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土生良樹『日本人よ ありがとう 新装版』

土生良樹『日本人よ ありがとう 新装版』

土生良樹『日本人よ ありがとう 新装版』

目 次
〈詩〉ラジャー・ダト・ノンチック
新装版刊行に当たって
推薦のことば 川瀬善業
著者まえがき
第一章 神兵、東方より来る
第二章 マラヤ独立のために
第三章 南方特別留学生として日本へ
第四章 宮崎高等農林学校(現宮崎大学)で
第五章 陸軍士官学校へ
第六章 日本の敗戦、逮捕と脱出行
第七章 スマトラ独立戦場へ
第八章 内戦下の中国での体験
第九章 共産ゲリラ掃討作戦
第十章 祖国のために政治家へ
第十一章 マレーシアの危機
第十二章 アセアンの結成へ
第十三章 現在の活動
あとがき
参考文献
推薦のことば(旧版)
『日本人よありがとう』出版記念会報告
本書からいま日本人は何を学ぶべきか 小野耕資

「本書は、日本軍のマレー半島進撃とシンガポール占領に、感激興奮したマラヤの一少年、南方特別留学生第一期生であったラジャー・ダト・ノンチック氏の人生記録であり、共に闘って、マレーシアの独立とアセアンの結成を成功させた男たちのヒューマン・ドキュメントであります」(土生良樹)
「この頃の日本の若い人たちはどうかしてしまったのでしょうね。自分たちの父や祖父たちが、命をかけ、血と汗を流して、ともに興したアジアのことを少しも知ろうとしませんね。私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです」(ノンチック)

定価:本体1,200円+税 本サイトでは1,100円(送料別)で購入できます。

小野耕資「本書からいま日本人は何を学ぶべきか」(土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』望楠書房)

 以下、土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)に掲載された小野耕資「本書からいま日本人は何を学ぶべきか」を紹介いたします。

土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)

日本人に自信を取り戻させてくれた本
 かつて 日本人は
 清らかで美しかった
 かつて 日本人は
 親切でこころ豊かだった
 アジアの国の誰にでも
 自分の国のように
 一生懸命つくしてくれた

 とても印象的なノンチック氏の詩から始まる本書は、多くの日本人の感動を呼び、自虐史観に陥った日本人の自信を取り戻す起死回生の一書であると考えられた。
 敗戦によりGHQに歴史を奪われ、「大東亜戦争」と呼ぶことさえ禁じられ、帝国主義、軍国主義的野心から日本が起こした戦争と見做され、その反省なしには日本人は国際社会には出られないものとされた。そんな占領史観を打ち砕く言葉が当のアジア人から発せられた! 本書は自虐と自信喪失に陥った日本人の誇りを取り戻す必読書であった。

 本書のこの詩は多くの本で自虐史観を覆すものとして紹介された。のちに「新しい歴史教科書をつくる会」に発展する、「自由主義史観研究会」が作成した「教科書が教えない歴史」に採用される。
 《戦後、上院議員となったノンチックは、マレーシアを訪れた日本の学校教師から「日本人はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べにきた」と聞いて驚きます。そしてこう答えました。
 「日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました」
 なぜ日本人は、自分の父たちの正しい遺産を見ず、悪いことばかりしたような先入観を持つようになったのか、はがゆい思いでした。
 「すばらしかったかつての日本人」を今の日本人に知ってほしい。そう願って、彼は晩年まで、日本の心を語り続けたのでした。》
 このように日本の大東亜戦争によるアジア進出を正当化するものとして紹介されたのである。
 その後、この『教科書が教えない歴史』の記述を基に、前野徹『戦後・歴史の真実』でも同様の紹介がなされた。
 実際、本書自体にもそのような戦後の自虐史観を覆す意図を持った記述が随所にみられる。
 例えば「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた〝自分たちの祖国を自分たちの国にしよう〟というこころを目醒めさせてくれたのです」(17ページ)といった具合である。
 だが本書には、もう一つの重要なメッセージが込められている。

戦後日本人への批判
 少し変わった観点から本書を取り上げているのが、小林よしのり『戦争論2』である。
 小林は「わしは『反・左翼』『反・サヨク』『反・朝日新聞』の者たちも しょせんは戦後の色に染められてかつての日本人ではなくなっていると思っている とても戦前の人間たちにはかなわない それは特攻隊員の遺書の文字を見ただけでわかる 台湾やマレーシアやインドネシアや南洋諸島に伝わる日本人の逸話を聞けばわかる」といい、「現代に生きる日本人は相当に卑小である 何より自分を振り返ればわかる 臆病で見栄っぱりでかっこつけていて甘えていてわがままで助平で人を騙してばかりでけちで姑息でスケールが小さすぎる」と述べている。
 実際ノンチック氏の詩には次のような一節がある。

