以下、土生良樹著『日本人よ ありがとう 新装版』(望楠書房)の株式会社フローラ代表取締役・川瀬善業氏の推薦のことばを紹介いたします。
社会党の村山富市氏が首相の時に、東南アジアに行って、「日本が戦争の時に悪い事をして、すみませんでした。」と謝罪していたのを、とても残念に思っていました。
ノンチックさんの「日本人よありがとう」のこの本を、村山氏や、氏に同調する人達に読ませるべきだと思います。そして、何よりもノンチックさんの話や、タイの元首相のククリット・プラモートさんがタイの新聞の「サイヤム・ラット」紙に発表した「十二月八日」と題する「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか? それは「身を殺して仁をなした」日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。さらに、八月十五日は、大切なお母さんが病の床に伏した日である。われわれはこの二つの日を忘れてはならない」という記事を日本の少年と青年に伝え続けていきたいと思います。そのため、すべての日本の小学校、中学校、高校、高専、短大、大学に、この「日本人よありがとう」の本を献本してゆきたいと思います。
昭和六十年に、インドネシアから一人の日本人が、私の会社にやってきました。彼は「村石カルトビ」と名乗り、私の会社の商品の「すべての植物を超元氣にする天然植物活力液HB‐一〇一」をインドネシアで大普及させたいとの事でした。日本中、世界中を救うために、HB‐一○一の製造と販売を昭和五十三年から、私は始めていたので、「協力します」と答えました。
村石さんは東京の羽田の出身で、日本の軍人として、インドネシアで日本の敗戦を知りました。しかし、昭和二十年の八月十七日に「ムルデカ(独立)」とスカルノ達が独立を宣言すると、四百年以上も植民地としていたオランダが再び、インドネシアに入ってきて、さらにイギリスもインドネシアに入ってきました。そこで、村石さん達の旧日本軍の人達の約二千人が、インドネシアの独立の応援に入って、戦ったおかげで、インドネシアは独立する事が出来ました。この間の経緯が、この「日本人よありがとう」に書かれています。