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「崎門学に学ぶ②」一水会『レコンキスタ』平成25年11月号
「崎門学に学ぶ①」一水会『レコンキスタ』平成25年10月号
金剛山千早城参拝
元弘2年(1332年)大楠公が勤皇の帥を出だして立て籠もり、詭計謀略を駆使して鎌倉幕府軍と孤軍奮闘した金剛山西麓の千早城跡を参観しました。同城の下手には楠公の菩提寺である観心寺があり、併せて参拝いたしました。千早城は標高約660メートル、三方を谷と急斜面に囲まれた難攻不落の要塞です。幕府軍百万騎に対して千騎足らずの楠木軍は、百日間の籠城戦を戦い抜いて、終に建武の新政の突破口を開きました。太平記はその模様を「誰を慿(たの)み何(いつ)を待共(まつとも)なきに城中にこらへて防ぎ戦い楠木が心の程こそ不敵なれ」と感嘆しています。また観心寺は楠公が幼少期に学問を修めた場所であり、櫻井の別れで楠公と永訣した息子の正行公が後村上天皇を奉じて足利軍との戦いを続けた場所でもあります。したがって境内には、後村上天皇の御陵である桧尾陵や行在所があり、また高氏から正行公に送られた楠公の首級をお祀りした首塚などがあります。なお千早城までは南海線河内長野駅からバスで千早城入口まで行き登山しました。
湊川神社参拝
大楠公こと楠木正成公をお祀りする兵庫県神戸市の湊川神社を参拝いたしました。湊川神社は、建武三年(1336年)に湊川の戦いで敗れた楠公が弟の正季(まさすえ)と「七生滅賊」を誓い刺し違えて自刃し、楠公の御墓が立てられた場所に位置し、明治5(1872年)年に明治天皇の御命を受けて創建されました。現在境内にある楠公の御墓は、徳川光圀が元禄5年(1692年)再建したものです。
若林強斎先生『雑話筆記』勉強会 第五回
本日、若林強斎先生『雑話筆記』勉強会第五回を開催いたしました。
若林強斎先生『雑話筆記』勉強会第四回
· 本日、若林強斎先生『雑話筆記』勉強会第四回を開催いたしました。
「維新の源流、崎門学」呉竹会『青年運動』平成25年8月号
· 折本龍則研究員の論稿「維新の源流、崎門学」が、呉竹会『青年運動』平成25年8月15日付に掲載されました(→全文はこちら)。