 自分のことや
 自分の会社の利益ばかり考えて
 こせこせと
 身勝手な行動ばかりしている
 ヒョロヒョロの日本人は
 これが本当の日本人なのだろうか
 
 また本文には以下のような一節がある。
 「ポケットとポケットの付きあいからは、将来のために何も遺りません。どうか日本とアジアの交流には、『心と心のふれあい』を根底(下じき)にして、日本とアジアの次の世代の青少年たちに、より良い遺産を遺すように、お互いに心がけようではありませんか」(317ページ)
 ノンチック氏が望んでいたのは、カネの付き合いではない、心と心の付きあいだったのである。
 ノンチック氏の詩は「自虐史観克服」の観点からわが国に広まり、そうした見方で読まれてきた。しかし、同時にこの詩はカネばかり考えている戦後日本人に対する痛烈な批判である。ノンチック氏の思いにこたえるには、自虐史観の克服にとどまらない重要な課題があるはずだ。
 戦後日本は、東南アジアを日本製品を売りつける市場としてみなし、また近年では低賃金労働者を「輸入」する場所としてとらえている。それは「心と心の付きあい」とは程遠い態度であろう。本書は、そうした日本人の東南アジア観への反省を迫る書としても読まれなければならないのだ。

心と心の付き合い
 本書で異彩を放っているのが、第三章の「南方特別留学生として日本へ」と第四章の「宮崎高等農林学校へ」である。ここでは日本に留学していた際のノンチック氏の生活が描かれている。
 ここでノンチック氏は日本に来て初めて風呂に入る。人前で裸になる習慣もなく、抵抗感もあったが、「郷に入っては郷に従え」の精神でこのカルチャー・ショックを乗り切る。
 その後ノンチック氏ら留学生は東京に移動。車窓から望む段々畑の風景から日本人の勤勉さを感じ取る。食文化の違いなどの課題もあったが、受け入れた日本側も、日本人でさえ食糧は配給状態の中、何とかノンチック氏らの食糧事情をよくすべく奔走。
 「私たちは、あの時の、先生たちのご苦労に対し、今でも感謝しております」(103ページ)
とノンチック氏は回想する。
 日本人女性と仲良くなるために日本語を必死でマスターしたり、恩師である田中軍医中将とのかかわり、田中の娘恒子との親しみなどが描かれる。そこでは日本とマラヤの歌声が流れ、笑い声が絶えない生活であったという。
 第四章で宮崎に移ってからもそれは同じで、寮の近くのオバチャンにもてなされた話や、宮崎中央郵便局の女性麗子との恋、麗子の家族との交流があった。
 いずれの時も、マレー人であるノンチック氏は、日本人と「心と心のつきあい」をしたのであって、決してビジネスライクな関わり合いではなかった。こうしたノンチック氏の体験は、後年の日本人との付き合い方の考えにも影響を与えているだろうし、「おおらかで まじめで 希望に満ちて明るかった」と詩に描いた日本人観に大きな影響を与えているだろう。だからこそ、後年アセアン創立にノンチック氏が携わった時、福田赳夫首相が行った演説、
 「心と心のふれあう相互信頼関係を打ちたて、われわれの関係の歴史に新たな一ページを開こうとするものです」(310ページ)
を「福田ドクトリン」として歓迎し、書き留めているのである。
 現代日本に留学しているアジアの留学生は、ノンチック氏のような日本人との心と心の付き合いができているのだろうか。マニュアル通りのバイトや授業に追われて、プライベートは同国人コミュニティの中にあり、真に日本人と腹を割った関係が築けているかは疑問だ。そしてそれは何も外国人にとどまった話ではなく、日本人同士でさえ、お隣がどんな人かもわからないような生活を送ることが当たり前の世の中となってしまったのである。
 ノンチック氏の逸話はこうした古き良き人間同士の交流のすばらしさをも教えるものとなっているのである。

思いやりを失った日本人
 「私は日本人の素晴らしさは〝思いやり〟が豊かな民族であると思っていました」(316ページ)
 「思っていました」と過去形で論じられてしまう現代日本人が情けない。日本人は、思いやりを捨て、カネやモノのあふれる生活を選んでしまったのである。それは、「古い上着よさようなら」とばかりに戦前を忘れ、戦後を寿いだ日本人の姿へのアンチテーゼでもある。
 アメリカに安全保障をゆだね、経済復興にうつつを抜かした戦後日本人にとっては、人に対する思いやりや正義を追求する心など一円の得にもならない存在でしかなかろう。
 偶然でしかないだろうが、戦後日本人が思いやってきたのは、「思いやり予算」として多額のカネを貢いできたアメリカに対してだけだ。思いやりは、弱者をいたわる心から、強者への媚び諂いにすり替えられてしまった。まさにノンチック氏が言うように、「どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ」という思いである。
 マレーシアは、大東亜戦争開戦直後、日本軍が最初に上陸し、アジアのヨーロッパ植民地支配を粉砕した土地である。マレーシアは、ポルトガル、オランダ、イギリスにより、三国四百三十年に亘り植民地支配を受け、民族固有の文化を満喫できずにいた。
 そのマレーシア出身のノンチック氏が日本に教えることは、まさに「自民族の文化を大切にする心」なのである。「カネやモノにあふれるばかりではなく、日本人が本来持っていた文化であるはずの思いやりの心を持て」というのがノンチック氏のメッセージなのである。
 こうしたノンチック氏の心を素直に受け取れば、目指すべき日本の将来像は明白だ。

