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特例法案は陛下の御裁可を仰ぐべし

民進党が特例法容認に動くことで、この度の御譲位の議論は収束に向かいつつある。皇室典範に付則を置いて、典範と特例法が一体であることを明記し、特例法では、皇太子が成人していること、天皇の意思があること、皇室会議の議を経ること等の要件を記せば、典範を改正せずとも実質的な制度化につながるとの判断という。個人的に色々想うところはあるが、大事なのは、この政治決定を肝心の陛下が御嘉納あらせられるかという事である。陛下が嘉(よみ)し給うならばそれで良い。政府は法案の国会提出前に、この特例法案を闕下に上奏し、御裁可を仰ぐべきだ。兎にも角にも御宸襟を安んじ奉る事が、首相の第一の責務である。

教育勅語は国家の責任で

本日の国会中継で、民進党小西洋之議員のトンデモ質問を聴いて驚愕した。教育勅語が個人の尊厳、幸福追求権を規定した憲法十三条に違反するとして全否定しおった。とんでもない反日売国議員である。かたや答弁者の安倍首相も安倍首相だ。「反復練習は脳に良い」などと、質問に答えず逃げまくっている。何故素直に、教育勅語は素晴らしいと言えないのか。現行憲法は問題だが、上述した十三条も、幸福追求権は「公共の福祉に反しない限り」尊重されると規定されているのだから、必ずしも教育勅語違憲とは言えない。もし従来の政府解釈が違憲との見解ならば、政府解釈を改めるべきだ。そして塚本幼稚園の様な私学のみならず、全ての公立学校で教育勅語を復活すべきである。一部の私学に責任を担わせるのではなく、教育勅語は国家の責任で国民に奨励すべきだ。

朴槿恵罷免で破棄される「慰安婦合意」

朴槿恵大統領が罷免されたが、現状で新大統領の最有力候補とされる文在寅は、人権派弁護士出身で、反日・新北朝鮮で知られる故盧武鉉大統領の最側近であった人物、つまりは筋金入りの左翼である。盧武鉉時代の日韓関係が最悪であったことは記憶に新しいが、仮にこの左派・文氏が大統領になった場合、日韓政府が「最終的かつ不可逆的」な解決と約した「慰安婦合意」は破棄され、韓国が再び対日請求権を主張し出す可能性が高い。そうしたら、安倍首相はどうやって落とし前をつけるつもりか。安倍外交は、「名を捨てて実を取る」つもりが、「名を捨てて実も捨てる」結果に終わろうとしている。もはや完全なる屈辱外交である。

シリーズ『元気が出る尊皇百話』その(三)平重盛

次に平重盛(たいらのしげもり)です。重盛は太政大臣平清盛の長子です。父清盛の暴悪を諌め、朝廷への誠忠を尽くしたことから、和気清麻呂楠木正成と並んで我が国「三忠臣」の一人と称されます。保元・平治の乱で父清盛が政治の実権を朝廷から簒奪し、平家が台頭するにつれて重盛の官位も上昇し、治承元年には左近衛大将、次いで内大臣に進みました。

その頃、平家の専横を憎んでこれを滅ぼそうとする企て多く、藤原成親(なりちか)は先ず党を結んで謀る所がありましたが(鹿ケ谷の陰謀)、直ちに漏れて捕らえられ、特にその企てには後白河法皇も加わり給いていることを聞いた清盛は、法皇を別の宮に押し込めようと思い、子弟一族を召集しました。そこで清盛の親族等は甲冑を着て集まりましたが、少し遅れて来た重盛は烏帽子直垂の恰好をしていたので、これを見た弟の宗盛は「大事のときに、どうしてそんな姿をなさるのか」とたしなめたところ、重盛はかえって宗盛を叱り「大事とは何事か。我が家の事に集まるがごときは私事ではないか。かつ国家の大事なれば不肖ながら我は近衛大将も兼ねておるからお前たちを待たぬのである」と言って座につきました。

これを見た父清盛は深く心に恥じて鎧の上に服を着、重盛に対して「お前はどうして来るのが遅れたのか。今回の謀は全く法皇に出でたのだから、今から法皇を他所に移し、禍の根を断つのだ」と告げました。すると重盛は誠忠の心からはらはらと涙を流し「父上の身は太政大臣の位にありながらも自ら甲冑を付け、また出家されてからも弁えなきは何たることでしょうか。そもそも仏道には四つの恩(父母、国王、衆生三宝)がありますが、その中でも君の恩が最も重視されています。我が一族のごときは、この君(後白河法皇)の御恩を蒙りてこそ今日の権勢を得ておりますのに、それを忘れて皇位を蔑ろにするとは、いかにも心得違いと存じます。いわんや至尊(法皇)に迫り奉るなど、不臣の甚だしい振る舞いです。もし父上にして強いて意のごとくされるおつもりであれば、まず私の首を斬ってから事を挙げて下さい。私は不忠不孝の子となることを欲しませぬ」と言って清盛を諌めました。

