「明治維新と神社神道 神社と神道をめぐる今日的な課題を探る」(稲 貴夫、『維新と興亜』第8号)


『維新と興亜』第8号に掲載した「明治維新と神社神道 神社と神道をめぐる今日的な課題を探る」(稲 貴夫)の一部を紹介します。
「明治維新と神社神道 神社と神道をめぐる今日的な課題を探る」(稲 貴夫)(『維新と興亜』第8号)

〈現代日本人の神社に対する具体的な印象や理解の仕方は如何なるものでせうか。神社は、日本固有の信仰である神道に基づく祭祀の場ですが、神社本庁の包括下だけでも全国に約七万八千五百社(法人数)の神社があります。さらに神社毎に由緒も規模も異なるため、個々人の神社との関はり方によつて区々であると思はれます。これまでに複数回行はれてゐる神社に関する意識調査などでも、地域や年代によつて様々な傾向がみられることが報告されてゐます。
 このやうな神社に対する認識は、神職の場合でもあまり変はらないところがあります。神社とは何かといふ、神社の本質に関する理解でも、神職の経歴や奉仕神社の性格によつて異なつてくるのです。事実、教派神道とは異なり神社神道には教義経典が無いことから、神社が宗教であるか否かをめぐつて、関係者の間で論争になつたりすることもあります。実はこの論争は今に始まつたことではなく、近代の歴史の中で、現代とは比較にならないほど真剣に議論されてきたテーマです。それは、近代日本の出発点である明治維新を経た新たな国家体制のもとでの神社政策が発端であり、その壮絶な終焉とも言へる大東亜戦争の敗戦による占領政策によつて、法制度上は強制的に決着がつけられた問題でした。
 果たして、その中で神社の置かれた環境がどのやうに変化し、現代の神社にどのやうな変化を及ぼしてきたのか。変はつたものと変はらないものを見極めることで、神社の本質に近づくことができるかもしれません。またそのことが、価値観が多様化するだけでなく、科学技術や産業社会の発展とともに多くの問題が明らかとなつてきた今日の文明社会の中で、今後の神社のあり方、社会との関係を考へる大きなヒントを与へてくれるかも知れません。
 それではまづ、近代史の中での神社の置かれた環境変化について、その概略を見ていくことにします。〉

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