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坪内隆彦氏の論文を掲載しました。
『月刊日本』編集長の坪内隆彦氏が蒲生君平の『山陵志』について書かれた論文を本サイトに掲載致しました。ご覧ください。
山陵復興への願い(『月刊日本』平成26年2月号)
君平と藤田幽谷を結んだ『保建大記』(『月刊日本』平成26年3月号)
第五回『保建大記打聞』輪読会開催
平成26年2月28日、第五回『保建大記打聞』輪読会を開催いたしました。今回は本編26pまで進みました。
第四回『保建大記打聞』輪読会開催
平成26年2月21日、第四回『保建大記打聞』輪読会を開催いたしました。今回は17pまで読み進めました。
第三回『保建大記打聞』輪読会開催
平成26年2月18日、第三回『保建大記打聞』輪読会を開催いたしました。今回は本編9pまで進みました。
第二回『保建大記打聞』輪読会開催
平成26年2月11日、紀元節の佳日に、有志で第二回『保建大記打聞』輪読会を開催いたしました。今回は平泉澄先生の論説を読み終え、本編に入りました。
「崎門学に学ぶ④」一水会『レコンキスタ』平成26年2月号
谷秦山『保建大記打聞』輪読会開幕
平成26年2月4日、有志で第一回『保建大記打聞』輪読会を開催いたしました。『保建大記』は、山崎闇斎と浅見絅斎に師事し、後に徳川光圀に招聘され、水戸学中興に大功のあった栗山潜峰の著作であり、『打聞』とは、潜峰と同じ崎門に属する谷秦山が『保建大記』を解説した著作です。『大記』は、元禄二年(1689年)の発刊、我が国における保元、平治の乱以降の歴史を説き、その紆余曲折のうちに不変の人倫を見ることによって、武家台頭による皇威失墜の原因を洞察いたしております。また、それは取りも直さず、徳川政治に対する根源的な批判と、いつの日か訪れるであろう皇威回復への庶幾に発するものでありました。崎門学では、『保建大記』を重要な文献に位置付け、若林強斎先生も、同著を崎門学を学ぶ上で、北畠親房の『神皇正統記』に比肩しうる必読文献であると述べておられます。(崎門学の必読文献)
ちなみに本輪読会では、テキストとして『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成21年、勉誠出版)を使用することに決定し、初回では、まずこのテキストの冒頭に収録されている平泉澄氏の論説(「『保建大記』と『神皇正統記』」)を途中まで読み進めました。
若林強斎先生の説く崎門学の必読文献
いずれも学問のいたし様、肝要の心得あり。『小学』『四書』『六経』『近思録』は誠に道学の規矩準縄たればもっとも講習研究すべきことなり。その外は『周(周濂渓)』『程(程子兄弟)』『張(張横渠)』『邵(邵康節)』『朱子』の書、これなり。史伝の書は『通鑑綱目』備はれり。ただこれらの書に骨を折って、その余りの雑書は見ても見ないでも同じことなり。第一に学ぶべきことは我が国の書なり。我が国の書にては『(日本書記)神代巻』『中臣祓』は上古神聖道要の書なり。その余り、『伊勢五部書』を参考すべし。右の書は疏物(書かれたもの)色々これあり、皆並べ考えるべし。その他、口訣、伝授、推し究むべし。さて『六国史』というは『日本記』『続日本記』『日本後記』『続日本後記』『三代実録』『文徳実録』これなり。これに続いては准后親房の『(神皇)正統記』なり。これらを熟玩すべし。その他『律令』『格式』等の書、吟味を詳らかにすべし。近年『保建大記』これあり。『正統記』以来の書にて、極めて心ある珍重なる編集なり。いずれも熟読してその意を究むべし。(享保八年『神道夜話』より抜粋の上、表記改変)
若林強斎『雑話筆記』摘録2
以下は若林強斎『雑話筆記』(近藤啓吾先生校注『神道大系』「垂加神道・下巻」)の摘録。数字は頁数、便宜上、仮名は現代表記に改めた。
9(唐の)太宗は臣なり、建成は君なり、いやおお云われぬ名分あるからは、建成を弑した人は誰であろうと主の敵、いわんやその伝たる者、おめおめ太宗へ仕えたが尤もであるべく候や※
※唐の高祖・李淵の跡目争いで太宗・李世民は兄の李建成を破り二代皇帝に即位した。これが玄武門の変(626)である。さらに建成の臣であった王珪、魏徴は、太宗に仕えた。強斎はその変節を責めている。
10(鬼神来格の説について)鬼神の理が落ちねば、神主を立てても益に立たぬということではなく候。・・・まず神主を立ておけば、それから自然と誠敬もいたり、忽然と黙契する筈のことにて候。
我が身は父母に根差し、父母また天から降ったものにてもこれなくそうらへば、またその父母に根差し、生々するなりに源を推せば、皆由って来ることない人はこれ無く候。しからば祖考すでに死すと云えども、その理気一貫した子孫にて候へば、その由って来る本源の祖考を封植しないでは叶わぬことにて候
11人として祖先の神明を祭祀せずしてすもう様これなく候
浮屠(ブッタ)の位牌では何の益にたたぬが見えたこと。
人々の分限相応に、我が心頭の安んずる処がすなわち礼の節文、神明の受ける処にて候へば、別に祠室を立てる勢いがなければしないでよし、珍膳で祭ることがならねばそれもなくてよい。
先祖の神明すなわち自己の神明にて候
13理気妙合して流行するなりに、何ということなく活き活きとして霊にすさまじい著しい処をさして鬼神と申し候
14子孫の形気貫いて神明の存する処これあるの理にて、この理あればこの気あって、その子孫神主を立て誠敬を尽くせば遊散するもの廻り来るでなく、他の物来たり感ずるでなく、その子孫の誠敬なりにその神明に感格し来るものこれあり候。