大将が優秀だったからである。藤原頼長は兵法に疎いこと甚だしく、無策というべきである。結果上皇方は敗れ藤原頼長は矢に当たって死ぬのである。
更に今回は、「保建大記打聞」に加え、神儒兼学を旨とする崎門学の全体像を早い段階でつかむため、若林強斎先生の「神道大意」の解説を含む近藤啓吾先生の「日本の神」を今回は六ページから十一ページまで輪読した。主な内容は以下の通り。
自分のいのちは父母のいのちを受け継いでいる。父母は祖父母のいのちを受け継いでいる。そうして遡ると神代にさかのぼる。父母が子を大切にし、子が父母を大切にする思いこそ神道の基本精神である。古代ヨーロッパでも家族神(ラリーズ)がいて家族を一つにまとめていたが、そうしたラリーズの信仰を統合し守ってきたのがご皇室である。ご皇室は国の安らぎと民の幸いの成就に向けてお誓いされてきた。長い皇室の歴史のなかでは、そうしたお誓いを守らんとするために非常にご苦労された天皇もいらした。その御一人が後醍醐天皇である。また、北畠親房がわが国の国柄と皇室のご責務について後村上天皇の御心得として記したのが『神皇正統記』である。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は十月一日浦安で開催の予定。
(記:事務局 小野)