「知られざる尊皇思想継承の連携─尾張藩と水戸藩」を『日本』(日本学協会発行)3月号に寄稿


『維新と興亜』編集長の坪内隆彦が、「知られざる尊皇思想継承の連携─尾張藩と水戸藩」を『日本』(日本学協会発行)3月号に寄稿しました。
坪内隆彦「知られざる尊皇思想継承の連携─尾張藩と水戸藩」(『日本』令和3年3月号)

その結論は、尾張・水戸両藩における尊皇思想継承が一本の線でつながっているように見えるというものです。
尾張藩初代藩主・義直の遺訓「王命に依って催さるる事」の継承と、義公以来の尊皇思想の継承とが連動していたのではないかとの仮説です。
水戸においては、義公の遺訓は第6代藩主・治保(文公)に継承され、さらに文公から第7代藩主・治紀(武公)に継承されましたが、『武公遺事』には「我等は将軍家いかほど御尤の事にても、天子に御向ひ弓をひかせられなば、少(いささか)も将軍家にしたがひたてまつる事はせぬ心得なり」と書かれています。
この表現から直ちに想起されるのが、尾張藩における「王命に依って催さるる事」の継承です。尾張藩第4代藩主・吉通に仕えた近松茂矩が著した『円覚院様御伝十五ヶ条』には、「仮にも朝廷に向うて弓を引く事ある可からず」と書かれています。

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