小野耕資「安倍晋三の国葬儀に反対する」(『維新と興亜』第14号)


 『維新と興亜』第14号(令和4年8月28日発売)に掲載した「安倍晋三の国葬儀に反対する」(時論、小野耕資)を紹介します。

 本年七月八日の山上徹也容疑者による銃撃事件により、元首相が亡くなるという衝撃的な事件が起こった。同容疑者は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に家族が入信し、家庭が崩壊したことで、同教団の広告塔となっていた安倍氏を標的としたと供述している。
 安倍元首相の死去からわずか六日後の七月十四日には、岸田首相は「ご功績は誠にすばらしいものである」として、安倍氏の国葬儀を行うことを表明し、二十二日には閣議決定がなされた。国葬儀は九月二十七日に日本武道館で無宗教形式で行われる予定だという。
国葬については微妙な歴史がある。戦前は『国葬令』のもと、天皇の勅令により執り行われている。皇族の他は、伊藤博文、山縣有朋、松方正義、西園寺公望ら元老がその中心であった。そうした国葬令が消失したと考えられた戦後は、天皇を除く皇族は国葬と明言しない「事実上の国葬」で執り行われている。また、戦後臣下で国葬された先例とされている吉田茂は国葬ではなく「国葬儀」だという奇妙な理屈で(勅令ではなく)閣議決定により行われた歴史がある。今回の安倍国葬も同様で、国葬ではなく国葬儀であるという理屈に立っている。なぜこのような奇妙な理屈がこねられているかというと、元来国葬とは、「国家元首及びその親族」と、「国家元首が認めた人物」がなされるものだ。しかし戦後のわが国は「日本国憲法」なる偽文書を抱えているために、国家元首が誰であるのかを曖昧にごまかしてきた。戦前からの通例にならって国家元首は天皇とするのか、「国民主権」を掲げた憲法を戴くため「国民(その代表である総理大臣)」とするのか、憲法論議は避けられてきた。結果、元首が祀られるべき国葬についても曖昧な対応とされ続けてきたのだ。昭和天皇の大喪の礼が国費でなされている通り、本質的に日本国の元首は天皇であると考えるほかないが、長年の自民党政治がこうした議論を明確にせずにごまかし続けてきたため、国葬についても法整備がなされていないのだ。法整備も元首に関する議論も棚上げしたまま、なし崩し的に先例だからと閣議決定で「国葬儀」をする姿勢は到底容認できない。
 私見を申し上げれば、本質論的にいえば元首は天皇であるのだから元首及びその周囲の方を国葬とするのが自然ではないだろうか。国葬とは天皇が亡くなられた際の大喪の礼であって、臣下は国葬にされるべきではない。ちなみに安倍元首相の国葬の委託先は電通が受注したという。自民党と電通の癒着体質により、真底まで腐っていることが明らかになった。こうした政治体制の中で権力を維持しつづけたことも安倍政治の本質であり、皮肉な結果ともいえる。
 ところで安倍国葬にまつわる報道の中では、喪主である昭恵夫人が国葬に乗り気ではなく、実はそっとしておいてほしいという意向なのではないかということに注目したい。もともと昭恵夫人は「内助の功」に徹することが多かった歴代の首相夫人とは異なり、東日本大震災の被災地の防潮堤建設の見直しを訴えたり、脱原発に言及したり、居酒屋経営をしたりするなど政府方針と異なる独自の動きをしつづけ、「家庭内野党」と呼ばれたほどであった。「後継ぎ」が期待される家庭環境の中で、体質的な面もあろうが子どももなく、「保守派」の重鎮とされた安倍氏であるが、夫婦関係は存外リベラルであったという。安倍氏も自らの家柄に課せられた「役割」を果たすことで精いっぱいであったのかもしれないと思うと感慨深い。岸田首相が早々に国葬儀を決定した背景には、海外要人の弔問客に対応することで自らの権力基盤を安定させたいという底意があるとも言われる。死してもなお権力に翻弄されることが安倍氏が背負った宿命だとすれば、哀しいことではないだろうか。
 世の所謂「保守派」の中には安倍国葬を礼賛する方も少なくない。だが天皇陛下の勅もなく国葬儀を発する岸田総理の姿勢に、戦後の矛盾を見なければならない。中曽根元首相をはじめとした吉田茂以外の歴代総理大臣は、内閣と自由民主党の合同葬とされることが多い。これ自体も電通が受注したのか等税金の使い道は精査されないといけないのだが、少なくとも国葬儀よりは穏当な対応であり、安倍氏も同様の対応とすべきではないだろうか。

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