本を買う悦び


 先日、久々に池袋のジュンク堂を訪れた。ジュンク堂は比較的学術的な専門書も多く取り揃えており、ここを訪ねて関心のある分野の書架に行き、背表紙を眺めているだけでも大いに刺激を受けることができる。
 ついネット書店に頼ってしまうと、「読むべき本がない」なんて思ってしまう。そうではない。自分が本を探していないのだ。ネットのような検索頼みのツールでは、読書は広がりを見せない。ネット書店は大変便利ではあるが、やはり本屋に行って背表紙を触っていくことがとても大事なのだと気づかされる。本屋に行かないと読書が貧しくなる。

 同じく本を探す悦びを感じることができる場所に古書街がある。古書街をゆっくり散策して、表のワゴンセールから奥の雑然と積み上げられた本まで眺めると、うれしくなってくる。「まだまだ読みたい本がこんなにある。」それだけで生きていける。

 そういえば私生活で嫌なことがあると、いつも大型書店か古書街に行く自分がいる。本の背表紙を一冊一冊触って、舐めるように見回すことで何となく癒される自分がいる。まだ読むべき本がある、まだ自分の知らないことが世の中には山ほど眠っている。そう思うだけで日ごろの嫌なことなどもうそこまで深く気に留めなくなっている。まぁなんとかなるだろう。そんな気持ちになるのである。どうせ世の中は未知で溢れているのだから。気にしたって仕方ないのである。

 本を買うことは一種の娯楽なのだ。私は買った本はすべて読むが、たとえ読まなかったとしても本を買うこと自体に一種の娯楽性が潜んでいる。たいてい本を買うことが好きな人は、本を読むことが好きな人ではあるが、「本を買うこと」と「本を読むこと」はやはり別個の趣味である。「本を買う楽しみ」というものが間違いなく存在するからだ。

 批評家若松英輔氏の父は、晩年目が悪くなり本をほとんど読めなくなっても、本を買い続けたという。それも家計の負担になるほどに買い続けたという。何となくわかる気がする。やはり私も、本を読めなくなったとしても、本を探し、買い続けるような気がする。
 本の存在自体が何か人を癒し、鼓舞する力を持ち続けているように思えてならない。

「本を買う悦び」への2件のフィードバック

  1. 書店を訪ねる喜び、本を選び買う喜びというものは確かにありますが、今後はますます紙の書籍市場も縮小して本屋も減っていくのでしょうね。
    良い本屋には生き残ってもらいたいものです。

  2. N様
    いつもコメントありがとうございます。本を買う悦びをこれからも提供し続けるために、書店は売れ筋だけでなくさまざまなジャンルを扱っていただきたいし、本を作る側もそれを考慮してもらいたいものです。

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