土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)復刻の経緯─新装版刊行に当たって


 以下、土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)の「新装版刊行に当たって」を紹介いたします。
土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)

 本書の主人公ラジャー・ダト・ノンチック氏は、列強に立ち向かった日本人が、アジア諸民族に大きな感動と自信を与え、覚醒させたことに心から感謝した。しかし、ノンチック氏は、敗戦後、そうした歴史を忘却し、アジアへの思いを失った日本人に対する失望を隠さなかった。
 「どうして日本人は こんなになってしまったんだ」と。
 ノンチック氏が失望した理由は、少なくとも二つある。一つは、日本人が敗戦の後遺症を引きずり、戦勝国から押し付けられた歴史観から抜け出せず、民族としての誇りを喪失したままだからだ。もう一つは、日本人自身の堕落である。道義心や思いやりの心を失い、利己主義、拝金主義に陥った姿をノンチック氏は深く嘆いた。この嘆きは、「日本人よ、本来の気高き魂を取り戻せ」という切望でもある。
 本書はノンチック氏の陸軍士官学校での同期生・竹田宮(竹田恒泰氏の祖父)を通じ、先帝陛下に献上された。刊行から三十年あまりを経た今日、本来の日本人の姿を取り戻してほしいというノンチック氏の願いは叶っただろうか。残念ながら、ノンチック氏の願いも空しく、事態はさらに悪化しつつあるのではないか。
 自虐史観の克服と日本人の魂の回復が、現在ほど求められる時代はない。つまり、現在ほど本書が読まれなければならない時代はないのだ。ところが、本書は絶版となったままの状態が続いてきた。そこで私たち『維新と興亜』同人は、新装版として本書を復刻することを決意した。
 旧版は、後に㈳日本マレーシア協会理事長を務める花房東洋先生(大夢舘初代舘主)の企画によって、刊行された。昭和四十四年、花房先生は三上卓先生に随行して防衛大学校の開校記念祭に行った際に、三上先生から本書の著者である土生良樹氏を紹介された。花房先生と土生氏は同じ三上一統で、土生氏は当時、防衛大学校の空手部師範を務めていた。その後、土生氏は三上先生の命によりボルネオに渡り、軍や警察の指導に当たり、サバ州政府顧問を務めた。
 十九年後の昭和六十三年、花房先生は東南アジアを放浪していた。タイのバンコクに滞在していた時、土生氏がマレーシアのクアラルンプールに在住していることを知り、早速同地に赴き旧交を温めたのだ。花房先生が、土生氏からノンチック氏を紹介されたのはこの時である。ノンチック氏は、その四年前の昭和五十九年に、日本とマレーシア、日本とASEANとの友好促進に貢献したことにより、日本政府から勲二等瑞宝章を受勲していた。
 花房先生は、ノンチック氏から、南方特別留学生としての体験、マレーシア独立に対する日本の貢献についての話を聴き、同氏の半生記をどうしても本にしたいと考えたのだ。こうして、土生氏による聞き書きが始まった。この願いが叶い、本書は平成元年十一月、日本教育新聞社から上梓されることになった。その後、ノンチック氏がリーダーとなって、南方特別留学生の同窓会としてASCOJA(アセアン日本留学生評議会)が結成された。花房先生は、ノンチック氏の紹介により、タイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア等の南方特別留学生OBを訪問し、日本が国敗れてもアジア諸国の独立に寄与したことを改めて確信したという。
 旧版の出版においては、産経新聞元副社長・野地二見氏の多大なる尽力があった。平成元年十一月十日には、出版記念会が東京商工会議所で盛大に開催された。発起人に福田赳夫元首相、小山五郎三井銀行相談役、砂田重民元文相、瀬島龍三伊藤忠相談役、三上一統の四元義隆氏らが名を連ね、花房先生が事務局長を務めた。今回、この出版記念会の報告も収録した(三百四十三頁)。

 令和三年三月
復刻委員会事務局長 坪内隆彦(大夢舘代表・『維新と興亜』編集長)

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