「国家の物語」を取り戻せ(北神圭朗)(『維新と興亜』第11号)


 『維新と興亜』第11号(令和4年2月28日発売)に掲載した「国家の物語」を取り戻せ(北神圭朗)」の一部を紹介します。

『維新と興亜』第11号

憲法に御誓文の五か条を入れ込むべきだ
── 北神議員は国難を乗り切るためには、「国家」を強化しなければならないと主張しています。
北神 戦後の日本では「国家」の重要性が忘れられてきました。「国家」を強調することは戦争につながるといった間違った考え方に縛られています。
「国民」が日本という「国家」を意識し、「国家」に愛情を持ち、「国家」の発展に強烈な責任を負わなければ、日本が現在直面している課題も乗り越えられません。そして、日本が大国として生き残っていくためには、「国家の物語」を回復する必要があります。歴史とは、その民族や国家が実際に体験してきた記録です。日本人が何を目指してきたのか。危機にどのように対応してきたのか。日本民族の「物語」を振り返り、それを理解することによって、日本人の理想の姿が浮かび上がってきます。
「国家の骨格」(象の森書房)にも書きましたが、わが国の歴史を俯瞰すると、わが国が横暴に振る舞う国家に対し、厳然たる独立を守り、対等な関係を求めてきたことがわかります。
例えば、わが国は国力だけでなく、文明の水準においてもはるか上だった隋の帝国に対して、対等外交を展開しました。聖徳太子は隋の煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」との国書を突きつけたのです。これが自主独立の原点であり、その姿勢は蒙古襲来の時も、明治維新の時も貫かれました。また、わが国は覇権的な文明に抵抗しつつ、独自の洗練された文化文明を育成継承してきたのです。
敗戦によって、「国家の物語」は断絶してしまったと考えがちです。しかし、物語は連続しているのです。それを示すのが、1946年正月に、昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」を発せられ、冒頭に明治元年の「五箇条御誓文」が掲げられたことです。御誓文という明治の初心、さらには神武天皇の建国の精神に立ち返ることによって、戦争に敗けても「国家の物語」が連続していることを国民とともに確認されたのです。その意味で御誓文はわが国の国是であり、憲法には三大基本原理に加えて、御誓文の五か条を入れ込むべきだと思います。
歴史を俯瞰して「国家の物語」を学ぶのと同時に、わが国の偉大な先人のことを学ぶことが極めて重要だと思います。
日本の立派な先人たちの生き様を、小学校から、熱をもって、わかりやすく教えるべきです。わが国には、偉大な先人がいたことを知ることによって、「自分もこうした先人のように立派な人間になりたい」という気持ちが起きます。その結果、愛国心を涵養することができるのです。第一次安倍政権時代に、私は野党議員として伊吹文明文科大臣に質問し、先人教育の必要性について訴えたところ、学習指導要領に入れてくれました。

日本人自身が望んだ経済優先路線
── 現在、日米は対等の関係とは言えません。アメリカと協調して台頭する中国を抑え込むことは必要だと思いますが、日本はアメリカに追随するばかりで、主体的な立場をとることができなくなっています。
北神 戦後の政治指導者の多くは、真の主権国家、自主独立を目指すことに熱意を示してきませんでした。東西冷戦構造の中で、基本的には安全保障をアメリカに委ね、自分たちは経済を優先して福利厚生を追求するという路線を歩んできたのです。こうした路線は国民が望んだ結果でもあります。国民が「経済を犠牲にしても、場合によっては命をかけてでも、己の足で立ちたい」と心から願ったならば、日本外交は違ったものとなっていたでしょう。
これに対して、中国はソ連に追随することもなく、アメリカに対抗して自主独立路線を歩んできました。いまや中国はアメリカとも横綱相撲をとるだけの力を持つに至りました。
それでも、自主独立を模索した総理がいなかったわけではありません。その一人が、安保改定によって日本の自立を目指した岸信介総理です。しかし、岸政権の後を継いだ池田勇人政権は「寛容と忍耐」というキャッチフレーズを掲げ、経済を優先しました。その後、中曽根政権、安倍政権などの例外はありますが、基本的には経済優先の流れが続いてきたのです。

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