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第二回、『靖献遺言』を読む会のお知らせ

第二回、『靖献遺言』を読む会の開催日時が決定いたしましたので、お知らせいたします。テキストは前回に引き続き、近藤啓吾先生の『靖献遺言講義』(国書刊行会)を使用します。また次回は第五巻の文天祥を読む予定ですので、文天祥の作として有名な『正気歌』と併せて藤田東湖、吉田松陰、広瀬武夫による同作も併せて味読したいと思います。『正気歌』のテキストは、槇不二夫著『正気歌詳解』(明治37年、文禄堂)を使用いたします。つきましては、振るってのご参加をお持ち致しております。ちなみに、第一回輪読会の内容は、今月末発行予定の『崎門学報』第六号において発表する予定です。

 主催:崎門学研究会

日時:平成282月7日正午開始

場所:千葉県浦安市当代島1-3-29アイエムビル5F

連絡先:09018471627(折本)

 

 

金剛山千早城参拝

  元弘2年(1332年)大楠公が勤皇の帥を出だして立て籠もり、詭計謀略を駆使して鎌倉幕府軍と孤軍奮闘した金剛山西麓の千早城跡を参観しました。同城の下手には楠公の菩提寺である観心寺があり、併せて参拝いたしました。千早城は標高約660メートル、三方を谷と急斜面に囲まれた難攻不落の要塞です。幕府軍百万騎に対して千騎足らずの楠木軍は、百日間の籠城戦を戦い抜いて、終に建武の新政の突破口を開きました。太平記はその模様を「誰を慿(たの)み何(いつ)を待共(まつとも)なきに城中にこらへて防ぎ戦い楠木が心の程こそ不敵なれ」と感嘆しています。また観心寺は楠公が幼少期に学問を修めた場所であり、櫻井の別れで楠公と永訣した息子の正行公が後村上天皇を奉じて足利軍との戦いを続けた場所でもあります。したがって境内には、後村上天皇の御陵である桧尾陵や行在所があり、また高氏から正行公に送られた楠公の首級をお祀りした首塚などがあります。なお千早城までは南海線河内長野駅からバスで千早城入口まで行き登山しました。

南海線河内長野駅から千早城入口に向かう道中の景色1
南海線河内長野駅から千早城入口に向かう道中の景色1
南海線河内長野駅から千早城入口に向かう道中の景色2
南海線河内長野駅から千早城入口に向かう道中の景色2

 

千早城参道入口
千早城参道入口
千早城本丸跡(現在は千早神社)
千早城本丸跡(現在は千早神社)
千早城石碑
千早城石碑
千早城より河内遠景
千早城より河内遠景
観心寺山門
観心寺山門
後村上天皇行在所跡
後村上天皇行在所跡
大楠公首塚
大楠公首塚
後村上天皇陵
後村上天皇陵
後村上天皇陵参道
後村上天皇陵参道

湊川神社参拝

大楠公こと楠木正成公をお祀りする兵庫県神戸市の湊川神社を参拝いたしました。湊川神社は、建武三年(1336年)に湊川の戦いで敗れた楠公が弟の正季(まさすえ)と「七生滅賊」を誓い刺し違えて自刃し、楠公の御墓が立てられた場所に位置し、明治5(1872年)年に明治天皇の御命を受けて創建されました。現在境内にある楠公の御墓は、徳川光圀が元禄5年(1692年)再建したものです。

湊川神社 正門 場所はJR神戸駅から徒歩5分の距離にある。
湊川神社 正門 場所はJR神戸駅から徒歩5分の距離にある。
湊川神社 本殿 中央扉奥は主神の正成公を祀る
湊川神社 本殿 中央扉奥は主神の正成公を祀る。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公殉節地1 神職の同伴のもと参拝。
大楠公殉節地1 神職の同伴のもと参拝。
大楠公殉節地2 手前の灯篭は大隈重信や大木喬任など佐賀藩出身の人士による寄進。葉隠精神の発露なるべし
大楠公殉節地2 手前の灯篭は大隈重信や大木喬任など佐賀藩出身の人士による寄進。葉隠精神の発露なるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公殉節地3 左右の灯篭は大阪の豪商、住友家が寄進したもの
大楠公殉節地3 左右の灯篭は大阪の豪商、住友家が寄進したもの
大楠公殉節地4 この地で正成以下一族郎党が自決した。瞑目合掌し、英雄千秋の遺烈を偲ぶ。
大楠公殉節地4 この地で正成以下一族郎党が自決した。瞑目合掌し、英雄千秋の遺烈を偲ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公墓所 正面 吉田松陰他多くの幕末志士が拝礼し維新回天を誓っている。
大楠公墓所 正面 吉田松陰他多くの幕末志士が拝礼し維新回天を誓っている。
大楠公墓所 石碑正面 「嗚呼忠臣楠公之墓」の八字は徳川光圀公自らの謹書
大楠公墓所 石碑正面 「嗚呼忠臣楠公之墓」の八字は徳川光圀公自らの謹書

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公墓所 石碑裏面 朱舜臣文集にある楠公画讃を書家の岡本元春が謹書したもの
大楠公墓所 石碑裏面 朱舜臣文集にある楠公画讃を書家の岡本元春が謹書したもの
義公こと徳川光圀公像 大日本史を編纂し、大楠公の忠臣たる遺徳を称賛した。
義公こと徳川光圀公像 大日本史を編纂し、大楠公の忠臣たる遺徳を称賛した。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公御碑 徳川光圀による銘と朱舜水による賛。吉田松陰はこの拓本を松下村塾に掲げ弟子の教育に当たった。
大楠公御碑 徳川光圀による銘と朱舜水による賛。吉田松陰はこの拓本を松下村塾に掲げ弟子の教育に当たった。