またアマゾンのレビューを書かせていただいたのでご報告します。
井尻千男『歴史にとって美とは何か』
本書は井尻の遺稿集である。単行本未収録の論文を集めたもので、主要論文に「醍醐帝とその時代」が挙げられる。
宇多天皇、醍醐天皇の時代を「シナ文化への憧憬」から「天皇親政」「自国文化への確信」への大転換期と位置づけ、摂政・関白の廃止、遣唐使の廃止、古今和歌集の編纂をその時代精神の表れであるとみた。本論文は単に過去の歴史を描いたのではなく、過去を通して國體の大理想を強く訴えかけている。
「醍醐天皇とその時代」の初出は平成二十五年に「新日本学」に掲載されたものである。井尻はその翌年に入院し、平成二十七年に亡くなった。本論文は井尻の最期に遺した論文といってよい。
竹葉秀雄『青年に告ぐ』
学問という「道」
現代人は資本主義的な自己利益の充足に馴れきって、精神の救済を後回しにしている。心ある人でさえ、その主張は単純な政策論議に限定されていて、その奥に潜む魂を問題としない。『青年に告ぐ』は、「使命に生きる」ことを称えた本である。
孔子も、釈迦も、キリストも、ソクラテスも、マホメットも、道元も、中江藤樹も、吉田松陰も皆その青年時代に、内奥の神の声を聞いて、その道に生きた人たちである。哲学と求道は不可分のものである。思想とは単純な論理的正しさを問うだけのものではなく、人格の陶冶、社会の道義的進歩と結びつかなくてはならない。
学問は世界を認識する手段に過ぎないというのが近代科学的態度であろうが、竹葉秀雄にとっては、学問は全身を捧げるべき「道」であった。本書は竹葉のそうした姿勢がうかがえるものとなっている。
藻谷浩介『里山資本主義』
里山から見る新たな価値
資本主義はマネーゲームの域にまで高められ、現実の生活と全く乖離したところで巨額のカネが動くようになっていた。その体制の崩壊がリーマン・ショックだったと言ってよい。本書はそうした認識の下に、里山を媒介とした地産地消の経済を取り上げていくものだ。中でもエネルギーの地産地消の事例は本書でたびたび取り上げられており、エネルギー効率だけを目的とした発電ではなく、その地で取れるもので、環境に負荷をかけることなく発電し、生活する方法を模索している。
今の日本の都市部の経済の仕組みは複雑に入り組んだ流通経路により成り立っているが、ひとたびその流通経路が途絶えてしまうと何一つ生活できないコンクリートジャングルになってしまう。生きるのに必要な水、食料、燃料をお金を払わずとも、完全にとまではいかなくとも、ある程度自給できる社会こそ本書が豊かな生活としてたたえるものである。金銭は所詮物と物の交換に使うものであり、それ以外ではない。しかし資本主義に染まりきった生活では金銭は単なるものの交換手段ではなくそれ自体が一つの価値になって、カネを持つものが持たぬものより立派で上等な人間であるかのような観念が人々に染み付くことになった。だが金銭のみに守られる人生はさもしく、金銭以外のものに支えられる人生は豊かだ。
いずれも本ブログもしくは活字媒体にわたしが書かせていただいたものからの部分的な抜粋です。