土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)冒頭に掲載されたラジャー・ダト・ノンチック氏の詩を紹介いたします。
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ
*
だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている
*
そのくせ 経済力がついてきて
技術が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの
自分本位の えらそうな態度をする
そんな
今の日本人が 心配だ
☆
本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする
*
自分のことや
自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと
身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか
*
自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり
バカにしたりする
☆
こんな ひとたちと
本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ
一九八九年四月 クアラルンプールにて
第2回「頼山陽『日本外史』講読会」(講師:木村岳雄先生、主催:崎門学研究会、令和3年3月25日)の動画をアップいたしました。
『日本外史』は浅見絅斎 『靖献遺言』と並び幕末の志士のバイブルと呼ばれた書物。日本人の必読書です。長年『日本外史』の講読会を主宰されてきた木村岳雄先生の指導で講読します。テキストは岩波文庫版、上中下。
令和3年3月28日、『維新と興亜』有志による、朝鮮開化派指導者・金玉均先生墓前祭(青山霊園)を執行し、金玉均碑文(朴泳孝撰)訳を奉読いたしました。金先生の生涯から、「自主独立の気概を失った民族は滅ぶ」という教訓を改めて学ぶべきときです。
令和3年3月27日(土)、有志で村上一郎墓参をします。『維新と興亜』関係者も浦安日本塾の課外活動を兼ねて参加いたします。小平駅に14時集合です。
参加希望の方は、事前にご連絡ください。
mail@ishintokoua.com
令和3年3月28日(日)午後、『維新と興亜』有志により、朝鮮開化派リーダー・金玉均先生墓参を行います。
参加希望の方は、事前にご連絡ください。
mail@ishintokoua.com
『維新と興亜』編集長の坪内隆彦が、「知られざる尊皇思想継承の連携─尾張藩と水戸藩」を『日本』(日本学協会発行)3月号に寄稿しました。
その結論は、尾張・水戸両藩における尊皇思想継承が一本の線でつながっているように見えるというものです。
尾張藩初代藩主・義直の遺訓「王命に依って催さるる事」の継承と、義公以来の尊皇思想の継承とが連動していたのではないかとの仮説です。
水戸においては、義公の遺訓は第6代藩主・治保(文公)に継承され、さらに文公から第7代藩主・治紀(武公)に継承されましたが、『武公遺事』には「我等は将軍家いかほど御尤の事にても、天子に御向ひ弓をひかせられなば、少(いささか)も将軍家にしたがひたてまつる事はせぬ心得なり」と書かれています。
この表現から直ちに想起されるのが、尾張藩における「王命に依って催さるる事」の継承です。尾張藩第4代藩主・吉通に仕えた近松茂矩が著した『円覚院様御伝十五ヶ条』には、「仮にも朝廷に向うて弓を引く事ある可からず」と書かれています。
3月18日に開催された第1回「頼山陽『日本外史』講読会」(講師:木村岳雄先生、主催:崎門学研究会)の動画をアップいたしました。
下記の通り、「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催)を開催いたします。
なお、コロナ対応による人数調整の為、ご参加は事前予約制とさせて頂きます。オンラインでのご参加を希望される方も事前にご連絡ください。
記
日 時 令和3年4月2日(金)19時~
場 所 浦安市当代島1-3-29-5F 折本事務所
テキスト 権藤成卿研究会編『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
崎門学研究会主催「頼山陽『日本外史』を読む」(オンライン)がスタート!
『日本外史』は浅見絅斎 『靖献遺言』と並び幕末の志士のバイブルと呼ばれた書物。日本人の必読書です。長年『日本外史』の講読会を主宰されてきた木村岳雄先生の解説で輪読します。
■令和3年3月18日(木)午後8~9時(初回)
Zoomで参加できます。参加を希望される方は事前にご連絡ください。
以降、毎週木曜日午後8~9時。
■連絡先:090-1847-1627 orimoto1@gmail.com
■講師:木村岳雄先生
昭和38年埼玉県生まれ。京都大学文学部中国文学科卒。専門は漢文学。発言者塾で西部邁氏に師事。『文學界』連載の西部氏、福田和也氏を交えた座談「論語清談」では解説を担当する。東洋大学国際観光学部、よみうりカルチャー等で講師を務める。論語や漢詩文学の他、とりわけ近世の日本漢文学に詳しく、長年『日本外史』の講読会を主宰。東西の歴史や文学、映像作品にも造詣が深く、臨場感溢れる講話は若い世代からシニア層まで支持を集める。
■テキスト:岩波文庫版、上中下
令和3年3月13日、嵐の中を大アジア研究会代表の小野耕資氏とともに、墨田区向島の隅田公園に赴きました。ここは、水戸藩の小梅藩邸(下屋敷)があった場所です。隅田公園には、水戸藩の尊皇思想を示すいくつかの碑が建っています。
文政12(1829)年、徳川斉昭(烈公)が水戸藩第9代藩主に就任しました。烈公から絶大な信用を得ていた藤田東湖は、天保11(1840)年には側用人となり、藩政改革に当たりました。
しかし、弘化元(1844)年5月、烈公は隠居謹慎処分を受け、東湖も失脚します。小石川藩邸(上屋敷)に幽閉され、同年9月には禄を剥奪されました。翌弘化2(1845)年2月には幽閉のまま小梅邸に移ったのです。この幽閉時代に東湖が作ったのが、漢詩「文天祥正気の歌に和す」(正気の歌)です。
「正大の気、粋然として神州にあつまる。秀でては富士の獄となり、巍巍として千秋そびゆ。注ぎては大永の水となり、洋洋として八州をめぐる。発しては万朶(ばんだ)の桜となり衆芳ともにたぐいなし……」
東湖は安政2(1855)年10月に発生した大地震に遭い亡くなりますが、正気の歌は幕末の志士を鼓舞し、明治維新の原動力となりました。
水戸学の土台となったのは、徳川光圀(義公)以来の尊皇思想です。義公遺訓は、第6代藩主・治保(文公)から第7代藩主・治紀(武公)に伝えられ、さらに武公から烈公に伝えられ、さらに烈公から慶喜に伝えられました。義公遺訓は、慶喜の異母弟・徳川昭武にも伝えられていたと思われます。 続きを読む 隅田公園の碑が示す水戸の尊皇思想 →
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)