本土決戦論―敗戦の日を迎えるにあたって―


今年八月に書いた没原稿を掲載する。

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日本人の心

わたしにとって切実に論ずべきこととして心から離れないことは、日本人の心の問題である。経済成長がかくも日本人の心をむしばみ、日本社会を堕落させてしまったことに対するやるせなさである。「インバウンド」とか「爆買い」と言って誤魔化しているが、いまや日本は、外国人の購買力に依存し、彼らの無尽蔵な欲望を満たすことでかろうじて経済を維持しているのである。その意味では、「Tokyo」とか「Osaka」と言った経済圏は、意外にしぶとくその命脈を保つのかもしれない。だが、日本の伝統や、共同体や、民族性はどうだろうか。既に過去の遺物となってしまったのだろうか。
日本人はもう、伝統や先例、因習を頑なに守っていこうという意志を持たない。生活の便利さの追求は世を挙げて行われ、信仰心も薄く、共同体意識も弱い。微弱になった信仰の代わりに、数々の電化製品やレジャーが入り込み、便利ならそれでよし、楽しければそれでよしとなり、国はただの市場と化した。市場は、文化も伝統も民族性も破壊しながら、カネは天下の回りものとばかりに、今日も空転し続けている。
なぜ、いつから日本社会はこのように堕落してしまったのだろうか。そして、われわれがこの堕落から立ち直る方法はあるのだろうか。わたしは、本土決戦にそれを探る鍵があるのではないかと考えている。

本土決戦の経緯と「心法」

昭和二十年夏、わが国の戦局が思わしくない中、軍部は日本本土における地上戦を構想するようになる。國體護持を目的として、大本営を松代に移し、連合国軍の上陸に備え始めた。連合国軍が侵攻してきた場合、出来る限り抗戦して敵の消耗を図りつつ、侵攻してくる敵を日本本土深くまで誘い込んだ上で撃退するというものだ。
昭和二十年四月から沖縄戦が開始され、六月には沖縄がほぼ占領される。七月にはポツダム宣言が出され、降服が現実味を帯びてきたが、はたして國體が護持されているのか不明瞭であったために、国内でも降服すべきか論争があり、受諾しないでいたが、原子爆弾の投下を受けて降服することとなった。
日本の降服に当たっては、断固降服すべきではないという一派が存在した。彼らは戦争の続行を主張し、クーデターを計画したが失敗に終わっている。俗に宮城事件という。彼らはなぜ戦争の続行を主張したのだろうか。クーデターの中心人物の一人である井田正孝中佐の手記がある。長いが引用したい。

国敗れんとするや常に社稷論―すなわち「皇室あっての国民、国民あっての国家、国家あっての国体である」となし、国体護持も皇室、国民、国土の保全が先決なりと主張する。唯物的な国家論―なるものがある。社稷論は敗戦の寄生虫であり、亡国を推進する獅子身中の虫である。
社稷論第一の誤謬は、形式的なる皇室存続主義にある。形骸だけを残して精神を無視するものである。皇室の皇室たる所以は、民族精神とともに生きる点にあるがゆえに、精神面を没却した皇室には、意義も魅力もないことを深く考察すべきである。さらに彼らの出発点は、皇室の名を利用する自己保存であることを看破せねばならぬ。
社稷論第二の誤謬は、機械主義的な敗戦主義にある。開戦に当たっては傍観的あるいは逃避的態度を取り、戦局の推移につれて、第三者の立場から戦争を批判し、国民戦意の喪失にこれ努めたのである。その言うところは皇室の存続であるが、真の狙いは国家の面目よりも、物質的な生活苦ないしは戦争の恐怖に対する利己心以外の何物もない。
さらに戦争を挑発しながら、敗戦主義を指導した一派のあることを忘れてはならない。かくて、社稷論は軍人を除く上層階級に瀰漫し、さらに平泉学派も節を屈してこれに参画するに及び、神州不滅論は大転換を見るに至った。
(田々宮英太郎『神の国と超歴史家平泉澄』180頁からの孫引き)

彼らは皇室も国家も単に存続するだけでは駄目で、「形骸だけを残して精神を無視するものである」ものであり、民族精神とともに生きなければいけないという。彼らは勝算などまるで問題にしておらず、ただ「民族の精神」、「国民戦意」、「国家の面目」を失わないようにするため、戦争の継続を主張したのだ。
桶谷秀昭は「本土決戦といふのは、一億総特攻の思想であり、日本国民の生命のすべてを挙げるだけでなく、日本列島そのものを特攻とする思想である。/これは戦術とか作戦構想の名にあたひするであらうか。それは戦法といふよりは心法である。」(桶谷秀昭『昭和精神史』587頁、/は改行)と評している。本土決戦は作戦の問題ではなかった。後に残された日本人の精神(=「心法」)の問題である。
本土決戦以外にも、作戦の問題ではなく後に残された日本人の精神の護持を目的として立案されたものに、特攻がある。特攻作戦の発案者とも言われる大西瀧治郎は「この神風特別攻撃隊が出て、しかも万一負けたとしても日本は亡国にならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる」「ここで青年が起たなければ日本は滅びますよ。しかし青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」と言ったという。大西のこの発言は、軍事的効果のみを考えたのでは全く理解することはできない。しかし、戦闘の勝敗を超えた「日本人の存続」を考えたとき、どうしてもなされなければならぬ作戦であった。

