今泉定助は、『大祓講義』(三省堂、昭和17年)において、「天津金木」を次のように説明している。
〈「金木」とはどう云ふものであるかと申しますと、賀茂真淵、本居宣長両翁は、金木は棓(つかなぎ)で手頃の棒といふ事であると云つて居ります。「以棓戦」といふ言葉があります。此の「つかなぎ」の「つ」を省いて「かなぎ」と云ふので、棒を切つて机に拵へる事を云つてゐるのであり、「つかなぎ」は「束木」で、手でおさへるに手頃の棒であると申して居ります。
然し、本居翁は流石に変だと思はれて、非常に苦心して居られます。古代はさういふものを使つたのであらうが、矢張り解り難い事であると云つて、安心が出来なかつたやうであります。「置座」は置き座(ら)で、座(くら)は倉、庫と同じであり、物を区分して置く所を云ひます。
「位」(くらゐ)も、定まつた所にゐることを云ふので、同様に「座」(くら)の意味でありませう。而して「千座の置座」は延喜式に依つて見ると、八座置と四座置とがあり、之を「やぐらおき」、「よぐらおき」と云ひ、長きは二尺四寸、短きは一尺二寸で半分であります。八座置の方が本当のものであるといふ理由は、八といふ数に非常に重きを置いて居るからであります。二尺四寸は八寸の三倍で、八を基準にしてゐます。小さいものを置く必要が出来てから後に、四座置も作つたのでありませう。「千座」は沢山の意味、「置き足らはす」は置座に祓つ物、贖物を充満する事で、矢張り須佐之男命の故事に倣つて居るのであります。祓をするには、罪を祓ふ為めに祓つ物を供へる例になつて居つて、其の祓つ物を沢山に積み重ねるのであります。天津金木に就いての古人の説は上に述べた通りでありますが、「天津宮事以ちて」以下「天津金木云々」といふ所に行事があるので、古人の説だけでは足りませんから更に申し上げます。「天津」は天上の意味で、「天上の儀式に倣つたものを全て天津と云ひます。「金木」は簡単に申せば支那の算木の様なもので、長さ二寸五分位であり、本打切末打断たるものを四木拵へ、一本は四角皆青色であり、一本は四角皆白色であり、一本は皆黄色、一本は皆赤色、此の青・黄・赤・白の金木を、千座置座に贖物と共に置き足らはします。金木は仮字で、「か」は疑の辞であります。「雲か山か」「呉か越か」など云ふ場合の疑問の「か」であります。「な」は「なぎ」、「なぐ」で調和の意味であります。「かなぎ」は自分の疑ひを調和するものと云ふ意味であります。自分の疑ひを調和し定めるといふ事は、神の御心を伺ふ事であります。それで、金木と云ふのは自分の疑ひを決める意味で、支那の八卦に於ける算木の様なものであります〉
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大石凝真素美「天津神算木之極典」
大石凝真素美の「天津神算木之極典」について、大宮司朗氏は次のように書いている。
〈天津金木とは天地火水を表象する四分角二寸方形のものであり、その展開をもって形体無きものを象徴的に顕示し、その顕相の証微するところによって宇宙創造の秘機を悟り、さらには天地を動かすばかりの神秘力を得ると伝えられるもので、この書においては真訓を施した古事記に則って天津金木を置き足らわし、実に眼に物をみせてくれるのである。天津金木の製作法については、『天地茁廴貫きの巻』および水谷清『古事記大講』六巻に詳しく述べられている。それにもとづいて金木を製作し、実際に置き足らわして御覧になれば、望外の妙機に出会われることと確信するものである。
本篇においては『古事記』上巻を天津金木二本組をもって顕示しているが、熟達なされた方は、中巻以降、四本結、八本結、十六本結と本数を増やして、その運用の妙をつかまれることを願いものである。翁自身は本篇末尾において次のように書かれている。
「実に至大天球の中に於て此書に及ぶ者ある事無し。天文、科学、暦法の如きもその蘊奥の極を収めて照々赫々たり。釈迦の一切蔵理の如きに勝る事億万億也。其証たるや此の書の内に収まり有り在る明細を探り出す時は四十九億余万巻の真書を発表する者也」〉
忠臣和気清麻呂─宇佐八幡の神託
