近藤大介「習近平後の日中関係」(『維新と興亜』第14号)


 『維新と興亜』第14号(令和4年8月28日発売)に掲載した近藤大介先生のインタビュー「習近平後の日中関係」の一部を紹介します。

■民主化に向かっていた胡錦濤政権
── 近藤さんは2006年に『日本よ中国と同盟せよ!』(光文社)を著し、「日中が二人三脚で『アジアの世紀』『東洋文明の時代』を切り開いていく」と書いていました。
近藤 この本を書いたのは、中国が一歩一歩民主化に向かおうとしていた胡錦濤政権の時代です。ところが、2012年に習近平が総書記に就き、胡錦濤政権時代とは真逆の方向に走りました。まるで別の国になったような感じです。その結果、私は「転向」しました。現在の状況では、中国と手を結ぶことはできません。
 胡錦濤政権時代には明るい展望がありました。例えば、2004年10月には中国共産党中央委員会編纂局マルクス主義研究所の何増科所長が中心になって、『中国政治体制改革研究』を編纂しています。これは、胡錦濤政権指導部が描いていた民主化への公式ロードマップです。
 同書には、「今後中国では法治化、地方分権、市民の政治参加などを漸次、推進する」と書かれていました。また、「2007年秋以降、経済発展優先、治安維持優先、法治化優先、地方自治体の民主化優先、共産党内の民主化優先という5つの優先原則を堅持しながら、政治の民主化を達成していく」と述べていました。そして、最終的には、完全に欧米式の民主主義国家になるのではなく、中華の伝統と秩序に則った「混合民主政体」が中国にふさわしいと結論づけていたのです。
 実際、政治の民主化は着々と始動していました。2004年10月には、選挙法及び地方組織法の改正案が通過し、地方自治体にあたる「県」と「郷」で議員の直接選挙を実施しました。実際、広東省の烏坎村では2012年3月、汚職まみれだった共産党委員会に代わって、約6800人の村民が投票によって村民委員会のメンバーを選出することが許可されました。ところが、習近平政権になって政策が劇的に転換されました。
 中国共産党は、1992年以来、政治は社会主義で、経済は市場経済という「社会主義市場経済」を目指してきました。鄧小平やその薫陶を受けた胡錦濤、李克強、胡春華らが目指してきたのは、徐々に社会主義色を薄めていき、市場経済型の国を作ることでした。ただ、急激に変革するのではなく、少しずつ軸足を置き替えながら、民主的な国にしていこうと考えていたのです。
 遡れば、孫文もまた、「軍政(軍事政権)期3年、訓政(党政)期3年、憲政(憲法制定)期3年」を経て、民主化に向かうという方針を立てていました。それを受け継いだのが蒋介石です。毛沢東ですら、当初は民主化を主張していたのです。毛沢東は国共内戦を行ったとき、「国民党には自由と民主がない」と主張して決起したわけです。
 ところが、習近平政権になってから、民営企業を主体とする市場経済を弱め、社会主義を強めるという真逆の方向に走り始めたのです。習近平政権が三期目に入れば、プーチンのロシアのように、国内に敵がいなくなり、1950年代の毛沢東のように習近平に対する個人崇拝が進むと思います。

■日清戦争時とは立場が逆転した現在の状況
── 習近平政権が続く限り日中関係の改善は望めないということですか。
近藤 日本は、習近平政権が尖閣諸島を取りにくることを警戒する必要があります。習近平は「中華民族の偉大なる復興という夢の実現」を目指しています。これは、アヘン戦争、日清戦争の前の状態に戻すということです。彼は「中国はアヘン戦争で香港を取られ、日清戦争で台湾を取られ、そこから屈辱の時代が始まった」と認識しています。したがって、習近平は台湾を取り戻し、台湾に含まれると主張する尖閣も取り戻そうとするでしょう。
 現在の状況は、日清戦争前の状況とそっくりなのです。ただし、攻守が逆転しています。日清戦争前、日本は経済力、軍事力を拡大してアジアの新興国として台頭する一方、清国は老大国として沈みゆく存在でした。清は日本の脅威を非常に強く感じていましたが、直接日本と対決したくないので、欧米に助けを求めていました。当時、清は西太后の時代でしたが、宮廷も国民も平和ボケし、「専守防衛」ばかり唱えていました。
 まさに現在の状況はこれと真逆で、中国は経済的にも軍事的にも強大化し、日本の国力は低下しつつあります。こうした中で、中国の脅威に怯える日本はアメリカに頼り、イギリスにも応援を頼む状況で、やはり「専守防衛」ばかり唱えています。
── シーレーンを日中が共同管理することによって、両国関係を安定化させることはできないのでしょうか。
近藤 習近平政権では難しいでしょう。習近平には「日中対等」「日中共同」という発想はありません。これに対して、胡錦濤にはそうした発想がありました。実際、2008年には東シナ海のガス田を日中で共同開発することで合意しています。
── 9月29日に日中国交正常化50周年を迎えます。
近藤 その2日前の9月27日に行われる安倍元首相の国葬には、王岐山副主席が出席するとされていますが、万が一、安倍氏と個人的にも親しかった蔡英文総統が国葬に出席することになれば、王岐山は出席をとりやめるでしょう。
 8月24日には中韓国交正常化30周年を迎えますが、中国は尹錫悦大統領の訪中を、韓国は習近平主席の訪韓を求めており、決着がついていません。韓国は「間合い」に非常に敏感な国ですから、この中韓国交正常化30周年がどのような結果に終わるか注目すべきだと思います。その結果が、日中国交正常化50周年の試金石にもなるでしょう。
 私は40周年を迎えた2012年に北京に滞在していましたが、同年9月11日の尖閣諸島国有化によって、中国の対日感情は一気に悪化しました。当時、江沢民派と胡錦濤派の権力闘争が激化していましたが、江沢民派は「胡錦濤政権の親日的政策が尖閣国有化を招いた」と主張し、胡錦濤派は一気に劣勢に立たされたのです。その結果、習近平がトップに就いたのです。逆に言えば、尖閣国有化がなければ、習近平政権は生まれなかったかもしれません。

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