さらに重盛は一族の将士を召して父清盛に人をやり「法皇が父上の言動を聞いて大いに怒らせ給い、詔を重盛に下してこれを討たしめようとし給うておりますが、この私がある以上は、父の罪を引き受けて救い参りますので驚き惑い給いますな」と告げしめたので、清盛は大いに狼狽え、予はただ重盛のなす所に任せもはや何事も手出しをせぬとあやまり答えました。後白河法皇このことを遥かに聞かせ給いて、重盛のごときは徳を以て怨みに報う者、真に忠貞の臣であると大いに感謝せられました。

かくて一度は重盛に諫言に従った清盛でしたが、惜しいかな重盛は治承三年病で亡くなると、その暴悪愈々増長し、平家滅亡への道をたどったのでした。

「明治百五十年」プロジェクトに異議あり。

安倍内閣が来年の明治維新百五十年に向けて進めている「明治百五十年」プロジェクトに異議あり。「明治維新百五十年」ではなく敢えて「明治百五十年」と呼ぶ時点で嫌な予感がしたが、東大教授の山内昌之氏による同プロジェクトの解説は噴飯ものだ。そこでは明治維新の意義が、幕藩体制から近代国家への転換という皮相な側面に矮小化され、王政復古による神武創業への回帰という本質的な意義が完全に没却されている。しかも、山内氏は、明治百五十年で特筆すべき点として、韮山反射炉津田梅子を持ち出して豊かな地方性や女性の活躍を強調し、甚だしきは、近代化の為にお雇い外国人から受けた「恩」を説くなどしている。これは明らかに、目下安倍内閣が進めている地方創生や女性の働き方改革、新自由主義改革を正当化するために明治という時代を利用しようという目論見が透けて見える。曲学阿世とはこの事だ。安倍内閣礼賛の為の記念事業ならやらない方がましだ。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/dai1/gijisidai.html

塚本幼稚園の愛国教育について

塚本幼稚園が児童に教育勅語を暗唱させているのは素晴らしい取り組みであるが、中国や韓国に対する敵愾心を植え付け、安倍首相を礼賛する教育をしているのは問題だ。我が国民が尊むべきは天皇を戴く「国体」であって「政体」としての政府ではない。また攘夷は尊皇の帰結であって原因ではない。この点を履き違えると、歪んだ愛国心を植え付けることになる。

第二回保建大記勉強会要旨

   平成二十九年二月二十五日、浦安で崎門研第二回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表、坪内顧問をはじめ有志八人が参集した(一名スカイプによる参加)。前回は平泉澄の解説を中心に学んだため、本文としては実質今回が初めてとなる。
   保建大記とは、江戸時代の崎門派栗山潜鋒が記した書で、保元から建久年間までの重要事を記したものである。この時代に源頼朝をはじめとした幕府政治が出現し、皇室の衰微してしまったことを、朝権回復を目指す観点から記したものだ。潜鋒は水戸に仕えたため崎門学と水戸学との交点ともいえる書である。テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用した。『保建大記打聞』とは江戸時代の崎門派の谷秦山が栗山潜鋒『保建大記』を講義したのを記録したもので、それを水戸史学会理事である杉崎氏が編注したものである。第二回保建大記勉強会では、同書一ページから九ページまで輪読した。
   内容としては、秦山の「日本の人にして道に志あるからは、日本の神道を主にすべし」という言葉から始まる。儒書の講究は神道を羽翼するものだという。こうした神儒兼学の態度は崎門学の大きな特徴といえる。秦山は今の儒者はまるで駄目だが、栗山潜鋒『保建大記』は素晴らしく、「是ほど珍重なことはない」という。頼朝、義満、信長みな「覇府」であるという認識を示し(江戸幕府を暗に批判している)、君臣がともに道を正すことが重要だとした。
(記:事務局 小野)

竹島の日にあたって

本日は竹島の日である。島根県では県民大会が開催されているが、本来これは日本政府の仕事だ。特に安倍首相は、政権奪還前の2012年の選挙公約で、竹島の日政府式典の開催を公約している。政府は県民大会に内閣政務官を派遣したらしいが、そんな事で済まされる話ではない。これも安倍首相による「愛国詐欺」の一例である。

聖徳太子の呼称変更について

先日、二月十四日に文科省が公表した次期学習指導要領の改定案において、「聖徳太子」の呼称が「厩戸王子」に変更されていることが問題となっている。文科省の説明では、聖徳太子は没後使われた呼称だからという理由のようであるが、いかにも心のない役人の発想だ。死後に使われた名前だから使えないとすれば、歴代天皇の名前は全て諡号であるから書き換えねばならない。また名称変更の背景には、「聖徳太子虚構説」があるという意見もある。これは神武天皇を教科書に載せない理由と同じで、「歴史教育」と「歴史研究」を混同したことの弊害である。歴史教育はただ史実を羅列するのではなく、民族の物語としての意味を付与しなければならない。その上で、聖徳太子も、生前の呼称などある意味どうでも良いのであって、重要なのは、太子がシナの皇帝に対して「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と述べ、天皇を戴く我が国が、シナの冊封体制には属さない独立した国家であることを内外に宣言したという事であり、当時ないしは後世の国民は、その偉大な功績を讃えて太子の名に「聖徳」の二字を冠したという事だ。それ以上、何の詮索が要ろうか。