天平宝字5(761)年、道鏡は、病を患った孝謙上皇(後の称徳天皇)の看病して以来、その寵を受けるようになった。天平宝字8(764)年には太政大臣禅師に任ぜられ、翌年には法皇となった。やがて、道鏡は天皇の位を狙うのではないかと見られるようになった。九州の大宰府で神事を担当していた習宜阿曽麻呂は、それに乗じて、道鏡に御機嫌を取っておこうと、「八幡の神のお告げがありました、道鏡が天皇の位につけば、天下太平であるとのこです」と言い始めた。
称徳天皇は、心配されて、御信任の深い尼の法均を派遣し、八幡の神のお告げが本当かどうか確かめたいと思召された。ただ、女性の身で九州まで行くことは、容易でない。そこで、法均の代りに派遣されたのが、その弟の和気清麻呂である。以下、平泉澄先生の『物語日本史 上』から引用する。
〈清麻呂は宇佐(大分県)へ参り、八幡の神前にぬかずいて、謹んで神意をうかがいました。忽然として、神が出現せられました。仰せられるには、
我が国は、開闢以来、君臣の分、定まっているのだ。しかるに道鏡、何たる無道であるか。臣下でありながら天位を望むとは。汝、帰って天皇に上奏せよ。天位は必ず皇統をもって継承されよ、無道の者は、早く取り除くがよい。
清麻呂は奈良へ帰り、ありのままに上奏しました。怒ったのは弓削の道鏡、清麻呂を印旛(鳥取県)へ追放しようとしましたが、また処分をいっそうきびしく変更して、清麻呂を大隅((鹿児島県)へ、姉の法均を備後(広島県)へ流しました。
(中略)
(清麻呂は)宇佐へ向って出発する時、道鏡から、「ちょっと来るように」と言われました。行ってみると、「首尾よく大任を果したならば、大臣にしてやるぞ」と言いました。その誘惑や強迫をしりぞけて、神勅をありのままに報告し、「我が国は開闢以来君臣の分定まれり、無道の者はこれを排除せよ」と言ったのは、実に偉いといわねばなりません。道鏡は大いに腹を立て、大隅へ下る清麻呂を、途中で殺させようとしたが、果さなかったといいます〉
清麻呂が大隅に流された翌年8月、称徳天皇はおかくれになり、光仁天皇が即位された。坂上苅田麻呂が、道鏡の陰謀を朝廷に報告し、道鏡は下野の国(栃木県)の薬師寺に追われた。
言霊図表・真須美と日本全国の地体の密合─大石凝真素美「真訓古事記」
大石凝真素美の「真訓古事記」について、大宮司朗氏は次のように書いている。
〈本篇は翁最晩年の著述である。水野満年翁宅において本書を脱稿一ヵ月後に微恙を覚えられ、療養に努めるも寄る年波のためか回復渉々しからず、翌々大正二年に逝去されるのである。そのため翁にとってなお不満とせられるところがいくつかあったようであるが修正の機会はなかった。
とはいえ、本篇こそは翁畢生の大著である。翁によれば『古事記』は無上の事実が八通り収められている極典であり、従ってその研究分野も八通りに大別される。(一)歴史、(二)天文、(三)地文、(四)暦術、(五)人類成立之極元、(六)日本語学、(七)天造之神算木の極典、(八)世界の大通義。本書は特に(六)をポイントとして翁独得の奇想天外から来るともいうべき解釈を縦横無尽に展開する雄篇である。『天津神算木之極典』末尾の一文からは、翁が稗田阿礼の再生との自覚を持っておられたことが窺えるが、とすれば、今の世のため本篇を最後に書き残し、人類の指針の大度衡とすることこそがその再生の使命だったとも言えよう。それ故種々指摘さるべき事柄は多いが、ことに注目されるのは、太古より伝来したとされる言霊図表「ますみの鏡」の玄義を初めて明らかにしていることである。
「日本語は円明正朗なる声が七十五声有る也。此の七十五声を写真に正列したる鏡を太古より真須美と云ふ也。此の真須美と日本全国の地体と密合して居る也。故に人の体と密合して居る也。又人の心の全体と密合して居る也」
かく断言し、『古事記』の解と絡めて詳説詳述しているのであるが、この師説を受けた水野満年翁は日本の地理と真須美の連関を示す図を書き残されており、一時三五(あなない)教の人々の間に流布されていたことがあり、私自身も見た記憶がある〉「大石凝真素美全集解題」
七十五声の音韻に秘められたる音義─大石凝真素美「大日本言霊」
大石凝真素美の「大日本言霊」について、大宮司朗氏は次のように書いている。
