湊川神社参拝


大楠公こと楠木正成公をお祀りする兵庫県神戸市の湊川神社を参拝いたしました。湊川神社は、建武三年(1336年)に湊川の戦いで敗れた楠公が弟の正季(まさすえ)と「七生滅賊」を誓い刺し違えて自刃し、楠公の御墓が立てられた場所に位置し、明治5(1872年)年に明治天皇の御命を受けて創建されました。現在境内にある楠公の御墓は、徳川光圀が元禄5年(1692年)再建したものです。

湊川神社 正門 場所はJR神戸駅から徒歩5分の距離にある。
湊川神社 正門 場所はJR神戸駅から徒歩5分の距離にある。
湊川神社 本殿 中央扉奥は主神の正成公を祀る
湊川神社 本殿 中央扉奥は主神の正成公を祀る。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公殉節地1 神職の同伴のもと参拝。
大楠公殉節地1 神職の同伴のもと参拝。
大楠公殉節地2 手前の灯篭は大隈重信や大木喬任など佐賀藩出身の人士による寄進。葉隠精神の発露なるべし
大楠公殉節地2 手前の灯篭は大隈重信や大木喬任など佐賀藩出身の人士による寄進。葉隠精神の発露なるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公殉節地3 左右の灯篭は大阪の豪商、住友家が寄進したもの
大楠公殉節地3 左右の灯篭は大阪の豪商、住友家が寄進したもの
大楠公殉節地4 この地で正成以下一族郎党が自決した。瞑目合掌し、英雄千秋の遺烈を偲ぶ。
大楠公殉節地4 この地で正成以下一族郎党が自決した。瞑目合掌し、英雄千秋の遺烈を偲ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公墓所 正面 吉田松陰他多くの幕末志士が拝礼し維新回天を誓っている。
大楠公墓所 正面 吉田松陰他多くの幕末志士が拝礼し維新回天を誓っている。
大楠公墓所 石碑正面 「嗚呼忠臣楠公之墓」の八字は徳川光圀公自らの謹書
大楠公墓所 石碑正面 「嗚呼忠臣楠公之墓」の八字は徳川光圀公自らの謹書

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公墓所 石碑裏面 朱舜臣文集にある楠公画讃を書家の岡本元春が謹書したもの
大楠公墓所 石碑裏面 朱舜臣文集にある楠公画讃を書家の岡本元春が謹書したもの
義公こと徳川光圀公像 大日本史を編纂し、大楠公の忠臣たる遺徳を称賛した。
義公こと徳川光圀公像 大日本史を編纂し、大楠公の忠臣たる遺徳を称賛した。

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠公御碑 徳川光圀による銘と朱舜水による賛。吉田松陰はこの拓本を松下村塾に掲げ弟子の教育に当たった。
大楠公御碑 徳川光圀による銘と朱舜水による賛。吉田松陰はこの拓本を松下村塾に掲げ弟子の教育に当たった。