生命の希薄化


 啓蒙的な合理主義によって世の中が進歩していき、発展していき、幸せになっていくー近代社会が描いた未来像である。それを達成するために、合理主義の名の下にまず信仰が「迷信」とされた。次に芸術が解体され、学問は実証可能なもの以外は排除され、文学や音楽は売れ行きだけがそれへの価値を示す指標となった。歴史が権力闘争と利害関係の織り成す群像劇に置き換えられていくのと同時に、人々が真に仰ぎ見る正義を貫いた姿が見えにくくなった。その合理主義の究極が、国家を解体するグローバリズムである。だが、グローバリズムの破綻と金融工学の失敗は、われわれに合理主義の限界を教えた。むろん、合理的な態度は冷静な判断をもたらすと言う意味で人間に必要なものだ。捨てられるべきは合理主義以外のいかなる発想をも打ち捨て、未開野蛮時代遅れとみなす態度であろう。

 イスラム原理主義はそれら合理的世界観へのアンチと見られる事がある。だが、彼らもジハード以外に信仰的価値を見出せないある種のニヒリズム的心情を抱えている。さらに言えば彼らのルーツは、ソ連に抵抗するためにアメリカが育成した集団である。アメリカとイスラム原理主義もまた、同じところに起源を持っている。

 国家と、伝統的に培った信仰とが巧みに共存し、人々の精神的安寧をもたらす世界観は、なかなか現代で想像しづらくなってしまった。わが国では伝統的に民俗信仰による共同体的国家観を培ってきたと言える。しかしそのわが国ですら、ビジネス文化と外国人労働者の流入なくして回らない経済が、共同体的国家観をはぐくむ事を妨げている。今こそ日本の伝統の古層に還り、自ら培った世界観を取り戻す事が求められているにもかかわらずである。

 神武天皇は八紘為宇を宣言し、それがわが国の建国における大きな精神のひとつとなっている。八紘為宇はナショナリズムではない。しかしすべてをまぜこぜにするグローバリズムでもない。「各其処を得る」、すなわちすべての民族がその培った伝統を発揮し、共存していくことである。相互理解の下に各住む領域を定め、共存していく事ではないだろうか。

 最初に書いたとおり、合理主義による近代社会は人間を真に鼓舞する、生命の源を希薄化させてしまった。それへの批判精神を持った上で、新たな理想を提示しなければならない。それこそが「八紘為宇」の世界観である。新たな大理想を描き、それへの実現に努めることがわれらの使命ではないだろうか。

「生命の希薄化」への2件のフィードバック

  1. >彼らもジハード以外に信仰的価値を見出せないある種のニヒリズム的心情を抱えている
    >ソ連に抵抗するためにアメリカが育成した集団である
    >アメリカとイスラム原理主義もまた、同じところに起源を持っている
    ちょっと待ってください。
    イスラム原理主義者とイスラム過激派(ジハード主義者)を混同していませんか?
    イスラム原理主義(イスラム主義、イスラム復興運動)はアメリカが覇権を握る前からありましたし、イスラム主義を掲げる保守的ムスリムにはジハード主義を嫌ってる人も多い。これを一緒くたに扱うのは乱暴ですし無知です。
    サラフィー主義やその提唱者であるラシード・リダーについて勉強なさることを勧めます。
    >すなわちすべての民族がその培った伝統を発揮し、共存していくことである
    >相互理解の下に各住む領域を定め、共存していく事ではないだろうか
    領域を定め共存していくことが理想と仰ってますが、それは「戦争放棄」「平和」などと同じように、古代から現代に至るまで人類は達成できてない理想ですよね。
    人は欲や感情から他所の領域を侵しますし、また自分や身内が食っていくため生きるために定められた境界を侵さざるを得ない時もあります。
    絵空事に近い理想なのではないでしょうか。

  2. N さま
    コメントありがとうございます。
    イスラム原理主義とイスラム過激派について確かに用語として混同しており、勉強不足でした。申し訳ございません。まだ軽く調べた程度ですが、イスラム「原理主義」という呼び方そのものが欧米世界のイスラムへの偏見を背負った用語のようですね。ただイスラム「過激派」も「誰にとって過激なのか」と言う問題があり複雑なようです。
    いずれにしても勉強不足が露呈してしまったのでこれからもより勉強してまいります。
    理想については難しいところです。
    「領域を定め」と言う私の言い方が良くなかったかもしれません。他民族に絶対不可侵な領域を設定する事は不可能ですし新たな戦乱の火種を生む事にしかならないでしょう。意図としては、その人のアイデンティティを無視した人の移動は(外交官など一部職種を除き)見直されるべきであろうと言う事です。それでも天災・人災等で食っていくために外に出ようと言う動きは絶えないでしょうし、領域そのものを見直させようと言う動きもあると思いますが。

コメントを残す