【特集】渋沢栄一も学んだ、日本を救う思想・水戸学


いまなお、水戸学の評判は良くない。数年前にも水戸学を悪しざまに罵る文章に出くわした。
〈長州テロリストたちがテロリズムを正当化する論拠とした「水戸学」とは、実は「学」というような代物ではなかった。空疎な観念論を積み重ね、それに反する「生身の人間の史実」を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に浸るためだけの〝檄文〟程度のものと考えて差し支えない〉(原田伊織『明治維新という過ち』)。

【特集】渋沢栄一も学んだ、日本を救う思想・水戸学(『維新と興亜』第9号)
明治維新の原動力となり、戦前には持てはやされた水戸学がここまで否定されるようになった理由は単純だ。GHQが水戸学に危険思想の烙印を押したからだ。例えば、GHQは占領期に塚本勝義『藤田幽谷の思想』、松原晃『藤田幽谷の人物と思想』などの水戸学に関する書籍を没収した。こうしたGHQの意向に沿って、戦後の学界で水戸学は否定的にとらえられてきた。
では、なぜ我々はいま水戸学に学ぼうとするのか。自立自存の精神を忘却し、グローバリズムの荒波の中で道義なき拝金主義に流され続ける日本を救う思想的な価値が、そこにあると信ずるからだ。水戸学は、國體つまり「日本の日本たる所以」を明らかにした。そして、民を愛しむ天皇統治を理想とし、経世済民論を唱えた先駆的学問だ。しかも、水戸学は机上の空論ではなく、実践と実行を伴った学問である。水戸学を信奉した幕末の志士たちは、自らの命を擲って国事に奔走し、ついに時代を動かしたのだ。
渋沢栄一もまた水戸学を信奉していた。若き日の渋沢は、水戸学の國體思想を体現しようとする尊攘の志士だった。そして、最晩年に渋沢が書いた『論語講義』では、代表的な水戸学者・会沢正志斎の『新論』を彷彿とさせる堂々たる國體論が展開されている。渋沢は終生水戸学を信奉し続けていたからこそ、常に大御心を拝し、聖恩に報いる覚悟で、身を挺して社会事業に取り組み、国家と公益を優先する産業人として人生を全うし得たのではないか(詳しくは拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一』望楠書房)。
本誌同人はいま、正志斎の『新論』を年内に復刻すべく勉強会を続けている。
我々は水戸学の真価を堂々と説き続ける。  (坪内隆彦)

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