橘孝三郎と柳宗悦


橘孝三郎と柳宗悦はともに近代都市文明から逃避し、伝統的社会に自らの居場所を求めた。彼らは先天的に伝統的ムラ社会の住人だったわけではない。彼らは後天的に農村に生きることを獲得したのである。

橘孝三郎と柳宗悦の直接的接点を見出すのは難しい。だが、橘孝三郎の兄弟村にはミレーの絵とともにウィリアム・ブレイクの絵も掲げられていたという。ブレイクこそ柳の原点であり、両者の関心が近かったことをうかがわせる。橘孝三郎の妹はやの二年先輩で親しい中だった人物は、柳宗悦の妻兼子であった。宗悦・兼子夫妻ははやを訪ねて水戸に赴いたこともあったという。両者がそこで出会っていた可能性も高い。

そうした人脈的つながりだけではなく、柳と橘は伝統を信仰的に理解していたことも共通している。
柳は「伝統は一人立ちができないものを助けてくれる。それは大きな安全な船にも等しい。そのお蔭で小さな人間も大きな海原を乗り切ることが出来る。伝統は個人の脆さを救ってくれる。実にこの世の多くの美しいものが、美しくなる力なくして成ったことを想い起こさねばならない」(「美の法門」『柳宗悦全集』十八巻19頁)と述べている。ここでの柳にとっての「伝統」は「信仰」に近い。
柳は民藝を共同体によって生み出されるものとして捉えていた。したがって民藝は高名な芸術家によって生み出されるのではなく、無名の庶民が自らの必要に従って作られるものと考えていた。一方で資本主義社会がもたらす機械的な量産をあさましいものと思い、共同体に培われた文化を破壊するものとして捉えている。

橘は「日本愛国革新本義」で、「東洋の真精神に還って、世界的大都市中心に動かされつつある個人本位的烏合体的、寄合所帯的近世資本主義を超克、解消し得るに足る、国民本位的、共存共栄的、協同体完全国民社会を築き上げることより外ないと信ずる」と述べた(『現代日本思想体系31超国家主義』222頁)。また、「社会主義と言はず、個人主義と言はず、西洋唯物文明精神の本質に属する思想はその唯物精神の然らしむる処に従つて、だんだん聞いてゆくと、結局人間といふものは「胃袋と生殖器」だといふ事になつてしまふようだ。(中略)成程、人間は胃袋と生殖器に違ひない。さういふ言葉にはまことに耳聴けなくてはならん真理がある。然し、胃袋と生殖器である人間は同時に、頭脳と心臓であつた事を忘れてはならない」(『農本建国論』237頁)。
橘も物質文明を超克するところに共同体の意義を見出していた。

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