「今泉定助」カテゴリーアーカイブ

玉川博己氏「三浦重周の思想~とくに国体論を中心として」

2016年3月に、三島由紀夫研究会事務局編『決死勤皇 生涯志士の人 三浦重周を語るシンポジウム』を贈呈していただいた。
玉川博己氏(三島由紀夫研究会代表幹事)の基調講演録「三浦重周の思想~とくに国体論を中心として」は、三浦重周氏の国体思想のうち、「戦後、国体は維持されたのか」という問題意識、そして「国体と皇道の発展は国境を超えるのか」という問題意識の重要性を指摘している。玉川氏は、三浦氏が今泉定助の世界皇化の思想に注目していたことを指摘した上で、次のように語っている。
「このように三浦重周が理想とする皇道とは、決して排他的、独善的な偏狭思想ではなく、明治以来のアジア主義の伝統を受け継ぎつつ、日本の歴史・伝統・文化に根ざす天皇を中心とするわが国体の倫理性と普遍性をあまねく世界に宣布してゆこうというスケールの大きな考えに立脚するものです」
三浦氏の国体思想を改めて研究する必要があると痛感した。

天津金木とは?─今泉定助『大祓講義』

 今泉定助は、『大祓講義』(三省堂、昭和17年)において、「天津金木」を次のように説明している。
 〈「金木」とはどう云ふものであるかと申しますと、賀茂真淵、本居宣長両翁は、金木は棓(つかなぎ)で手頃の棒といふ事であると云つて居ります。「以棓戦」といふ言葉があります。此の「つかなぎ」の「つ」を省いて「かなぎ」と云ふので、棒を切つて机に拵へる事を云つてゐるのであり、「つかなぎ」は「束木」で、手でおさへるに手頃の棒であると申して居ります。
然し、本居翁は流石に変だと思はれて、非常に苦心して居られます。古代はさういふものを使つたのであらうが、矢張り解り難い事であると云つて、安心が出来なかつたやうであります。「置座」は置き座(ら)で、座(くら)は倉、庫と同じであり、物を区分して置く所を云ひます。
「位」(くらゐ)も、定まつた所にゐることを云ふので、同様に「座」(くら)の意味でありませう。而して「千座の置座」は延喜式に依つて見ると、八座置と四座置とがあり、之を「やぐらおき」、「よぐらおき」と云ひ、長きは二尺四寸、短きは一尺二寸で半分であります。八座置の方が本当のものであるといふ理由は、八といふ数に非常に重きを置いて居るからであります。二尺四寸は八寸の三倍で、八を基準にしてゐます。小さいものを置く必要が出来てから後に、四座置も作つたのでありませう。「千座」は沢山の意味、「置き足らはす」は置座に祓つ物、贖物を充満する事で、矢張り須佐之男命の故事に倣つて居るのであります。祓をするには、罪を祓ふ為めに祓つ物を供へる例になつて居つて、其の祓つ物を沢山に積み重ねるのであります。天津金木に就いての古人の説は上に述べた通りでありますが、「天津宮事以ちて」以下「天津金木云々」といふ所に行事があるので、古人の説だけでは足りませんから更に申し上げます。「天津」は天上の意味で、「天上の儀式に倣つたものを全て天津と云ひます。「金木」は簡単に申せば支那の算木の様なもので、長さ二寸五分位であり、本打切末打断たるものを四木拵へ、一本は四角皆青色であり、一本は四角皆白色であり、一本は皆黄色、一本は皆赤色、此の青・黄・赤・白の金木を、千座置座に贖物と共に置き足らはします。金木は仮字で、「か」は疑の辞であります。「雲か山か」「呉か越か」など云ふ場合の疑問の「か」であります。「な」は「なぎ」、「なぐ」で調和の意味であります。「かなぎ」は自分の疑ひを調和するものと云ふ意味であります。自分の疑ひを調和し定めるといふ事は、神の御心を伺ふ事であります。それで、金木と云ふのは自分の疑ひを決める意味で、支那の八卦に於ける算木の様なものであります〉

川面凡児『建国の精神』目次

 
川面凡児『建国の精神』(稜威会本部、大正7年)目次。神道的宇宙観において、今泉定助に対する川面の影響が窺われる。
(一) 発端
(二) 目録
(三) 天壌無窮の神勅と神籬磐境の神勅との表裏
(四) 神代の世界的活動と奈良朝以後の島国的蟄伏
(五) 日本民族性、国民性と宇宙観、天地観、世界観、原人観、霊魂観、処世観
(六) 我と彼とはその究明を異にする事
(七) 唯一不二の根本大本体と世界列国の言語名称解釈
(八) 宇宙根本信念と国家統一と民族の興廃
(九) 日本民族の宇宙万有観
(十) 天神中主太神と空間、対象、宇宙 続きを読む 川面凡児『建国の精神』目次