新自由主義、グローバリズムの弊害を直視し、アジアに目を向けろ
 現代では新自由主義が跋扈し、生産性で人を図ることが常態化しつつある。それは必然的に文化の軽視を齎し、さらなる富を求めて、文化の垣根を破壊し市場の極大化を志向するグローバリズムともつながっていく。
 こうした新自由主義、グローバリズムが描く未来は、人間を図るものさしがすべてカネで決められ、文化は非関税障壁として破壊されるディストピアだ。それは日本人、日本社会にとって危機であるというのみにとどまらない。このような考えを放置すれば人類が今まで築いてきた文化的営為がすべて破壊される人類滅亡の危機までもはらんでいる。現在のような高度資本主義は、長く続けるわけにはいかないだろう。このまま行ったら、人類的自死が待っているように思えてならない。人類が持たないのか、あるいは地球が持たないのか、その帰結はまだ見えていないが、いずれにしても、資本主義の根幹である「自由競争」なるものは、結局勝者が勝ち続ける結果にしかならないし、ある一定の人々の犠牲なしには成り立たない排他的な仕組みである。そのことを忘れてはならない。
 反転攻勢に出なければならない。それには、アジア人が築いたアジア本来の文化に立ち返ることだ。人間が人間らしく、穏やかで健やかに生きていける生活。それぞれの国がそれぞれの文化を尊重し、各自の文化の古層に帰っていくことこそが目指すべき道だ。
 自虐史観か自慰史観か、ノンチック氏の魂をその問題だけに帰着させてはならない。人類文明史に残る大転換。その出発点は日本人が忘れたアジアの叡智にあるのだ。

土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)復刻の経緯─新装版刊行に当たって

 以下、土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)の「新装版刊行に当たって」を紹介いたします。
土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)

 本書の主人公ラジャー・ダト・ノンチック氏は、列強に立ち向かった日本人が、アジア諸民族に大きな感動と自信を与え、覚醒させたことに心から感謝した。しかし、ノンチック氏は、敗戦後、そうした歴史を忘却し、アジアへの思いを失った日本人に対する失望を隠さなかった。
 「どうして日本人は こんなになってしまったんだ」と。
 ノンチック氏が失望した理由は、少なくとも二つある。一つは、日本人が敗戦の後遺症を引きずり、戦勝国から押し付けられた歴史観から抜け出せず、民族としての誇りを喪失したままだからだ。もう一つは、日本人自身の堕落である。道義心や思いやりの心を失い、利己主義、拝金主義に陥った姿をノンチック氏は深く嘆いた。この嘆きは、「日本人よ、本来の気高き魂を取り戻せ」という切望でもある。
 本書はノンチック氏の陸軍士官学校での同期生・竹田宮(竹田恒泰氏の祖父)を通じ、先帝陛下に献上された。刊行から三十年あまりを経た今日、本来の日本人の姿を取り戻してほしいというノンチック氏の願いは叶っただろうか。残念ながら、ノンチック氏の願いも空しく、事態はさらに悪化しつつあるのではないか。
 自虐史観の克服と日本人の魂の回復が、現在ほど求められる時代はない。つまり、現在ほど本書が読まれなければならない時代はないのだ。ところが、本書は絶版となったままの状態が続いてきた。そこで私たち『維新と興亜』同人は、新装版として本書を復刻することを決意した。
 旧版は、後に㈳日本マレーシア協会理事長を務める花房東洋先生(大夢舘初代舘主)の企画によって、刊行された。昭和四十四年、花房先生は三上卓先生に随行して防衛大学校の開校記念祭に行った際に、三上先生から本書の著者である土生良樹氏を紹介された。花房先生と土生氏は同じ三上一統で、土生氏は当時、防衛大学校の空手部師範を務めていた。その後、土生氏は三上先生の命によりボルネオに渡り、軍や警察の指導に当たり、サバ州政府顧問を務めた。
 十九年後の昭和六十三年、花房先生は東南アジアを放浪していた。タイのバンコクに滞在していた時、土生氏がマレーシアのクアラルンプールに在住していることを知り、早速同地に赴き旧交を温めたのだ。花房先生が、土生氏からノンチック氏を紹介されたのはこの時である。ノンチック氏は、その四年前の昭和五十九年に、日本とマレーシア、日本とASEANとの友好促進に貢献したことにより、日本政府から勲二等瑞宝章を受勲していた。
 花房先生は、ノンチック氏から、南方特別留学生としての体験、マレーシア独立に対する日本の貢献についての話を聴き、同氏の半生記をどうしても本にしたいと考えたのだ。こうして、土生氏による聞き書きが始まった。この願いが叶い、本書は平成元年十一月、日本教育新聞社から上梓されることになった。その後、ノンチック氏がリーダーとなって、南方特別留学生の同窓会としてASCOJA(アセアン日本留学生評議会)が結成された。花房先生は、ノンチック氏の紹介により、タイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア等の南方特別留学生OBを訪問し、日本が国敗れてもアジア諸国の独立に寄与したことを改めて確信したという。
 旧版の出版においては、産経新聞元副社長・野地二見氏の多大なる尽力があった。平成元年十一月十日には、出版記念会が東京商工会議所で盛大に開催された。発起人に福田赳夫元首相、小山五郎三井銀行相談役、砂田重民元文相、瀬島龍三伊藤忠相談役、三上一統の四元義隆氏らが名を連ね、花房先生が事務局長を務めた。今回、この出版記念会の報告も収録した(三百四十三頁)。

