日本の根本問題


 いまわが国を覆う欺瞞と堕落、無関心と危機感のなさ、そういうものを見るにつけて鬱々とした感情に駆られるのだが、その思想的根源はどこにあるのだろうか。

 問題は、右翼でも左翼でも保守でも革新でもない。そういったものは冷戦構造の残滓である。そういった二分法を超えて、真にわが国の抱える問題の本質に迫らなければならない。

 それはGHQにより日本が弱体化された、という話ではない。もちろんそういう話も重要ではある。だが、占領から離れてから久しい現代にいたってもまだその迷妄から覚めないとすれば、それはわが民族の惰弱さを示す証左でしかないのではないか。

 日本は明治維新後、富国強兵、殖産興業の政策を勧め、それを「文明開化」であると正当化してきた。もちろんその背景には植民地化の恐怖があり、一端近代文明を受け入れたうえで日本の独立を達成しようという大攘夷の精神があった。わたしはその大攘夷の精神を嗤う者ではないが、それによる負の側面を見ないわけにはいかない。福沢諭吉は和漢の学を罵倒し、津田左右吉はご皇室が日本の神話に繋がっていることを、近代人の理性に堪えないと愚弄した。ベルツに「日本の歴史はない」といった輩がいるように、大攘夷の精神の裏には、日本の歴史や伝統、信仰を否定せずにはいられない何かが潜んでいた。

 欧米ではいまでも職業の世襲や、地元の商店街を守るためのフランチャイズ資本の規制は珍しくないとも言われる。わが国は、後発近代化国であるからこそ、近代化を猛進(妄信)し、欧米以上に近代化され過ぎてしまった国なのである。

 和漢の学の代わりに入ってきたのが、資本主義の精神であった。人間は自己利益を追求する存在であり、人生とは要は銭儲けのことであるという考えが徐々に人々に染みついてきた。新自由主義者やそれを支援する財界に至っては、それ以外の生き方を述べる者をほとんど負け犬の遠吠えとしか見なしていない。
 しかしそうした連中の所業を軽薄だと見なす心ある草莽は、いまだ草莽でしかなく、連帯することもできずにいる。日本の真の危機は、ここにこそあるのではないか。

「日本の根本問題」への2件のフィードバック

  1. 草莽が連帯できないのも当然ですね。
    今の日本では村社会も親族共同体も解体され、核家族すらも解体されて、バラバラの個として生きるしか無い。
    かつて生活に密着し規定していた神仏儒などの素朴な信仰は遠ざかり、武士道や侠の精神などの封建道徳、それに則った生活様式もここには無く、ノブレスオブリージュを体現する貴族ももはやおらず、上流層も有識者も大衆化していくいっぽう。
    終身雇用は崩壊し、職場は単に金を稼ぐ場所へと墜ちもはや職縁共同体ではなくなり、経済的・精神的に貧しい者は恋愛も結婚も子育ても難しくなった。
    このように浮き草として波間を漂うような生き方しかできなくなったこの社会で、どう連帯すればいいのでしょうね。

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