先日、二月十四日に文科省が公表した次期学習指導要領の改定案において、「聖徳太子」の呼称が「厩戸王子」に変更されていることが問題となっている。文科省の説明では、聖徳太子は没後使われた呼称だからという理由のようであるが、いかにも心のない役人の発想だ。死後に使われた名前だから使えないとすれば、歴代天皇の名前は全て諡号であるから書き換えねばならない。また名称変更の背景には、「聖徳太子虚構説」があるという意見もある。これは神武天皇を教科書に載せない理由と同じで、「歴史教育」と「歴史研究」を混同したことの弊害である。歴史教育はただ史実を羅列するのではなく、民族の物語としての意味を付与しなければならない。その上で、聖徳太子も、生前の呼称などある意味どうでも良いのであって、重要なのは、太子がシナの皇帝に対して「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と述べ、天皇を戴く我が国が、シナの冊封体制には属さない独立した国家であることを内外に宣言したという事であり、当時ないしは後世の国民は、その偉大な功績を讃えて太子の名に「聖徳」の二字を冠したという事だ。それ以上、何の詮索が要ろうか。