説明
坪内隆彦『徳川幕府が恐れた尾張藩─知られざる尊皇倒幕論の発火点』(望楠書房、令和2年8月)
幕府の警戒を招いた尾張藩初代藩主・義直の思想とはいかなるものだったのか。それはいかにして継承されたのか。その過程で、尾張藩と朝廷を結ぶ崎門学派はいかなる役割を演じたのか。本書では、知られざる尾張藩の謎に迫る。
第1章 徳川義直なくして水戸学なし
第1節 義直の尊皇思想
第2節 「尾張殿に謀叛の意あり」
第2章 朝廷と垂加神道・吉田神道
第1節 霊元天皇と近衛基熙の対立
第2節 「近衛家─吉田神道」vs.「一条家・九条家─垂加神道」
第3節 尾張藩の崎門学
第3章 四代藩主・徳川吉通は暗殺されたのか
第1節 吉通と「王命に依って催さるる事」
第2節 幕府が吉通を恐れた理由
第4章 「藩主・宗春が勤皇倒幕の義旗を掲げて立つ」
第1節 将軍・吉宗に挑んだ宗春
第2節 垂加神道と桜町天皇
第5章 崎門学派弾圧事件と「王命に依って催さるる事」
第1節 尾張藩崎門学の苦闘
第2節 崎門学派弾圧事件─朝権回復運動の萌芽
第3節 崎門学派弾圧事件と河村たかし市長の祖先
第6章 徳川慶勝による「王命に依って催さるる事」の体現
第1節 反幕意識の醸成─五十年に及ぶ傀儡藩主
第2節 尊皇の旗手・徳川慶勝の登場
第7章 明治維新と尾張藩─栄光と悲劇の結末
第1節 尊攘派と佐幕派の対立
第2節 尾張藩の栄光と悲劇
年 表
索 引
愚泥 –
本書を読む以前から、尾張藩が戊辰戦争の際に新政府側についたことは知っていた。
だが、「新政府側の方が勝ちそうだからついたのかな」とか「真田家が徳川と豊臣で分裂したみたいにどっちが勝っても徳川が残るという作戦だったのかな」くらいの印象で、深く考えることはなかった。
だが、本書を読んでそのイメージは一変した。
尾張藩が新政府側に付いたのは、初代藩主義直の「王名に依って催さるること」という遺訓の存在があった。尾張藩と徳川幕府は、常に緊張状態にあったのだ。だからこそ、七代将軍家継が夭折した時、次の将軍は御三家筆頭の尾張藩からではなく、紀伊藩から迎え入れられた。そこに知られざる暗闘があったのだ。
そして義直がなぜそのような考えを持つに至ったか。それが学問好きだった家康が、その集めた本を義直に譲り渡したことによるというのも面白い。家康譲りの好学の士となった義直は、神道や儒学の思想を身につけ、自然と朝廷に従うべきだという感覚を手に入れたのだというから、歴史は面白い。
しかし幕府に警戒されてその思想が単純に伝えられるはずがなく、苦労の連続だった。そこには命がけで取るべき道を伝えた尾張藩に仕えた学者たちの存在があった。その努力には感動せざるを得ない。
学者には描けない歴史の面白さ、醍醐味が本書には秘められている。