 令和三年三月
復刻委員会事務局長 坪内隆彦(大夢舘代表・『維新と興亜』編集長)

株式会社フローラ代表取締役・川瀬善業氏の推薦のことば(土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』望楠書房)

 以下、土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)の株式会社フローラ代表取締役・川瀬善業氏の推薦のことばを紹介いたします。

土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)

 社会党の村山富市氏が首相の時に、東南アジアに行って、「日本が戦争の時に悪い事をして、すみませんでした。」と謝罪していたのを、とても残念に思っていました。
 ノンチックさんの「日本人よありがとう」のこの本を、村山氏や、氏に同調する人達に読ませるべきだと思います。そして、何よりもノンチックさんの話や、タイの元首相のククリット・プラモートさんがタイの新聞の「サイヤム・ラット」紙に発表した「十二月八日」と題する「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか? それは「身を殺して仁をなした」日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。さらに、八月十五日は、大切なお母さんが病の床に伏した日である。われわれはこの二つの日を忘れてはならない」という記事を日本の少年と青年に伝え続けていきたいと思います。そのため、すべての日本の小学校、中学校、高校、高専、短大、大学に、この「日本人よありがとう」の本を献本してゆきたいと思います。

 昭和六十年に、インドネシアから一人の日本人が、私の会社にやってきました。彼は「村石カルトビ」と名乗り、私の会社の商品の「すべての植物を超元氣にする天然植物活力液HB‐一〇一」をインドネシアで大普及させたいとの事でした。日本中、世界中を救うために、HB‐一○一の製造と販売を昭和五十三年から、私は始めていたので、「協力します」と答えました。
 村石さんは東京の羽田の出身で、日本の軍人として、インドネシアで日本の敗戦を知りました。しかし、昭和二十年の八月十七日に「ムルデカ(独立)」とスカルノ達が独立を宣言すると、四百年以上も植民地としていたオランダが再び、インドネシアに入ってきて、さらにイギリスもインドネシアに入ってきました。そこで、村石さん達の旧日本軍の人達の約二千人が、インドネシアの独立の応援に入って、戦ったおかげで、インドネシアは独立する事が出来ました。この間の経緯が、この「日本人よありがとう」に書かれています。

ラジャー・ダト・ノンチック氏の詩(土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』望楠書房)

土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)冒頭に掲載されたラジャー・ダト・ノンチック氏の詩を紹介いたします。
土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)

学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

   *

  だから アジアの国に行ったら
  ひたすら ペコペコあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  言えばよいと思っている

   *
  
  そのくせ 経済力がついてきて
  技術が向上してくると
  自分の国や自分までが
  えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では
  済まなかった悪かったと言いながら
  ひとりよがりの
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな
  今の日本人が 心配だ

   ☆

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする

   *

  自分のことや
  自分の会社の利益ばかり考えて
  こせこせと
  身勝手な行動ばかりしている
  ヒョロヒョロの日本人は
  これが本当の日本人なのだろうか

   *

  自分たちだけで 集まっては
  自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら
  自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている
  その国と 国民のことを
  さげすんだ眼でみたり
  バカにしたりする

   ☆

こんな ひとたちと
本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ
  一九八九年四月 クアラルンプールにて