戦後、茫然とした日本人

結果として言えば、本土決戦は沖縄を除いてなされなかったと言ってよい。それが現在まで残る沖縄の「捨て石にされた」という意識の所以であろう。
沖縄戦は凄惨な持久戦となり、多数の犠牲者が発生した。沖縄にのみ自国民と領土を犠牲にする選択を負わせる結果に終わったことで、戦後、沖縄は本土が主権を回復した後もアメリカに占領されることとなり、今も多くの米軍基地が残ることとなった。それ以上に問題であることは、現代の日本人がこうした経緯にほとんど無自覚なことである。特攻は後生の日本人のための貴い犠牲だと考えることはできても、沖縄に対してもそのような目で見ることができる人は、残念ながらほとんど稀なのである。
戦後の日本人が敗戦により茫然とし、それが落ち着いたときに、まるで敗戦を見ないようにするかの如く経済大国の実現に邁進したことを丹念に取り上げる論客に、桶谷秀昭がいる。
桶谷は「昭和二十年八月十五日の正午」には、敗戦による茫然自失の感覚がかつてはあったが、「この嘘のない純粋な感触の記憶は、やがて戦後の新文学の高い声に吹き消されたかのやうに、人の記憶から失はれた。かういふ記憶を抱いて生きるといふ生き方をしなかつた。/それが日本列島の美しい海浜を埋め立て、石油コンビナアトを建て、経済大国を実現する本能に駆り立てられた生き方であつた」という((「近代日本人と道」『時代と精神 評論雑感集 上』31頁/は改行)。
また、「敗戦時の空白と寂しさがわたしに教えたものは、体制であれ反体制であれ、およそ支配イデオロギーはその中核に決定的な虚偽を隠蔽して、のさばるということである。そしてその虚偽を見抜くのは、すべての橋を焼き、己一個の生存の暗い根底に立ったときである。敗戦時の感慨は、国破れて山河あり、であった。戦後二十五年の今、国は復興して山河は滅びようとしている。公害だけではない。われわれの内なる日本の滅亡である。これがほんとうの滅亡ではないか。」と記している(「八月十五日の記憶」)。
「内なる日本人の滅亡」を問題とする桶谷の議論は、後生の日本人のために本土決戦や特攻が必要だと考えた先人と、深く魂で通じ合っているように思われる。

現代人の心性について

日本は本土決戦を行わず敗戦という選択をした。これは皇室の国民とともにある姿勢、国民の犠牲を避けようとされる叡慮、国民と日本文化さえ残っていれば、日本は必ず甦るという確信と、さまざまな思いの果てに決断されたであろうことは疑いようがない。世界史においてたびたび繰り返された、国王がさっさと亡命してしまう事例などよりもはるかに偉大で崇高な態度であった。しかし物事には裏表があるものであり、やはり本土決戦を行わないことによって、「生き延びられればそれでよい」という観念を植え付けはしなかったか。醜の御楯となる誇りは忘れ去られてしまい、現代人はいきなりその感覚を取り戻すのは難しくなってしまった。少なくともその感覚を持てない自分を恥じ入ることから始めなくてはならない。
「特攻隊員の犠牲のおかげで今の経済発展がある」と言われることがある。坂口安吾ではないが、「嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!」と叫びたくなる。特攻隊員は、家族、故郷、生まれ育った自然のために命を散らしたのであって、その故郷を荒廃させ、自然をショッピングモールに変えた我々の堕落した生活なんぞのために命を散らせたのではない。特攻隊員は、我々が豚のように肥え太るために命を散らせたのではない。われわれはむしろ、祖国のために命を懸けた彼らを裏切ることで日々を生きている。その罪悪感から逃れることはあってはならない。
靖国神社は信仰的施設である。信仰とは特定の宗教を指すものではない。信仰とは己の一身を超えた大いなるものへの帰依である。靖国神社に宗教性があるかどうかは何とも言い難い。国民儀礼とも言えるからだ。しかし間違いなく信仰性はある。信仰とは先人の声を聴き、己の生き様を省みることである。その意味で靖国神社はまさしく信仰的な施設である。靖国神社はむしろ「○○が叶う」と言った現世利益を売りにした宗教施設よりもはるかに信仰的とさえ言えるのかもしれない。靖国神社への参拝は現世利益と言うよりも、むしろ現世否定と言ってもよい。靖国神社に眠る英霊より祖国に献身した人間は、今生きている人間には一人もいないからだ。祖国に献身した生き様を突き付けられ、欲望に塗れただらしない自らの生活を恥ずかしく思い、せめて一つだけでも英霊に恥じぬ行いをしようと努めようと決意する場所が靖国神社なのである。

後生に伝えるべき日本人の魂

日本人が一致団結し、祖国防衛の魂を全霊で発揮しなければならない。そのような危機感を心底抱かねば、独立を維持していくことなど到底できない。形式上の独立は保てるかもしれないが、強国に蝕まれて手も足も出ない姿しか許されないであろう。
強国のどこかに従っていれば、政府や市場は残るかもしれない。だがたとえそこに政府や市場が残っていたとしても、祖国に魂をささげる人が残らなければ、それは死んだ国である。われわれは生きながらえるだけではなく、日本人の魂を後生に伝えなければならないのだ。

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