若林強斎『雑話筆記』摘録2


以下は若林強斎『雑話筆記』(近藤啓吾先生校注『神道大系』「垂加神道・下巻」)の摘録。数字は頁数、便宜上、仮名は現代表記に改めた。

9(唐の)太宗は臣なり、建成は君なり、いやおお云われぬ名分あるからは、建成を弑した人は誰であろうと主の敵、いわんやその伝たる者、おめおめ太宗へ仕えたが尤もであるべく候や※

※唐の高祖・李淵の跡目争いで太宗・李世民は兄の李建成を破り二代皇帝に即位した。これが玄武門の変(626)である。さらに建成の臣であった王珪、魏徴は、太宗に仕えた。強斎はその変節を責めている。

10(鬼神来格の説について)鬼神の理が落ちねば、神主を立てても益に立たぬということではなく候。・・・まず神主を立ておけば、それから自然と誠敬もいたり、忽然と黙契する筈のことにて候。

我が身は父母に根差し、父母また天から降ったものにてもこれなくそうらへば、またその父母に根差し、生々するなりに源を推せば、皆由って来ることない人はこれ無く候。しからば祖考すでに死すと云えども、その理気一貫した子孫にて候へば、その由って来る本源の祖考を封植しないでは叶わぬことにて候

11人として祖先の神明を祭祀せずしてすもう様これなく候

浮屠(ブッタ)の位牌では何の益にたたぬが見えたこと。

人々の分限相応に、我が心頭の安んずる処がすなわち礼の節文、神明の受ける処にて候へば、別に祠室を立てる勢いがなければしないでよし、珍膳で祭ることがならねばそれもなくてよい。

先祖の神明すなわち自己の神明にて候

13理気妙合して流行するなりに、何ということなく活き活きとして霊にすさまじい著しい処をさして鬼神と申し候

14子孫の形気貫いて神明の存する処これあるの理にて、この理あればこの気あって、その子孫神主を立て誠敬を尽くせば遊散するもの廻り来るでなく、他の物来たり感ずるでなく、その子孫の誠敬なりにその神明に感格し来るものこれあり候。