五百木良三という人物の回想に以下のようなものがある。この話は大学にいたころから知っていたが、なかなか原文にあたれなかったので今まで書けずにいた。
或日、羯南翁は其卓子に肱を乗せて、恁う言た。
「区役所から吾輩の戸籍を調べに来たが、職業を何と書いたら可かろうと随分困つたよ」
「何と書かれましたか」と誰かゞ言た。
「無職と書いた」と羯南翁が言た。
「新聞記者は?」
「新聞記者は職業ではないよ。これは浪人に属するものだ」
「はッはッはッ」(原文踊り字:引用者註)
一同は俄かに笑ひ出した。其時私は卓子の一隅にあつて此の話を聞いて居たが、新聞記者が果して職業でないかに就て疑を起した。すると、傍らに居たある人は言た。
「併し、これで飯を食つている以上は職業といふべきだらうと思ひますが」
「飯を食ふといふ点から考へると、さうかも知れないが」と羯南翁は筆を指の間に挟んだ手を原稿紙の上に乗せて「併し飯が食へなくても、文章を書かなきやならんからな」
私は初めて先生の意のある所が解つた。飯が食へても食へなくとも社会の指導者として筆を執るのが新聞記者の任務であつて、これが商売といふべきものでもなければ、「業」(職業)といふべきものでもないのだ。
(昭和十二年の)今日此説を持ち出したら、若き新聞記者達は一驚を喫するだらう。浪人に属するものだといふに至ては、到底今の人には理解が出来まい。松本健一『原敬の大正』67~68頁からの孫引き
若干芝居がかった逸話であり、五百木の創作ではないかという疑問もあるが、似たようなことはあったのであろう。陸羯南の言論にかける思いがよく伝わってくる。
陸羯南はその言論活動を行う中で、営利性も党派性も放棄すると言う実現困難な命題に立ち向かわなければならなかった。なぜそうしなければならなかったのか。それは自分は自己利益の為に発言しているのでもなければ、特定の政治勢力を支援するために書いているわけでもない。自分は日本の為に書いているのだ、という強い矜持があったからに他ならない。
陸は、新聞記者は利益を得る手段ではなく「公職」であると説く。その上で「眼中に国家を置き自ら進んで其の犠牲になる覚期」が必要だとした。ある党派に属しその党派の勢力を広めるために言論活動を行うものを「機関新聞」、営利を得てそれを増進するために書くものを「営利新聞」と呼び、自らをそのどちらにも属さない「独立新聞」だとした。「独立新聞の頭上に在るものは唯だ道理のみ、唯だ其の信ずる所の道理のみ、唯だ国に対する公義心のみ。」己の信じる義、国に対して奉仕する心、それ以外の何物にも動かされてはならないのである。