書き手になるということ


書き手になることは、書くことを生きることの中軸に据えることである。人は誰でも、心のうちにあることを真剣に書き記そうとするとき、書き手に変貌する。
逆に、どんなにたくさんの書物を世の中に出していたとしても、自らの心の奥底にあるものとの出会いから逃れようとする者は、ここでいう書き手ではない。
文字を書く人は無数に存在する。しかし、書き手が同様に存在するわけではない。魂の言葉を世に顕現させたいと願ったとき人は、はじめて書き手となる。
(若松英輔『生きていくうえで、かけがえのないこと』31頁)

当時一大学生だったわたしがこのブログを始めてから10年が過ぎた。自分なりにまじめに考えたり、調べたり、言葉を紡いできたつもりである。だがわたしがやってきたこの程度のことはしょせん独りよがりというか、他人からしてみたら取るに足らない努力に過ぎないのではないか。そんな不安も同時に持ち合わせている。

わたしは書くことを本当に生きることの中軸に据えてきただろうか。書きたいことを文字に残すために、文字通り身を振り絞って、寝る時間をも惜しむように取り組んできただろうか。

おそらく性格的には、毎日コツコツ体を壊すほどの無理はせずなすべきことを少しずつ進めていく方が性に合っている。何時間寝たか寝なかったかなどは自己満足の世界であり、何の関係もないことだとも思うこともある。だが、それでも自分には全霊を傾けているのだろうか、と劣等感にさいなまれる。

ただ、読むことと書くことなしの人生を生きなさいと言われたとしたら、そんな人生に希望も喜びも何も感じられないだろうということも確かなのだ。

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