大アジア研究会発行『大亜細亜』創刊


 わたしも参加している「大アジア研究会」の機関紙『大亜細亜』が創刊されました(リンク先ご参照)。

 わたしは「陸羯南のアジア認識―『国際論』を中心として」と、「時論 価値観外交の世界観から興亜の使命へ」の2本を書かせていただきました。

 ご参照いただけたら幸いです。

大亜細亜創刊号

左の画像からも『大亜細亜』の閲覧が可能です。是非ご覧ください。

「大アジア研究会発行『大亜細亜』創刊」への10件のフィードバック

  1.  はじめまして。特亜への不信から「アジア」という括りに非常に懐疑的な者の一人です。実際、バングラディシュでも、いわばあちらの「極右」にあたる連中が日本人を殺戮したわけですが、こういう点をとっても、「アジア」という括りには大いに疑問がつくと思いますが、その点「アジア」を積極的に主張する保守って、実際特亜は論外としても、ここらの地域の連中とどれ位交流があるものなんですか?
     あるいは中田さん個人は交流があるものなんですか?というのは、あるなら、百年以上前のさして有名でもない人物のアジア論などを論じないで、本人のルポとか載せそうなものですけどね。
    それから「大アジア」の「大」って何なのでしょうか?ヨーロッパの植民地に甘んじた地域が「大」って?何なら植民地支配受けなかったタイなんかは「大タイ」とか呼んでしまいますか?とにかく「大韓」の「大」みたいで意味があるとは思えないですが。
     批判ばっかりで悪いですが、思想を語るなら答えていただけると思って質問してみました

  2. 「日本」保守 様
    遅くなりまして申し訳ございません。
    論点が多岐にわたっていますが、まず基本的な認識から述べますと、バングラのテロは向うの「極右」が起こしたものという認識は一般的ではないと思います。イスラム過激派に触発されたエリート層によるもののようですが。もっともこれに関しては何をもって「右翼」とするかにもよるのでこれ以上こだわるとこれだけで終わらなくなりますので一旦置きます。
    アジア地域との交流ですが、わたし自身はありません。海外旅行すらなく、国内旅行もほとんどしない出不精です。しかし「大亜細亜」をともに発行している人でいえば折本代表はインドで日本語学校をやっていた経験もあり、今もチベットの人等と交流があるようです。坪内顧問も東南アジアに詳しく、マハティールにもインタビューした経験もあるようです。わたしだけ小物ですね(笑)。
    大アジアの「大」はよくわかりませんが地名に「大」をつけるのは割と一般的な表記です。「大」日本帝国ですし、「大」清国と言いましたし、タイも「大」泰国と戦前には表記されていたような…(タイはうろ覚えです)。

  3.  返信ありがとうございます。新しい記事も読ませてもらいました。ただその結論にしても抽象的でこちらの満足するものではありませんが、おそらくご自身はそれで満足なんでしょうね。その点をつき詰めて議論しても何かが出てくるとは思えませんでしたので、やめることにします。
     あと交流についても「わたし自身はありません」という言葉が多くを物語っている気がします。実際に価値観の違う連中と付き合う、煩わしさ、というか耐えがたさを省いてアジア主義だのなんだの言っても、「小物」かどうかの前に真実味もなければ誠意も足りてないでしょう。私なんか南アジア系の料理屋のドギツイ看板見てるだけで気分が悪くなる位ですからね。
     他の方は交流あるそうですが、それでなおもそんな時代錯誤な主張を唱えられるものなんだってむしろ呆れる位です。
     冷や水浴びせて悪いですけど、交流のないアジア主義には真実味も誠意もない、という私の指摘に反論できないならアジア主義なんて中身のない迎合にしかならんような主張は放棄してほしいですね。まあ、放棄はしないでしょうが、返答だけはお待ちしますよ

  4. 「日本」保守 様
    価値観の違う連中と付き合う煩わしさ、耐えがたさ、わたしもその通りだと共感いたします。それを推進したのが西洋グローバリズムであり、それへのアンチとして主張しております。ただ、日本だけグローバリズムをやめても、それは日本が世界政治、世界経済から孤立するだけで終わるのです。ですからまず(グローバル資本に搾取される)アジアから、ひいては世界大で各自の伝統文化に回帰しようというものです。東アジア共同体構想なんか支持しないと書いたではありませんか。あんなもの西洋グローバリズムをアジア世界に移植しただけで、全く愚劣なものです。結局わたしの書いたものを字面は追っていただけたのでしょうが読めておらず、己の思い描く「アジア主義者」を攻撃するも、そんな人間はどこにもいないのです。これはわたしの文章力のなさもあると思いますのであまり人のことは言えませんが…。
    ところで「迎合にしかならない」ってどこに対する迎合ですか? そしてそれは何を根拠に言っているのでしょう?

  5. 〉煩わしさに共感
    連中がうざいことは賛同するけど、それはグローバリズムのせいにするんですね。でグローバリズム否定だから、連中も帰るべきだと、それで自分はアジア人とは積極的に交わる気もない、というので都合よく辻褄はあってますね。
    まあ、連中が伝統に回帰して自国にも帰るべきなら、豚肉どうのとか言う連中に「アジア人への配慮」とかで迎合する必要もないですから別に問題はなかったわけなんだ。
    まあ、誠意のない(←一番重要なのに結局論駁はなかった)空論を主張されつづければよろしいでしょう。返信は結構ですよ

  6. 私も上の方とは異なりますが、アジア主義の「アジア」というくくりには疑心や違和感を覚えますね。
    「国際資本の規制、撲滅」や「各国の伝統への回帰」「古道の覚醒」を目指す主義ならば、「アジア」にこだわらず「アフリカ」や「中南米」も含む非欧米地域全体に広く訴えて連携すべきでしょう。
    アジア主義という響きには、アジア以外の地域――アフリカや中南米を締め出しているような印象を受けて、そこが個人的には気に入りません。

  7. いえ名前からの印象だけでなく以前中田耕斎さんは、
    田中逸平など戦前のアジア主義者らはイスラム圏も「アジア」に加えていたが、中南米などはアジアとして論じたりはしなかった。
    これら中南米やハワイなどは「欧米帝国主義の犠牲者」としての視点はあったが、「アジア」という地理区分と結び付いた概念で語られてはいなかった、と仰っていました。
    これはアジア主義者は中南米やハワイなどの非欧米、非アジア地域を知らず知らずのうちに軽んじていたことになりませんかね。
    彼らを「犠牲者」とだけ見なして、共に連帯し共に欧米に抗う同士、同胞、同盟国とは見てなかったという印象を受けました。
    中田耕斎さんたち現代のアジア主義者が、本気で「各国の伝統への回帰」や「古道の覚醒」を目指すのならば、アジアにこだわらず中南米のインディオやアフリカの部族社会などの伝統、ひいてはこれらの社会の現状も学ぶべきですし、彼らの中で伝統を重んじる人々とも交流し積極的に連携を図るべきだと思います。

  8. N 様
    コメントありがとうございます。返信が遅くなりまして申し訳ございません。
    中南米などはもう欧米の植民地にされてしまった後なので、戦前のアジア主義者にとっては政治的に連帯できる存在には映らなかったのかもしれません。ハワイも、明治期のアジア主義者にとってのアジアは支那、朝鮮、インドくらいですから対象ではなかったでしょう(イスラム圏などが加わるのは大正以降)。
    現代のアジア主義を考える上では当然世界各国の動きも重要ですので、勉強していきたいと思います。その意味では欧州にも反近代主義者はいるでしょうし、学ぶべきことは多々あると考えています。

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