〈徳川末期の言霊学者中村孝道の門人たりし祖父望月幸智より継承された言霊の奥義を基礎とし、刻苦研究すること数十年、明治三六年春、翁七二歳の時に大成されたのが、この『大日本言霊』であり、大正二年には水野満年により天覧にも供されている。直筆原本の標題には『大日本皇国言霊の巻』とある。
本篇において翁は、日本語の清音、濁音、半濁音の七十五声の音韻に秘められたる音義を明示し、これによって宇宙開闢以来の玄理を闡明したと言えよう。
「真素美の鏡」の図ならびに至大天球、地球の御樋代としての六角切り子の玉の上に示された言霊の玄意は単に文字のみをもって伝えられるものに非ずして、密教における曼陀羅のごとく観想の対象としての側面を有することに留意されたい。例えば「真素美の鏡」を注視してみれば次のようなことが自ら明らかになろう。
七十五音が普通の五十音とは違った形で配列されている。最下段にア行、中段にサ行、最上段にカ行が置かれ、そのうち「ア」「ウ」「イ」「サ」「ス」「レ」「カ」「ク」「キ」の九音が「九柱」として特別の意味を持つことに気付く。最下段のア行は最も重い音であり、最上段のカ行が最も軽い音である。サ行が中段にきて、全体の中心に「ス」がある。「ス」は「すめらみこと」や「すべる」の「ス」であり、万物を統合する働きがあることが感得せられる。この七十五段の「音」の階程は翁の考えによれば、宇宙存在の階層秩序であり、図中の「音」の相対的位置関係から七十五音それぞれの持つ「意味」というより「力」を演繹できるのである〉(「大石凝真素美全集解題」)
大石凝真素美「天地茁廴貫きの巻」
大石凝真素美の「天地茁廴貫きの巻」について、大宮司朗氏は次のように書いている。
〈本書は明治三三年一一月、翁六七歳の時に脱稿したもので、前著の『弥勒出現成就経』の成立時から既に一〇年の年月を経過している。この間に『成就経』にすでにみられる「ス(○の中にヽ)の思想」、宇宙の四元素としての「天・火・水・地」を表象する天津金木の学がより深められ結実したのである。とはいえ伝記によればその草稿は少くとも明治三一年にはほぼ成っていたらしい。
なお本書は大正一二年に国華教育社版全集として活字になる以前に、すでに大本教の人々によって書き写され珍重されたことは、当時の関係者の言によっても、筆者の手元にある『神言聖辞』とは題するが同内容の写本からも窺える。実はこの書の内容の大略は、大本の出口王仁三郎氏が大正七年に機関紙『神霊界』大八洲号において本田霊学をも組み入れた形で紹介しているのである。
本書の内容は初めにス声の玄意について説き、次に天之御中主神、高御産霊神、神産霊神、「タカアマハラ」六声の秘解、次に至大天球中の修理固成、魂線、識心、三貴子の御出生、皇国日本に人類が造醸せられたる極元、四種の人種のいわれ、種姓の厳立、産霊の玄義、大宇宙たる天地と小宇宙たる人体の玄妙なる相関関係、天地自然の大度量衡を説示し、次に至大天球之中の御樋代である正方角体六合八角切り表面並びに裏面の真位、更には天津金木の神器の製作法を述べ、金木組立てによる八咫の鏡、十六紋菊図章、四季正調御年車に言及する。実にこの書には大石凝霊学の根源となる重要なる諸概念が悉く織り込まれ、圧縮凝集せられている。ために一読、不可解、難解の感を通常の人は免かれることはできない。しかし、再読、三読せられれば、誠に奥深き翁の霊学への糸口を見出し、他の翁の著作を理解し、応用していく上で大きな助けになるものと思われる。
なお本書で特に注目して頂きたいことは、神道系諸教団に量り知れない影響を与えたスの思想がはっきりとその全容を闇霧の中より現出してきたことである。
「此ス声の神霊を誠に明細に説き定る時は世界一切の極元の真体をも其成り立ちの秩序をも億兆万々劫々年度劫大約恒々兮大造化の真象をも逐一明に資り得らるる也。……中略……スの謂れを明に知らざればあるべからざる也。スが皇の極元なれば也」〉(「大石凝真素美全集解題」)
『大石凝翁全集』
日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』⑤
葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(④より続く)
〈附 記
一、我政府当局ガ、前記、解決法ヲ善トシ、良トスルナラバ、速ニ、我国ヲ道義国家ニ更正セシムベキ具体案ヲ確立シ以テ勅裁ヲ仰ギ、其ノ要領ヲ、中外ニ声明シ、更ニ、日支両国人ノ敬慕スル高徳ノ偉人ヲ撰ミテ、渡支セシメ、我国ノ真意ヲ明示スベキデアル、若シ、如斯ンバ、蔣介石ハ、勿論、支那四億ノ民ハ、挙テ、仰天、俯地、感謝感激シテ、特使ヲ迎ヘルデアラウ。
一、我国思想ノ左右スルハ、我国ノ、政治及教育ガ、國體ニ悖リ、国民性ニ反スルカラノ、反射的所産デアル、現在ノ政治及教育ヲ、此儘ニシテ、徒ニ、法律ヲ以テ之ヲ抑圧セントスルガ如キハ、源泉ヲ濁シテ、末流ヲ清メントスルモノニシテ、其ノ愚モ亦甚シキモノデアル。若シ、我政府当局が反省自覚シテ、日本本来ノ自性タル、道義国家ノ顕現ニ努カスルナラバ、国内ニ於ケル左右思想ノ如キハ直チニ雲消霧散スルハ勿論、ソ聯ノ如キモ遂ニ我ガ皇風ニ醇化サルルデアラウ、況ヤ他ノ万邦ニ於オヤデアル。
昭和十三年六月三日(稿)〉
日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』④
葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(③より続く)
〈一、官公吏ハ、日支共ニ、総テ、慈悲行(親切)ヲ以テ生命トセシムベキデアル。
人類ノ平和幸福ハ、唯一途、慈悲行ノ交換ニヨリテノミ之ヲ顕現スルヲ得ルモノデアル。故ニ、官公吏ノ生命トスベキハ慈悲行(親切)ノ実践デナクテハナラヌ、法律規則ハ、慈悲行ヲ顕現スル為ノ手段デアリ、方便デアル、若シ官公吏ガ、慈悲行ヲ忘レテ、法律規則至上主義ニ陥レバ、官公吏ハ、冷酷トナリ、不誠意トナリ、無責任トナリ、国民ハ、法ヲ免レテ恥ズルナキ、破廉恥漢トナルモノデアル、殷鑑遠カラズ、我日本ノ現状ハ、明確ニ之ヲ示現シツヽアルノデアル。
一、教育ハ、日支共ニ、総テ道徳ノ実践躬行ヲ以テ、生命トセシムベキデアル。
教育ノ目的ハ、人類ヲシテ、慈悲ノ行者トシテ、利用厚生ニ貢献セシメンガ為デアル、故ニ、如何ナル学府ト雖モ、道徳ヲ実践躬行セシメザル教育ハ、有害無用デアル、殊ニ、形而上学ニ於テ甚シトナスモノデアル、秦ノ始皇ガ、書ヲ焚キ、儒者ヲ穴ニセシハ、之ノ弊ヲ匡正セントセシモノデアル、目下日本、支那共ニ有害無用ノ教育ニ堕落シテ居ルノデアル。
前述ノ方策ハ、畏クモ、天照大御神ヲ初メ奉リ、天地神明ノ神慮ニシテ、八幡大神、敵国降伏(言向ヶ和ス)ノ神慮タルヲ疑ハヌノデアル、切ニ、我国、大官顕職ノ猛省ヲ望ムノデアル。〉(続く)
日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』③
葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(②より続く)
〈一、支那ヲシテ、道義国家タラシムルニハ、支那ノ国政ノ基礎ヲ家族制度ニ置カシメ、親心政治タル、堯舜政治ヲ、顕現セシムベキデアル。
一家ハ、親(家長)ヲ以テ、絶対的、綜合、調和、統一者トシ、一家ノ家長ハ、一村ノ親(村長)ヲ選挙シ、一村ノ親(村長)ハ一郡ノ親(郡長)ヲ選挙シ、一郡ノ親ハ、一県ノ親(県長)ヲ選挙シ、一県ノ親ハ。一国ノ親(大統領即ち堯舜)ヲ選挙スルノデアル。(コヽニ選挙トハ必ズシモ投票選挙ヲ意味スル者ニ非ズ)
親ハ、慈悲ノ本元デアル、国政ノ基礎ヲ親トスルハ、大慈悲国家ヲ顕現スル所以デアツテ、道義国家ヲ建設スル所以デアル。コレ、我國體ト合致シ、宇宙万有一貫ノ原理ト合致セシムル所以ニシテ、東洋平和ヨリ、世界平和ヲ顕現セシムル、唯一方途デアル、之ヲ、堯舜国家ト云フノデアル。
近来流行ノ、一国一党主義ハ、自ラ強要シテ、親タルヲ僣称スルモノニシテ、覇者ノ道デアリ、ナチスデアリ、フアツシヨデアリ、蔣政権デアル、断ジテ支那ニ許スベキデナイ。
欧米ノ如ク、個人ヲ基礎トセル、大統領選挙ハ、功利的、相剋的、非道義的ニシテ、闘争分裂ニ陥ル、我国現行ノ衆議院議員選挙法モ亦然リデアル、故ニ、其ニ支那ニ採ルベキ道デナイ、況ンヤ、日本ニ於テオヤデアル〉(続く)